ZERO 〜怨霊の定義〜
壱単位
ZERO 〜怨霊の定義〜
あらゆる電光看板、店頭のモニタ類、乗り捨ててある車のナビゲーション。それらが一斉に消灯し、じじっという音をたて、ふたたび点灯した。
画面いっぱいに女性の顔。大きな目に涙を溜めている。なにかを訴えようとするように半開きになっている唇。水の中にいるようにゆっくり舞い上がる長い髪。
<……つなぐ……どこにいるの>
一瞬、あらゆる音が停止し、そしてすべての音声装置が掠れた音を出す。
<わたしを……あのこを……たすけて……>
「おらあ本体でたぞ! 七番九番回線ひらけ!」
ただでさえ巨大な右腕をさらに怒張させ、赤鬼は肘を引いた。肩周りに装着されている対霊戦術装備の量子コアが唸りはじめる。
『いま札幌を接続してる! 少し待って!』
「なんだよ北海道神宮かよ! あそこのは気難しいぞ!」
『しょうがないでしょ京阪神のは全部使い切った!』
赤鬼はちっと舌打ちして左耳の感応通話装置を憎々しげに小突いた。と、足元の地面が隆起する。赤鬼が右に飛び退ると同時に爆炎が吹き出した。
受け身をとって回転するところへ、ビルの上からなにかの巨大な設備が落下してくる。瞬時に立ち上がり、両足を大きく開いて肘を引き込む。全身の血液が腕に流れ込む。赤鬼の目が光ったように見えた。
「うらあああ!」
亜音速で振り上げられた拳が落下物に接触した。破砕された破片が降り注ぐ。
「ゆきおんなぁ! 近場のハブはぜんぶ凍らせとけっつったろ!」
「できないわよ! あと雪女っていうな! あたしは氷の精だ……よっ!」
雪女の着物の白い裾がふわっと舞い、左右から突撃してきた無人運転の自動車をかわす。屋根に手のひらをあて、片腕一本で宙に舞った。そのまま屋根に立ち、息を吸い込み、パンと手をあわせる。
風景の色が変わった。灰色がかっていた街にしろい霞がかかる。ぴしっという音を立てて周囲三百メートルの範囲がゼロケルビン、すなわち絶対零度付近に誘導された。
「このあたりの内燃機関は止めた! ツナグは!?」
「さっきから見てねえ! どこかで潰されてねえだろうな」
軍用の小型無人機が五台ほど上空から凄まじい速度で落下してくる。赤鬼はまるで蚊を追うように手を振って払いのけた。雪女は直径四十センチほどの高圧線が鞭のように叩きつけられるのを身軽に避けている。
「やっとここまでおびき出したのに! ツナグいなかったら意味ないじゃん!」
「俺たちで足止めしとくしかねえだろがよ!」
『お待たせっ札幌と仙台が呼応したよ九番を開けて!』
通話装置から幼く聞こえる声が響く。赤鬼はふっと息を吐き、改めて力を込め直した。足元の地面が薄く光り、地脈を通じて力が流れ込む。
「接続完了、やっぱ重いな蝦夷の神々は。おいそっちからツナグ見えねえか」
『探してるけど被探知回避してるみたい。霊理も物理も閉じてるっぽいからたぶんあれの起動に時間かかってる……って……あっやばっ! ちょっとそれ使うかあ!』
「なんだ、どうした」
『戦術狙撃衛星の照準があんたたちに当たってるうう!』
「ちくしょおおおお!」
全速力で離脱する赤鬼と雪女。直後に周辺が発光する。巨大な光の束。ビル群の一角が溶解した。稲妻のような轟音が後からついてきた。
「地脈途切れるまで何分だ!」
『二分ちょっと! それまでに本体叩いて! 目の前の黒いビルの地下!』
「仕方ねえ俺たちでやるかあ!」
「一階吹っ飛ばして穴開けて! 支援する!」
左右の建物が膨張し、破裂する。二人は爆風に包まれながら走る。黒いビルの外壁が次々に降り注ぐ。雪女が周囲を凍結させて二次攻撃をふせぐ。二発目のレーザー狙撃がふたりのすぐ後ろに着弾し、叩きつけられながらその勢いのまま回転し身体を起こして疾走する。
「いち、にいの、どうりゃっ!」
赤鬼が右腕を振り上げると肩の装置が周囲の光を巻き込んだ。空間が歪む。色が消える。情景が裂けた。赤鬼が振り下ろす腕先から正面のビルに向かって黒い雷光が迸る。ビルの入り口付近がぶぶんと揺れ、爆発もせず消失した。
立て続けに周辺の道路が裂け、断ち切られた高圧線が不吉な唸りを上げて二人に襲いかかる。穴に向けて二人は全力で走る。凄まじい火花を散らす高圧線が接触する寸前、頭から穴に飛び込む。
偶然、地下へ繋がる階段付近を破壊したらしく、二人はそのまま転がるように三階ぶんを落ちた。即座に身を起こし、周囲を警戒する。
しずかだ。
地獄のような地上の情景と打って変わり、ぶうんという空調の音が目立つひとけのない廊下に赤い非常灯だけが灯っている。目の前に、頑丈そうな鉄の扉がある。
赤鬼がゆっくり前に進み、扉を開けようとする。鍵がかかっている。通常はパスコードと生体認証で開錠されるしくみのようだ。いったん力を緩めた赤鬼がふたたび、ふん、と息を吐きながら取っ手を引き抜く。開いた穴に手を入れ、強引に引く。耳障りな破壊音とともに厚さ二十センチの耐火扉は地面に放り出された。
広く暗い室内に無数の巨大なラック。背丈の倍はありそうな頑丈な設備に収納され、膨大なネットワーク機器が作動確認灯を明滅させている。微かに聞こえるファンの回転音。赤鬼は子供の頃に見上げた夜の空を思い出した。
雪女が進み出て、右手をかざす。広い室内が瞬時に凍結される。機器の大部分は作動停止したように見えたが、一部の作動灯が消えない。部屋の最奥部、もっとも大きい機器の付近だった。上下左右からさまざまな種類のパイプが接続されている。手前の操作卓がパイプオルガンの鍵盤のように見える。なにかの宗教施設にも似ていた。
「そこだね」
二人はゆっくりそちらに向かって歩く。周囲になんの動きもない。
「ようやく会えたね、澪さん」
雪女が独り言のようにつぶやいた。装置は反応しない。赤鬼は警戒を緩めず、静かに左の手のひらにちからを収斂している。
「移動は封じてある。あたしが引き出す。でてきたら」
赤鬼が頷く。対霊戦術装備、国家レベルの脅威評価を持つ怨霊にのみ適用される霊的破壊武装であり、これまで投入された実戦では事実上の決戦兵器として機能した。が、今回それが通用するか。
雪女が装置に手をかざす。なにかのことばを唱える。白く長い髪がかすかに輝く。髪とおなじ純白の着物のふちに薄く赤い模様が浮かび上がる。
「……澪さん、もう終わりにしよう」
そういった直後、雪女が電流に打たれたように背をのけぞらす。苦悶の表情。そのまま崩れ落ち、動かなくなった。
「おい!」
消えていたすべての機器が再起動した。狂ったように響くファンの音。装置に取り付けられている液晶モニタが点る。
<……だれ……あなたは……つなぐさんじゃない……>
「ちぃっ!」
赤鬼が飛び退る。物理的な攻撃の気配はない。しかし、彼の本能はもっとも警戒すべき危険を捉えていた。
両肩の装置が起動する。量子コアが唸るとともに蓄積していた神理力が彼の呼びかけに呼応する。右手と左手を交差させて前に突き出す。ゆっくり手のひらを開くと、その中心にあつまった白い光が装置に向けて射出された。この国を守護する存在たちが生み出し、先端科学で集約した、呪いとも浄化とも言える光だった。
装置全体が発光した。ずずん、という鈍い音。
次の瞬間、赤鬼は地面に転がっている自分自身を認識した。起きあがろうとしたが、左肩から斜めに切断された胴体が、指示を聞こうとしなかった。
ありえなかった。彼の強靭な肉体を切断することもそうだが、情報ネットワークを経由して何らかの装置や設備に影響を与えることでしか、生命をもった情報粒子、電網の怨霊となった澪には攻撃手段がないはずだった。しかしいま、彼がはなった攻撃は、間違いなく直接反転され、利用された。
何が起きたかは理解できなかったが、状況が絶望的であることは疑いようがなかった。感応会話装置も反応しない。雪女の状況もわからない。
<……つなぐ……さん……>
赤鬼は目を疑った。モニタの周辺がぼんやり発光し、それが集まりはじめ、やがて人の手の形となった。手はゆっくりと伸びてくる。やがて肩が現れ、そして……。
「繋さん……どこ……」
澪が、目の前にたっていた。
実体化だった。絶対にありえなかった。神話の世界のできごとだった。ひとの霊が物理身体を取り戻すなど、赤鬼は聞いたこともなかった。
地上のあらゆる電子ネットワークと情報とを利用し、すべてのエネルギーを制御することが可能な大怨霊。その実体化は、悪魔の拘束を解くことと同じ意味を持っていた。が、いまの赤鬼にはなにもできない。
怨霊、澪は、やや透きとおった両手のひらを不思議そうに見つめ、上にかざした。自分のちからを確かめようとするように。その表情が、やがて微笑にかわりつつあった。狂気の微笑。低い地鳴りが起こり始める。彼女は紅く、不吉な色に輝きはじめた。
赤鬼は、付近の地脈と霊脈が破壊されつつあることを理解した。と同時に、この街、そして国全体の電力が彼女に集約されつつあることを悟った。おそらく次の一撃はこの地上、そして広大な地下、つまり神霊界に決定的な打撃を与えるものになるだろう。
彼女が手を前に出す。絶望の光が宿る。高エネルギー体が生成される。
と、そのとき。
「……かむらぎかむらみのみこともちて……」
赤鬼は首だけを捻り、声の方を見た。
暗い入り口に、ツナグの姿があった。白い詰襟。襟元の神特隊の徽章。黒いベルトに刺した呪剣がわずかな光を反射して金色に輝く。闇の中でも彼の紅い瞳には、この世のものならざる色が浮かんでいるのが見てとれた。
「……繋さん……っ」
しばらく動きをとめてツナグの方を見ていた澪は、挙げていた手をおろして、ツナグの方へ歩き出した。やがて小走りになり、足が地を蹴るのをやめても滑るように移動する。
ツナグはなんの感情も宿らない表情を少しも変えず、わずかに腰を落とし、右手で左のひじあたりを支えるような動作をした。それは、攻撃準備にほかならなかった。
「……なにをするの」
ツナグは応えず、なにかを呟いた。
「すめみおやかむいざなぎのみこと」
長い前髪の間から彼女を見すえたツナグの目を見て、澪は理解し、反応した。走りながら何かを投げるように動かす。ツナグが立っていた箇所が陥没する。ツナグは横に飛びすさりながら壁を蹴って澪に向かった。澪は急停止し、その反動のままに身体を半回転させ、聖なる光を宿すツナグの掌底を受け止めた。
「つなぐさん……やっと会えたのに……」
「いかなきゃいけないんだ。君も、僕も」
二人はまばたきの半分ほどの時間で言葉を交わした。ツナグが澪の足を払う。一瞬早く澪はふわっと跳んでツナグの背後に立ち、両腕を回そうとする。ツナグは腰を折り、後ろ足で澪を蹴り上げる。澪がその足を右腕で掴み、そのまま振り回して投げ飛ばした。
壁に叩きつけられるツナグ。すでに準備を整えていた澪が即座にエネルギー体を射出した。紅い呪いの奔流がツナグに命中し、彼は声にならない声を出した。ずるっと地に落ちるツナグ。口元から血が一筋流れる。
「……あの子とわたしを、また、置いていくのね……」
ツナグは応えず、動かない。
「……どうしてなの。わたしが望んだのは、こんなちからじゃない」
そういって一歩、二歩、ツナグの方へ歩いてくる。
「わたしはあの子を護らなきゃいけない……わたしが、護らなきゃ……」
ツナグまであと少しという位置までやってきた、そのとき。
「赤鬼!」
ツナグが絶叫する。半身だけで転がっていた赤鬼が肩の装置をガンと叩き、なにかを起動する。振り向く澪。赤鬼の位置、雪女が倒れている位置、そしてツナグを頂点とする三角形と、それを逆にして重ねた模様。六芒星の中心に澪がいる。
ツナグが地を叩き跳ね起きる。片膝をついて両肘を引き、ガッと目の前で組み合わせる。
「神呪爆砕打撃機構起動!」
澪の両手が閃光を放つ。ツナグに届いたそれは、だが上下左右に逸らされた。走り出そうとする澪。しかし、模様の中心から動けなかった。
「神管一番二番開放! 対衝撃制御!」
ツナグの左手が変形する。筋肉かと思われた盛り上がりはやがて鋼のような色となり、巨大な銃のような形状をとる。と同時にその左右から爪のようなものが瞬時に伸び、左右の床に突き刺さる。左手は砲台となった。
「竜脈接続完了! 術式充填開始!」
銃の側面に彫刻されている複数の紋章が薄く発光し、順次後部へ移動していく。後端から白煙が噴射される。周囲の空気が歪む。室温が急激に上昇する。澪がツナグの方を見て、叫んだ。
「また、わたしをころすの……!?」
ツナグの目がわずかに揺らいだ。いま、澪とツナグの目のいろは同じであった。
「……対象確定、捕捉完了、射出準備よし」
「つなぐ……っ!」
澪がふたたび叫ぶと同時に部屋のすべての壁面が破裂し炎が吹き出した。炎がツナグを飲み込もうとする。ツナグの左腕の砲台が吸引音を発した。撃鉄がうごく。撃莢がスライドする。側面の紋章がすべて発光する。室内の空気が一箇所に集約する。静寂。
「つ……なぐ……」
「対怨霊多重刺突殲滅弾ヤマタノオロチ、射出!」
室内に閃光が溢れ、部屋はすぐに形状を喪失した。外部からは黒い三十階建てのビル側面が瞬時に吹き飛び、そこを起点として数キロにわたって光が走ったように見えた。光の経路は溶解した。形而下的存在も、霊的存在も、そのありかたを許されない咆哮。神代のひかりが一帯を飲み込んだ。
◇
「なにも俺たちに向けて撃つこたあなかろうが」
赤鬼はようやく元どおりになった腰のあたりをさすりながらこぼした。
「俺の身体が泥の木偶でなかったらどうするつもりだよ」
「多少は配慮した。戻ったのだから問題ないだろう」
「てめえ」
「あ、きたよ」
先ほど目を覚ました雪女が空を指差す。倒壊したビルの瓦礫の上で、三人は上を見上げた。
神域守護特種戦術小隊、略して神特隊の回転翼機が降下してくる。
『おおおみんな無事だねえ、さすがだねえお疲れさまああ』
スピーカーから響く声に赤鬼が顔をしかめる。
「なんで隊長が来るんだよ」
「現場を確認したいんじゃないの? ああお腹すいた。ハンバーグ食べたい」
「メシかよ。それよりツナグ、あいつは……」
「ああ、直前で退避した。おそらく大陸に分散している」
ツナグは左の手のひらをじっと見る。澪のことばがよみがえる。
また、わたしを、ころすの……?
ツナグは、どこまでも深い紺碧の空を黙って見上げた。
ZERO 〜怨霊の定義〜 壱単位 @ichitan
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