リーディング・ロス

詩人

 文清社ぶんせいしゃの本社ビルは、周辺にそびえ立つビル達にも臆することなく厳格な面持ちで僕の前に立ちはだかった。

 足が震えているのがよく分かる。顔をぶんぶんと振って、怖気付いている自分を払う。


 今日僕は、自分が書いてきた小説原稿を持って、大手出版社である文清社に持ち込みに来たのだ。

 割と自信作だと思っているから、もしかすると今日が人生の機転となるかもしれない。


 中学生にしてはよく書けていると思うし、ジャンルをミステリーに設定したがトリックも一般に書店に並んでいる小説と比べても遜色そんしょくはないだろう。

 決して自惚れというわけではなく、たくさんの同級生に読んでもらい「持ち込みに出してこい」と泊をつけてもらったのだ。


「なあ、少年」

「え」


 自動ドアをくぐろうとしたその時、数メートル先、ビルの一階受付に仁王立ちしている華麗な女性に僕は呼ばれた。


 身長が高く、スタイルの良さに思わずうっとりとしてしまった。

 二十代後半だろうか、大人の女性としての魅力に溢れているのに、白のブラウスにタイトなデニムというシンプルな装いをしていた。下手な装飾がないので、彼女がただ美しいのがよく分かる。


「美しいなぁ……って思ったでしょう?」


 清楚な表情に笑顔が追加される。あまりに美しすぎる。しかし、少女のようなあどけなさも可愛いと思った。


「あの、誰ですか……?」

「まあそりゃそうなるでしょうね。非紫ひむら和歌葉わかばって言えば分かるかな? それ、私なんだ」


 非紫和歌葉──って、あの非紫和歌葉!?


 僕が驚いて目を剥くと、和歌葉さんはニシシと綺麗な歯を見せて笑った。


 非紫和歌葉と言えば、彼女が12歳の時に公募に出した作品が編集部内で物議をかもすほどの傑作で、そのままデビューしてしまったという逸話がある、間違いなく今の日本で一番売れている作家だ。


 作品はドラマ化やアニメ化を初めとするメディアミックスプロジェクトにより爆発的人気を生み、ゲームのシナリオライターなどマルチに活躍している。

 彼女のペンネームになぞらえて、人々はこう呼んだ。

 

 ──〈神速の詠み人〉、と。

 

 そして、その非紫和歌葉が目の前にいる。

 宣材写真さえもイラストで、読者は誰も顔を知らないという彼女が。


 当然社員によるハッタリで、僕のような餓鬼を追い返そうとしているのだと思う。


「リュックに入ってる原稿、読ませてみてよ」


 しかし彼女は、僕のリュックを指差したのである。

 学校帰りにここへ来たので、リュックには原稿の他にも色々教科書などが入っている。

 しかしどうして和歌葉さんは原稿がこの中にあると思ったのだろう。


 僕はのに。


「あ、今『なんで原稿があること分かったんだろう?』って思ったでしょう」


 ニヤリと笑いながら彼女はそう言った。

 まるで心の内を読まれているみたいだ。

 裸を見られているのと同じような感覚に陥り、途端に恥じらいが生まれた。


「心配しなくてもいいよ、少年。心を読む……というより、私は単に行間を読むのが上手いだけなんだよ。君みたいな中学生がわざわざ出版社にやって来るなんて、理由は一つしかないだろう? 私も昔はそうだったよ。ま、持ち込みは大抵軽くあしらわれて読まれもしないけどね。だから私は公募に切り替えたのだよ」


 こういうのをなんと言うんだっけ……。

 占い師などが使う手法で、その人の外見から職業や昨日の晩ご飯などを当てて信憑性を高めさせるアレ……あっ。


「コールドリーディング!」


「ん〜、外れかな。別に私は占い師でもなんでもないから、そういうインチキなことはしないんだ。それより、原稿早く」


 急かされて、僕はその場でリュックから原稿を取り出した。ワープロ原稿にして約200枚。

 彼女と同じ、12歳の僕が書いたそれを今すぐ全て読むことは、いくら速読のプロでも不可能だ。

 しかし冒頭だけでも憧れの小説家に読んでもらえるなんて奇跡だ。


 原稿を渡すと、それに目を通しながら彼女は「着いておいで」と言って歩き出した。

 入場許可証も持っていないのに勝手に入っていいものかと逡巡しゅんじゅんしたが、とにかく和歌葉さんに着いて行くことにした。


「少年さ、命の危険が伴うかもしれないが私の弟子になる?」


 エレベーターの中で僕はそんな突飛な回答を迫られた。

 それは一体どういう意味なのか。


 僕を弟子として認めてくれたということなのか……!?


 命の危険、とはきっと何かの比喩だろう。散々こき使うけど我慢しろ、という意味ならばいくらでも耐えてみせる。


「弟子に、させてもらえるんですか……?」

「あぁ、うん。いーよ」


 こんなにあっさり……!


 その容姿とは裏腹に、軽くてマイペースな人柄だ。とても好感が持てるし、憧れの人に師事できるなんてなんて最高な日なのだろうか。


 淡々と物事が進み過ぎて、これでいいのかと自分でも疑心暗鬼になりそうだが、大丈夫だ。

 これが現実で、僕は奇跡や運命に恵まれた人物だったというわけだ。


「これは取引だ。私は君に小説の極意と実践の機会を多く設ける。代わりに君は、私の助手をしてくれないか。つまるところ、ワトスン役を買って出て欲しい、ということさ」


 エレベーターが目的の階に到着し、電子音と共に扉が開く。

 目の前には、一つだけの部屋が広がった。


 刑事モノのドラマなどでよく見る、警視総監などのお偉いさんが設けている部屋みたいだったが、決定的に違うのは蔵書の多さだった。


 エレベーターを下りて正面と左右の壁一面に本棚があり、所狭しと様々な種類の本が並んでいた。

 そして正面の本棚の前には、大きな机が置かれている。机にはパソコンや資料だろうか紙が散乱していた。


「ここは……?」

「私の仕事場さ。と言ってもほぼ家みたいなもんさ。文清社以外では書かないことを条件に、本社ビルの一角をまるまる私のために改造してもらったんだよ。左の本棚は可動式になっていてね、隣のバスルームやトイレ、ベッドルームなんかに繋がっているよ。刑事モノ、とは言い得て妙だね。

 ……さて話を戻すとして、平日の五日間は学校に行きながら休み時間などのでで三万字以上の作品を仕上げ、土日はここに泊まって私がその作品についてのアドバイスをする。それを毎週毎週続けるんだ。可能かい?」


 五日で三万字、つまり一日あたり六千字以上書かなければいけないということになる。

 しかもそれが毎週続くとなると相当の苦労が強いられるだろう。


 ──だけど和歌葉さんに着いて行くためにはそのぐらいやってのけなければならない。


「分かりました。必ずやります。ですが、ワトスン役というのは……」


 ワトスン役というのはミステリ小説の用語で、探偵役の登場人物の助手を務めたり、多くの場合物語の語り手となる。

 あくまで僕は弟子として彼女に師事しようと思っているのだが、それは一体どういう意味なのだろう。


「もう少しできっと分かるよ」


 そう言い残したっきり、和歌葉さんは特に何も解説してくれなかった。

 本棚を自由に物色できる権利を得ただけで、数分の間僕は途方に暮れていた。


 そして数分後、エレベーターの電子音が再び鳴った。扉が開くまでに数十秒のラグがあって、中から出てきたのはスーツ姿の屈強な男だった。

 僕が困惑していると、和歌葉さんは「やあ」と気さくに手を上げた。


「彼は刑事の木下きのしたくん。大学時代に同じミステリ研究部にいた仲だ。それで? 今日はなんだい、木下くん」


 刑事? 先程この部屋を刑事モノと比喩したのはまたこれも何かの運命だったのかもしれない。


 しかし何故刑事が出版社に?

 それも和歌葉さんの所に?


「また模倣犯だよ。アンタ、もう小説書くのやめたらどうだよ」

「うーん、また私の子どもが人々に悪影響を与えてしまったのか。かい?」


「あぁ、今回はアンタの作品じゃないが、手口はこないだのと一緒だ。今回は『羅生門』だったよ」

「ふーん、本好きなのかミーハーなのか分かんないね。そういえばワトスンくんをすっかり置いてけぼりにしてしまったね。

 今、実は連続殺人がこの辺りで起きていてね、その現場には私の小説が残されているそうなんだ。ある意味彼、もしくは彼女は挑戦的だよ。『下人の行方は、誰も知らない。』から、行方を眩ませるつもりなのだろう」


 そういう意味で、僕はワトスン役に任命されてしまったのか。

 和歌葉さんは毎月連載を抱えていて、かつアニメの脚本や雑誌の取材、そして書き下ろしを一年に二回書いている。

 それに加えて後進育成、そして殺人事件にまで協力しているとは……。


 いや待て、ただの小説家が事件に協力などしないはずだろう。

 いくら自分が間接的に被害を受けているとはいえ、こんなに気軽に刑事を呼ぶなんて。それに文清社のセキュリティが心配だ。


「事件現場は?」

「ただの公園──のように見えるが、その中には『羅生門跡』の石碑が建っている。被害者は老婆ではないが、やはり物語の模倣だろう」


「そうだね。次は恐らく事件現場よりも北、かつ京都の繁華街で事件が起こる」

「どうしてそう思うんですか? そんな場所まで……」


 思わず僕は彼女の推察に口を挟んでしまった。

 しかし彼女は僕をとがめることなく、優しい微笑みを見せながら解説してくれた。


「『羅生門』の新潮しんちょう文庫版を読んだことはある?」

「いえ……学校の教科書でしか読んだことはないです」

「そうか。なら、そこの本棚にあるから取っておいで。全ては〈注解〉に答えがあるんだ」


 彼女は指差した右側の本棚に、クリーム色の背表紙に「羅生門・鼻 芥川龍之介 新潮文庫」と書かれた一冊を発見した。


「羅生門の最後の一文、『下人の行方は、誰も知らない。』の右下に米印があるだろう? そして『注解』に飛ぶんだ。実は元々、その文章にはね、下人は老婆に強い影響を受けてそのまま京の町へ強盗に行ってしまう、という描写が明確になされていたんだ。まあ、私は改稿後の文章の曖昧さが、読者に答えを求めるシリアスを感じることができて好みなんだけど」


 なるほど、和歌葉さんの言う通り、注解にはそのような記述があったという事実が述べられていた。


「というわけで、警察の君は即座に京の都を捜索すること。次の作品はきっと私の『活写屋の娘』だろうね。あれは京都が舞台だから。今日は一瞬で謎が解けたけど、次はそうもいかないかもしれない。もしそうなった時、君がいてくれると非常に助かるんだ。いいかな?」


 普通であれば、身の危険を感じて拒否するかもしれない。しかし、先程の明快な推理に彼女への憧れがさらに高まった。

 もちろん僕に拒否する理由などない。


「やります。和歌葉さんの隣で、勉強させてもらいます!」

「よし、その意気だ。じゃあもしもに備えて『活写屋の娘』を読んでおいて。私は作者だから先入観を持ってしまう可能性があるから。第三者の君が予習することは非常に効果的さ。……あぁ、もしかすると既読かな?」


「いえ……すみません」

「いいんだよ。ほら、貸しといてあげる」


 和歌葉さんは笑顔で「活写屋の娘」の文庫本を僕に差し出してくれた。

 もんぺ姿の少女と、学生服の少年、町並みも含めて大正時代を彷彿とさせる表紙イラストだが、この時代には存在しないはずの爆撃機などが彼女らの空を飛んでいた。


 今日は何の変哲もないただの水曜日だったので、家に帰って小説を読んでいた。

 先程の「羅生門・鼻」のように、タイトルにある「活写屋の娘」を含む短編集で、その作品自体は四千字程度と一時間ほどで読めるものだった。

 

 その翌日、予想通り事件は起きた。

 しかし、僕らは現場に出向することはなかった。


 和歌葉さんは木下刑事と電話をしている。

 電話口でも笑顔で応対し、時折ニヤリと笑うのだった。


「そうか、ありがとう。それじゃあまた後で。ん、はーい」


 電話が切れ、和歌葉さんが僕をじっと見つめた。

 完全に晴れた笑みではなく、微かに不気味さを加えたような笑み。


 おかしい、と僕はその瞬間理解した。

 




 

 ──思わず声に出して笑ってしまった。

 少年の挙動不審が、あまりにも滑稽だったから。


「ねぇ少年、犯人は君だろう?」


 今度は確実に、少年は焦っていた。

 彼の中から焦りと怒りがふつふつとわき上がってくるのが分かる。

 どうしてこんな、安楽椅子アームチェア探偵ディテクティブなんかに自分の完璧な反抗がバレてしまったのだろう、と。


「やはり今回の事件も連続殺人事件と非常に関連性が高かった。『活写屋の娘』が現場に置いてあったからね。本当は殺人を未然に止めるべきだったんだろうけど、君にはより大きな罪を被って欲しいから、必要なロスと思ってもらおう」


 こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりの表情を浮かべる少年。

 私は構わず答え合わせを続ける。


「君はまんまと私の罠に引っ掛かったんだよ。実は君が、私の小説のファンではないと推察してね、さも、まだ世に出ていない『活写屋の娘』の検本用の見本を渡したのさ。私の作品にあまり興味がない君は、それが書店でも同じように売られているのだと信じて現場に残してしまった。君が小説に興味がないことは、原稿を見ただけで分かったよ。あれはネット小説をコピーアンドペーストしただけの贋作がんさくだ。何故そこまでして私に近づきたかったか。それはきっと、私自身に惹かれていたからだろう? 君は『類い稀なる残虐性』とも評価される私を、殺したかったんだろう? いやぁ、君は本当に狂っているよ。

 ──だって、行間でさえも嘘だらけなんだから」


 いよいよ彼の表情が憎悪に満ちる。

 自分よりも残虐的な相手を殺してやりたい、そういった対抗意識がすぐに犯罪へ直結してしまうのは猟奇殺人鬼ならばおかしなことではない。


「私は『行間を読むのが得意だ』と言ったが、あれは少しばかり言葉の綾でね。比喩表現でもなんでもなく、私は君のんだ。台詞と台詞の間の本音が。だから、君が私に憧れていながら、くだんの『活写屋の娘』のミスなどおかしいと思ったんだよ。いやぁ、君には苦労したよ。だって時折、あたかも『自分は小説家志望です』みたいなモノローグを書くんだもん。君は本当に下劣で幼稚だ。12で大人を振り回すんじゃないよ。君にはワトスンなんて名誉ある名前はあげない。そうだねぇ……君は『グロス』で充分だ。ちょうど被害者は全員女性だったそうだしね」


 答え合わせ、というよりネタバラシをしたところで、木下がエレベーターを下りて部屋へ入って来た。

 木下に続いて刑事たちが複数人入って、少年に同行を求める。力なく少年は項垂うなだれ、私を睨んだ。

 私の子どもたちに悪印象を与えたんだ。少しは報いを受けてもらわないと。

 刑事たちに軽く会釈をし、私は仕事に戻った

 

 


 と、まあこんな感じでいいかな。

 んーっ、と伸びをして次の長編小説に使う一篇を書き上げた自分をねぎらう。


 非紫ひむら和歌葉わかばが得意とする、小説という形態をトリックに使用するメタ的な作品に仕上がった。

 彼女にもし本当に「行間を読む」なんて能力が、この作品のように華麗に事件を解決できたのに。


 幸い、僕が彼女に成り替わっていることに、この一年間で気付いている人間はいない。

 用意周到に彼女の作品をくまなく読んできた僕だから、誰にも気付かれないように静かに殺した。

 そして、


 ──残忍に切り分けられ、冷凍コールドされている。


 社内に仕事場などなく、自宅からメールで文清社に原稿を送るのみ。

 顔はあの事件以来出していない。仕事仲間以外に顔を公表していなかったのは吉と出て、本社から遠く離れた場所で僕は──いや、は今日も小説を書いている。



・Gross:気味悪い、下劣な、不注意な、12ダース

・Gloss:(化粧品などの)グロス、

・Loss:欠落、敗北

・Leading:誘発

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リーディング・ロス 詩人 @oro37

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