山椒

 冷蔵庫の中でぴたりと目が合った。生の実山椒をしこたま買いまとめ、その無数の山椒が冷気の奥からこちらを見ている。

 梅仕事ならぬ、山椒仕事をやらねば。


 わたしは刺激的な香辛料やさわやかで癖のあるハーブなどがすきで、特に山椒は独特の突き抜けるような香りと、舌先をひりひりと痺れさせる感覚がたまらない。ハーブと香辛料のいいとこどり。

 

 山椒というのは、京都の定番土産ちりめん山椒とか鰻の上にまぶしたりするイメージはあるのだが、実際の山椒がぶどうのようになっていることはあまり有名ではないかもしれない。タイ帰りの方によると、コショウも山椒と同様、ぶどうの房のようになるそうだ。

 

 ぷつぷつと房から実を取っていく。房の部分も柔らかいので、そんなにリズムよく取れないし、ちまちまと数も多いのでこの作業が一番疲れる。

 

 暇な時間も癪なので、ポッドキャストをオンにした。いつも聴いている、平野紗季子さんの『味な副音声』。美術館の音声ガイドのように、音楽のライナーノーツみたいに平野さんが古今東西のあらゆる食の話をしている。


 やわらかい平野さんの声は綿菓子のようで、わたしの耳の上でじんわり溶けていく。声もさることながら、その表現力に舌を巻く。


 コンビニでアイスクリームのことを、

「暑くなるとコンビニのアイスクリームコーナーが光り輝きますね」

と聴いた時には、綿菓子の中で“パチパチ”がはじけて、うわあいいなぁその表現!と思った。うん、確かに。


 岩手のじゃじゃ麺の麺がコシ0のぷりぷり麺については、

「その麺が“ぱゆんっぱゆんっ”なんですよぉ」

 ぱゆんぱゆん。ほぇー…。

 その日一日中は平野さんのぱゆんっぱゆんっが頭に流れ、夜にはそうめんでなんちゃってぱゆんっぱゆんっじゃじゃ麺を作った。


 平野さんは福岡出身で、慶應義塾大学在学中にブログで食にまつわるエッセイを発信し、それが話題となって『生まれた時からアルデンテ』が出版された。その後、大手広告代理店でコピーライターとして、エッセイストとして、その他もろもろすごい活躍をしている。


 なんというかすごい。言葉の才能もさることながら、きらきらしたその経歴も、情熱的に食のために動けるそのバイタリティも。


 と、平野さんのことを考えてると自分は一体何してきたんだろうと考えてしまう。というか、何もしてないのかと。


 最近は執筆しようにも、伝えたいことを山ほどあるけど、それを発表して、どうなりたいかを考えると空白がぽっかりと浮かぶ。


 目標がない、のか。目標は自分で見つけるしかないが、今何かを書いてどうなりたいか自分自身が見出せてない。

 

 ぷつぷつ。


 こういう時、自分は焦らずゆっくり考えてきたが、それが今の結果なのだから、今は少しだけ焦りたい気分かもしれない。


 まったく減らない無数の山椒を紡ぎながら、そんなことを考えてた。

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腹巻養生日記 一宮けい @Ichimiyakei

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