小さな勇気とラッキースター

増田朋美

小さな勇気とラッキースター

年が明けた。もう新しい年であった。年が明けるのは、気合が入って、嬉しいものでもあるが、同時に、不安とか、そういうものが出てくるときでもある。そうなってしまわないように、餅つきとか、おせち料理とか、そういうものがあるんだと思う。お正月になると、年単位でものを考えるので、のんびりしている人が多いのであるが、中には、ちょっと変わったリアクションをする人も居る。

そんな中でも杉ちゃんたちは、いつもどおりに製鉄所で水穂さんの世話をしているのだった。人の世話をするのに、正月もなにもない。正月であろうが、平日であろうが、人の世話をするのは、暇なくやらなければならなかった。今年は、正月に大雪が降ったりしたせいか、水穂さんは何をするにしても疲れた様子で、時々咳き込んだりすることもあり、あまり良い状態であるとは言えないのだった。

「あけましておめでとう。右城くん居るでしょ?ちょっと相談があるのよ。聞いてくれる?」

そう言いながら、製鉄所の玄関の引き戸が開いた。誰かと思ったら、浜島咲であった。それと同時に、

「すみません。私の事で相談に乗ってくれるのはとても申し訳ないんですが、着物に詳しい方が居るということで、ちょっと話を聞いてください。」

と、自信がなさそうな声で一人の女性が咲に続いた。咲の声がサザエさんに出てくる花澤さんの声とよくにているが、その女性の声は、随分大正的であった。つまり、よく通る声で、身分の高いことを思わせる声だった。

「はあ、お正月そうそうどうしたんだ。まあ寒いから入れ。」

杉ちゃんがそう言うと、二人の女性は、ありがとうございますと言って、はいってきた。

「で、相談って何だよ。」

杉ちゃんに続いて、水穂さんも布団の上に起きた。

「彼女の着物のことなんだけど。今日、二人で富士宮の浅間神社に初詣に行ったのよ。彼女が行きたいって言うから。ねえ、真理恵さん。」

と、咲が言うと、真理恵さんは、

「はい。そうなんです。」

と言った。

「そうしたら、浅間神社で、洋服着た中年おばさんに、こんな格の低い着物で、初詣に来る人はいないって言われちゃったのよ。全く、一生懸命着付けして、真理恵さんは頑張って着てくれたのに、なんでこんなにひどいこと言うのかしらと、頭にきたわ。」

咲は、真理恵さんの着物を指さした。確かに、彼女も着物姿だ。上半身は、羽織りを着ているが、下半身だけ見てもちゃんと着物を着ているとわかる。最近は、和洋折衷と言って、洋服の上に着物を着てしまう人も居るようであるが、真理恵さんはちゃんと着物を着ているし、長襦袢もちゃんと着ていて、着方はどこにも間違えていない。ちゃんと帯もつけて、帯揚げもつけて、帯締めもつけているし、足袋もちゃんと履いている。

「はあ、ちょっと羽織りを脱いでみてくれ。」

と杉ちゃんがいうので、真理恵さんはそのとおりにした。確かに可愛い着物姿であった。白い記事に、赤い大きな梅の花を北欧柄の様に大胆に入れている。同じ北欧柄の様な花模様が繰り返されているので、多分、小紋の着物でだと思われた。袖は腰のところまで到達していないし、元禄袖をしているわけではないので、対象年齢は、あまり気にしないで仕立ててあるのだろう。帯は、一重太鼓に結んでいた。

「うーんそうだね。」

杉ちゃんは腕組をした。

「これは、牛首紬の着物だよな。牛首紬は普段着とか、気軽な外出に着るもので、初詣にわざわざ着ることもないだろう。普段着で初詣は行かないよな?」

「ええー!着物の形をしていれば、何でもいいわけじゃないの?」

咲は、そう言われて驚いてしまった。

「当たり前だよ。着物だってどこに着ていけばいいかくらい決まってるよ。いくら可愛いからと言って、牛首はだめだよ。もうちょっと素材を吟味するべきだったね。着物だってブランドはあって、ユニクロがカジュアルウェアとして流行っているように、牛首もライフウェアとして流通しているんだ。柄はとても良いと思うけどね。初詣に牛首を着ていくというのは、ありえない話だぜ。」

「そうなのねえ。」

咲はとてもがっかりした顔で言った。

「せっかく、初めて着物を着てきてくれたのに、格が低いからだめなんて言われるなんて、ちょっとかわいそうだなと思ったんだけど、牛首というブランドは、普段用で、初詣には着ないということね。じゃあ、どうすれば、その着物が牛首だなってわかるものかしらね。」

「そうだねえ。」

杉ちゃんは、頭をかじった。

「こういうふうに素材をよく見てみな。光に当てても光沢はないし、毛玉のようなコブがあって、ところどころ織り目が盛り上がっているところがあるじゃないか。これは、玉繭の影響なんだよ。」

「そうなんですか。玉繭とはなんですか?」

と、真理恵さんが聞いた。

「玉繭とは、普通の蚕の繭は、一匹の蚕が1つの繭を作るが、たまに二匹の蚕が隣同士の吐いた糸で絡まり合って、動けなくなってそのまま繭になってしまったものがあるんだ。これは、質の悪い絹糸として、生糸としては扱われないんだ。だけど、この玉繭から糸を取って、少数の普通の糸、つまるところ生糸と、混ぜ込んで織った布が牛首紬なんだよ。玉繭から取った糸は、二匹分の蚕の糸でできている。だからとても太くて切れにくい糸になる。それから織った布ということで、簡単には破れない強い布ができる。釘を抜けるほど強いので、釘抜紬という別名があったほどさ。」

「そうなんですか。わかりました、見分け方はわかりましたけど、なぜ牛首紬というブランドは、普段着なんでしょうか。そこも教えていただけないでしょうか。」

真理恵さんが杉ちゃんに聞くと、杉ちゃんはそうだねえといった。

「私、頭が悪いので、理由まではっきりしないと、納得できない性分なんです。ただ、格が低いとか、そういう事言われたって、なんで格が低いのか、理由があって初めて覚えられるんです。」

「それは、頭が悪いとはいいませんよ。知識をほしいということは悪いことじゃないです。」

水穂さんがそう言って彼女を慰めたが、彼女はその部分にかなり劣等感を持って居るようだった。裏を返せば理由がわからないと困るというのは、ある意味研究者的な素質があって、とてもいいことだと思うのだが、一般社会では、理解がわるいとか、知りたがりで困るということになってしまう。

「うーんそうだねえ。これは日本の歴史的な問題だけどね。着物の一般的なルールが設定されたのは江戸時代だよね。紬の着物というのは、お百姓さんが野良着として利用していたもので、身分の高い人がおしゃれ的に着用していたものじゃ無いんだ。江戸時代は身分制度が厳しかった時代だから、ちゃんと着るもので身分がわかるようになってたわけだ。格が低いというのは、着ていた人の身分が低いということもあるんだよ。」

「そうなんですか。でも、今は、みんな平等ということになっているから、着るもので身分を示す必要は無いと思うんですが?」

真理恵さんは若い人らしい思想を言った。

「まあそうなんだけどね。でも、世の中はおかしなもので、昔の思想のほうが勝ってしまう分野もあるんだよね。着物なんて、ずっとむかしから日本にあるものだし、それなりに、携わってきた歴史もあるわけだよ。それを今の時代になって塗り替えようということはできないんじゃないのかな。それで紬は普段着だというルールも、変わらないんじゃないの?」

杉ちゃんがそう言うと、真理恵さんはわからないですねという顔をした。

「でも、私が好きな着物ですし、帯のルールだって一重太鼓をしているので間違いじゃありませんよね?」

「まあ、一重太鼓は確かに普及している結び方ですが、それが全てじゃないですよ。文庫とか、立て矢とか、帯結びは色々ありますよ。」

と、水穂さんが言った。

「それに一重太鼓をしていればどこにでも行けるという事は無いよ。もしかしたら、別の結び方が必要になる場所もあるかもしれないよね。お前さん年はいくつだ?」

杉ちゃんがそう聞くと、

「36歳です。」

と、真理恵さんは答えた。

「そうか。そうなると、一重太鼓はちょっとまずいな。まだ30代というと、文庫のほうが良いと思う。着物は何でも着られてしかも一重太鼓さえしていれば、完璧だなんてそんな事ありえない話だよ。ただ、一重太鼓が人気があるのは確かだけど、それだけが全てじゃないからね。それは、気をつけた方が良いよ。みんな同じ着物なんて絶対無いからね。」

「そうなんですか。全くしりませんでした。着物なんてみんな同じもので、帯は一重太鼓をしていればいいと思っていたんですけど、そういうことでも無いんですね。ありがとうございました。教えていただいて、良かったです。」

杉ちゃんがそう言うと、真理恵さんは納得してくれたようだった。

「じゃあ、わかってくれたんだね。それなら、これからは、一重太鼓であれば何でもいいということはやめて、他の結び方にもトライしてみてね。」

「わかりました。なんか、今日、もっと叱られると思ったんですけど、その程度で済んで良かったです。浜島さんが、着物のことに詳しい人がいるって言うから、ちょっと怖い人かなと思っていて、正直、不安だったんですよ。」

真理恵さんは、ちょっと意外そうに言った。

「怖い人って、そんなふうにみられてしまっては困るなあ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「まあ、そうですよね。和服とか、そういうものは、なかなか知っている人も少ない世界ですし、それに呉服屋さんだって怖いイメージありますものね。平気で高いもの押し付けられるようにかわされたりして、たしかに、入りづらいイメージありますよね。」

水穂さんがそう、援護射撃するように言った。

「ええ、そう思ってしまいました。申し訳ありません。着物に携わる人って、みんな怖い人なのかと思ってました。だから着物はインターネットで買うしか無いと思っていたんです。着物は買ってみたいというか、着てみたいという気持ちはあったんですけど、でも、呉服屋さんや、着付け教室では、余分なものばっかり買わされて、ちょっと入れないと思いまして。それなら、自分で勉強するしか無いと思ってたんですけど、それで咲さんと初詣に行ったら、中年おばさんに、格の低い着物がどうのなんて言われちゃうし。」

「そうなんだね。まあ、着物を広めようということはたしかなんだろうけど、それは、うまく時代と合ってるものじゃないから、格がどうのとか、そういう事になっちまって、結局嫌になっちまうんだよな。着物の作りてとしては、着物には罪はないわけで、本当は、金持ちのばあさんだけのものじゃないって声を大にしていいたいんだけどな。」

真理恵さんがそう言うと、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「それに、着物なんて、もっと気軽に着ていいと思うんだけどね。着物は難しいとか、よくわからないとか、やたら高いとか、そういうナイナイづくしだと言われるけど、本当は、そうでも無いんだぜ。ただ、高尚すぎて自分には関係ないではなくて、気軽にもっと取り組めると思ってほしいんだけどね。」

「そうですね。僕達から見ると、着物はちょっと違うんですけど、でも今は、そういう問題も気にしないで着てほしいなと思っているんです。でも、誰も教えてくれる人もいないし、ちょっと気軽に教えてくれる人はなかなかいないですよね。杉ちゃんに教えてもらって、あなたは幸運でしたね。」

水穂さんが、真理恵さんに言った。

「そうそう。ちょっと着物を着てでかけてみようかなって、気持ちになれば、もう造り手としては御の字。それが何よりも嬉しいさ。だからこれからは、ちゃんと正絹の着物を着て、でかけてくれると嬉しいなあ。」

「ええ、ありがとうございます。杉ちゃんさん、本当にありがとうございました。私、着物を着てみたいと思っていましたが、中年おばさんにああして言われるのでは、やっぱり無理だったのかなとか思っていました。でも、教えてもらえてよかった。ありがとうございます。そんなことも知らないのとか、知っていて当たり前とか、そういうことを言われなかったのも嬉しいことです。」

「できることなら、真理恵さんが、他の人にも着物のことを、伝えてあげてくださ、」

水穂さんがそういいかけたが、もう疲れてしまったらしく、咳き込んでしまった。杉ちゃんが馬鹿、何をやっていると言って、背中を擦ったりして居るのであるが、

「もうしょうがないわね、右城くん。今年こそ、ちゃんと体を治して、ピアノを弾いてね。」

と咲が呆れていった。二人は、右城くんも疲れてしまったと言うことで、自宅へ戻ることにした。真理恵さんが、ありがとうございました、と二人にお礼をいい、咲と一緒に、製鉄所の玄関へ戻って、上がり框の無い玄関を出て、製鉄所をあとにした。

「まあ、良かったわね。教えてもらって。着物なんて、本で調べるかネットで調べるかしか、情報もないし、それだけで理解できるかって言うとそういうことでも無いしね。聞けるところなんて、着付け教室か、呉服屋しか無いじゃない。そこでは、そんなことも知らないのかみたいな顔されるし。あたしたち素人が、気軽に聞けるところなんて、なかなか無いわよ。」

咲が、道路を歩いてバス停に向かいながら、真理恵さんにそう言うと、

「ええ、そうですね。身近に着物を着ている人なんていないし、聞いてみてもだめかなんて思っていました。嬉しかったです。」

と、真理恵さんは言った。そう見ると咲は、真理恵さんは本格的に着物を着てみたいと思っているんだなとわかった。咲は、お琴教室で働いているけれど、同時に、お琴教室は、着物を普及させる場所でもあると思っていた。だから、真理恵さんのような人を、思いっきり応援してあげたくなると思っていた。

「そうよねえ。今日は、お正月だし、着物を着ている人が多いかもしれないわよ。その中で、杉ちゃんに教えてもらえて、良かったじゃない。あたしも、それはとても嬉しいわよ。」

咲がそう言うと、真理恵さんも嬉しそうな顔をした。二人は、バス停に着いた。今日のバスは、正月だから、バスの本数が少なくなっている。二人は、そのことは、よく知っていたので、しばらくバスを待つことにした。

バスを待っていると、二人の女性が、二人の前を通りかかった。ふたりとも着物を着ていた。確かに花柄の可愛らしい感じの着物であるが、二人が着ているのはおそらく化学繊維の着物だと思われ、しかもつけている帯は、名古屋帯を一重太鼓につけていた。もしかして作り帯かもしれないけれど、でも、たしかに、彼女たちを見ると、対象年齢を合ってないと思われる様に咲にも見えた。

「あら、お二人さん、今日はどちらへおでかけですか?」

と、咲が思わずいうと、

「ああ、静岡の百貨店の初売りに行こうと思ったんです。」

と、女性の一人が言った。

「着物には、興味があって着用しているの?」

咲が聞くと、

「はい。成人式の振袖をきっかけに、着物を着てみたいと思いました。でも、何も情報がなくて、とりあえず、安物の着物を買って、着物のおばさんがしている結び方をしていればいいと思ったんです。」

と、二人目の女性が言った。

「そうか。じゃあ、あなた達は、まだ、二十歳かしら?」

と、咲が聞くと、

「成人式は昨年に終えたばかりです。」

と、女性の一人が言った。

「そうなんだ。まだ、二十歳過ぎたばかりなんだ。それなら、一重太鼓はしないほうがいいわよ。一重太鼓は、あくまでもお年寄りの結び方だもの。それより、リボン結びに近い文庫とか、そういう方がいいわよ。もし、結べないんだったら、作り帯があるから、それで試してみてごらんなさいよ。」

咲は、思わず杉ちゃんが言ったセリフと同じことを言った。

「ああ、やっぱり、着物警察なんだ。そう言われちゃうんですね。」

「あたしたちも、着物を着てみたいと思ったけど、本を読んでもよくわからないし、インターネットで文章だけみてもわからないし、だから着ている人の真似をするしか無いと思いまして。」

二人の女性はそういうことを言った。

「いいえ。あたしは、着物警察じゃないわよ。着物を楽しく着たいから、その気持ちであなた達がより着物を着られるようにアドバイスしているの。」

咲がそう言うと、二人の女性は、

「そうなのね。着物を着ていると、いい評価をもらうことはなくて、ここがダメとか、そういう事ばっかり言われちゃうのよね。」

「あたしたちは、ただ楽しく着たいだけなのにね。」

と、女性二人はそういった。確かに、なにか言われてしまうのは、着物を着ている人の宿命みたいなものであり、中には直接帯締めなどを結び直してくれる着物警察も居る。そうなると、人になにか言われてしまうのではということになって、着物から遠ざかってしまう人も居る。

「いいえ、着物のことを教えるのだって、きっと小さな勇気だと思います。そして、着物のことについて教えてもらえるのは、幸運だったんではないですか。それは良かったことだと思ってくださいよ。」

と真理恵さんが言った。

「決して、一方的に価値観を押し付けるとか、昔の事を押し付ける事はありません。着物は、とてもすてきなものですし、楽しいものです。楽しく着こなすために、着物の決まり事は守ったほうが良いと思います。咲さんは、そのことを伝えたかっただけで、あなた達をバカにしているとか、そういう事は絶対にありません。」

「そうなのね。やっぱり着物は楽しく着たいですよね。」

「ありがとうございます。そういうことなら、着物の決まり事を守れて嬉しいわよね。」

二人の女性はそう顔を見合わせた。真理恵さんはにこやかに笑って、

「はい。これからも楽しく着物を着てください。」

と言った。咲もにこやかに笑って、

「もし、着物のことでわからないことがあったら、すぐに誰かに聞けばいいのよ。きっと親切に教えてもらうことだってできるわ。」

と、二人の女性に言った。それと同時に、富士駅行のバスがやってきた。咲と、真理恵さんは、勢いよくバスに乗り込んだ。二人の女性たちは嬉しそうな顔をしてそれを見送った。






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小さな勇気とラッキースター 増田朋美 @masubuchi4996

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