嘘に触れる
大隅 スミヲ
嘘に触れる
彼女との出会いはトー横だった。
すでに終電もなくなった時間に彼女は、ひとりでTOHOシネマズ新宿の脇にある路地に座っていた。
黒いパーカーのフードを被っていたため、顔をはっきりと見ることはできなかったが、何となくの雰囲気で10代後半から20代前半ぐらいだろうということは想像できた。
「ヒマなの?」
声を掛けると、彼女はちらりとこちらを見上げた。
赤いアイシャドウと目の周りのラメ。不思議な化粧だと思ったが、幼い顔立ちの彼女にはその化粧がとても似合っているように見えた。
「なにか食べ物ある?」
こちらの質問に対して、彼女は質問を返してきた。
しかも、その質問が食べ物があるかという質問だったので、ここは2020年代の日本なのだろうかと思ってしまったほどだった。
「ファミレス行く?」
その誘いに彼女は無言でうなずくと、立ち上がった。
身長はけっこう大きかった。165センチの俺と並んでもそんなに変わらないぐらいだ。彼女は厚底ブーツなどは履いていない。普通のスニーカーだった。
「何食べたい? おごるよ」
俺の言葉に彼女は少し考えるような顔を見せた後、チェーン店であるファミレスの名前を告げた。
ふたりでファミレスに入って、注文をする。
俺は特に空腹感はなかったのでビールとポテトの盛り合わせを注文し、彼女はハンバーグとドリンクバーのセットを注文した。
よほど空腹だったのだろう。彼女はハンバーグが届くと、がっつくように食べていた。
食欲が満たされた彼女は、ポツリポツリと話をしはじめた。
トー横に来たのは一昨日のことだそうだ。
トー横に来てからは、ずっと飲まず食わずだったという。なんでも、財布をどこかで落としてしまったとのことだった。
「家に連絡は?」
俺の質問に彼女は無言で首を横に振る。
「スマホは?」
これもまた同じように首を横に振る。
「親とか心配してないの?」
「知らない」
彼女はそれだけいうと、コーラに口をつけた。
ファミレスを出た後も、彼女は俺についてきた。
正直にいうと俺もすることはなかった。
ただ、彼女との違いは金を多少は持っているということだ。きょうは朝からスロットで儲けることが出来たため、5万も財布に入っている。
「カラオケ行く?」
俺の言葉に彼女は頷く。
ふたりでカラオケで2時間過ごした。
彼女はアニメの主題歌ばかりを歌っていたが、別に気にはならなかった。そういうのが好きなのだろうぐらいにしか思わなかった。
2時間経って、延長をしようかと彼女に相談すると、彼女はお風呂に入りたいといった。
それは自然な流れだった。ふたりでラブホテルに入り、彼女はシャワーを浴びた。3日ぶりのシャワーだと彼女は言っていた。
彼女がシャワーを浴びている間、俺はテレビを見ていた。
俺はビールを飲んで気持ちを落ち着かせようとしたが、それは逆効果だった。
彼女がシャワーを浴びている音が聞こえてきた。そちらに目を向けると、ガラス張りのシャワールームの湯気の中に彼女の姿が見えた。当たり前のことだが彼女は裸だった。彼女は思ったよりも痩せていて、どことなく幼く見えた。
酔っぱらっていた。それは言い訳だということは自分でも重々承知だった。
俺は彼女を抱いた。しかも3回連続で。
ふたりでどこか違う場所へ行こうと語った。ただの枕物語のつもりだった。
何を考えているのかわからない彼女は、江ノ島に行きたいといった。
まだ、金に余裕はあった。江ノ島ぐらいであれば行くことは出来るだろう。
俺はそんなことを思いながら、ラブホテルの派手な天井を見上げていた。
※ ※ ※ ※
警視庁新宿中央署刑事課と少年課の合同捜査チームは、歌舞伎町周辺からトー横と呼ばれるエリア一帯で捜査をおこなっていた。
捜しているのは14歳の少女であり、彼女は4日前に千葉県にある自宅から家を飛び出したまま行方が分からなくなっている。
ただ、それだけであれば少年課が動くだけの話だったが、話はそれでは終わらなかった。千葉県警捜査一課によれば、少女は家出をする際に母親と口論となり、包丁で母親のことを刺して逃亡したという。刺された母親は心肺停止の状態で発見され、病院で死亡が確認されている。
千葉県警捜査一課は、殺人事件の容疑者とした少女の行方を追っていたが千葉県内では少女の行方を発見することが出来ず、少女の持っていたスマホの検索履歴に残されていた情報からトー横界隈に少女はいるのではないかと予測して、警視庁新宿中央署刑事課に捜査協力を求めて来たのだった。
「化粧をしているだろうから、わからないかもしれませんね」
千葉県警捜査一課からやってきた
「たしかに、この写真だといまの状態の彼女を見つけるのは難しいかもしれませんね」
警視庁新宿中央署刑事課強行犯捜査係に所属する
「ねえ、この
「うーん、見たことないな」
新宿中央署少年課の私服警官たちが少年少女に話し掛けて話を聞いていく。彼らは、少年少女に話しかけるのは手慣れたもので、ごく自然な感じで話しかけている。佐智子たち刑事が話しかけるとどうしても刑事らしさが出てしまうようで、少年少女たちはすぐに口を閉ざしてしまったため、話しかけるのは少年課の仕事となっていた。
これといった情報も得られないまま歩いていると、少し離れたところにあるガードレールに見覚えのある人間が座っているのを佐智子は見つけた。
たしか、恐喝容疑で一度逮捕したことのある男だ。
子どもたちには警戒されてしまって話しかけることは出来ないが、大人であれば大丈夫であると言わんばかりに佐智子はその男に歩み寄っていくと、声を掛けた。
「こんばんは、お兄さん」
「え……俺っすか。何もやっていませんよ」
向こうも佐智子のことを覚えていたようで、少し怯えた顔でいう。
「別にただ話しかけているだけですよ。そんなに慌てなくてもいいでしょう」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
「ちょっと、お話を聞きたいんだけれどいいかな」
「どうせ、断る権利はないんでしょ」
「そんなことはないけれど」
「……わかりましたよ。俺で答えられることなら」
「この
佐智子はスマホに入っている少女の写真を男に見せた。
男はスマホの写真をじっと見つめて少し考えるような素振りを見せたが、すぐに首を横に振った。
「すいません、お力にはなれないようです」
「そう。ありがとう。またね」
佐智子はそういって男の肩を軽く叩くと、他の警官たちのいる方へと戻った。
しばらく聞き込みをしていたが、トー横界隈ではこれといった目撃情報を得ることはできなかった。
電話が鳴ったのは、午後6時を過ぎた頃だった。
相手は刑事課強行犯捜査係長である織田警部補であり、織田は佐智子にすぐにJR新宿駅へ向かうように告げた。
どうやら、少女がみつかったらしい。
新宿駅に着くと、数人の制服警官と私服警官がひとりの少女を囲むようにして立っていた。
周りには野次馬もたくさんいるようで、制服警官の一部はその野次馬整理に当たっている。
「どうしたんですか」
佐智子は野次馬整理に当たっていた顔見知りの制服警官に声を掛ける。
「マル被を発見したんだけれど、暴れだしてね。何かよくわからないけれど、突然、一緒にいた男を包丁で刺したんだ」
「え、そうなんですか」
佐智子はそれを聞いて、少女を囲んでいる警察官たちのところへと向かう。
少女は血まみれになった包丁を持って囲んでいる警官たちを睨みつけていた。
包丁の刃は隣で倒れている男の首に突き付けられている。
「近づくな。近づいたら、こいつを刺すぞ」
少女の姿から想像も出来ないような迫力のある声だった。
※ ※ ※ ※
何でこんなことになっちまったんだ。
俺は新宿駅の通路でうずくまりながら、そんなことを思っていた。
彼女と一緒に江ノ島に行くはずだった。
その予定を変更した方がいいと彼女に伝えたことからすべてが狂ってしまった。
ラブホを出た後、俺たちは江ノ島に行くために新宿駅へと向かった。
その途中、彼女が着替えを買いたいというので服屋に寄った。
俺は煙草が吸いたかったので、服屋の外で待っていた。
なんだかわからないけれど、街に警官がたくさんいた。
別に俺は悪いことをしているわけじゃないので、気にしていなかった。
確かに過去には悪いことはした。
だけど、いまは警官に捕まるようなことはやっていない。
ガードレールに座って彼女のことを待っていると、ひとりの女が近づいてきた。
その女には見覚えがあった。
俺のことを恐喝罪で逮捕した女刑事だ。
なんでこんなところにいるんだ。
俺はそう思ったけれど、冷静を装った。
女刑事はまっすぐに俺の方を見て、歩いてきた。
「こんばんは、お兄さん」
「え……俺っすか。何もやっていませんよ」
咄嗟に俺はそう答えた。
「別にただ話しかけているだけですよ。そんなに慌てなくてもいいでしょう」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
冷静になれ、冷静に。俺は何も悪いことはしていないだろ。慌てるな。俺は自分に言い聞かせた。
「ちょっと、お話を聞きたいんだけれどいいかな」
「どうせ、断る権利はないんでしょ」
「そんなことはないけれど」
「……わかりましたよ。俺で答えられることなら」
「この
女刑事はスマホの画面を俺に見せてきた。そこには中学校の制服を着た少女の画像があった。
彼女だった。シャワーを浴びてすっぴんになった時の彼女の顔がそこにはあったのだ。
背中から冷たい汗が流れた。
「すいません、お力にはなれないようです」
俺は首を横に振っていった。声が震えていないか心配だった。
「そう。ありがとう。またね」
女刑事はそういって俺の肩を軽く叩くと、他の警官たちのいる方へと戻っていった。
どうやら、俺は女刑事を騙すことが出来たようだ。
しばらくして、彼女が戻ってきた。その時には警官たちは姿を消していた。
「なあ、江ノ島に行くのは、またにしないか」
「え、なんで?」
「いや、何となく」
「やだ。行くの」
まるで駄々っ子のような口調で彼女はいった。
「わかったよ。じゃあ、行こう」
俺はそう言うと新宿駅の方へと歩き出した。
駅に着くまでの間に、何度か警官の姿を見た。どうやらあちこちで聞き込みをしているらしい。
「なあ、さっきから警察がお前のことを探しているみたいだぜ。何かあったのか」
俺は思い切って彼女に何があったかを聞いてみた。
「知らない」
嘘だ。すぐにそれはわかった。
彼女は目に涙を浮かべていた。
「あ、別に言いたくなければいいんだ」
俺は女の涙に弱い。
そのまま俺は何も彼女には聞くことが出来ず、警察の目を避けながら新宿駅へと向かうことにした。
「ねえ、これって駆け落ちっていうのかな?」
新宿から江ノ島まで行くための道順を調べていると彼女がそんなことを言い出した。
「なあ、ひとつだけ聞いてもいいか」
「なに?」
「これってお前のことじゃねえの?」
スマホの画面を彼女に見せた。画面には新聞社のニュースサイトが表示されている。
『千葉県千葉市で母親が刺されて死亡。14歳の少女が逃亡中』
「知らない」
彼女はすっと目をそらした。
嘘だ。すぐにそれはわかった。
「もし、お前がやったなら、自首した方がいいって。いまなら間に合うから。なんだったら、俺が一緒に警察まで行ってもいいぜ」
俺は彼女の嘘に触れた。それは俺の優しさで触れただけだった。
「もういいっ!」
突然、彼女がキレた。
「えっ?」
俺は腹に違和感を感じていた。
視線を落とすと、そこには包丁が突き刺さっていた。柄の部分は彼女がしっかりと握っている。
「江ノ島に行きたかっただけなのに」
彼女は泣きながらそういうと、包丁の柄をぐりぐりと動かした。
ヤバい、こいつ本気で殺しに来ている。
俺はそのまま地面へと崩れ落ちる。膝に力が入らなくなっていたのだ。
どこかから、悲鳴が聞こえた。女の悲鳴だ。
一斉に周りにいた人たちが逃げていく。
そして、代わりに警察と思われる連中が走ってくる。
彼女が何か叫んでいる。しかし、俺の耳にはその声は届かない。
※ ※ ※ ※
「確保っ!」
一人の警官が警棒で少女の手にあった包丁を叩き落とした。
次の瞬間、周りにいた警官たちが少女を取り押さえた。その中には佐智子の姿もあった。
佐智子は包丁を遠くに蹴り飛ばすと、彼女の腕を押さえる。
少女の脇に倒れている男の顔には、見覚えがあった。
嘘に触れる 大隅 スミヲ @smee
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