第11話 水曜日の彼女
「毎週水曜日になると、退勤後に通る喫茶店の窓際にとても綺麗な女性がいるんですよね」
川口がそう切り出すと、山崎が軽く口笛を吹いた。
「へぇ、お前。そんなこと言って真由美ちゃんとやらはいいのかよ」
「それはそれ、これはこれですよ。僕の本命は真由美ちゃんですけど、綺麗な人を見るとつい見ちゃうじゃないですか」
「まあ、そうだな」
特に事件もなく、お互いデスクに座りながら報告書を書いている最中の談笑だった。
平和はいい。
「それでですね、その喫茶店には特徴があって」
川口が続けると一本の電話が鳴り響いた。
川口と山崎は顔を見合わせると、川口が電話を取る。
「はい、そうです。はい、はい……わかりました。ありがとうございます」
軽く礼をして電話を切ると川口は部署内に聞こえるように声を張り上げた。
「皆さん、事件です!」
こうして平和な日常というのは唐突に終わるのである。
現場に駆け付けると、川口が「やっぱり」と呟いた。
「どうした?知っている被害者か?」
「さっき言ったじゃないですか、毎週水曜日になると、退勤後に通る喫茶店の窓際にとても綺麗な女性がいるって。ここ、その喫茶店の近くですし今日は水曜日です。もしかしたらの可能性を考えたら的中してしまいました」
川口と山崎が見遣ると、喫茶店の前に女性の遺体が横たわっていた。
「もうじき退勤時間でしたしね、今から入店したらちょうど僕がいつも彼女を見掛ける時間帯です」
「なるほど」
言いながら遺体に手を合わせて状態を見る為に上げていたビニールを下げて元に戻した。
「しかし、こんな人通りが多いところで人が亡くなっても誰も気付かないもんかね」
「都会の砂漠ってよく言いますもんねぇ」
捜査会議はすぐに行われた。
幸い、身元もすぐに分かり関係者に話を聞く仕事を川口と山崎は指示された。
二人はまず、スマホの履歴が一番多い男から聞き込みをすることにした。
「あの女と恋人?冗談じゃないですよ、養ってもらっていた女の一人なだけですよ」
男はスマホを弄りながらそう言うと、ため息を吐いた。
「ああ、金払いのいい女だったのに新しい宿探さなきゃな」
この男に女性を殺す理由はないと憤りながら川口と山崎はアパートを後にした。
「そんな女性には見えなかったんですけどねぇ」
「ヒモを養うようにはか?」
「はい。清楚で喫茶店から見える彼女はいつも楽しそうに本を読んでいました」
「まあ、ご遺体を見ただけだが遊んでいるようには見えなかったな」
川口が大きく頷いた。
「そうですよ!遊んでいそうなら真由美ちゃんの方が遊んでいそうです!」
「……お前、本当に真由美ちゃんとやらが好きなのかよ」
「好きですよ!いくら袖にされても諦めきれない程度には!」
山崎は首を横に振って疲れたように言う。
「二番目の被疑者のところへ行くぞ」
「はぁい」
二人は車に乗り込むと、静かに発車させた。
「ええ!亡くなったんですか!?いつ!?」
二番目の被疑者は大袈裟と言えるほど驚いた。
「昨夜、十九時から二十時まで何をしていましたか?」
「その時間ならテレビを見ていました。配信で洋画のドラマを一気見していて、いつの間にか寝てしまって起きたのは今朝の九時です」
被疑者の言葉に川口が同意する。
「僕も良くやります」
「同意するな。えー、それであなたと被害者の関係は?」
被疑者は途端に悲しそうになりながらその場にへたり込んだ。
「大丈夫ですか?」
川口が顔を見ると男は泣いていた。
「こ、恋人です。もうすぐプロポーズの予定でした」
ポロポロと瞳から涙が溢れ出てきた。
川口がそっとハンカチを差し出すと礼を言って受け取り涙を拭いた。
「すみません。みっともないところをお見せして」
「いいえ、恋人が亡くなったのなら当然です!」
山崎は被害者にヒモがいたことをこの憐れな青年に教えるか迷った。
ヒモがいると知っているなら結婚なんて考えそうもない男だった。
それほど誠実な男が二股を掛けられていたと知ったらどうなるか。
口論の末に、とはよくある動機の一つだ。
「ちなみにこちらの場所はご存知ですか?」
川口が殺害現場となった喫茶店の外観をスマホの画像から見せた。
「知っています。彼女が毎週水曜日に行く喫茶店ですよね」
「そうです。僕はここに入ったことないんですが、なにか特徴はありますか?」
川口の問いに山崎が溜息を吐いた。
「おい、事件と関係ないことを聞くな」
「大事なことですよー!真由美ちゃんを誘った時にお勧めしやすいじゃないですか」
二人のやりとりに青年はふっと笑い答えた。
「そうですね、本日のケーキセットっていうのがあって彼女はいつもそれを頼んでいました。メニューにも載っていないデザートが出されたりして何が来るかわからないドキドキ感が楽しいって言っていました」
「なるほど、なるほど。分かりました!ありがとうございました!」
ぺこりと川口が頭を下げるとそのまま山崎と青年の家を後にした。
「彼が犯人ですね」
車に入ると川口はすぐに山口に告げた。
「なんでそう思う?」
「さっき、あの喫茶店の特徴を聞いたでしょう?その時彼はケーキセットと答えましたが、あの喫茶店の特徴は本屋が併設されていて買わずに本が読めて喫茶店のメニューを飲食出来るんです。もちろん、本を購入することも可能です」
「なるほど、特徴としてはケーキセットよりそっちを答えるよな」
川口は頷いた。
「はい。ですが、彼は毎週水曜日にケーキセットを食べることしか知りませんでした。外観と店名から分かりにくいかもしれませんが、もしかしたら外から監視していたのかもしれません」
川口の言葉に山崎は唸って「もう少しあいつについて調べるか」と答えると、川口は元気よく「はい!」と答えて車を発進させた。
本部に着き捜査結果を報告すると、青年に対して調べるように命じられたので二人は翌日から調査を開始することになった。
翌日、川口の運転で着いたのは青年の職場だった。
青年もいるか確認すると、今朝急に休むと連絡があったという。
川口が青年に考慮しながら説明し女性の写真を見せると、皆一様に青年の恋人だと答えた。
「おかしいですね」
「やっぱり本当に恋人だったんじゃねぇか?」
二人が職場で首を捻ると、聞きつけた女性社員が二人の間に割り込んだ。
「やっぱり!この人本当は恋人じゃないんですか?」
川口と山崎は驚いたが、続きを促した。
「あの人、スマホの写真を見せながら僕の恋人ですって言っていたけど、普通はこっちを向いているものじゃないですか〜。なのに目線が合うものが一枚もないんですよ!なんか隠し撮りみたいな〜。しかも二人の話も上辺だけっていうか、一方的に見ているだけみたいな〜。本当に恋人なのかなって疑問に思っていたんですよね〜。ケーキとかについて聞かれた喫茶店に興味があって仕事終わりに寄ってみたら外からじっとその彼女を見ているだけだし」
ペラペラとよく回る口だと圧倒されているが、証言は聞き捨てならないものだった。
「つまり、ストーカー行為をしていたと?」
「そこまで断言出来る訳じゃないんですけど〜、もしかしたらそうかな〜って。あの人、誠実そうだけどどこか世離れしているっていうかなんかみんなと合わないんですよね〜」
礼を言い、車内に戻ると山崎と川口は話し合った。
「もし、もしですよ。彼が彼女を毎週水曜日に注文していたのがケーキセットと知っているのがあの女性社員に聞いたからで入店していないから本屋併設なのを知らないのだとしたら?」
「もし、仮にだぞ。想いを拗らせたストーカーがあの晩とうとう彼女に迫って口論になって刺したとしたら?」
二人は顔を見合わせて「とりあえず捜査本部に報告に行きましょう」「そうだな」とため息を吐いて署へと戻って行った。
他に恨まれる要素もなく、犯人の焦点は一気に青年もといストーカーへと注がれた。
両親も彼女に付き合っている男性がいることは知らなかった。
秘密の恋人というわけでもないだろう。
お互いいい歳をした独身の成人男女だ。
「どうします?」
「落とし方か?」
炭酸のペットボトルとおしるこの缶が並ぶ。
「まだ状況証拠だけなんですよね。どうしたら証拠が掴めるか」
「問題はそこなんだよなぁ」
最後の小豆まで残さないように山崎が缶を真上に上げて飲み干す。
「引っ掛けてみますか?」
「また課長に怒られるぞ」
「その時は一緒にお願いしまーす!」
へらへらと笑いながら川口が炭酸を口に含む。
「じゃあ、あそこテイクアウトもあるんでお土産として持っていきましょうか」
「甘味のことなら任せとけ」
「山崎先輩に任せたら全種類買っちゃいそうじゃないですか〜」
山崎は缶をゴミ箱に捨てるとさっさと歩き出し、川口は肩を竦めて後を追いかけた。
ピンポーンと軽快な音に遅れて返事が聞こえてきた。
「こんにちは!今日はご機嫌を伺いに来ました!」
インターホンのカメラに映るように店名が印刷された箱を差し出して満面の笑みで話し掛ける姿はこれから犯人を自白させようという刑事には見えない。
こういうところは刑事らしくなくて場面により役に立つよな、と自分の目つきの悪さを気にして少しほぐす山崎は、川口の後ろで見守っている。
「刑事さん達ですか。どうされたんですか?」
扉を開けながら中へ招き入れるとリビングに座らせコーヒーを淹れる。
二人は礼を言いながら切り出す。
「恋人さんが亡くなってまだ日も浅いですしどうしてるか気になってしまいまして。その後、大丈夫ですか?」
「ああ、そのことですか。大丈夫…かと問われたらまだ立ち直れないんですがなんとか普通の生活に戻ろうと頑張っています!」
精一杯の笑顔を見せられるも、二人の心には響かない。
殺しておいて何を言うかと憤りさえ感じる。
「それでですね、彼女を偲んであの店のケーキでも差し入れようかと思いまして」
川口が箱を差し出す。
「えっ、いいんですか!?」
「はい!僕達も食べるようにたくさん買ってきました!」
箱を開けると色鮮やかなケーキ達が出てきた。
「うわぁ、懐かしいな。彼女が好きなケーキばかりですよ!」
にこやかに青年が言うと、川口は問い掛けた。
「本当にですか?」
「え、ええ」
「実はこれ、箱だけあの店のものでして他は他店のケーキを詰め合わせてもらっただけなんですよ。それを解らないとなると貴方が彼女と喫茶店に行ったことないことの証明になる。他にもあのお店の特徴を聞いた時にケーキセットと答えましたね?あの店の特徴は本屋が併設されていることです。知らないということは店内に入ったことすらない。なのに貴方は彼女が毎週水曜日にあの店で本を読みながらケーキを食べていることを知っていた。何故なんですかねぇ」
詰め寄る川口に青年の言葉が吃る。
「管轄が違ったので調書を取り寄せるのに時間が掛かりましたがね、貴方にはストーカー規制法の注意を担当所轄で受けた過去がありますね」
「ストーカーなんて!僕はただ彼女が好きなだけだ!!毎日見守って記念日には花束やプレゼントを贈っていただけだ!それを迷惑だなんて言われるから!」
「それがストーカーのやることなんだよ」
山崎がケーキの一つを掴み口にする。
「美味いな、これ」
「あ!山崎先輩!もう、糖尿病になっても知りませんよ!」
怒る川口が背を向けると、青年はそっとドアから出ようとすると、三人組の男が押し入ってきた。
大森、中林、小木である。
山崎の同期の大森と川口の同期の中林、最年少の小木は入り口を塞ぐように立ち並ぶと、青年を捕縛した。
「逃げるってこたぁ自白したようなもんだよな」
「そうですね!中林先輩!」
「おーい、捕まえたぞ」
三人が男を連れて中へ入ると、三人が出入り口を固めていたことを知っていた二人は淹れられたコーヒーに砂糖を山盛り入れてケーキを食べていた。
「お疲れ様です!どうですか?四人も」
「川口!現場で呑気にケーキ食ってんじゃねぇ!」
中林が川口のワイシャツの首元を掴み揺する。
「ちょ、吐く…」
一番最初にケーキに手を出した山崎は大森と小木と青年にも箱を差し出して食べるように促した。
「俺はケーキなんてもん詳しくないんだがよぉ」
「なら定番のショートケーキだな」
「僕、モンブランでお願いします!」
三人で談笑していると、青年は縮こまってソファに座らされた。
「お前は何食う?」
「……じゃあ、フルーツタルトで。彼女が一番好きなやつなんです」
「分かりました!フルーツタルトですね。良かったですね、さっき川口さんはこのタルトは本当にあのお店の物なんですよ」
小木がにこやかに青年の前にフルーツタルトを差し出す。
「そうなんですか。最後の晩餐が彼女の好物と同じで嬉しいです。ご配慮ありがとうございます」
少し泣きながらタルトを食べ終える頃には川口と中林の言い合いも終わり、課長に報告していた。
結果としては、本当に短絡的な物でずっと片想いをしていた女性に通報され、ヒモがいることも知っていて別れるように説得しても無碍にされそれでも諦めきれずに水曜日の夜に確実に現れることが分かっていたあの店の前で心中するつもりでナイフを用意し話し掛けたが強い拒絶にあい、つい黙らせようとナイフで刺してしまいそのまま怖くなって逃げ出したとのことだった。
珍しく人通りがなかったことが不幸に繋がった。
「今回は彼女に何の非もなく、一方的な想いからの非道な殺陣でしたね」
「お前も真由美ちゃんに袖にされ続けたからってそんなことするなよ」
「ストーカーですか?そんなことしませんよ!そんなことしたら最後、真由美ちゃんの得意の合気道で倒されて終わりですよ!」
必死の形相とその言葉に山崎が笑った。
「笑い事じゃないんですよ!山崎先輩!」
とある警察署内シリーズ 千子 @flanche
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