岸部総理と戦争の悪魔

taiki

悪魔との交渉

 福岡の博多湾沿岸に防塁と呼ばれる1281年の「弘安の役」に備えて築かれた防御用構築物がある。現在ではその防塁は観光客で賑わっている。


 その防塁の地下に岸部総理は足を踏み入れた。専用エレベーターに乗り、地下へ地下へと下っていく。地下8階に到着すると自衛隊海上幕僚長、三条が岸部総理を出迎えた。


「ようこそ、自衛隊の弘安研究所にお越しくださいました。現役の総理大臣がこの研究所に訪れたのは、桂太郎総理以来です」


 ブラックスーツを着た総理大臣と制服を着た幕僚長が顔を合わせた。


「桂総理って日英同盟と日露戦争の時のあの総理?そうか、、、当時も相当ヤバい状況だったわけだな」


 平時であれば世間話でもするところだが、この国はそれどころではない。中国が台湾を併合してから自衛隊、沖縄や横須賀の米軍基地が慌ただしい。


「弘安研究所の『戦争の悪魔』の力を借りることになるとは、、、まさに国難だ」


 岸部総理はため息まじりで独り言のようにぼやいた。内閣府の限られたメンバーしか知らない極秘の存在、それが弘安研究所の『戦争の悪魔』だ。


 研究所の一番奥の部屋にたどり着くと三条幕僚長は立ち止まった。


「戦争の悪魔は総理としか交渉しませんので、私がお供できるのはここまでです」


「わかった。行ってくる」

 

 岸部総理は、厳重に管理された一番奥の部屋に一人で入っていった。

 薄暗い部屋を進んでいくと袈裟姿に涅槃像のようなポーズで岸部総理を待ち構えている人物がいた。どうやら戦争の悪魔のようだ。無表情な顔に冷たい目が妙に恐い。


「おお、これは現役の総理大臣がいらっしゃるとは、地上では相当な事件が起きてますなぁ」


「戦争の悪魔よ、どうか力を貸してほしい」


「この国の指導者としてここに来たのは岸部総理が3人目だ。120年ぐらい前に桂太郎が来て以来の客だ。その前は700年ぐらい前に北条時宗がやってきた」


 過去の日本の指導者も戦争の悪魔に力を借りたらしい。どうやら元寇も日露戦争の日本海海戦も戦争の悪魔の力が大きく影響しているようだ。


「力を貸すとは、中国軍が台湾から出てきたところを沈めればいいのだな?それぐらいなら大丈夫だ。で、岸部総理、あなたは私に何を差し出すんだい?北条時宗は自分の命、しいては北条家すらどうなってもいいからなんとかしてくれと言ってきた。桂総理は選挙を開放して、さんざん薩長で牛耳ってきた政治を国民に渡すと言ってきた。指導者達は相応の覚悟を持って私に会いに来ている。岸部総理の覚悟はなんだ?」


 悪魔との取引には何かを差し出す必要があるようだ。過去の偉大なリーダー達も身を削って悪魔と取引した。岸部総理は覚悟を決めた人間の清々しさと不安が入り混じった表情をしている。


「私は、日本の防衛費予算の1%を毎年捧げます。国防費は6兆円あるので1%だと600億円になります。悪くない話ではないでしょうか」


 国民の反対を押し切り増税したこともあって、防衛費は拡大していた。


「むむ。防衛費か、、、総理自身は何も差し出さないのか?」


「はい。私の命よりも防衛費の一部をお渡しするほうが対価としては大きなものになります」


「国民が痛むことはいいのか?」


「逆に言えば、国民の痛みを少しずつ捧げております。痛みの総量は私の命なんかよりもずっと重いはずです」


 戦争の悪魔は小さな痛みを少しずつかき集めるという発想に驚いている。


「それが近代の人間社会で生み出されたレバレッジという概念か。悪魔よりも悪魔的な発想だな」


「レバレッジとは小さな力で大きな成果を生み出す、人類が作ってきた偉大な発明の一つです。現にこうやって、悪魔との交渉に使えるほどに」


 岸部総理は戦争の悪魔に金が意味を持つのかはわからなかったが、国民の痛みの総和は十分交渉できると考えてこの場に臨んでいた。


「国民が少しずつ犠牲を払うから、国民全体を救えという話か。ただ、私は金には興味がない。人間が恐怖と苦痛で歪む姿を見ることが対価なのだ」


「増税で歪む人間の表情も見ているのは辛いですよ。近代の平和な日本では理不尽に命を奪われることも少なくなり、人間は金を失う痛みの方がリアルにイメージできて嫌がります」


「そうかもしれないが、いざ、生命の危機に晒されると『お金ならいくらでも払う』って言うじゃないか。やはり私にとっては金よりも命を差し出しされたほうが価値は大きい」


 岸部総理は、交渉の材料を失った。支持率を犠牲にして増税をやった。増税に対して党内でも大きな対立が起きた。それでもここまでやってこれたのは、戦争の悪魔の力を借りれると思ったからだ。これ以上ない最高の条件を持ってきたつもりだったがそうではなかった。だが、一国の総理大臣にまで上り詰めた男。このまま引き下がるわけがない。


「では、全国民の寿命を2年捧げるというのはどうでしょうか?」

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