多数決

甘木 銭

多数決

「それでは、決を取ります。賛成か、反対か。いずれかに挙手をお願い致します」


 教壇のペストマスクが、くぐもった低い声を発しながら、おもむろに右手を挙げる。


 自分は何故こんなことに巻き込まれているのか。

 その理由は全くもって不明だ。


 左右に並ぶ仮面の男たちを見回しながら、西田は頭をフル回転させ、改めて現状を整理していた。




 ふと気がつくと、西田は薄暗い教室の真ん中にいた。


 白い壁に磔にされた黒板。そこに向かって並べられた机と椅子。

 黒板に向かって左側には窓が並び、右側には廊下に繋がる扉、窓。それから柱、壁。


 どこの学校であろうとそうそう変わらない、初めてのはずなのに懐かしい。

 見慣れた教室……とはいっても、八年前に高校を卒業したきり、西田が教室に入る機会などは全くなかったが。


 そう、学校に来ることなどないはずなのだ。

 校門をくぐった覚えもないのに、西田は校舎の中にいる。


 自分がなぜこんな所にいるのか、直前まで何をしていたのか。

 首を捻りながらも、とりあえず辺りを見渡す。


 珍しいことに床は板張りで、シミが多く随分古ぼけた様子だが、体重を移動しても軋む様子はない。

 部屋中を薄く照らす明かりは定期的にチカチカと瞬くが、天井を見上げても蛍光灯らしきものは見当たらない。

 この光は一体どこから来ているのだろうか。


 一歩も動けないまま周囲の観察を続けていると、突然に、黒板の前の教卓、その少し上辺りがスポットライトのようなもので照らされた、ような気がした。


 そこには、いつの間にかペストマスクのような仮面を被った全身真っ黒な出で立ちの長身の男が佇んでいた。


 更にはいつの間にか左右で机が横に並べられ、三対三の形で向き合っている。

 それぞれの席には一人ずつ、何者かが座っていた。


 さながら学級会のようだが、席に着いている六人の体つきは明らかに成人男性のそれであり、それぞれに能面や仮面の様なものを装着している。

 なんとも不気味な光景だ。


「それでは、決を取ります。賛成か、反対か。いずれかに挙手をお願い致します」


 教壇のペストマスクが、くぐもった低い声を発しながら、おもむろに右手を挙げた。

 針金のように細長く、一見貧弱そうな印象。

 しかし同時に最も不気味なのも彼だった。


「賛成、賛成、賛成」

「反対、反対、反対」


 瞬間、向き合っていた六人が一斉に叫び、西田の方が跳ねる。


「賛成、賛成、賛成」

「反対、反対、反対」


 今にも立ち上がるような勢いで挙手をする彼らは、それぞれが発する単語で殴りあっているようであり、猛り狂った獲物を彷彿とさせる。


「皆さんまだ……まあ、もうお心は決まっているようですね。この期に及んで挙手を求めるまでもないでしょう。さて、西田さんはどうされますか?」


 その一言で、獣たちはピタリと静止する。

 彼らはゆっくりと、まるで年季が入った機械人形のように気味の悪い動きで、画面越しの視線を西田に突き刺す。

 獲物を物色するかの様に。


「賛成ですか?それとも、反対ですか?」

「いや、え?」

「今の所同票なので、西田さんの一票で全てが決まります」


 そんな獣たちの中にあっても、ペストマスクは平然と同じ問いを投げかける。


 そんなことを言われても、そもそも何について投票しているのやらさっぱり分からない。

 今自分がどうしてここにいるのかすら分かっていないのだ。


「えっと、何に賛成していいのか分からないんですけど……」


 そもそもお前は何故俺の名前を知っている。

 ペストマスクの不気味さに、口には出せないものの心の中で悪態をつく。


「では、賛成派反対派双方でディベートでも」


 ……いや、そんなことではない。

 それ以前に今俺の置かれている状況が分からないのだ。


 さてはこれは夢か。

 そう思って頬をつねれば案の定……痛い?

 いや、そんなはずはない。


 いやだがしかし確かに痛い。

 ならばこれは夢では無いのか。

 しかし、だとすればこの状況は一体?


「先生〜、もうちょい計画持ってやりましょうよ」

「いや、申し訳ない。私もまだまだ新任なもので」


 西田の右側の列、手前側にいたガスマスクの男が、椅子を傾けながらヘラヘラと口を開く。

 先程までの獣や機械人形的ではない、なんとも軽薄な印象だ。


 その変わりようがいっそう不気味でもある。

 この場には人間はいない、その為に人間の道理など通用しない。

 そんな風にさえ思う。


 一方のペストマスクはあくまで淡々としたまま答える。

 今ガスマスクの男が口にした、「先生」というのがこの男の呼び名なのか。


「いつまでも同じところに留まっている必要もねえでしょう。時代も世間も刻一刻と変わっていってんだ。臨機応変に対応しなくっちゃならねえ。いつまでもこんなことをぐちゃぐちゃ言ってんのも嫌なくらいなんだよこっちは」


 ガスマスクは、心底嫌そうにしながら、大袈裟な身振り手振りで訴える。


「しかし多くの人間に影響を及ぼす重大なことだ、慎重に決める必要があるだろう。時代とともに変わるものはあれど、人間の本質はそうそう変わらんからな」


 今度は左側の、やはり手前に座った、ガタイのいい天狗面の男が答える。

 こちらも先程の獣然とした様子とは打って変わって、少々おカタい印象だ。


「本質とかそういう話ではなくてさぁ、価値観は変わるもんでしょう?」

「そもそも決まっていることは多くの先人が長い時間をかけて最適解を探してきた結果なのだ」

「それよぉ、長い時間かけすぎて状況が変わっちゃってるし。現状に合った最適解を探ろうよ」


 横に並んだ男達が口々に議論を始める。


 議題は未だに分からないが、どうも右側が賛成派、左側が反対派らしい。

 さらに分析するなら賛成派は革新派、反対派は保守派のスタンスだろうか。


 話し合っているのは、何かの制度やルールの変更についてか?


「これだから若いやつらは」


 左側奥の男が嘲笑するように呟く。

 薄々感じてはいたが、右側が若者、左側はもう少し年齢層が高いらしい。


 二十六歳の西田からすれば、なんとなく右側の男達に親近感を覚える。


「これだからジジイは〜、とか言えばいいの? 言ってることの善し悪しに年齢関係ないでしょ。そもそもそれで言うなら現代のスタンダードはこっちでしょ。ねぇ、西田サン?」


 西田が抱いた親近感と同じものがあるのか、男が話を振ってくる。

 いきなり水を向けられて動揺はするが、自分がどうするか考えるためには都合がいい。


「えっと、まあ確かに変化が色々あるとは思うけど……」

「ホラ、西田サンもこちらに賛成ですよ。結論下してさっさと帰っちまいましょうや」


 言葉を遮られ、西田は黙るしかない。

 利用しようとしているだけで、議論に参加させる気など無いのではないか。


「流されてんじゃねえ! ちゃんと自分の頭で考えてものを言わねえか!」


 左側の天狗頭が怒鳴る。

 何故いきなりこんな不愉快な場所に放り込まれて叱責されねばならないのか。

 この老害が、と心の中で毒づき、顔をしかめる。


「おい、俺はもう帰るぞ。帰り道を教えろ」


 西田はとりあえず、先生と呼ばれていたペストマスクを睨みつけながら文句を言う。


「それは困ります。これは西田さんの進退にも関わることですので……」

「うるせえ! そもそもなんで俺がそんなことをしなけりゃならねえんだ!!」


 さっきまでは困惑していて態度にも迷っていたが、ここまでぞんざいに扱われるならば話は別だ。

 この男を脅すなりなんなりしてさっさと帰らせてもらおう。


 左右の仮面男たちも癪に障るし怒鳴りつけてやりたいが、絡みにくそうなのでやめておく。


「雑な対応しちゃったんは謝るんでぇ、投票だけでもしてってもらえません?」


 謝って来たのは西田の言葉を遮ったのとは別の、右の奥側に座る、道化の面を被った男だった。

 本人ではない上に申し訳なさそうな態度も見せないが、反論する気も起らない。


「いいや、帰っていただいて結構だ。こんな重要な場で決定権を得るには、こいつは不適格だろう」


 それに噛みつくのは、左奥の席に座る翁の能面を付けた小柄な男。

 その言葉で、一瞬下がりかけた溜飲がまた戻って来る。


「いいぜ、投票してやるよ。どうすりゃいいんだ?」


 先生に向かって、口角を無理に吊り上げながら言葉を投げる。

 どうなろうが関係ない、さっさと帰ってやる。


 それを聞いた先生は、事務的に淡々と返す。


「ありがとうございます。それでは、賛成か、反対か。いずれかに挙手を願います」


 ゆっくりと言葉を紡ぐ先生の背中に黒い影のようなものが見えた気がして、西田は背中に金属を押し当てられたようにゾッとした。


 まあいい。さっさと終わらせてしまおう。

 どうせ何を決めたいのかも分からないし、何かが決まったとしても後は俺には何の関係もないのだから。


 先生の圧に押されながら、ゆっくりと挙手をする。


「俺は賛成する」


 教室中の空気が止まった。

 ざまあみろジジイ、お前の思い通りにはさせないと、真顔ながら心の中でほくそ笑む。


 「よろしい」


 先生はその結論を受け、決を下した。


「それでは賛成派多数と見なし、西田弘樹を地獄行きとします」

「は?」


 どういうことだ。

 困惑が押寄せる。


「地獄行きってどういうことだよ」

「ああ、すいません言っていなかったですね。まぁ許してください、悪気はなかったのです」


 悪気も何も。それでは、まるで……


「そんなの、騙してるようなもんじゃないか。なぜ俺が地獄行きになんかならなくっちゃいけないんだ!」

「それはあなたが賛成に手を挙げたからです」

「ふざけるな! そもそも一体何で俺がそんな審議にかけられなくっちゃいけなかったんだ!」

「近年問題になっているんですよ。あなたのようにモラルが無い……悪気無しに人を不愉快にさせる人間が」


 黒板が突如光り、巨大なモニターの様になる。

 そこには、いくつも西田の日常の姿が映る。


「自転車に乗りながらの喫煙、割り込み、騒音、煽り運転、教育と称した叱責……子供のように無邪気で、悪気のない悪事。それらは地獄に行く程でもない小さなものですが、人々の不快のハードルが下がった世の中で、積み重ねれば罪となる」


 モニターに映る西田の姿はいずれも、気にすることの何一つないような当たり前の行動の姿。

 しかし、共に映し出されるのは、今まで気にしていなかった周囲の人々の不快そうな目。


「その様な人間を地獄行きとするかどうか、長らく審議が行われていたのです。しかしどうにも決着がつかないため、この度そのような人間の代表であるあなたをお招きして、意見を伺いながら決を取ることとなりまして」


 何を言っているのか、意見など……いや、そんなことより。


「俺は、死んだのか?

「いえいえ、まだ死んではおりません。ただこちらにお招きしただけでございます。明日から普通の生活にお戻りいただいて結構ですので、ご安心ください。ここでの記憶も消えますので、なんの問題も無く日常に戻れるはずです」

「俺は死んだ後、絶対に地獄に堕ちるのか」

「そうと決まったわけではありませんよ。あなたがこれ以後自分の行動を反省し、改めるというのであれば地獄行きを免れる可能性はいくらでもございます。それには自分で自分の行動に気づき、改める必要がありますが」


 自分で気付けなど、あんまりではないか。


「これ以降、決が覆ることはありません。皆さんもそれでよろしいですね」


 先生が改めて結論を口にして確認する。


 「賛成」


 まるで一つの口から発された様に声が揃った。

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