電気代大いに助かる二月尽 🤭

上月くるを

電気代大いに助かる二月尽 🤭




 一月の電気代がべらぼうに高かったので、蓄電ヒーターの設定を工夫しています。

 それに二月は三日少ないよねと期待していたところ、一昨日の請求減額に、ホッ。


 それに気をよくし(笑)独立させてアップするほどではないけれどボツにはというものをダイジェストで( ..)φメモメモしてみました。少し長くなってすみません。🙇



🟢同じ空気を吸うこと


 おかあちゃん、かっこええ社長さんやなあ。

 子どもからそない言われたらうれしいなあ。


 朝ドラとは異なる事情で経営を引き継いだヨウコさんは、ごくんと喉を鳴らす。

 成人していて母親をサポートするヒロインとちがい、子どもたちは学生だった。


 遠い都会に住み、たまに帰省する子どもたちと、しばしば見解の相違が生じた。

 日々同じ空気を吸っていないと無理だったろう、問題山積の事業の理解は……。


 一方、子どもたちとその家族の現状も、同居でないヨウコさんには分からない。

 お互いさまは子離れした親子の常のあり方と理解するのに相応な歳月を要した。


 互いの哀歓を刻んだいまは、よそから聞く母親の事績を認めてくれているらしい。

 あえて自分を語らなくても時が知らせてくれる……そのことがしずかにうれしい。



🟡人に好かれるのが好きな人のこと


 ある有名画家の評伝を読んでいて、いやはやこれは……思い当たることがあった。

 人を招くのが好きな画家宅では、年中、数人が当たり前のように食事をしていた。


 開拓地の山奥の掘立小屋で、その妻は人数も分からない炊事の支度を強いられた。

 ある年の数四百余人と、日記帳代わりのノートに記した妻の苦悩をたれか知ろう。


 人に好かれることをなによりの誇りとする夫に添う妻は、ヨウコさん自身だった。

 友人知人はもとより仕事の来客、ときには飲み屋で知り合った人まで家に泊めた。


 育児・家事・仕事の三足の草鞋で寝る間もない妻に、来客の炊事、寝具、掃除などいっさいの世話を平気でさせ、善人と称賛されることを無上の喜びとした人だった。



🟢傷つくということ


 え、この言葉って、こんなにむかしから、ふつうに会話で使われていたんだ~。

 いまさら驚いたのは、数十年前のテレビドラマの再放送を観ているときだった。

 

 ――なんか、おれ、ちょっと傷ついたぜ~。($・・)/~~~


 いい歳をした東京下町のオッサンが、目の前の若い女性に真顔で抗議している。

 ごく最近、それもナルシストが入っても許される年代の言葉と思っていたけど。


 こんなに堂々と市民権を得ているんだったら、自分も率先して使えばよかったな。

 いまの言い方はないよ、わたし、すごく傷ついたんだけど……なあんてね。(笑)



🟡ねたいということ


 幕末、十八歳でロンドンに留学した薩摩藩士・森有礼もりありのりは「藩費で出来上がった坊や」だったので、日本の国語を英語に変えるべしと極論を称えて周囲を苦笑させた。


 司馬遼太郎さんも思わず皮肉めかれたように、むろん明治維新後も変わらなかった(笑)日本語の語彙がきわめて豊富なこと、海音寺潮五郎さんの作品から教わった。


 のちの上杉謙信がまだ長尾景虎を名乗っていたころ、異母弟・景虎の活躍で戦いに勝利した事実を認めたくない兄・晴景は、不機嫌も露わに自分の城に帰ってしまう。


 置いて行かれた景虎は、乏しいなかから(なんせ領地が与えられていない(笑))あらん限りの論功行賞を行ったので、家臣一団の結束は、より強固なものになった。


 そのとき、重臣が若君を慰めた言葉が面白い「弾正さま(晴景)は景虎さまの働きで勝利を得たのがねたいのでござる」ふうむ、嫉妬、妬心、嫉し、嫉い、ねえ……。


 ひるがえって現代に目を向けても、負の出来事の裏側には決まって根深い嫉妬心が貼りついていると思われるがゆえ、ひっそり目立たずジミ~な隠遁生活を貫きたい。



🟢コネ社会のこと


 むかし、コネ社会の不公正を年下の新聞記者に憤慨して話したら「え、ぼくだってコネ入社ですよ、で、それがなにか?!」開き直られてガクゼンとしたことがある。


 オピニオンリーダーを標榜するジャーナリズムにしてこの感覚、なんて腐った社会だと思ったが、なんてことはない、根を探ってみればどの社会も似たり寄ったりで。


 なので、年中資金繰りに悩みながらも理想を追求しつづけた青くさいオバハンが、手を汚してナンボの競争社会に生き残れなかったのもムベなるかなと、いまさらに。



 🟡e-Taxのこと


 その朝一番でスマホに入力したのは、確定申告の納税システム「e-Tax」だった。

 仕事時代は無縁だった面倒を最低限の労力で済ましてやろうという魂胆で。(笑)


 データ送信したあとに少し気持ちを引きずったのは「控除欄の記入がない」事実。

 扶養者でもなければ被扶養者でもない、つまりは、同居家族がいないという証明。


 あらためて表に示されると、人生の各場面での選択の是非を問われているようだ。

 あのとき別のチョイスをしていたら、控除欄にだれかの名前があったかもね……。


 それにつけても、現状の様式ではあきらかに不当な不利益を余儀なくされているLGBTGや同性婚の方々に一刻も早く憲法で保障されている平等を確保すべきでは。


 さらには、動物家族(とりわけ保護動物)の扶養控除も認めて欲しいと切望する。

 とりわけ身体に傷を負っている子の場合、獣医師への支払いが高額なのでどうか。



🟢ダンスペアのこと


 コロナ前にスポーツジムへ通っていたころ、なにがいやって、本来ならば無条件に楽しいはずのダンスレッスンにおけるペアの強制ほど抵抗感のあるものはなかった。

 

 今日はひとりで踊ろうと決めたとき「あのお、もしよろしかったらご一緒に……」

 潤んだ目をした少し年輩の小柄な女性から消え入りそうな様子で声をかけられた。

 

「はい、よろこんで」明るく答えながら、今日こそとひとつの決意をかためていた。

 レッスンの終了後、インストラクターに進言してみよう「ペア、やめませんか?」


 ペアになりたかったら社交ダンスクラブに入っている、それがいやで単独で踊れるリトモスやズンバを選択しているのだ、ツルミ好きな女子高生じゃあるまいし。(-"-)




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