第13話

 「あぁ何時もの東海さんだな、あれは相当きついんだよ」

 大年寺はそういった。

 熊倉は首を傾げながら大年寺を見た。

 

 「ありゃ打ってるんじゃなくて打たされてんだな」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔でリングを見る、過去に日笠と同じようなことをやられたのだろうか、大年寺はゆっくりと話し始めた。

 攻撃というのは間合いというものがある、近接戦に回し蹴りなどを使う事が出来ない、腕や足が伸び切る前に当たってしまえば威力は激減してしまう、当然距離が遠すぎてもそれは同様である、全ての技に適切な距離がある、いってしまえば格闘技というのは間合いの取り合い、位置取りゲームと言い換えてもいいだろう。

 それを東海は実に巧みに操っていた。

 前蹴りの後、咄嗟に連撃に走った日笠であったがそれは東海にとって悪手であったのである。

 ラッシュというのは回転率を重視するテクニックである、当然そのラッシュはある程度事前に頭の中で組み立ててから使われる、ならば受ける側もその手順を推測できれば当たるポイントや間合いを操作することで、出てくる技やダメージを操作することも可能だろう、しかしそれは飽くまで机上の空論であり、それをこなすには膨大な経験や身体能力が必須であるが、恐るべきことに東海はそれを可能にしていた。


 「しかも打撃自体はキッチリ当たっていやがる、ポイントは外しているからダメージは少ないのに本人は自分で打ってると思っている、だが相手は倒れてはくれない、それがより精神を蝕み始め攻撃を単調にする、そんな攻撃は東海さんには効くわけがない」


 東海の顔は真っ赤に腫れ上がっていた。

 どれだけ殴られたかが一発で分かる。

 信じられない、たとえポイントをずらされたとて鍛えた肉体を持つ男の攻撃に変わりない、恐るべきタフネスである、柔らかい脂肪と太い首が衝撃を緩和しているのだ、不死身なのかと思えるほどの耐久力である。

 恐怖しているのは日笠の方である。

 全力で打ち込む。

 東海は耐える。

 本気で蹴り込む。

 東海は耐える。

 

 「くっ……うぁ」

 「どうしたよ青二才、顔が真っ青になってんぜ」

 

 まさしく悪夢であった。 

 それなりに努力してきたつもりではあった。

 なんども怪我を繰り返し、汗を流し、それなりに挫折を味わいながらも今まで続けてきたのである、そこそこの結果も出してきたし並みの選手よりかは優れていると自覚している、それなのに東海に歯が立たない事に苛立ちが増加する。

 どうして。

 なんでだよ。

 どうすれば。

 苛立ちの中に悔しさと悲しさが混じり始める。

 最早ヤケクソの回し蹴りを繰り出した。

 

 「あがぁ⁉」


 背中に衝撃が走る。

 何をされたのか一瞬分からなかったが、蹴りを躱されマットに落とされたと感覚で理解した。

 寝技か⁉

 咄嗟に起き上がる。

 がっ駄目であった。

 日笠の意志とは別の方向に体が動き始める、東海が日笠の身体を操っているのだ、起き上がる力や歩こうとする力を利用し東海が思うようにコントロールしている。

 もうどうしていいか分からなかった。

 混乱している間に腕に痛みが走る。

 東海によって腕を取られたのだ、日笠の背後から片腕でハンマーロックという相手の腕を相手の背中側に引っ張り、捻り上げることによって相手の腕と肩関節を極める関節技と、自分の腕を相手の頭部に回して腕で相手の顔面を締め付けるフェイスロックを複合させ、その状態から両方の肘を締めるようにすると相手の肩と首の両方を一気に極める技である。

 チキンウィングフェイスロックというプロレス技であった。

 

 「ぎゅいっ……」


 悲鳴を上げる……いや上げる事すらできなかった。

 腕が折れたか。

いや折れてはいない。

 いつでも折れる、だがわざと泳がせているのだ。

 この腕の生殺与奪は俺が握っていると日笠に分からせるためだろう、意図は分かってもそれが怖かった。

 技としての知識は知っている筈だった。

 しかし腕を外そうとして東海の腕に触るも何がどうなっているのか、どういった場所を通って絞められているのかが分からなくなっている、片腕を必死に喉を絞めている腕に爪を立てた。

 しかしその瞬間により一層東海の腕に力が入る。

 ―絞め殺される‼

 日笠の首に幾本の太い血管が浮き出る、次第にミシミシと嫌な音が体から聞こえてくる、首を捻じる音であった。

 捻じられた方向にはリングの下で大年寺と熊倉がこちらを見ているのが分かった。

 何を見てんだよっ

 ギリッと歯の音を立てる。

 自分が下に見られているのが分かり大年寺を睨みつけた。

 まだだ、俺はまだ終われない。

 みていろ、直ぐに抜け出して殴りかかってやる。

ギィ‼

 ギィ‼

 と口の端から微かに声が漏れる。

 段々と四肢の端から少しずつ痺れが回り始める、次第に感覚が薄くなり動きが鈍くなり始める。

 あぁ酸素が無くなり始めているのか。

 日笠の思考が遅れ始める、酸素を求めて水面に喰いを出す鯉のようにパクパクと口を動かす。

 一瞬だけ。

 たった一瞬だけで良い。

 酸素を、脳に空気を送らなければ。

 視界にキラキラとした光が点滅し始める。

 これは死ぬ。

 このままじゃ負ける。

脳裏にマットの上で小便を漏らしたまま失神する自分が鮮明に映った。


「ぐいぃ⁉」


か細い意識の糸が途切れそうになった瞬間、ようやく日笠は痛みから解放された。

なぜだ、意識が落ちる一歩手前で解放されるたらしい。

前のめりに倒れる、思いっきり空気を取り込むと頭がクラクラと視界まで歪み始める。


「らあああぁぁ‼」


振り返りざまに東海に裏拳を繰り出そうとする、しかしそれは無常にも空を切った。

既に東海は起き上がっており日笠を見下ろしていた。

ならばと立ち上がると同時に東海に脚を取りに行った。

普段であれば決して選択する事のない方法であった。

レスラーに対して関節技で対抗するのは愚の骨頂だろう、しかし日笠の頭の中には東海に同じ苦痛を与えてやろうという感情がひしめいていた。

俺が味わった苦痛をおまえにも味合わせてやる‼

ガゴンッ‼

全力のタックルが完璧に止められた。

肌から伝わってくる感覚が自分の知る人間の物とは違う、肥満とも違う不思議な柔らかさが衝撃を包み込んだ、筋肉はある、しかし締まった筋肉ではない。


「ぐぎぃ‼」


 止めた瞬間に肘が日笠の頭部に打ち込まれていた。

 完璧に行動が読まれている、何をやっても東海の手の上で泳がされている気がした。


「こっからだぜ坊主」


ポツリと日笠に聞こえる声で呟いた。

東海は日笠のタックルを止めた状態のまま抱きかかえて、少し崩れた形のスープレックスを能着こむ。

多少崩れていても、掴めさえすれば東海は投げに持ち込める。

そこからの東海は早かった。

必死に抵抗する日笠を平然といなす。

ピキッ‼

日笠の膝から異音が鳴った。

弦が伸びる感覚が膝から脳に伝わってくる。

アキレス腱固めであった。


「ひぎっ‼」


今まで何度も味わった感覚。

何度も遭遇しながらも一歩手前で消える一線のはずである。

 腱がこれ以上伸びれば限界だ、そう激痛という形で伝えてくる。

あまりの激痛に意味のない言葉が口から洩れた。

ぐぎぃ

ぐぎぃ

ぐぎぃ

痛みで頭が朦朧としてくる、口の端に泡が溜まってそれがマットに零れた。

ミチッ

ミチッ

ミチッ

朦朧とする意識の中必死に東海を残った片足で蹴りつける、しかし腰の入っていない蹴りでは東海にダメージを与えるどころかグラつかせることすらままならない。

それでも蹴るしかない。

今までの攻防で体力が底を付きかけている日笠にはそれしか手段がなかった。

千切れる。

そういう闘いの筈だった。

日笠自身も決めた瞬間に折るつもりだった。

ならば東海も日笠の骨を、腱を、好きなようにする権利があるはずだった。

そう思い激痛を覚悟する瞬間。


「まだだよ坊主」


覚悟していた痛みは訪れず、代わりに開放という結果が日笠に与えられた。

その瞬間、日笠は東海の思惑をようやく理解した。


「畜生がっ」


涙を堪えながら悪態をついた。

始めから戦うつもりなどなかったのだ。

否、闘いにすらならないとこの場にいる誰もが思っていた。

決める。

離す。

決める。

また離す。

また決める。

苦痛と痛みが交互に与えられる。

寝技と関節技を交互に決められあと一歩のところでわざと開放する、仕掛けられるのが分かっているはずなのにそれを防ぐ事が出来ない、圧倒的な力量差で上から抑え込まれるのだ。

まさしく蹂躙という言葉がふさわしい。

 全身が小刻みに震えていた。

 ―畜生。

 ―糞。

 そう思った。

 ―嫌だ。

 何故こんなことを思っているのだろう。

 契約書を書いている時はこんなことは思わなかったはずだった。

 答えは簡単だった。

 東海を怖がっているからだった。

 恐れているのだ。

 負けるのが怖いからだった。

 ―負けたくない。

 ―勝ちたい。

 必死に思う。

 腕っぷしには自信があった。

 自慢できるのはそれくらいしかない、人生で褒められたのは格闘技くらいである、だからそれを鍛え続ける、それくらいしか誇れるものがないからだった。

 もしそれが折れたら。

 もし二度と闘えなくなったら。

 自分には何が残るのだろう。

 それを考えたら急に怖くなった。

 だからここに試しに来たのだ、自分に生きる価値はあるのかを確認しに来た。

 

 「東海さん‼」

 「もう時間です‼」


 リング外からの声が、朦朧となった意識を呼び戻した。

 ―ここまでなのか。

 力の入らない身体、日笠は思う。

 リングの上に放置されたまま、日笠は仰向けになった。

 指一本動かす事が出来ない。

 負けた。

 力が入らないというのに、涙は出てきた。

 体中が痛い、人体の損傷が激しいのだろう。

 日笠はゆっくりと眼を閉じる。

 屈辱だ。

日笠の中で消えかけていた火が、激しく燃え上がるのを感じた。

自分をここまで痛めつけた東海が、なによりも弱い自分が、日笠の内を満たした。

日笠明二がUFWの門を叩いたのは、これから半年後の話である。

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