第14話

 そこは小さな屋台だった。

 帰りのサラリーマンが軽く一杯ひっかけていく為の店である、大きめの大人が4・5人座れば一杯になってしまう程度にこじんまりとした店である。

 カウンターの上には大きなおでんの鍋が陣取り、その脇に出来合いの総菜が並べられている、冷酒などはクーラーボックスから出てきて、熱燗はコンロでその都度温められるシステムである、なんとも時代遅れな光景であった。

 季節はまだ夏である。

 屋台の中はサウナと勘違いするほどに熱気が溜まっている。

 扇風機など気休めにすらならず、わざわざ外に出て食事をしている客もいるほどで、この前警察に注意を受けてから、屋台に外で食べるなと張り紙が張ってある。

 今日はカウンターに座つている客は3人のみだった。

その客はやたらとデカい。

 内に秘めた熱量が傍目にも分かる程だった。

 まず胸板がデカい。

 腕も両手で包めない程に太かった。

 首がない、というよりも首の太さと頭部がほぼ同じぐらいに太かった。

 おでんの入った器は、男が持つとお猪口位のサイズに見える。

 人から見れば十分に大きいシャツは、ピンと張っていて今にも弾けんばかりであった。

 それが3人である。

 熊倉・東海・大年寺の三名である。

 

「デカくなったな」


熊倉達は屋台に食事をしに来ていた。

この屋台は東海の行きつけの店であり、UFWのメンバーが良く一杯ひっかけに来る店である。

屋台の中にはUFWがやっているプロレスのポスターが張って張り、その横に幾人かのサインが書いてある色紙が掛けられていた。


「そっすか自分じゃわかんないですけどね」

「東海さんの言う通りだ、初めて会った時のもやしとは比べもんに成んねぇさ」


大年寺が熊倉の背中を叩いて高らかに笑った。

普通の人ならば椅子から転げ落ちる威力であったが今の熊倉には少し痛い程度になっていた。

からこれUFWに入ってから長い時が経った。

大年寺のいう通り熊倉の身体は昔とは比べものにならないほどに大きく鍛えられている、身長は180㎝を超え始め未だに伸び続けているのだ、将来的には90台まで伸びるのではないだろうか、東海が見るに熊倉の伸びしろはまだまだ大きい。

だからこそ熊倉と大年寺には特別目を掛けているのだった。

東海は二人を眺める。

 もっと食えもっと食えと大年寺が熊倉の皿におでんを盛る、熊倉の食べる速度はかなり早いが、既に皿は溢れんばかりに乗っけられて処理が追い付いていない。

 こうしてみると二人はまるで少し年の離れた兄弟の様に見えてくる。

 ―この二人が好きだ。

 強くしてやりたいと心から思う。

 東海の人生は順風なものではなかった。

 体格は恵まれていないしルックスも褒められたものではない。

 何度も泣いて鍛えた。

 人よりも食って何度も吐いた。

 それでも天性の才能を持つ選手には及ばなかった。

 そんな人間に立ち技では勝てないと知っていた。

 だから寝技に活路を求めた。

 自分達みたいな才能のない人間に与えられたものは「飢え」それしかない、血を吐き泥を啜りながら天才たちが三段飛ばしで駆け上がっていく階段を一歩一歩よじ登っていくしかないのだから。

 そんな東海には寝技はとても合った。

 人に10やれと言われたことを20や30やっていた。

 給料なんて雀の涙程度しかもらえない、学生がバイトをしていた方が十分もらえただろう、そんな中で節約に節約を重ねて向かったのはアメリカだった。

 アメリカには新しい技術を求めて向かった。

 あの時は無我夢中だった。

 文字通り死ぬ気で闘っていた。

 時代として日本人が生きていくには厳しい時代だった。

 まず移動だ。

 バスに詰められて何処までもぶっ通しで移動する、小便がしたくて涙目になった事もザラにある、軽くウォーミングアップしてから即興で仕合なんて日常茶飯事だ、失敗すればそれでもプロかと罵られるのが当たり前だった。

 こ飯は何時だって移動しながら食えるホットドック、それが一番安くて手頃だったからだ。

飯が食えなくて四苦八苦だ、日本じゃ嫌になるくらい喰わされたのにこっちじゃひもじくてしかななかったな、少しでも腹を満たそうとして備え付けのピクルスと玉ねぎをみじん切りにしたやつをアホかというくらいに乗せる、たまにそれを奢って練習を頼むんだ。

 それでも相手が捕まらなければジムに行ってアマレスを探した。

貧しかった。

デカい男が同部屋に何人かで寝た。

信じられるか?まさかの2人部屋の4人使用だよ。

目を開けたら同僚の脚が目の前にあるんだ、まったく目覚めが悪いなんてもんじゃないさ、臭かったなぁ。

日本に戻ったころには全身の肌がマットによって擦れて固くなり、既にレスラーとして中堅の年齢となっていた。

ようやく私はグラップラーとして完成したのだった。

 

 「東海君、これからは教育者としてやっていく気はないのかい?」

 「それは私が弱いからですか」

 「それは違うよ、君はここの誰よりも強いじゃないか」 

 

 だが現実は甘くなかった。

 レスラーというのは格闘家でありながら一人のエンターテイナーなのだ、どれだけ観客に対して楽しんでもらえるのか、盛り上げられるのかがレスラーには重要なのだ、瞬殺をして盛り上げられるようなボクサーなどの格闘家とは訳が違う、どんな危険な技でも受けきり、盛り上げそこから逆転する、それが私達の仕事なのだが、どうやら私はその枠から外れてしまったらしい。

 私はとある信念を持ってここまでやってきた。


 ―プロレスラーは誰よりも強くなければならない。


 1970年代に掲げられたプロレス最強論、それを盲目的に信仰してきた私はそれに恥じない努力をしてきたはずだった。

 だが努力は正しい方向に向いてこそ成功という実を付けるのだ「レスラーは別に強くなくてもいいのさ」そういって当時の社長は俺を否定した。

 悔しかった。

 そう言われた事がではない、何も言い返せない自分に腹が立った。

それから私はグラップリングの大会に出るようになった。

 少しでも観客を増やそうとした結果であり、下隅を積んだ私に死角はなかった。 

 長年の間寝技に準じてきた私の努力はしっかりと身を結んだのである、始めは鳥肌が立つ程にうれしかったし、いくつかの雑誌から取材を受けたのは達成感もあったが、しかしプロレスラーとして世間から私は認められるとはなかった。

 

 「銭を取れないってことですかい」

 「……まぁな」


 苦々しい顔で言われたのを覚えている。

 私の存在は早すぎたのだった。

特別実力の無い若手がもてはやされて人気を得て、私は何時までもメインを張れることは無い、若手の投げを受け、打撃を受け、私が倒れれば歓声が上がり会場は盛り上がる、しかし私が覚えた技を出したところでその良さがわかるのはたった一部の箇所がざわつくのみ。

 現役時代の私であれば、如何なる選手であろうとコンマ数秒あれば関節を破壊することはたやすいだろう、どの角度からでも、どんな状況であっても私は極める事が出来た。

 現役時の私に寝技で敵う者は世界から見ても柔道家の鳳凰寺神星と他数名位だろう(今もまだ負けることは無いと思ってはいるが)しかしプロレスというのはショーなのだ、観客が理解できない技に価値はない、地味な関節を鍛え上げてもその凄さを理解できるのは一部のマニア位だろう、そいつらの為に私をリングにあげる位なら若い芽を排出していった方が興行的にも良い、そう考えてのことだろう。

 銭が取れてようやく一流のプロレスラーだ、強くなくても良い、リングの上で強く見えれば観客はそれでいいのだ、強さを求めるならばボクシングなり他の格闘技に変えればいいだけなのだから。

何一つ反論の余地のない正論だった。

育成側に回った今ならあの判断は理解できる。

 きっとあの立場であれば私もそういう行動をとっただろう、だからあの人を攻めるつもりはないし恨みなど在ろうはずもない、むしろあそこまで私に現役を続けさせてくれたことに感謝さえしているくらいだった。

 

 「もう……ダメなんでしょうな」

 「……時代なんだよ」


 それを告げられた帰り、私はその日初めて酒を飲んだ。

 別に禁酒をしていたわけではないんだが、そんな時間があるなら鍛錬に裂いた方が良いと思ったからだった。

 しみじみと美味かった。

 ビールの喉越しは爽快だった。

子供の頃に一口舐めた時には苦くてこんなものを大人は呑んでいるのかと思ったが、今はその美味さが分かる、あれは舌ではなく喉で味わうのだと言われてからは一気に好きになった。

 日本酒も良い。

 飲み会の時にはビールが良いが、一人の時には日本酒が一番だ、自分のペースでちまちまと飲めるのが好きだ、買ってきた牛丼の具に多めの紅ショウガの花を咲かせてツマミにするのが今のマイブームというヤツだった。

 これで自分がどれだけプロレス以外の事を知らないのかを知った。

強さという称号を追い求めた結果か……それは言い訳ってやつなんだろう、強さ以外に脇目も降らずに走り続けた証拠だ、煙草の紫煙に思いを馳せると走馬灯のように見えてくる。

 強くなりたかった。

 本当に誰よりも強くなりたくて、誰にも馬鹿にされたくなくてそれでプロレスの門をたたいたんだった。

 貧乏で取り柄が無くて、プロレスをやってなければきっと今頃はヤクザか浮浪者辺りになっていたのだろう。

 東海は大年寺と熊倉を眺めグラスに一升瓶の酒を注ぐ。

 また無言で飲み始める。

 注いで飲む。

 酒はいらないとばかりにおでんとツマミを食べる二人を肴に飲む。

 グラスを口に運んでまた自分で注いで飲む。

 東海は喋らない。

 

「さてっ……終わったかな」


一升瓶が空になった時、東海は立ち上がった。

それに気が付いたふたりは急いで頼んだ料理を平らげようとする。


「お前らはそのままでいいぞ、急いで食ったら体に悪いからな」

「お供しますよ酔ってるんでしょう」

「そこまで老いぼれちゃいないさ、これで喰いな」

「ありがとうございます‼」


万札を2枚ほど置いて東海はおでん屋を後にした。

それが大年寺と熊倉が見た生前の東海の最後の姿である。

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餓狼、天に牙を立てよ キャットテール @Tu114

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