4.彼女

 玄関げんかんで黒の厚底靴あつぞこぐついで、そろえることもせずに、洗面所せんめんじょの方へ向かった。そうして、かがみの前に立つ。


 ふかい青色の長髪ちょうはつ薄茶色うすちゃいろひとみ。二つならんだきぼくろ。


 そんな自分の姿すがたを見ていると、「レイネ」と目をあわせているようで、いやな気持ちになった。


 自身の目に手をばして、カラーコンタクトを二つ、取る。偽物にせもの薄茶色うすちゃいろかくされていた、真っ黒な目が、あらわになる。


 かみ適当てきとうに一つにまとめてから、クレンジングオイルをたなから取り出して、化粧けしょうを落とした。タオルに顔をうずめて、それからかがみに視線をうつすと、アイライナーでいていた二つのきぼくろも、きれいさっぱりなくなっていた。


 黒い服を着ていることまでもがいやになって、自分の部屋にもどって、さっさとグレーの部屋着に着がえた。分厚ぶあついレンズの眼鏡めがねをかけると、ようやく自分が「レイネ」ではなくなったように思えて、安心した。それと同時に、ずきりとむねいたんだ。


 視線は勝手かってに、写真立てに入っている一つの写真へと、引きよせられていた。


 中学時代、美術部の同期どうき五人でった写真。

 真ん中で楽しそうに笑っている沢井さわいさんの姿すがたに、体が確かにねつを持ったのが、わかった。


 私は右端みぎはしで、特に笑うこともせずに、つまらなさそうな表情ひょうじょうを浮かべていた。

 下の方で結ばれた黒いかみ野暮やぼったい眼鏡。どこかぶかっとしたセーラー服。


 そんな自分を見ていると、劣等感れっとうかんのようなものに、むねの中がたされていく。それを忘れようとするかのように、ベッドへとたおれこんだ。眼鏡めがねを外して、大きなまくらに顔をうずめる。そうしながら、私はゆっくりと、中学生のときのことを思い出した。


 *


「うっわー、山中菌やまなかきんついた、山中菌やまなかきん!」

「おい、さわんなよ、おれにつくだろ!」

「きったねえー!」


 休み時間。けらけらと笑う三人のクラスメイトの声を聞きながら、私は椅子いすの上に座って、うつむいていた。


 クラスえに期待していた。中学一年生の二学期ごろから、地味じみ口数くちかずも少ない私は、クラスの男子にいじめられるようになっていた。中学二年生になってクラスがはなれれば、そういうことも行われなくなるだろうと、そう思っていた。


 でも結局けっきょく、いじめを積極的せっきょくてきに行っていた男子のうち一人と、また同じクラスになってしまった。少しだけメンバーが変わって、私はふたたび、いじめられるようになっていた。


「おい、何とか言ってみろよ、山中やまなかー!」

「お前、気持ちわりいんだよ!」


 ぎゅっと、手のひらにつめいこませる。ほんとうは、言い返したかった。でも、むきになっておこれば、余計よけい悪化あっかするだけ。それを知っているから、私は無視むしを続ける。


 心の大事な部分が、少しずつこわれていくような、そんな気がした。

 いてしまいそうになったけれど、そうしたら馬鹿ばかにされる。


 いたら駄目だめだ……


 そう、自分に強く、言い聞かせていたときだった。


「ちょっと、そういうのやめてくれない? 見てて不快ふかいなんだけど」


 りんとした、声がした。

 私はおどろいて、顔を上げる。


 男子たちの前に、一人のクラスメイトが立っていた。黒の長髪ちょうはつを青色のリボンでポニーテールにした、女の子だった。部活が一緒だから、名前は知っている。


沢井さわい邪魔じゃますんなよ」


 ……そう、沢井花奈さわいかな


 不機嫌ふきげんそうな男子たちに、彼女かのじょはひるむことなく、言い返した。


邪魔じゃまって何? あなたたちの方がよっぽど、クラスの雰囲気ふんいき邪魔じゃましてるよ!」

「はあ? うっざ、お前何様なにさまのつもりなの」

「何て言われてもいいよ。それより、内申点ないしんてんは大丈夫? さっきまでのやりとり、動画どうがっておいたから、先生に見せてもいいんだよ」


 沢井さわいさんはそう言って、スマートフォンの画面がめんを見せた。そこには、いじめの光景がしっかりと、動画どうがの形でのこされていた。


「お前、消せよ!」


 一人の男子が、彼女の襟元えりもとをつかむ。沢井さわいさんはかれをにらみながら、口を開いた。


「これから、こういうことをするのをやめるって約束するなら、消してもいい。でも、約束できないなら、消してなんかやらない!」


 彼女かのじょは強い口調で、言いきった。


 男子たちは、視線をかわしあう。それから襟元えりもとをつかんでいた男子が、「やめればいいんだろ、やめれば!」と言って、沢井さわいさんから手をはなし、教室を出ていった。のこりの二人も、あわてたようについていく。


 だれかが、拍手はくしゅをした。

 それをきっかけに、教室の中は、拍手はくしゅの音につつまれていった。


「すごいじゃん、花奈かな! さっすがー!」

「いやあ、そんなことないよ、ありがとう」

「見ててヒヤヒヤしたよー、野村のむらくんたちこわいもん」

こわがる価値かちなんてないよ、あんなやつら!」


 沢井さわいさんの周りに、なかよしの女の子たちが集まってくる。

 私はぼうっとしながら、その光景を見守っていた。


 おれいを言わなくちゃ、と思った。立ち上がって、のろのろと、彼女かのじょに近づいた。


「あの……」


 沢井さわいさんが、私の方を見た。

 ぱっちりとしたひとみが、どうしようもなくきれいに、思えた。


「ありがとう、ございます」


 彼女かのじょは何回かまばたきをしてから、うれしそうに笑った。


「どういたしまして!」


 そう言いながら、沢井さわいさんはわたしの右手を、両手でにぎった。

 自分の手がつめたいからか、彼女かのじょの手はどうしようもなく、温かかった。


 視線を上げる。直視ちょくしできないほどに、まぶしい笑顔だった。


 私はげるように手をはなして、自分の席に戻った。それから、ばくばくとみゃくうっている心臓しんぞうのあたりを、おさえた。

 顔があつくなっていくのが、わかった。


 ――何、この気持ち。


 自分にたずねた。


 顔を上げる。沢井さわいさんはほかのクラスメイトと、談笑だんしょうしている。

 たまらなく、どきどきした。


 ――そんな、だって、沢井さわいさんは女の子で、私も、女の子で……


 否定ひていしたかったけれど、それすらできないほどに、心は正直だった。


 それは間違まちがいなく、私の、初恋はつこいだった。

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