岸部総理の決断

 新たな交渉材料として国民の寿命を思いついた。

 この国は、表向きは長寿国ではあるが、介護の現場は厳しい。身体の動かなくなった老人達が自分たちの意志とは関係なく生命維持装置に接続されている。その生命維持コストはバカにならないし、そこには年金の支払いも伴う。

 逆に考えれば、平均寿命が縮めば年金問題も軽くなり、介護に取られていた労働力も別の産業に向けられる。悪くない。


「平均寿命80年に対して2年だと2.5%ぐらいか。それでは人間が恐怖と苦痛で歪む姿は見ることが出来ないのでおもしろくない。消費税も3%だったら大したことなかっただろ?5年でどうだ?平均寿命に対して6.25%ある。これぐらいがギリギリ苦しいけど、なんとかなるラインだろう」


 岸部総理は無表情のまま、黙り込んでじっくり考えた。正しくは考えたように見せた。10年は平均寿命80年の12.5%にあたる。財務省の官僚たちからは消費税を12.5%まであげてもなんとかなると言われてきた。同様に考えると10年までは譲歩できる。最初に2年という数値を出したが、5年でいいなら交渉としては想定以上の出来だ。財務省にさんざん言われていた消費増税の話が役に立った。


 これが受け入れられれば、年金問題と高齢化対策も同時にできる。この国はもう一度やり直せる。かつて明治維新で社会をリセットした78年後の1945年に敗戦で再び社会はリセットされた。そして、その78年後の2023年に台湾有事をキッカケに再びリセットされようとしている。


「承知した。それでは5年でお願いしたい。神風でも海戦でもなんでもいいのでこの国を守って欲しい」


 岸部総理は、希望に溢れていた。確かに犠牲は大きいかもしれないが、同時に日本が抱える年金と高齢化を同時に解決できる代替案を捻り出せたことが嬉しく、これまで生きてきた中で一番大きな仕事をしたという充実感にあふれていた。


「本当にいいんだな、一度私と契約したら引き返せないぞ」


「はい」


「契約前に親切心で一つだけ、忠告してやる。岸部総理、平均寿命が5年縮むと総理の命も尽きることになる。結果的に命を捧げることになるがいいんだな?」


 岸部総理は今年で66歳になる。まだ若い気でいた。自分が5年以内に死ぬことなんて考えたこともなかった。岸部総理は言葉を失い、呆然としている。必死に頭を回転させて言葉を捻り出した。


「私は戦後処理のこともあるから特別なんとかならないか?私が死んだら戦後処理もうまく行かない」


「総理、今の表情だよ。その恐怖で歪んだ表情がほしかった。ここに関しては交渉の余地はない。自分で決断するのだ」


 総理は苦悶の表情を浮かべている。このままだと「増税路線で国民を苦しめた総理」と歴史に名を残す形になる。本当は「日本を中国の侵略から救い、年金問題と高齢化問題を解決した英雄」になるはずなのにだ。


 自分の意見を押し殺し、空気を読みながら政治的な立ち回りだけで、この国の総理大臣にまで上り詰めた。総理大臣になっても自分を出せずに我慢した。緊縮・増税路線を進めたのも財務省を抑えるためだ。キシベノミクスと称して財政出動とか戦略特区とかカッコイイ政策をやりたかったし、国民にもっと認められたかった。その結果がこの選択なのか。拳がプルプルと震え、握り込んだ拳から血が滴り落ちた。それでも必死に声を出そうとした瞬間、岸部総理の全身の穴から出血して倒れた。憤死だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

岸部総理と戦争の悪魔 taiki @taiki_chk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ