美少女擬人変化

磨糠 羽丹王

「美少女擬人変化」

「血を下さいな」


 声が聞こえた気がしたけれど、部屋の中を見渡しても誰も居ない。

 でも、小さな声で何度も聞こえて来る。

 不思議に思いながら声の主を探していると、腕に蚊が1匹止まっている事に気が付いた。

 叩こうとすると、また聞こえて来る小さな声。


「血を下さいな」


 有り得ないが、蚊は刺さずに返事を待っている様な気がする。

 悪い夢でも観ているのかと思ったけれど、昼間の事を思い出し、試しに「どうぞ」と言ってみた……。


 ────


 幼馴染の陽介に連れられて、近隣で一番マイナーな神社へとやって来た。

 参道と思われる道を歩こうにも雑草や倒木が邪魔で、なかなかおやしろにたどり着けない朽ち果てた神社。

 陽介の曽祖母が「この神社にはとても面白い事が好きな神様がまつられていて、面白い事を願うと叶い易い」と言っていたそうだ。

 とは言っても、もう誰も管理していないのは明らかで、やしろは傾き賽銭さいせん箱すらも無い状態。

 お社の周りを出来るだけ綺麗に掃除してからお参りをした。

 面白い事を願わなければいけないそうなので、自分なりにとびっきり面白そうな願い事を……。


育人いくとは何をお願いした」


「ふっふっふ。めっちゃ楽しそうな事をお願いしたよ」


「おっ、なになに」


「うん。誰かの願いをひとつ叶える代わりに、お願いした相手が美少女に擬人化ぎじんかされますようにって」


「何だその不純な願いごとは。可愛い猫耳の娘とたわむれたいとかか?」


「まあ、そんな感じ」


「それはお前だけが楽しいお願いじゃないか?」


「そうかなぁ。神様は結構楽しんでくれると思うけどな。無理かなぁ」


「いや、流石に無理だろう」


 ────


「どうぞ」


 返事をするや否や、腕に止まっていた蚊は針を刺して血を吸い始めた。

 まあ、偶然だろうから、血を吸い過ぎて動けなくなったところを、ひと叩きで終わらせよう。

 ところが、叩こうと思った刹那せつな『ボンッ』という音を立てて、女の子が目の前に現れたのだ。

 ミニスカートのナース服を着た美少女。

 赤い血が入った点滴の袋と注射器を持っている。

 現れた少女は、元の蚊の姿とは真逆の透き通る様な色白の肌で、長いまつ毛とやや切れ長の目元が美しかった。

 すばしっこく飛び回るイメージとは違い、おっとりとしたしとやかな感じがする。

 半ば冗談のつもりだったのに、まさか本当に変化へんげした美少女が現れるとは……。


「血を下さってありがとうござい……あら、私は何でこんな姿に?」


 彼女は不思議そうに自分の姿を見回しながら首を傾げている。


「あ、ごめんなさい。自分のせいかも知れません」


「あら、どうして?」


「願い事を叶えたら、願った相手が美少女に変化へんげする様にと、神様に祈願してしまったから」


「あらあらあら、そんな事ってあるのですね。どうしましょう」


「ごめんなさい。元に戻す方法は分かりません……」


「それは困りましたわね。でもこの姿なら、あなたに叩き潰されることは無さそうだから良いのかしら」


 彼女は少し安心した様な表情になり、俺を珍しそうに眺めている。

 どうして良いのか分からず、俺も黙って彼女を見ているしかなかった。

 沈黙の時間が流れ、何となく間が持たなくなって来たので、取り合えずお茶でもれることに。


「あの、お茶でも飲みますか?」


「おちゃってなんですの」


「えっと、お茶の葉っぱを焙煎ばいせんしてお湯で煮だしたものです」


「うーん。できましたら花の蜜か草の汁とかが良いですわ」


「えっ? ええ、分かりました」


 流石に草の汁は無いので、蜂蜜をお湯で割った物を渡した。


「まあ美味しい。ありがとうございます」


 どうやら美味しかったみたいで、とても嬉しそうだ。

 でも、沢山飲んでいる様に見えて、コップの中身は全然減っていない。

 それがどういう仕組みなのかは分からないけれど、お互いに一息つく事が出来て、何となく和んだ。


「あ、あの。お名前は?」


「おなまえ? 何ですかそれ」


「えっと、周りから何て呼ばれていました?」


「そんなこと考えた事も無かったですわ。みんな羽音はおとだけで聞き分けているから」


「あのプーンでですか」


「ええ。あれで殿方かどうか聞き分けられるのですよ」


「殿方?」


「はい。私達の目的は殿方とお会いして、子を宿す事ですから」


「ああ、なる程」


「でも、私はやっと血を頂けて、これから子を産まなければならないのに……。こんな姿でどうしましょう」


「申し訳ありません。何だか困らせちゃって」


「いえいえ。折角このような姿になったのですから、この姿を楽しみますわ」


「そうですか。そう言って頂けると助かります」


 そんな話をしているうちに、彼女は急に欠伸あくびをし始めた。


「血を頂いたら眠たくなって来ました。少し休みます」


 そう言うと直ぐに横になり寝息を立て始める。

 彼女が寝転がると、ナース服のスカートがめくれて白い下着が見えていた。

 一瞬嬉しかったけれど、彼女が蚊だという事を思い出し、そっとタオルケットを掛けてあげた。


 ────


 翌朝。目が覚めると、彼女は注射器を片手に目の前に座っていた。


「もう一度血を下さいな」


 笑顔で首を傾げながら、俺をじっと見つめている。可愛い……。

 色気に負けた訳では無いけれど、とても断れる雰囲気ではなかったので、素直に腕を差し出した。

 太い注射針を刺される時に激痛を覚悟したけれど、まさに蚊が刺す程度の感触しかしなかった。

 でも、彼女の持っている点滴の袋が、もの凄い勢いで血で満たされていく。

 見た目に大量の血を抜かれ不安になったけれど、さっきの注射針が刺さった感じからすると、実際は蚊に吸われた程度の量だと思う。


「あの。あなたの事を静さんって呼んでも良いですか」


「しずですか? どうして」


「ええ。あなたと同じ種類の蚊は『ヒトスジシマカ』と呼ばれているので、何となく」


「良く分かりませんけど。静ですか。良い響きですわね。うふふ」


 楽しそうに笑う静さん。透き通る様な美しい笑顔。

 人では無いと分かっているけれど、思わずドキドキしてしまう。


「そう言えば、あなたの事は何とお呼びすれば良いのでしょう」


「あ、育人でお願いします」


「いくとさんですね。分かりました」




 静さんが「折角この姿になれたのだから色々見て回りたい」というので、一緒に出掛ける事に。

 食事が不安だったので、お湯で割って冷ました蜂蜜水を水筒に入れて荷物の中へと忍ばせた。

 普段着のままナース服の女性を連れて歩くのもあれなので、以前コスプレで使用した白衣を羽織る。これで何処かのコスプレ会場にでも行くカップルにしか見えないはずだ。


 静さんは俺の家の近所しか知らなかったみたいで、街中に連れて行くととても驚いていた。

 全ての物が珍しい様子で、幾度も立ち止まっては質問してという事の繰り返し。

 やっとのことで辿り着いた商業ビルの展望室からの眺めに目を輝かせていた。


「凄いですわね。こんなに高い所の景色を見られるなんて夢みたいです」


「やはり高い所へは飛べないの?」


「ええ。風にでも乗らない限り、そんなに高い所には行けません」


「そうなんだ。それでマンションの高層階に住むと蚊に刺されにくいんだね。良いなぁ」


「まあ。そんなに血を吸われるのがお嫌なのですか?」


「うーん。血を吸うだけなら良いけれど、かゆ いし病原菌とかも媒介するしね……」


「何だか酷い言われようですわね。私達はただ生きて行くためにそうしているのに」


 静さんが口を尖らせてねた様な顔をしていた。そんな顔もやっぱり可愛い。


「ごめんなさい。こうして話しが出来れば違うと思うけれど。なかなかこんな事は無いから」


「そうですわね。普通はこの様な経験は出来ませんものね。うふふ」




 少し歩き疲れたので、下の階に降りてベンチで休憩。

 俺は自販機で買ったスポーツ飲料で、静さんには持って来た蜂蜜水。

 でも、スポーツ飲料が気になるのか、チラチラ見ていたので少しコップに注いであげた。

 嬉しそうにひと口飲んだけれど、飲んだ後にすごく嫌な顔をしていた。

 味がダメだったのかと思い尋ねたら、そうではなくて、近くにあるハーブショップの匂いが漂って来たのが嫌だったらしい。


「この場所の匂いは嫌いです。何だか疲れてしまいました……」


 ハーブショップの香りを嗅いで、静さんがぐったりしてしまった。

 人混みの多い場所を避ける為に、街から離れた公園に行くことに。

 一緒に歩きながらミント系のタブレットを噛んでいると、静さんが徐々に離れて行く。

 どうしたのかと振り返ると、何だか複雑そうな顔をしていた。


「育人さんは、私の事がお嫌いなのですか」


「えっ? 何でそんなこと」


「嫌いな香りをさせて、私を追い払おうとしてますわよね」


「いや、静さんに嫌われたく無くて、口臭予防のミント……あっ!」


 そう言えば、蚊はミントやハーブ系の香りが嫌いだった事を思いだした。

 ハーブショップの匂いでぐったりしてたのに、更に俺がミントの香りを振りまいていたのだ。


「ごめんなさい。静さんが嫌いな匂いだという事を忘れていました」


「本当ですか。避けられている訳では無いのですね」


「もちろんです。俺は静さんのこと好きですよ」


「あらあら、殿方から求愛されてしまいましたわ。どうしましょう」


「えっ、求愛?」


「ふふふ。冗談ですわよ」


 ────


 ゆっくりと歩きながら街を離れ、目的地の緑の多い公園へ。

 樹の茂った少し湿気の多い場所に行くと、静さんはとても元気になり、木漏れ日の中で腕を広げてクルクルと舞い始めた。その姿が美しくて見惚れてしまう。

 静さんは俺が見つめている事に気が付くと、嬉しそうに目を細めて微笑んでくれた。


「ねえ、育人さん」


「はい」


「人間は相手の方が好きな時は、どの様な愛情表現をするのですか?」


「愛情表現かぁ……。そうですね。先ずは抱きしめたりするのかなぁ」


「抱きしめるとは?」


「えーと。相手の背中に腕を回してこんな風に」


 説明するのが難しかったからジェスチャーをしてみせると、静さんが舞うのを止めて近づいて来た。


「こんな感じですか?」


 静さんは俺の背中に腕を回すと、ぎこちなく抱きしめてくれた。


「わたくしも育人さんのこと好きですよ。だから人間風の愛情表現です」


「あ、ありがとうございます」


 そう言いながら、俺も静さんをそっと抱き締めた。

 静さんはとても軽かった。というよりも重さを感じなかったのだ。


「静さんは軽いですね」


「そうなのですか。自分では良く分かりません」

 

 何だか嬉しくなり、お姫様抱っこをしたり肩に座らせたりして、最後は両手で高く抱え上げながらクルクルと回った。

 

「うふふ。何だか楽しい。人の愛情表現も良い物ですわね」


 柔らかな木洩れ日の中で、静さんはとても嬉しそうに微笑んでくれた。


 ────


 それから静さんと一緒に過ごし。毎日2回血を抜かれながら、色々な場所へと遊びに行った。

 蚊の求愛行動を教えて貰い、2人で部屋の中で羽ばたきをして駆けまわったりもした。

 お互いに必要以上に距離を詰める訳でもなく、それでいて離れるのが嫌で、いつもずっと傍にいた。

 そんな関係が続いていたある日の朝。静さんが血を欲しいと言わなくなったのだ……。


「育人さんどうしましょう」


「どうしました」


「わたし、子を産む準備が出来てしまった様です」


「ええっ!」


 そう言えばめすの蚊が血を吸うのは、交尾で受精卵が出来てからだ。


 静さんは俺の血を吸って、お腹の中の卵を育てていたのだ。


「このままの体だと、どうなってしまうのでしょう」


「静さん。もしかして、もう生まれそうなのですか」


「はい。恐らく」


 静さんがとても不安そうな顔をしている。

 彼女を悲しませたく無くて、どうしたら良いのか一生懸命考えて、ある考えが浮かんだ……。




 翌朝、静さんは体が重たくて動けない様子だった。

 静さんを抱きかかえて、あの神社へと向かう。

 おやしろの横に座らせて、少し周りを綺麗にしてからお参りをした。とある事を願いながら……。


「静さん。お腹が空いたら教えて下さい」


「わかりました」


 横に座って彼女のお腹が空くのを待っていた。

 静さんは肩にもたれ掛かりながら遠くを見つめている。

 時間だけが過ぎて行き、胸が苦しくて言葉を交わす事が出来ない。

 そんな時、彼女がポツリと話し始めた。


「育人さん」


「はい」


「あなたが言っていた通りになったら、もうお話しが出来なくなると思います」


「そうですよね」


「あなたと過ごした時間は、本当に楽しかったです」


「俺も凄く楽しかった」


「わたしは出来る事なら、あなたの子を宿したいほど好きでしたよ」


「俺も静さんのこと大好きでした」


 見つめている静さんの瞳がじわりと潤む。

 寂しさで胸が締め付けられて息が苦しい。


「人はこういう時、どうするのですか」


「そうですね。お別れにキスをすると思います」


「キスですか?」


「ええ。唇を合わせて、お互いの愛情を確認し合います」


「そんな事をするのですね。何だか素敵ですわね」


 そう言うと微笑んでくれたけれど、溢れた涙が頬を伝い落ちて行く。


「育人さん」


「はい」


「お腹が空いて来ました。だからお別れにキスをして下さいませんか」


「うん」


 静さんを抱き寄せてキスをした。


「まあ。やはり素敵ですわね。何だかこれは育人さんを心に感じる事ができます……」




「では、お腹が空いたので蜂蜜水を下さいな」


 そう言いながら、静さんはぽろぽろと涙をこぼしている。

 堪らずもう一度抱き締めて、水筒に準備していた蜂蜜水を渡した。


「頂きます」


「うん」


「育人さん」


「はい」


「お元気で」


「静さんも」


 蜂蜜水に口を付けると、また『ボン』という音がして、静さんの姿は消えてしまいコップが地面に転がった。

 呆然ぼうぜんとしながら座り込んでいると、何処からともなく1匹の蚊が飛んできて、一瞬だけ肩に止まり近くの池の方へと飛んで行った。

 そのまま気持ちが落ち着くまでたたずんで、願いを聞き届けて頂いたお礼をして家路についた。


 静さんを座らせてお参りした時に神様に願った事は「擬人化された美少女の願いをひとつ叶える代わりに、お願いした相手が元の姿に戻れますように」という願いだった。


 こうして俺のひと夏の不思議な体験は終わりを告げた。

 陽介には話したが、全く信じてくれなかった。


 ────


 今年も暑い夏が来た。

 例の神社には季節毎に清掃に行っているが、お社は相変わらず傾いたままだ。

 あれから俺は蚊が殺せなくなってしまった。というより蚊に刺されないのだ。

 まあ、これは気のせいだろう。


 部屋で天井を見上げながら、去年の夏の事を思い出していた。

 本当に不思議な夏の日々だった。

 そんな事を考えていたら、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。

 しばらくして、誰かの声が聞こえて目が覚めた。


「血を下さいな」



             ── END ──




 作:磨糠 羽丹王(まぬか はにお)

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