12 入学式と視線

「まず寮に行くから、荷物を置いて制服に着替えてこい。急いでな。あと一時間で入学式が始まる。ここからだと校舎まで時間がかかるんだ」


 ムーは言いながらこちらを振り返る。

 エレベーターは、楓達が降りるとひとりでに扉を閉め、そのまま音もなく消滅した。残ったのは何の変哲もないレンガの壁で、見れば、どうやら辺り一帯は外壁のようなものに囲まれているらしい。

 そうっと視線を回し、楓は努めて落ち着いて見えるよう振る舞いながら、しかし抑えきれない興奮をもってそれらを眺める。

 目の前に広がっていたのは学校敷地、というより、もはや学校街と言った方が良いような都会の様相だった。


 公園にショップに、なぜかビルのような建造物も立ち並び、遠くに見えるのは巨大な校舎らしきもの。ムーはその一部を指差しながら「あれが生徒寮だ」と言う。

 視線の先にあったのは、新しくはないが整備の行き届いているふうな白塗りのマンション。寮、寮生活! あの、漫画とかでよく見る! 一人部屋があって近くには同級生が住んでいて。しかもこんな良い場所で!?

 でかい、何階になるかな、どんな感じだろ。考えながら楓は柄にもなく胸を躍らせていた。ムーの言い放った、その言葉を聞くまでは。


「んで、お前らの寮はアレ。マンションの向かいにある。見えるか」


 その指の先には、寂れたプレハブ小屋が二つ。奥が男で、手前が女。説明されたことを楓は反復した。

 いや、見た目で判断するのは良くない。良くないが。言われなければ倉庫か何かだと思うような、小さくボロくて風が吹けば倒れてしまいそうな、そんな建物。つまり、なんというか、そう。

 格差を感じる。悪い冗談だ。嫌がらせでも受けているのだろうか。楓は思った。


「えっと、僕らは生徒寮には入らないんですか?」


 チヨが首を傾げながら聞いて、楓もそちらを振り向きながら控えめに頷く。だって生徒寮なのだから、生徒の寮であるはずだ。楓達はこれから入学する生徒で、ならば生徒寮に入るのが順当と言えるだろう。

 まあ、もしかしたら定員オーバーとかで、一時的に? それなら分からなくも。楓がそう考えていることは、気まずそうに頭を掻いたムーの言葉によって無に帰した。


「いや、あれも生徒寮、ではある……なんてぇか、俺らには予算が振られてなくてだな」

「え?」

「な、中は大丈夫だから。多分。あんな見た目だけど、まあ多分な、うん、多分」

「たぶん……」

「とにかくだ! お前らの制服も部屋に届いてるはずだからな! 早く行こう! な!?」


 微妙になった空気を変えるふうに、目を逸らしたムーは声を張って楓達の前を進む。楓はチヨと顔を合わせると、形容し難い表情でお互いを見つめた。

 そういえば、ムーが言っていた気をつけることは『言い返さないこと』だったか。思い出して、不安が形になっていくのを感じる。

 ムーの言葉と、そして今の何か言いにくそうにした態度。楓は察した。

 どうやら嫌がらせ説、濃厚である。





 楓達がこれから住むらしい寮の中は、ムーの言ったとおり、見た目よりは酷くないようで安心した。

 中はそこそこに広く、一通りの家具とキッチン、それに二段ベッドが二つあった。この部屋の定員は四人ということなのだろうか。見回しながら、楓は肩に背負っていたスポーツバッグを下ろす。角の生えたスライムも、跳ねながら床へと飛び降りた。 

 楓の家のリビングほどある広さは不自由なく過ごせそうで、楓はホッと息を吐くいた。同時に、少しだけソワついた気分が浮上してくる。

 見た目さえ気にしなければそこは、楓の憧れた寮生活にもなかなか匹敵する場所である。ちなみにチヨは「狭いけど秘密基地みたいでワクワクするね!?」と言って、楓とは違ったベクトルで目を輝かせていた。

 この坊っちゃんが、と楓は一瞬だけ思わないこともなかったが。


 とにかく楓とチヨはそれぞれ荷物を置き、部屋の中心に配置されたテーブルの上を見る。そこには、黒の学ランが二組、畳まれて置いてあった。


「着替えたら出てこい!」


 外からムーの声がして「は、はい!」と返事を返すと、楓は慌てて服を脱ぐ。ごく普通に見えるその学ランを着て、そうすればチヨも楓の方をチラチラと確認しながら、見よう見まねといったふうに制服をまとった。

 外に出れば眉間にシワを寄せたムーと暇そうなザン、それに来たときと同じセーラーを着たナデシコがぶすくれた顔で待っていた。


「おい! なんでアイツ、つれてっちゃダメなんだ!!」

「だぁから! さっきから説明してんだろ、ペット連れて入学式なんて目立ってしゃーねぇわ!」

「別にいいだろ!!」

「良くねえから言ってんだよ! ただでさえお前らは特殊なんだから、せめて敵を作らないようにだなぁ」


 何やら言い争っている、というかムーによるお説教がなされている様子に楓達が戸惑っていると、彼は二人が来たことに気がついて話を止めた。

 それから楓の足元を見て「お前もソイツは留守番だ」と視線で室内を示す。楓が見下ろすと、そこには楓の足に擦り寄るスライムがぽよぽよと体を震わせていた。

 楓は頷くとノータイムでソレを抱え上げ、部屋に置いてくる。楓は空気を読むことにだけは自信があった。この瞬間の最善手は迅速にムーの指示に従うことである。楓の腕中にいる謎物体は心なしか不満げな雰囲気を醸し出していたが、楓は無視して部屋の中へソレを放置した。


 外へ戻ると、楓達はようやく校舎への道を進む。まだ納得していなかったナデシコはそのセーラーの襟首を掴まれながら、ムーに引きずられるようにして連行されていた。

 楓は今更ながらに、彼女が着るセーラー服が女子の制服なのだと気がつく。なぜ彼女だけ最初から制服を? と疑問に思ったが、そんなことを聞ける雰囲気でもなく、楓はおとなしくムー達に続いて進んだ。


 日差しが眩しい。『裏』に季節があるのか知らないが、楓は上までキッチリ閉じてしまった制服の下を汗だくにしながら、歩くペースも落とせずに必死についていく。

 道中、興奮を抑えきれていないチヨに常時話しかけられていたが、正直あまり覚えていない。とにかく楓は入学式というなら座る場所もあるだろうと期待し、それだけを頼りに歩いていたのだ。

 ゆえに、三十分ほど歩きようやく辿り着いた校舎で、楓はいま絶望を胸に遠くを見つめているのである。


「いや、入学式は終わったって、どういうことですか!? こっちには確かに正午からと、」

「いやはや、申し訳ないですねぇ。変更について伝えるのを忘れていたようです」


 体育館のように開けた場所では、今まさに入学式を終えたばかりらしい新入生達が、担任に連れ添われて移動を始めたところらしかった。

 男性教師に食ってかかっているムーとその背後の楓達を、周囲の生徒が眉を顰めて眺める。諦めを瞳にたたえながら、なんかもう、楓はこれ以上考えたくなくなった。

 ムーをいなす白髪混じりな初老の男性教師は、そんな楓の顔を、細く縁取られた銀縁眼鏡の奥から僅か一瞬だけ見つめた。それは楓本人ですら気づかないほど一瞬で、しかし、楓の幾分か後ろに立っていたザンだけが教師を鋭い目で観察していた。


「まあ〜、そんなにカリカリなさらないで。入学式など出なくても問題ないでしょう。ましてや、特別クラスの生徒はねぇ」

「ありますよ! 彼らだからこそでしょう! カリキュラムの説明も聞けていないのに」

「それはムー先生、あなたがしてあげれば良いでしょう。とにかく、終わったものは仕方ないですからねぇ。彼らも教室に案内してあげてください」


 言うだけ言うと男は身を翻す。ムーは「ちょっと!!」と追い縋ろうとしたが、男性教師がすぐに通りすがりの別の教師に話しかけたのを見て、割り込むことも出来ず唸った。

 苛立たしげに額を押さえると、ムーは大きく深呼吸をしてこちらに向き直る。鋭いままの視線に楓は思わずビクリとしたが、それ以上に疲労の色が濃くなったムーの顔色が心配になった。

 彼は苦い顔で息を吐くと、楓達の顔を見回す。それから恨めしげな声で「聞いてたと思うが」と伝えた。


「入学式は、終わったらしい。教室に行くぞ……」

「教室! イト、教室だって! わかりました!!」

「おいおまえ、きょうしつってなんだ」

「へ!? あ、えっと、学校での俺らの部屋、的な」

「ふぅん」

「教室って本当にあるんだね!? イト!!」

「え? あぁ、うん?」

「お前らが図太いようで俺は何よりだよ……はぁ……」


 右から左からと話しかけられながら楓がしどろもどろに答えていれば、見ていたムーは複雑そうな顔でうなだれていた。なお、ザンは終始無言である。楓はそろそろ、ザンのこの無愛想な態度にも慣れてきたなと思った。

 ムーが顔を上げる。それから気を取り直したように姿勢を正すと「ついてこい」と楓達に向かって言った。


「あっ、は、はい」

「教室かぁ〜、教室……!」

「おいチヨ」


 楓はすっかり意識がフェードアウトしているチヨを揺すると、ドンッ、と背中に当たる衝撃を感じた。

 何事かと振り返れば、どうやら移動中の他の生徒にぶつかってしまったらしい。楓が「っすいません」と小声で謝りながら会釈すると、相手の少年は尊大な態度で目を細めてこちらをジィと眺めていた。

 思わず眉を寄せかけて、楓は身を引くにとどめる。楓が何も言わずにいると、彼は隣にいた別の少年に何か耳打ちをされて、するとその吊り目を気の失せたように逸らしハッと鼻で笑った。


「あぁ、一般人クラスね」


 楓は言われてポカンとする。少年達はクスクス笑って楓を見やると、彼らのクラスメイトらしき集団に混じりあっという間に居なくなった。

 呆然とする楓の肩を誰かが小突く。慌てて振り向くと、心配そうな顔のチヨと、楓のすぐ横に例の無愛想な顔つきで見下ろしてくるザンがいた。ン、と遠くからついてこない楓達を見るムーを指し、彼はそのままムーのいる方向へ歩いていく。

 ハッとした楓が急いで続くと、安堵したふうなチヨがその隣に並んだ。そうだ、教室に行くんだった。思いながら、楓の耳の奥には『一般人クラス』と呼ばれたその言葉が、やけに印象づいて残っていた。

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黒瀬楓の陰陽道 相川セイ @sei_aikawa00

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