四粒目


「天は我らに味方せり……!」


 そんなワケで、パティスリー・ミキのお菓子作り教室(チョコレート編)当日。僕はアシスタント業務のためコックコートに身を包み、サロンを腰に締め付けて気合いを入れていた。だけど早速出鼻を挫かれることになる。

 教室の開始と同時に、名塩なじおがさっきのセリフを絞り出すように言ったからだ。もう一人のアホである加西かさいも「時は来た。それだけだ」と呟き、無駄に広いウチのキッチンスタジオは謎の熱気に包まれている。なにこれ。


 一般のお客様からしたら、まさに意味のわからない展開だろう。普段は女性客ばかりのお菓子作り教室に、明らかに一般男性ではない二人の異分子が、それもチョコレート編に紛れ込んで来たからだ。

 もちろん二人は一見してソレとわかるアレである。とにかくこれ以上、一般のお客様に迷惑は掛けられない。僕は二人に背後から近づいて注意するが、振り返った二人は何故かキラッキラした表情で続けた。


三木みき、奇跡だ。奇跡が起きたぞ。この教室に俺が恋焦がれる綾部あやべ女史が参加している!」

「加えてよォ、俺の運命の相手の赤松あかまつちゃんもいるんだぜ! これを『僥倖』以外に表現しようがあるか? ねぇよなァ!」


 二人のセリフを聞いた途端、腰に巻きつけていたサロンがずり落ちた気がした。いやいやいや。なんで? こんなことってある?

 ちらりと視線を投げると、確かに綾部さんと赤松さんがそこにいた。時間がなくて、今回の参加者リストをチェックしてなかったのは痛恨の極みだ。もし知ってたらアホ二人を絶対に参加させなかったのに。


 くだんの綾部さんと赤松さんが、僕らから少し離れた位置で仲良く話しているのが見える。あの二人、学科は違うけど仲よかったんだっけ。直接話したことはないからよく知らないけど。


「三木、感謝するぞ。俺はこの日を忘れない。そしてお前も忘れないでくれ。俺が初めて綾部女史と会話する、記念すべきこの日をな」

「まだ話せてなかったのかよ!」


 アホだ。いやストーカーだ。名塩はこれだけ綾部さんのことを好きだ好きだと言っているのに、まだ一言も話せていないらしい。こんな状況ならおそらく、綾部さんは名塩をまだ認識していないだろう。同じ学科とは言え、名塩は割と人が多い学科に所属している。もし綾部さんが名塩を知っていたとしても、きっとそれはマイナスイメージ。


「あのな名塩。知らないだろうから教えてやるけどさ、世間ではそれをストーカーって呼ぶんだぞ」

「だが問題ない。こういうイベントで初めての会話をすれば、より強く彼女の記憶に残るだろう。つまりタイミングを計っていたという訳だ」

「もっと計るとこ他にあるよな? 自分の立ち位置とかアタマの中の具合とか! やってることがガチのストーカーなんだよ! どうせ加西もそうなんだろ? まだ赤松さんと話せてないんだろ?」

「フッ……、当たり前だろ?」

「誇るところじゃないよ!」


 ヤバい。完全にいつものノリになってきてしまった。もちろん仕事中なので声は抑えているけれど、コイツらと一緒にいるとどうしたって僕がツッコミ役になってしまうのだ。あぁクソ。マトモに仕事が出来そうにない。

 だがしかし。頭を抱えたくなったそのタイミングで、僕と同じコックコートに身を包んだ店長(つまりは父親)が声をかけてきた。


真人マコト、そっち側のお客様をそのテーブルに集めてサポートしてくれ。四人一組だ、頼んだぞ」


 いやちょっと待ってくれ父さん。綾部さんと赤松さんに、このアホ二人を混ぜて僕が担当するだって? カオスが極まってるよそれは! そもそもアイツら他人とは混ぜるな危険、いや単品でも充分に危険物なんだよ!

 ヤバい。今すぐ裸足で逃げ出すか、それともいっそアホ二人を手に掛けるか──。


 テーブルに並んだ包丁を眺めて散々悩んだ挙句。それでも僕は、結局ここで踏ん張ることを決意した。家業とは言え仕事は仕事だし、それに父親がこのケーキ屋を継いで欲しそうにしているのは薄っすらわかってる。

 いつまでも逃げてるワケにはいかない。どこかで戦わなければならないのが、人生だ。

 僕は決意めいた眼差しでアホ二人を見る。すると何故か「イィィヤッホォォォ!」と叫んでる二人が見えた。いやなにこれ。


「おい名塩ォ! どうやらオレたち、赤松ちゃんと綾部ちゃんと同じテーブルみてーだぜ! 来たな、オレらの時代がよォ!」

「やはり俺の理論に間違いはなかった。幸福度不変の原理は本物だ。昨日アレをやっておいてよかったな、加西」

「あぁ違いねぇ。クソさみィ中、あの儀式に精を出してよかったぜ。ご利益ありそうだったもんなァ!」


 いやいやどこで何して来たんだよお前ら。嫌だし何故か怖いけど、情報収集のため訊かないワケにはいかないだろう。恐る恐る僕が問うと、二人はゲスい笑みをして答える。


「──穿て藁人形、打ち抜け五寸釘ィ!」

「古来より日本に伝わる必殺の呪法。ジャパニーズ・トラディショナル・カース。つまりはうしこくまいりだ。安心しろ三木。お前のも打ち付けてあるぞ」

「なんで僕が打ち付けられてるんだよ!」

「最後まで聞け、三木。俺と加西は三人分の彼女持ちの男を呪ったんだ。彼女と別れるようにとな。俺が言い続けている幸福度不変の原理では、幸せな男が三人消えれば、別の三人の幸せが許される。打ち付けた藁人形は三体。俺の学科のイケメン三人衆を呪ったんだ」

「マジ感謝してくれよな、三木ィ。血が凍るほど寒かったんだからよォ」

「あぁ、考え得るバフを最大限重ね掛けしたからな。頭に差すのは伝統の和蝋燭わろうそくバフ、身を清める真冬の水垢離みずごりバフ、そして気合いを入れる白褌しろふんどし一丁バフ。その他いろいろ重ね掛けして効果は約三十二倍だ。間違いなくイケメン三人衆は彼女と破局するだろう。そしてその代わりに幸せになる三人が、俺と加西、そして三木という訳だ」

「だからその三人が僕らだって保証はないって、」

「いいやオレらがその選ばれし三人だぜ? 間違いねぇよ。だって現によ、ここに赤松ちゃんと綾部ちゃんがいるじゃねぇか! それによォ三木ィ、お前の思い人もいるだろォ?」

「は? 僕の思い人?」

「ほらあそこだよあそこ! お前好みの可愛い子がいるだろォ?」


 加西が指差すその方向。少し離れたテーブルには、可愛くはにかみながら僕に手を振るすずちゃんがいた。マコトお兄ちゃーん、というセリフ付き。

 ──あぁ、なんて素晴らしい笑顔だろう。ファンサが過ぎる。眩しいよほんとに。って違う!


「いや違う違う違う! 鈴ちゃんは可愛いけど別の意味での可愛いだろ!」

「でも今お前、顔がトロけてたぜ。それ、ガチで好きってことじゃねーのか?」

「違う、僕はロリコンじゃあないッ!」

「自分に嘘を吐かなくてもいいぞ、三木。言っただろう。お前にどんな性癖があろうとも、俺たち三人は『桃園の誓い』を交わした親友、いや義兄弟だと。ゆえに俺たちは決してお前を蔑んだりしない。たとえ相手と歳が離れていようとも、その気持ちが本物ならば純愛だ。お前の愛を誇れ」


 言葉だけ聞くと、なんか凄く格好いいセリフだけど言っているのはアホの名塩だ。そして僕はロリコンじゃあない。ホントに違うんだホントに。

 でもこれ以上否定すると、まるでロリコンであることを肯定しているような空気になる。クソッ、何か手はないのか! 僕はロリコンじゃあないんだ! 背が低くて幼く見えて、ショートボブの黒髪にメガネ装備(できれば赤いフレーム)って女の子が好きなだけで、決して歳が幼い女の子しか愛せないワケじゃあない。むしろ年上なのに見た目が幼女ってのはかなりのレベルでアリだ。うん、でもこれを口にするとマジアウトだよな。

 

 進退これ極まれり。救いの手を求めて視線を這わせると、こちらのテーブルに近づいてくる二人の女の子が見えた。もちろんそれは、綾部さんと赤松さんだ。


 ──来た。千載一遇のチャンスだ! 驚くことに、アホ二人は女性に対する免疫がまるでないのだ。これだけモテたいモテたいと呪詛のように繰り返すわりには、緊張し過ぎて女の子とロクに話せないのである。しかも二人の思い人が相手なら効果は抜群だろう。

 よし。ここは会話のサポートをするフリして、僕のロリコン疑惑を煙に巻いてやる!



「えっと……、名塩くんと加西くん、それに三木くんだよね? 私たちと同じ大学の」


 ファーストサーブは赤松さんからだった。初心者でも返しやすい疑問文での第一声。ふわりとした山なりの、優しさをも感じるサーブ。きっといい子なんだろうな。加西に目をつけられて可哀想すぎるけど。

 さてどう返そうか。アホ二人は戦力外だから、ここは僕が何とかしないと。無難なところから行こうかと、僕が第一声を発しようとしたその時。




【続】




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