第2話
熊笹くんはよくマリカを訪ねて来るようになった。
「撮影は土日にしているんだ?」
教室で話すと会話が聞かれるかもしれないので、ベランダに出て話している。
マリカと熊笹くんだけだと噂になりそうだけど、わたしも居るからクラスのみんなは不思議そうにしているだけだ。
「出演者はほとんど学生だからね。教室のシーンなんかはまとめて撮るの。で、個別に出演するシーンがあったら、放課後とか、早退して撮影に行くんだ」
「へー!」
熊笹くんはどんな話にも熱心に聞いている。わたしはふと思ったことを尋ねた。
「熊笹くん、演技に興味あるの?」
もしかしたら自分も俳優になりたいから、マリカの話にも興味を持っているのかもしれない。
「え! そうなの?!」
マリカは瞳を輝かせる。だけど、「ない! ない!」と熊笹くんは手を横に振った。
「俺はドラマオタクっていうか、とにかく観ているのが好きな一般人だから」
「そうなんだ」
少しだけしゅんとするマリカ。仲間が出来るかもと思ったのかもしれない。
「専門家じゃないけど、やっぱ高橋さんはすごいと思うよ。ほら、母親と抱き合って泣くシーンあったじゃん。すごくタイミングよく涙が流れて、胸にグッと来たっていうか」
熊笹くんの言うことに、わたしもついウンウンと頷く。涙を流すことそのものもだけれど、まるで演出しているかのように涙が流れるのはマリカの演技力のなせる技だと思う。
でも、マリカの次の言葉に耳を疑った。
「あ、えっと、あれは違うの。その、あれ目薬なんだ」
わたしも、熊笹くんも目を丸くする。
「ほら、母親役の人とわたしと順番に顔のアップを取っていくから、その間に目薬を差して上手く流れるようにしたの」
「そっ、そーなんだ! いや、泣く演技以外も、怒るとことか」
あまり聞きたくなかっただろう事実。
それでも熊笹くんはマリカの演技の良さを熱弁する。
だけど、わたしは知っていた。
「マリカ、何で嘘ついたの?」
熊笹くんが自分の教室に戻ると、わたしはマリカに問いただした。
マリカは目薬を使わない。涙を流すことはもちろん、悲しみで流す涙、感動して流す涙、怒って流す涙と細かく演技を使い分けるようにしている。
散々、練習に付き合わされたのだ。
だから、あれぐらいのシーンで泣けないとは思えない。教室の中なので、マリカは小声で口を寄せて話す。
「ほ、ほら、あんまり自在に涙出せますなんて、普通の人は出来ないじゃない。わたし、実際は普通の女子高生なのに距離が出来ちゃうかなって思って」
「何それ……」
つまり、気になる男子に雲の上の存在と思われたくない。同じステージでいたいという訳だ。一気に頭に血が上る感覚がする。
「ふざけないでよッ!」
「な、菜摘?」
叫んだせいで、クラス中の注目が集まっている。
「マリカの気持ちなんて、その程度なんだ! もう知らない!」
わたしはマリカに背を向けた。
わたしとマリカは小学生になる前からの仲だ。
上に兄が二人いるわたしと違い、マリカは大人しい子供だった。パズルゲームや人形遊びと、家の中での遊びを好んだ。
もちろん学校では外でドッチボールなどもしたけれど、真っ先に当てられて退場していた。わたしも目立つ子供ではなかったけれど、とにかくマリカは弱気で気迫が全くなかったのだ。
そんなマリカを変えたのは、劇団が主催するワークショップだ。
夏休みに三日間だけ行われたワークショップに参加したのは、マリカの母親の勤め先の人の勧めからだった。
人数も十数人とそれほど多くなく、演技をするというより、子供たちと話し合って身体を使って表現するというものだった。
わたしは何だか変わっている、これが何になるのだろうとよく分からなかった。
けれど、マリカは違った。話し合いにも生き生きとした表情で参加し、表現するのにも身体を思う存分使っていた。
何がマリカをそうさせているかは分からないけれど、マリカが活躍できる舞台なのだと子供ながらに理解した。
わたしも誘われはしたけれど、マリカだけが劇団に入る。学校では相変わらずだったけれど、演技をしているマリカは伸び伸びしていた。
演技をすることが好きだし、何より誇りを持っていた。練習にも手を抜こうとはしない。
だからわたしはずっと応援してきたし、練習にも付き合っていた。
それなのに――。
「でも、意外だよね。高橋さんが熊笹くんみたいな男子に夢中になるなんて。もっと大人しい人が好みかと思っていた」
「あー。マリカってちょろいから、ちょっと褒められたらポーッとなっちゃうんだよね」
いつもはマリカと食べているお弁当を、他の友達と食べている。
マリカは一人で食堂に行ったようだ。クラスメイトたちはマリカがわたしを怒らせたと思っているようで、マリカとは少しだけ距離を取っていた。
「なにを怒っているか分からないけど、高橋さんも悪気があるわけじゃないんだからさ。ほどほどに許してあげたら?」
別に誰を好きになろうと勝手だけど、これまで頑張って来たことを蔑ろにするような言い方は気に食わない。
「やっぱり、簡単には許せない!」
部外者として扱うなら、わたしだってそう簡単に前のようには振舞えなかった。
マリカは相変わらず、熊笹くんと仲良くしていた。
熊笹くんが教室を訪ねて来るのは、ドラマの放送があった翌日だ。それ以外の日はわざわざ訪ねて来ることはあまりない。
そういうときはマリカの方から隣のクラスに行ったり、移動教室のときを狙って廊下で待ち伏せをしたりしている。マリカが話しかけても、共通のドラマの話でもなければすぐに会話は終わるようだ。
間に入っていたわたしが抜けても、あまり仲良くなったようには見えない。
その上、マリカが出演しているドラマはもうすぐ最終回を迎える。熊笹くんとの共通の話題が無くなるのだ。熊笹くんもファン第一号とは言っていたものの、彼はドラマオタク。わざわざ劇場に観に行くとは思えなかった。
もしかしたら、マリカも同じことを考えたのかもしれない。
ある日、マリカが登校してくると教室がほんの少しざわついた。
「あれ? 高橋さん、コンタクトにしたの?」
中学生の頃に目が悪くなってから眼鏡を貫いていたマリカがコンタクトにして来たのだ。たかがクラスの女子が眼鏡を辞めただけ。
だけど、明らかに熊笹くんの影響なので、遠慮していた女子たちも色めきだった。
「似合うよ!」
「うんうん。眼鏡より垢ぬけて見える!」
「というかさ、……高橋さん、ドラマ出ていない?」
観ている人にはバレるに決まっている。眼鏡をかけていないマリカは、まさしくドラマの役柄そのままだ。
「うん。実は黙っていたけど、劇団に入っているんだ。他にもドラマのオーディション受けるつもりだから、普段からコンタクトに慣れておこうと思って」
ウソだ。元々、演技で必要だからとコンタクトには慣れていた。
「やっぱり! 熊笹くんとフレデイの話をしていたときから、そうじゃないかなって思っていたんだ!」
他の子はそんなこと二の次。
とにかく、身近なクラスメイトがドラマに出演していたことに興奮していた。
この日はずっとマリカの周りに人だかりが出来ていた。質問は演劇のことや出演者のことなど、とにかく聞きたいことを聞きまくっているようだ。マリカもそれらに面倒がらずに答えている。
「菜摘は知っていたんだ?」
「まあね」
わたしはマリカの様子を遠巻きに見ていた。
随分マリカが遠くに行っちゃったなとぼんやり思っていた。
コンタクトにしたマリカは増々、積極的になる。
隠さなくなったので熊笹くんだけでなく、クラスの子たちに囲まれて受けて来たオーディションの話をしていた。わたしも知らない話だ。
でも、終わりはマリカがコンタクトにして三日後に訪れた。
熊笹くんに他校の彼女がいるという噂が広まったのだ。
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