高橋マリカの涙は飾りである。

白川ちさと

第1話


 少女は住宅街の階段を降りて行く母親の背中に向かって叫んだ。


『待って。お母さん! 待ってッ!』


 その声はビリビリと画面の向こう側にいるわたしの耳の鼓膜まで大きく震わせる。


『ごめんなさい。わたしは母親失格だから……』


『失格でも何でもいい! だから行かないで……ッ!』


 ありきたりな脚本だ。それでも隣に座るわたしのお母さんがグスリと鼻をすする。


『理香!』


『お母さん!』


 二人は抱き合う。母親の肩に少女の顔が埋もれていた。顔半分だけ見えて、眼の端には涙がキラリと輝く。タイミングを待っていたかのように、一筋の光が頬を伝う。


 ドラマのテーマソングが流れ始めた。そのまま数十秒、十分に堪能させられてエンディングのシーンとなった。





 次の日は木曜日。学校に登校するといつもと変わらない、少しざわついている教室がわたしを迎えた。


「おはよう、菜摘なつみ


「あ、おはようマリカ」


 振り向くと、昨夜は画面の向こうにいた少女がセーラー服を着て立っていた。服と眼鏡をかけていること以外は同じだ。


 なんだか不思議な感じがして、まじまじと顔を見つめてしまう。


「……なんか変?」


「うん。だって、いつも地味なのに昨日はすごく光って見えたから」


「地味は余計!」


 マリカに肩を平手で叩かれた。地味に痛い。


「ごめん、ごめん。でもドラマ見ていたけどさ、あんなに中心になるような回があるとは思わなかったよ。というか、前もって言ってよ!」


 わたしの親友、高橋マリカ。


 彼女は小学生のときから劇団に所属している。以前は劇団の定期公演に出るばかりだった。高校生になると演技の幅を広げるため、ドラマや映画のオーディションを受けるように。


 以前からわたしも劇を観て、マリカは演技が上手いと思っていた。


 けれど、まさかドラマのオーディションに合格するまでとは――。


「びっくりさせようと思って。まぁ、中心になるのは昨日の回だけなんだけどね」


 マリカが出演しているのは、三人の学生がクラスメイトたちの抱えている問題を解決していくという学園ドラマだ。


 学園ドラマなので、たくさんの同じぐらいの年頃の子たちが出演している。


 マリカはその中の一人の脇役。なんなら主人公たちにちょっと嫌味を言うようなイメージがあまり良くないキャラだ。


 つまり、学校では控えめなマリカとは正反対の役だ。


「えー。残念。でも確かにマリカの役、問題解決しちゃったしね」


「何が残念なの?」


 わたしたちが話していると、隣の席に登校して来た女子が尋ねて来る。


「あ、えっと……」


「昨日行ったパン屋さんで、人気の焼きそばパンが売り切れていたって話だよ」


 言いよどんでいるとマリカが横から嘘を言う。


「ああ、駅前のねー」


 なんだ、そんなことかとばかりに、気のない返事が返って来た。


 学校のマリカはいつもこんな感じ。ドラマ出演はおろか、劇団に入っていることも秘密にしている。


 生徒で知っているのはわたしだけ。


 マリカ曰く、目立つと碌なことがないらしい。劇団に入っているのに変な話だ。

こっそりマリカの横顔を覗き見る。


 冴えないおさげの髪型に冴えない眼鏡。冴えない話題に冴えない親友。


 それでも大きな秘密がある彼女。同じく冴えない女子高生のわたしは、少しだけ羨ましい。けれど、ドラマ出演はマリカが努力してきた結果だ。


 これからも変わらず応援していく。


 ――はずだった。





 ドラマはそこまで人気のあるものではなかった。家庭や学校のごくありふれた問題を解決していくので、刺激が足りないのかもしれない。


 放送があった翌日でも、朝少し話題にしているのを聞くぐらい。回を追うごとに観ている人も少なくなるので、そんな声も少なくなっていた。


「昨日のフレデイ観た?」


 フレデイとはマリカが出演している『フレッシュデイズ』の略称だ。


 昼休みにマリカの机でお弁当を広げているときに聞こえて来た。珍しいことだ。


「観たよ! ちょっと泣けたよねー」


「へえー。途中から観てなかったから、見逃しちゃった。配信に上がっているよね?」


 そう言って、スマホでさっそくチェックを始める。わたしとマリカはその様子をこっそり横目で見ていた。


「よかったね、マリカ」


 わたしはマリカに耳打ちする。マリカも照れつつ、ありがとうと小声でささやいた。


 こんな小さなことでも、充分事件だった。


 ドラマが始まったばかりの頃は、今をときめくアイドルたちが主役三人を演じていたので、教室でも盛り上がっていた。一方のマリカの役は話題にも上がらない。


 だけど、ちょっと泣けたというのは、マリカと母親が抱き合うシーンに違いないだろう。


 ほんの少し話題に上がる。そんなことで上機嫌にから揚げを食べているマリカを眺めるのは、わたしも楽しかった。


 本当の事件は、その日の午後起きた。


 午後の最初の授業は、化学室で実験だ。アルコールランプと試験管を使った実験で、特に問題なく授業は終わる。


 廊下をマリカと並んで教室に戻って行く。


「うーん、なんかさっきの実験から目がおかしい気がする」


 しきりに目を瞬かせながらマリカが言った。


「ええ? 変な気体が入っちゃったんじゃない?」


「怖いこと言わないでよ。たぶん、目にまつ毛が入っただけ」


 眼鏡を外して目を擦るマリカ。目の端には涙が浮かんでいた。


 そのときだ。


「え!? 三原みはらさん?!」


 突然、廊下に響き渡った男子の声。思わずわたしとマリカはギョッとした顔を向けた。


 マリカは高橋だし、わたしも有馬菜摘。だから、『三原さん』ではない。


 けれど、マリカのドラマの役名が『三原理香』だった。


 確か彼は――。


 隣にいる友達が不思議そうに言う。


「どうした、敦司。隣のクラスの高橋さんと有馬さんじゃん。三原さんって誰?」


 彼の名前は熊笹敦司くまざさあつし


 隣のクラスの男子だ。明るい性格のせいか男女共に人気がある。


「み、三原さん、三原さんでしょ!?」


 熊笹くんはマリカの肩を掴んで役名を連呼した。隣にいる友達は明らかに戸惑っていたし、廊下を歩いていた生徒たちが振り返る。


 何より揺さぶられているマリカ自身が一番混乱していた。


「三原さん?! 三原さんって誰!? わたし全然知らないなー!」


 演技中では考えられない棒読みだ。


「いや、三原さんじゃん!」


 どう見ても止まりそうにない。わたしは間に入って二人を引きはがした。


「熊笹くん、似ている誰かと勘違いしてない? ……マリカは秘密にしているの」


 にっこり笑って、黙るように小声で付け足した。


 だけど、返って逆効果だったようだ。


「やっぱりそうじゃんッ! 昨日、フレデイで」


「わーーーーーッ!!」


 ドラマの名前が出て来て、マリカはたまらず叫ぶ。


「もうッ! ちょっとこっちに来て!」


 わたしは仕方なくマリカと熊笹くんの腕を掴んで引っ張っていく。


「マジで?! 俺、めっちゃドラマ見てんだけど! 昨日の放送ももう二回観た‼」


 あまり人の来ない階段下に来ても、熊笹くんの興奮は冷めない。熊笹くんがドラマ好きとは知らなかった。


 マリカは脇役だからバレないだろうと油断していただろう。でも、学校に一人ぐらいこんな人がいてもおかしくない。


「三原さん! サインして!」


「えっと、とりあえずその三原さんっての止めて。わたしは高橋マリカだから」


 熱くなっている熊笹くんに対して、マリカは冷静を取り戻したようだ。眼鏡の縁を手で押し上げて、ツンとした態度で言う。


 それでも熊笹くんは全くめげずなかった。持っていたノートをマリカに差し出してくる。


「あ! 三原さんって役名だもんな。じゃあ、高橋さんサインしてよ! 俺、ファン第一号になるから!」


「「え……」」


 ドラマが好きだからって、マリカのファンになると言うのには驚いた。マリカも目を瞬かせている。


「そんなにわたしの演技良かった?」


「もちろん! 第一話から出番が少ないけど、この子は他の子とは違うなと思っていたけどさ。昨日の放送で確信に変わったって言うか!」


 熊笹くんは尖った八重歯を見せて、あどけなく笑う。


「ふーん」


 素っ気ない態度を取っているけれど、マリカの頭の中にはたくさんの花が飛んでいることがわたしには分かった。


「サインとかないから名前書くだけだけど」


「やった!」


 マリカはノートの最後のページに大きく名前を書く。ファン第一号の熊笹くんへという言葉も添えていた。


「ありがと! 今後も応援するよ!」


 満足そうに去っていく熊笹くん。マリカもどことなく満足そうにしている。


 二人のやり取りを見て、わたしはモヤモヤしていた。


 公言こそしていないけれど、マリカを応援しているファン第一号はわたしのはずだ。それこそマリカが劇団に入ったときから、毎回劇の公演は欠かさず見に行っている。


 それなのに――。


「ファン第一号とまで書かなくても良かったんじゃない? これから第二号、第三号って数えて行くの?」


 つい嫌味が口をついて出てしまう。


「ハハッ。そんなの数えないよ。最初のサインだけ! まぁ、次のサインを書く機会があるとは限らないけどね」


 わたしの嫌味は右から左に流すマリカは変わらず嬉しそうだった。


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