5.とくべつ

 好きになったところで、私と沢井さわいさんの関係性かんけいせいは、とくに変わらなかった。


 クラスでも、美術部でも、沢井さわいさんは私以外に仲のいい女の子がいた。元々人づきあいが得意でない私は、そこに入っていくことなどできなかった。


 遠くから見ているだけでじゅうぶんだと、初めは思っていた。


 でも、わがままな私は段々だんだんと、彼女かのじょに近づきたいと、そう願うようになってしまった。


 そんなころの、美術部の活動終わり。


 お手洗てあらいに行っていた私が部室に帰ってくると、そこには沢井さわいさんと、もう一人の女の子だけがいた。二人が楽しげに話している姿すがたを見ると、むねがずきりといたんだ。私は中に入ることもせずに、立ちつくしていた。


「そういえば花奈かなってさ、その女の子、よくいてるよね?」


 女の子が、そうたずねた。二人の目の前には、沢井さわいさんが最近いている絵がかれていた。


「ああ、レイネのこと? そうだね」

「レイネって言うんだ、この子。名前までつけてるとか、やっぱ花奈かなって面白いよね」

「あはは、そうかな? ……まあ、レイネは、わたしの特別とくべつだから」


 ――とくべつ。


 そう言った沢井さわいさんの顔は、まどから入りこんだ夕焼ゆうやけにらされていて、どうしようもなく、うつくしかった。


「ふうん、そうなんだね。というかさ、そろそろ行こうぜ、アイスでも買って帰ろ」

「おっ、いいね。行こう!」


 二人は帰り支度じたくを始める。やがて部室から出て、並んで昇降口しょうこうぐちの方に歩いていった。私はそんな二人の背中せなかを見つめながら、ゆっくりと息をいた。


 そっと、部室に入る。


 夕暮ゆうぐれのオレンジが、さびしげにきらめく中で、イーゼルの上にかれた絵画の上に、グレーのぬのがかけられていた。


 私はそのぬのを、丁寧ていねいに外した。

 沢井さわいさんのきかけの絵が、あらわになった。


 湖畔こはん

 そしてそこに佇んでいる、ふかい青色のかみをした、女の子。


「……レイネ」


 私はつぶやくように、その名前を口にした。

 薄茶色うすちゃいろの目が二つ、こちらの世界せかいを見つめていた。


「何で、」


 目の中に、なみだがたまっていくのが、わかった。


貴女あなたなのよ……」


 ゆがんだ視界で、私はレイネのことを、にらみつけた。


 特別とくべつになりたいのに。

 私だけを、特別とくべつだと、思ってほしいのに。

 ……それなのに。


 どうして、絵の中に存在そんざいすることしかできない貴女あなたが。

 沢井さわいさんにとっての、特別とくべつなの……


 私はくずおれて、ゆかにぼたぼたとなみだをこぼしながら、レイネのことを見つめつづけていた。


 *


 中学校を卒業した私は、自由な校風こうふうの高校に入学した。それもあって、私は自分の元の姿を、少しずつこわしていった。


 真っ黒だったかみを、ふかい青色にめた。

 カラーコンタクトで、ひとみ薄茶色うすちゃいろにした。

 アイライナーで、二つのきぼくろをいた。

 黒い服ばかりを、着るようになった。

 厚底あつぞこのあるくつを、くようになった。


 レイネがうらやましかった。うらやましくて、たまらなかった。


 だから私は、レイネになろうとした。


 山中澄乃やまなかすみのではなく、レイネというべつ存在そんざいになって。


 ――そうしてもう一度、沢井さわいさんと出会おうと、そうやって、思っていたのだ。


 *


 ゆっくりと、目を開いた。

 見慣みなれた天井てんじょうが見えた。まどの外が暗くなっていたから、ねむっていたのだとわかった。


 目をこすりながら、起き上がった。

 ふかい青色の前髪まえがみが、視界の邪魔じゃまをしていた。


 私は目をじて、今日のことを……沢井さわいさんのことを、思い出した。


 高校生になった彼女かのじょは、少しだけ大人っぽく見えた。でも、やっぱり、沢井さわいさんだった。とうとくて、やさしくて、可愛かわいらしい、沢井花奈さわいかなのままだった。


 私は手でそっと、自分のくちびるを、なぞった。

 彼女かのじょくちびるのやわらかさを思い出すだけで、幸福こうふくと、かなしさに、つつまれた。



 ……ほんとうは、ありのままの姿すがたで、貴女あなたに愛されたかった。



 つくりものの、うそつきの、レイネではなくて。

 山中澄乃やまなかすみののままで、

 あいされたかった。


「うう……」


 口からこぼれる嗚咽おえつを聞きながら、私はいた。


 心の中にきつづける沢井さわいさんとの記憶きおくが、どうしようもなく、くるしかった。


 まどの向こうには、終わりのない夜空が、ひろがっていた。

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深窓のレイネ 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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