第6話 山中にて

 浜離宮では、いくつか茶室が復元されていて、それを見て回るのが興味深かった。

 というより、茶室以外に何も見るところが無いと言った方がいいかもしれない。

 広い芝生もあったが、真夏の日ざしに直撃されそうなので避け、木立に覆われた小道を選んで歩いた。


 途中で各自が荷物の中に入れてきた飲み物がなくなったので、一行はそこで浜離宮見学を切り上げることにした。

 そして新橋駅近くのコンビニでよく冷えたジュースと麦茶を買い、その場で立ったまま水分補給をした。今日はこれから夕食なので、その直前にカフェなどに立ち寄っていたら時間が無くなってしまう。


 父の一言で予定を変更した時にディナーもキャンセルしてしまったので、一同は改めてスマホでレストランを探した。そして、すぐ近くにある台湾料理の店が評価が高いので、その場で電話して席を予約した。


 急きょ探し当てた店だったが、大当たりで、夕食はこの旅行のハイライトになった。

 素食という台湾のベジタリアン料理の専門店で、出てくる料理がどれも珍しくて、美味しかった。

 美香はついアルコールを飲んでしまった。みんなで上機嫌になっていたし、お酒も美味しいのが置いてあった。

 少々後悔したものの、自動運転で帰ればいいと思い、すぐに忘れてしまった。


 すっかり満足して店を出て、地下鉄で前日到着した時に車を停めた駐車場まで戻った。


 そして自動運転をセットして、帰路についた。


 帰りの車中では、先ほどの残業を巡る意見の食い違いにもかかわらず、穏やかな満ち足りた空気が支配していた。

 いかにも夏の夕方という感じの気だるさと、一日楽しく過ごした満足感とがないまぜになった、何とも言えない気分だった。


 途中で行きと同じサービスエリアで停車した。

 そこで、高速を降りたところにある外資の巨大ショッピングモールへ行ってみたいという話になった。


 「まだ8時だから、ちょっと見る時間はあるんじゃない。」と母が言った。


 「行った瞬間に閉店だったらイヤだな。」と美香は軽く抵抗した。


 「ああゆう大きい所は9時閉店が多いから、大丈夫だろ。」


 父がそう言ったので、話は決まった。


 美香はお酒を飲んでしまったのを思い出したが、酔いが全く残っていなかったし、サービスエリアから建物が見えるくらい近くだから、ほんの少し運転するだけならいいだろうと思い、運転席を前に向け、ハンドルを握った。


 ところが、ショッピングモールの手前にパトカーが停まっていた。

 美香は慌ててしまい、ちょうど左へ入る道があったので、そちらへ曲がった。

 かなり距離があったから怪しまれてはいないだろうが、それでも追いかけて来はしないかと、しばらくはどきどきしていた。

 両親も慌てていて、美香のとっさの機転にほっとしていた。


 しばらくは道なりに走った。

 やがて父が、来た道を戻ったほうがいいと言い、確かにその通りだったので、Uターンできそうな場所を探しながら徐行した。

 かなり走ったところで、ようやく少し広くなっている個所を見つけ、慎重にUターンして、来た道を戻り始めた。


 道は細くて坂が多く、街灯も少なく、暗くて、くねくねと曲がりくねっている。

 しばらく走ったが、先ほど左折したところへなかなか着かなかった。


 そのうちに、道に迷ったことに気づいた。走っても走っても、曲がりくねる細い暗い道が続くだけで、広い道に辿り着けない。知らないうちにY字路に入ってしまったのだろう。


 いったん車を止めて、パネルで位置確認をしようとしたが、電波が悪いのか、どう見ても現在位置がおかしなところになっている。暗い細い道にいるのに、地図上では大きな通りに表示されていた。

 それならスマホでも現在地を確認できるから、と思ったが、こちらも何故か機能しなかった。

 仕方なく、誰か歩いているのを見つけたら道を聞こう、ということにして、再び走り出す。


 ところが、しばらく走っても誰もいなかった。

 後ろから父が、店舗が見えたらそこで道を尋ねようと言ったので、さらに走り続けた。


 「どうしよう。何もなくなっちゃったよ。」


 街路灯の少ない暗い道を走りながら、美香は不安な声で言った。

 行けば行くほど道の両側に鬱蒼とした黒い林が多くなり、建物が少なくなっていく。


 「しようがないから、普通の家で聞いてみよう。あの家、あそこで止めて。」


 父の言うままに、美香は明かりが灯る家の前で車を停めた。

 急いで車を降り、駆け出しかけて、美香はどきっとして立ち止まった。


 それは家ではなく、無人の野菜販売所だった。

 電球が一個天井に下がっているだけだったが、ワット数の高い明るい電球だったから、遠目に見ると人家の窓の明かりのように見えたのだ。


 振り返ると、車の窓から両親が顔を覗かせていて、間違いに気づいて笑っていた。それを見ると、自分一人が慌てふためいて、しかも怖がっているのが可笑しくなり、美香も笑いながら運転席に戻った。


 戻るしかないので、またUターンして、暗い曲がりくねった道を走り続けた。

 途中で父が、あっと声を上げた。


 「なに。」


 「今、二股になってなかったか。」


 「待って、戻ってみる。」


 方向転換するのが面倒なので、車をバックさせた。

 父の言った通り、斜め右後方へ入ってゆく道があった。父が「こっちから来たんじゃないか。」と言うので、美香は深く考えずにターンしてその道へ入って行った。


 しかし、数分走ると、どうもまた間違った道のような気がしてきた。

 暗いし、林や茂みばかりで目印がないから、正しいのかどうか確信が持てない。


 そのうちに上り坂が多くなってきて、ますます曲がりくねるようになった。


 「これはどう見ても違う道だな。」


 父がぼそりと言ったが、美香はすぐに止まる気になれず、そのまま車を走らせた。


 地名を書いた標識がどこかにあればスマホで地図検索ができるのだが、車一台がようやく通れる程度の曲がりくねった細道には信号もなく、交通標識はあるが、場所を示すものが見当たらなかった。


 そのうちに何か急に怖いような感じがしたので、何だろうと一瞬考え、街路灯が一本も無くなっていることに気づいた。


 車を止め、もう一度位置確認を試みる。

 今度は、山の中の一本道が地図上に現れ、そこに現在位置が表示されたので、自動運転を入力してみた。

 すると正常に入力が完了し、すぐにスタートできる状態になった。


 「ああ、良かった。これで帰れるね。」と母が言った。


 美香は車が動き出すと、運転席を回転させ、後ろ向きに座った。そして緊張が解けて安心したためか、思いきり伸びをしたくなり、両腕を真上に突き上げ、うーんと唸りながら背中を反らせた。


 「結局、どこを走ってるんだ、俺たちは。」


 「わかんない。東北道からかなり逸れちゃったみたい。」


 答えながら、美香はスマホを父に渡した。自分で気の済むように検索してくれ、と言わんばかりだ。父はしばらく無言で画面をいじっていた。


「山の方へ行ってるぞ。かなりの回り道だな、こりゃ。」


「あ、表示、出て来たの?」


「うん、元に戻ったよ。さっきは電波が悪かったのかな。」


 美香は体をひねって真後ろの運転パネルを見た。これから走る経路が黒く浮き出ていたが、狭い範囲しか表示されておらず、一本道の上にいることしか見てとれない。


 やがて車が減速したので外を見ると、やや広い道路に入ろうとするところだった。今まで走っていた照明のない真っ暗な道に比べると、少ないながら街路灯があり、いくらかましのようだ。

 車がいったん停止し、曲がって、再びゆっくりと速度を上げようとする時、母が何か叫んだ。

 進行方向を指さすので、前を見ると、100メートルほど先の街路灯の光の輪のちょうど境目に、銀色の四角い建物があった。

 美香は体をひねり、自動運転のパネルに手を置いて、車がその建物の前まで来たときに一時停止のボタンにタッチした。車は銀色の建物を少し通り過ぎてから止まった。


 建物というより大きい物置と言った方がいいかもしれない。

 正面の入口は全開になっていた。引き戸なのか、もともとドアがないのかは暗くて見てとれなかったが、とにかく普通のドア一枚分の入口が開いていた。

 そしてその入口から弱々しい白い光が漏れていた。


 『また野菜の無人販売。』と美香は思った。母は何か買いたいのだろう。


 しかし母は降りようとせず、ほの暗い車中で美香の顔を見た。


 「これ、あれだったりして。」


 美香は何のことか分からず、無言で首をかしげた。


 母がまた言った。


 「ネットでよく見かける噂話なんだけど…」


 美香はぱっと思い出して「ああ」と声を上げた。


 「そういえば、あの噂みたいな小屋だね。」


 「何の話?」と、ネットの中の出来事はあまり知らない父が言った。


 「ネットのいろんなところに同じ噂がいっぱい載ってるんだけどね、山の中の人気

のない道に物置みたいなものがぽつんと建ってて、それが宇宙船の発着場になってるとか。」


 「違うわよ、タイムマシンがあるんでしょ。」と母が異を唱えた。


 「なんだ、そりゃ。」


 父がいかにも呆れたよ、という声音でそう言ったからか、車中は声が途切れた。


 数秒、無言のまま、一同は銀色の立方体を見つめた。


 やがて、美香は車のドアを開けた。

 小屋の中を見ておこうと思った。

 見たいという好奇心ではなく、今の車内の奇妙な沈黙を変えたいというのもあるし、帰ったら玲佳に「この前話していた宇宙船の基地そっくりなものがあったよ。でも中を見たら野菜売り場だったよ。」と言って笑わせたいというのもあったし、もし野菜売り場だったらお買い得品がないか見ておきたくもあった。


 立方体の小屋の中にはぼんやりした明りがあったが、中がはっきり見えるほど明るくなかった。

 美香は歩み寄り、そっと中をのぞき見た。


 ぼんやりと側面の壁が見えたが、奥には何があるのか、敷居の外からでは見えない。真正面に立ち、敷居のぎりぎりのところに立ったが、やはり奥が見えなかった。


 変だなあ、と、美香は不思議がりながら、立ち尽くした。


 周辺も暗いからなのだろうか、奇妙なほど見えない。ほの暗い背景に、ふちの滲んだ光の玉が浮いている以外に、どうなっているのか全く見えない。


 怖いという感覚はなかったので、中へ入った。ゆっくりと歩を進める。


 5歩、6歩と歩く。


 10数歩歩いたところで、美香は立ち止った。


 こんなに奥行きがあるわけはない。


 車から見た時は正面の幅よりも奥行きの方が狭かった。せいぜい1メートルか、あっても2メートル程度しか奥へ行けないはずだ。


 「美香。」


 真後ろから声をかけられ、心臓が飛び上がった。

 母の声だった。振り向くと、父もそこにいた。


 「どうしたの。何か変なものがあったの。」と母が顔を覗き込んできた。


 この空間のおかしさに気がつかないのか、と美香はびっくりした。


 「こんな広いようには見えなかったけどなあ。」と父が言った。


 「そうなのよ。変だよね。」


 美香がそう言うと、両親は返事をせず、またその場が沈黙した。


 美香はまた口を開いた。


「だって… 周りに壁が…」


 自分の声がかすかに反響しているのに気づき、その音の響きを確かめながら、美香は一言づつ声にした。


 「壁が… 全然… 見えないって、変じゃない?」


 最後の声の響きが消えたが、両親は黙っていた。


 美香はまた歩を進めた。ゆっくりと、周囲をうかがいながら歩いた。普段は聞こえない底の薄い靴で歩く音が、静寂の中で鈍く響いた。

 両親の足音もついてきた。


 正面のぼんやりした白い光が拡散して、周囲の闇をほの暗く、薄青く浮き上がらせていた。

 自分も薄青い闇に浮かんでいるようだ。


 父が咳払いをして、言った。


 「戻ったほうがいいんじゃないか。」


 父の声を、話してもよろしいという合図であるかのように、母がしゃべった。


 「あの物置みたいなものの後ろに、こんなトンネルがあったのね。車からは見えなかったけど。」


 「トンネル」と、父は合点がいったというように語尾を下げた。


 そうか、トンネルだ、と美香も思った。

 外から見たとき、この小屋の後ろは暗闇で、完全に孤立した建物のように見えたから、ついネットの噂のような変な空間だと思ってしまったが、背面に建物が続いていたのだろう。

 トンネルではないだろうが、銀色の立方体の部分より低くて小さいなら、こんな暗闇の中では隠れてしまって見えなくても不思議ではない。


 しかしすぐにまた、それも変だと思った。

 薄暗い内部はよく見えないが、天井も高そうだったからだ。

 これほど天井の高い建物が背後にあるのなら、高い垂直の壁か何かが、あの立方体の背中にくっついているのが見えたはずだ。

 あんなふうに孤立しているように見えるだろうか。それとも何か、黒い板とか布で覆われて見えなかったのか。


 また沈黙して、3人は歩いていた。


 やがて、前方の光の玉がもう一つ現れた。すぐにまた一つ増え、歩み進むにつれて数を増していった。


 そして、ある場所で突如、光の玉が全方向に飛び散った。


 美香はどきりとして立ち止まった。

 光の玉は前方だけでなく、いまや周囲をぐるりと取り囲んでいた。


 首を回してぐるりと見渡しているうちに、美香は、今いる場所が非常に大きなドームのようなもので、壁にも天井にも照明が付いているのではないか、と考えた。

 今まで歩いてきたところは、やはりトンネルで、正面の口からこのドームの照明が見えていたのだ。そう考えるとつじつまが合う。


 ふいに、光が点滅し始めた。3人は揃ってびくりとした。


 「なに、なんだ。」という父の声に重なって、機械的な音声が響いた。


 「宇宙連合地球人保護コロニーへ亡命をご希望の方は、緑色の光で印された所へお立ちください。」


 音声が途切れ、静寂の中で光が点滅し続けた。目がくらんで、四方にあるどの照明が点滅しているのか見分けられなかった。


 顔の前に手をかざしながら前を見ていると、数十メートル先の床に緑色の四角い枠が現れた。美香は思わずあっと声と上げて指差した。母がその指先を見て、慌てて言った。


 「ああ、あれよ、あれ。緑色の印のところへ立てって。」


 母の言葉に促されるようにして、3人は早足で緑色の光の枠へ近寄った。


 しかし、枠の手前で、誰からともなく立ち止った。

 みんな同じことを考えていた。


 「あの、亡命って、あたしたち、亡命するけど、今ここではちょっと。玲佳も連れてこないと。」


 美香はそう言った。

 うん、と父がうなずいた。母も恥ずかしそうに「そうだね。」と言った。


 足もとの緑の光の枠が点滅を始めた。周囲の白い光の点滅と同じ周期で、ゆっくりと消えたり点いたりした。


 「なんか、チカチカ始めたわよ。」


 「ここにいたら危ないんじゃないか。」


 「これ、やっぱり宇宙連合の」と言いかけて、美香は言葉を探した。


 「基地なんだね。」 と続けたが、適切な語ではないような気がした。宇宙空港や宇宙の入り口などの言葉も頭に浮かんだ。


 不意に点滅が止んだ。


 先ほどのように、薄青い闇に浮かぶかのような白いぼんやりした光の玉が四方をぐるりと取り囲んでいた。

 緑色の光の枠は消えていた。


 「止んだ。」と母の声が静寂を破った。


 そして、鈍い足音を立てて、緑の枠があった所に歩み寄った。


 「おい、そこへ立ったら、また何か変なスイッチが入るかもしれないぞ。」


 母は枠のあった場所から離れ、横の方へ歩いて行った。


 美香は母にかまっている余裕はなく、目まぐるしくあれこれ考えていた。

 車へ戻ったほうがいいのか、次の反応を待ったほうがいいのか、それとも…。


 振り返り、自分たちがやって来た方を見ると、そこだけ光の玉が浮かんでいなかった。トンネルのような形にぽっかりと黒い影があった。

 不思議なことに、入口の輪郭は見えず、ただそこだけ光の玉がついていないだけにしか見えなかった。

 この空間の他のところもそうだった。床と光の玉以外、何か物があるのか見えないし、輪郭も、何も見えない。


 「お父さん。」と、父の袖を引張って注意を促す。


 「ん?ああ、あれが通って来たトンネルか。」


 言いながら、父は眉間にかすかなしわを寄せた。彼も、トンネルの輪郭が見えないのに気づいているのだろうか。


 さて戻ろう、と母を振り返ると、彼女はかなり離れた所にいた。

 しかも遠ざかっていた。


「お母さん。」と呼んだが、母はこちらへ来ようとしなかった。


 ふらりふらりと散歩でもしているように歩き回っている。


「戻るよ。」ともう一度呼びかけると、こちらへ体の向きを変えた。そして、


「なんか変なのよ。」と、返事の代わりにこちらへ向かって叫んだ。


「霧がかかってるみたい。何にも見えない。」


 母はその場でしばらく立ち尽くしていたが、やがて驚いたことに、背を向けて向こうへ歩きだした。


「どこ行くのよ、お母さん。」


 ほとんど怒っている声で叫ぶが、母は無視してどんどん歩いて行った。


「しようがねえなあ。」と父が低い声でつぶやいた。


 美香は追いかけていこうかと思ったが、子供ではない、と思い直した。

 じっと見つめていると、母の姿は少しづつ小さくなっていった。かなり早足で歩いている様子だ。


「何を探してるんだろうな。」と父が言った。


「壁でも家具でも、何か見えてこないか試してるんじゃないの。

 ここって照明の数は多いのに、壁も天井も見えないじゃない。

 あのトンネルのところだって、入口の輪郭が全然見えないでしょう。」


 やがて、母の輪郭がぼやけ始めた。そして青灰色の影になった。


 「この光になにか、視覚を迷わす効果みたいなのがあるんじゃないかな。」


 ある地点で、母の青灰色の影が周囲のぼんやりした闇にすっと溶け込んで見えなくなった。

 美香は内心慌てたが、父の顔を見ると落ち着いているので、そのまま待つことにした。


 「そうか。照明の当て方か、照明そのものが地球のものと違うのかもしれないな。」と父が言った。


「たぶん、地球よりもずっと進んだ技術を満載した機械類を見られたり、写真や録画を取られないように、隠しているんだろう。」


 父は小声で話していた。普通のボリュームで会話しても差し支えないはずだったが、二人とも気付かないうちにささやき声になっていた。


 ふと心配になり、大きい声で母を呼んでみた。


 「なあに。」というのんびりした返事が返ってきた。


 「何か見えた?」


 「何にも。だめだわ、いくら歩いてもなんにもない。」


 そこで会話が途切れた。


 しばらくの間静寂の中に立ち、母が消えた方を見ていた。


 やがて、ふわっと小さい影が現れた。見つめていると、輪郭がだんだんはっきりしてきて、服や髪が見えてきた。

 そこから美香たちの所まで来るのに何分かかったのか、時計を見なかったのでわからないが、思ったよりも早かった。

 父は母が完全に合流する前にトンネルの方へ歩き始めた。


 出口の方へ歩きながら、3人は入って来た時よりもいくらか多めに言葉を口にしていた。

 相変わらずぼんやりした光のおかげでかろうじて足元が見える他は一面に青灰色がかった薄闇に覆われていて、トンネル内のものは何も見えなかった。

 前方には頼りないほど小さな光の点があるだけで、後方からの薄明かりがなかったら真っ暗だったろう。


 ようやく銀色の建物まで戻ってきて、外へ出る。街路灯が昼のように明るく感じられた。


 車に乗り込み、自動運転を再スタートさせる。ゆっくりと加速を始めるのを確認すると、美香は後ろ向きのシートにもたれかかった。

 そして、後方へゆっくり去ってゆく銀色の建物を眺めた。


 ところが、車はまたゆっくりと停車してしまった。

 上体をねじって運転席のパネルを見ると、位置確認のための電波が届きにくくなっているという表示が出ていた。


 ため息をつき、よっこらしょと体の向きを変えて背もたれから身を乗り出し、パネルを操作しようとすると、正常に戻った。


 ほっとして、また後ろ向きに座り、視線を窓の外へ向けた時、美香は思わず「あれ」とつぶやいて、窓に顔を押し付けた。


 「どうしたの。」


 「小屋が。」


 素早く後ろを向いて自動運転を止めると、美香は車から飛び出した。


 銀色の小屋が消えていた。


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一家移住計画 @eikyusf

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