第14話(最終話)
それからして私達の日常はいつも通りに戻っていった。
朝8時。
優里と手を繋いで一緒に保育園へ行き、その後に職場である店に行き仕込みや清掃をして準備に取りかかった。
11時の開店時間になるといつにも増して客足が多く、早々から忙しく動いていった。
15時を過ぎると遅めの休憩に入り、裏口から外にに出て空を見上げると霞がかるように南西の方角に月が浮かんでいた。
20時。退勤後、自宅へ帰り玄関のドアを開けると先に帰ってきていた優里が勢いよく私に抱きついてきた。
夕食を済ませた頃、ソファに座りながら絵本を読んでいた優里が首を下向きに動かして眠そうにしていたので、抱き抱えて寝室に寝かしつけてきた。
再びリビングに戻り、あらかじめ本棚から出しておいたノートに店のマネージャーから新規のレシピを考案して欲しいと伝えられたので、書き込みをしていた。
「パソコンよりもノートが馴染んでいるんだね」
台所で後片付けをしていた美梨が話しかけてきた。
結局は佐賀との関係も今となっては刻まれた時の中で溶けて流れていったようなものになった。
同じ空間の中をもがき苦しみながら泳ぐ回遊魚の群れがいつしか辿り着いた先は、皆別々の方向へ流れついていった。
あの後海斗の事が気になって中嶋に偵察してもらったところ、佐賀夫妻は別居する事となり、妻ならびに母親側に海斗を引き取られたと教えてくれた。
私も彼に会いたいと考えたが、母親が関与したくないと返答したらしい。
なので、これ以上振り出しに戻るような事はしたくないと思い、海斗自身の傷は本人が己と母親とともに向き合っていく事で、少しずつ時間をかけて払拭していってほしいと願った。
ようやくして温かな灯火を囲み、こうして家族として生きることを選んだことには間違いはなかった。
これからも優里が私達の子として生きていくことには変わりわない。
法の下や大人達の言動が全て正論とも位置付けされるのは、時として疑問を生み出してしまうものだ。幼なくともそれに立ち向かった彼女の志操が全ての道を導いていったものなのだ。
特別に望むものや期待することをしなくとも、彼女がどんな境遇にいても、人として誰かのために笑顔でいてほしい。それが私達親の誇りとなる。
***
「行ってきます」
「気をつけてね」
あれから12年の歳月が流れていった。
私は再び独立して店を構える事となり、優里は17歳になった。
身長も美梨と同じくらい伸びていつの間にか成人に近づいていった。
彼女の通学時に車で学校へ送り到着すると、ドアを開ける際に振り向いて私に告げた。
「いつも、ありがとう」
「…早く行きなさい。今日も楽しめよ」
彼女は車から降りて手を振り校内へ入っていき、その姿が見えなくなった後、店に向かった。
夕刻の時、学校から近い最寄りの駅へ向かう途中、優里は友人らと会話している時、ある人影に気づいたがそのまま通り越していった。
改札口に入りホームで電車を待つ間、先程見かけた人物が彼女達の元にやってきた。
「葛木優里さんですか?」
「どちら様ですか?」
「佐賀、泰臣と言います」
「何ですか?」
「久しぶりです。以前貴方にお会いしたものです。覚えていますか?」
「ごめんなさい。知りません」
やがてホームに電車が着き、不審になりながらも友人達と車内へ入っていき、ドアが閉まった。
優里は車外を見て振り向くとその人物は彼女を見つめながら見送っていった。
「誰?」
「知らない。人違いじゃない?」
「最近校区内に不審者が多いんだって。気をつけよう」
「そうだね」
その後、優里が会った人物は現れなかった。
彼女にはあの頃の出来事は記憶から消されていた。
自宅に帰ると美梨が先に帰ってきていたが、先程の人物には触れることはなかった。
20時。私が帰宅した頃2人がこちらを向いて視線を送ってきたので、何かと尋ねたら呆れ顔をしていた。
「晴、また?来週末、優里の誕生日よ。」
「ああ。覚えいるよ」
「絶対嘘だ」
大切な行事は忘れてはいなかった。
すでに何を用意するかは考えていた。
「もしかしてお子様ランチに見立てたもの?」
「さすがに年齢もあるだろう?それなりのレシピは考えているよ。楽しみにしてて」
優里は微笑んで自分の部屋に入っていった。
私はベランダの外に出て、少しだけ肌寒い新緑の夜風にまとわる感覚に浸っていた。
水平に光る薄灯りがやがて一つずつ消えていくのを見ていると、夜空にはひときわ明るく輝く一等星が目に入った。
明日に続く幸せを祈るように、私は咥えた煙草の火を点けずに、居間に戻っていった。
了
幼聖の瞳 桑鶴七緒 @hyesu
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