第3話



 わたしがはじめて話を聞いたのは、四時間目の体育の授業前だった。


「二か月前から付き合っているらしいよ。熊笹くんに直接聞いたって」


「そうなんだ」


 どうやら噂は本当のようだ。


 しかも二か月前といえば、熊笹くんとマリカが親しくなる前。つまり、戦う前から勝負は決していたのだ。


 マリカもすでに知っているようだ。体育の時間はサッカーだったが、全く笑わない。パス練習も気の抜けたボールばかり蹴る。ペアになっている子も遠慮がちだ。


 マリカは今度こそ腫物のように扱われた。以前は気を使って話しかけていた子も、何と声をかけていいか分からないようだ。


 とはいえ、失恋なんて話は高校生のわたしたちの周りにはそこら中に転がっている。


「高橋さんも、来週ぐらいには元気になるよね」


 まさしく、その通りだ。


 だけど、絶賛仲違い中のわたしはどうすればいいだろう。


 謝って欲しいわけじゃないけれど、向こうから近づいて来なければ、わたしから仲良くしようとは思わない。怒っていたのは、わたしなんだ。


 でも、このままズルズルと話さないままということも有り得る。


 そんなことを考えている内に、放課後になった。運悪く日本史の先生に捕まって、授業で使った教材を資料室に持って行くはめになった。


 資料室から帰って来る途中。隣のクラスの前で足を止めた。


「敦司、何で彼女が出来たこと黙っていたんだよ!」


 思わずドアに身を隠して、中を覗き見る。


 黒板の前で熊笹くんと二人の男子が教室に残っていた。男子二人はニヤニヤしていて、熊笹くんは少し困ったような顔をしている。どうして彼女が出来たことを黙っていたのか問い詰められているに違いない。


「ごめんごめん。もしかしたら別れるかもしれないから、彼女がしばらく黙っていようって」


 熊笹くんは頬をかきながら言う。


 別れるかもしれないという言葉に、マリカも少しはチャンスがあるんじゃないかと思った。わたしは関係ないけど。


「大体、どこで知り合うんだよ。女子高の子とか!」


「知り合うっていうか、元々幼なじみなんだよ。ずっと好きだったんだけど、何となくって感じで付き合い始めて。でも、この前ずっと両想いだったって分かったから、オープンにすることにしたんだ」


 なんとも微笑ましい恋物語だ。


「惚気は止めろ!」


「彼女いない男子にはキツイ!」


 男子三人で楽しそうにじゃれ合っている。


 照れてはにかんでいる熊笹くんの様子を見ていると、とてもマリカに勝ち目があるとは思えなかった。やはりドラマオタクはドラマオタクでしかなかったのだ。


 これ以上、ここに居てもしょうがない。


 わたしは立ち去ろうとする。けれど、次の言葉に再び足を止めた。


「だけどさー。高橋さんも哀れじゃない? せっかく頑張っていたのに」


 哀れとはあまりにマリカに対して配慮の欠けた言葉だった。でも、確かに他人にはそう映るかもしれない。好きになった相手に、知り合う前から恋人がいたんだから。


「高橋さんがどうかした?」


「はあッ!?」


 あまりに熊笹くんのとぼけた態度に思わず声が出てしまった。そのままの勢いで教室の中に入っていく。


「有馬さん?」


「熊笹くん! 何言ってんのッ! マリカの気持ちにこれっぽっちも気づいていないってわけ?!」


 わたしの口から言うべきことじゃない。


 けれど、もう止まらなかった。


「マリカがどうしてコンタクトにしたか分かんないの!? 慣れるためなんてウソを真に受けているわけ!? 俳優やってるってバレてもいいから、ちょっとでも可愛く見られたいからに決まってんじゃん!」


 本当は素のままで目立つことが苦手だ。普通の高校生がするような会話も苦手。それでも好きな人に可愛く見られたかったに違いない。


「いや、でも、高橋さんはすごいから。色々考えがあるはずだし」


「すごいからって何!? 演技が上手いからって、普通の感情がないって言うの!?」


 煮え切らない熊笹くんの態度に、わたしはさらに声を荒げる。


 ――そのときだ。


「酷いよ、熊笹くん」


 誰もがハッとした顔で震える声の主を振り返った。


 マリカだ。いつの間にか、ドアの前に立っていた。


 瞳からはとめどなく涙が流れ落ちる。


「どうして彼女がいるって言ってくれなかったの!? わたしの秘密は教えたのに!」


 熊笹くんだけを見つめたまま、マリカは彼に詰め寄った。


「えっと、その」


 熊笹くんは後ずさりしそうなほど、たじろいでいる。


「あんなに頑張ったのに陰で笑っていたの!?」


「そ、そんなこと」


「どうせ……、どうせ! わたしなんて演技していないと魅力がないんでしょ!?」


「マリカ……」


 一気にまくし立てたマリカは肩で息をしている。


 誰も言葉を発せられない。教室は静まり返った。


「ぷっ。なんてね」


「「「「え」」」」


 マリカ以外が唖然とした。顔を上げるとマリカが笑っている。


「菜摘が勘違いしているから、つい。これ、目薬なんだ」


 マリカは顔を手で拭いながら、スカートのポケットから目薬を取り出した。


 つまり、今の激昂は演技だという意味だ。


「な、なんだ!」


「びっくりさせないでよ、高橋さん!」


「すごい迫力の演技だったよ!」


 緊張が一気に解けたように男子たちはヘラヘラし始めた。


「ごめんね。熊笹くんと仲良くしようと思ったのは、単純に褒めてもらえてうれしかったのと、芸能活動するならイメチェンした方がいいかなって思ったからなの。わたし、これからも頑張るから応援してね!」


「もちろん!」


 マリカは男子たちの声援を受けて、教室を去っていった。





 自分の教室に戻ると、先に帰ったはずのマリカは居なかった。


「マリカ」


 ベランダのドアが少し開いていたので覗き込む。マリカは体育座りでしゃがみ込んでいた。その顔は涙と鼻水でグズグズになっている。


「な、菜摘……、ご、ごめん、菜摘、ひっぐ」


 嗚咽を漏らしながら、わたしに謝って来た。その姿を見ていたら、わたしの眼も潤んでくる。


「なんで謝るの。マリカ、悪くないじゃん。わたしこそ、ごめん。……本当に熊笹くんのこと好きだったんだ」


 わたしは親友なのに、マリカを信じていなかった。


 どうせ、ほんの一時の気の迷いぐらいに思っていた。演技をしていないマリカは、わたしと全く変わらないのに。


「ふ、ふわぁぁん、わ、わたし、がんばったよ」


「うん。がんばりすぎだよ」


 わたしも座り込んで泣きじゃくるマリカの背中を撫でる。マリカもわたしの胸に顔を寄せて来た。


 熊笹くんの前で見せた涙は、もちろん目薬じゃない。本物の涙。


 きっとこんなときが来るかもしれないと、ずっと目薬を持ち歩いていたのだろう。


 マリカの本当の涙は綺麗ではない。


 出来ることなら、これからはドラマで魅せたような綺麗な涙だけを流せますように。


 ――そう、わたしは願わずにはいられなかった。



 了

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高橋マリカの涙は飾りである。 白川ちさと @thisa-s

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