第6話 桃夭(若くて綺麗な桃の花)への応援コメント
これ、高校の漢文の教科書にありました。当時は花嫁御寮と桃の対比が美しいとしか思わなかったのですが、今読み返すと、いろんな意味でかなりビミョーな作品です……
第129話 蒹葭(アシヨシしげる あおあおしげる)への応援コメント
おまえ、ここまでのフリーダムさはいったい何だったんだ……と戸惑った記憶がありますw
作者からの返信
これは戸惑いますね。編集者!!!ってなりましたw
第128話 小戎(貨物輸送車五つの飾り)への応援コメント
子曰詩三百一言以蔽之曰思無邪(キリッ
たぶん宇宙猫になるのが気持ちよかったに違いないですね。
作者からの返信
いや、もう、なんか、うーーーー、せんせいのツボがわからないですね……。
第126話 車鄰(りんりんくるま)への応援コメント
おっ秦風……来ましたね秦風……
おめでとうございます……
小戎最高ですよ小戎……
みっつあとです……お楽しみに……
(おもいだしちへど)
作者からの返信
あ、ありがとうございます。
ふぇぇぇ、た、楽しみにしてます……!
第121話 鴇羽(ノガンの群れが コナラの木)への応援コメント
王事靡盬は国風と言うより、小雅大雅ですね。
あっちはもうどうしようもなく政治詩ですし。
いま調べたところ、
小雅鹿鳴之什 四牡
小雅鹿鳴之什 采薇
小雅鹿鳴之什 杕杜
小雅谷風之什 北山
にあるそうです。
大雅にはなかった。
作者からの返信
さっすが!仕事が早い!!素敵です!!!
なるほど、そりゃ見覚えないですわ。あってました。ホッとしました。これから出会うのを楽しみにしておきます✨
第108話 汾沮洳(かのフンかわの)への応援コメント
だから批判するのだとかこれとか、品がないですよねえ……
作者からの返信
ほんと、ねぇ……!? でもこの詩書いた人は「身体的な特徴には言及せず、あくまで比喩表現の範囲にとどめ、言及は行動(すぐにも変えられる要素)のみに絞る俺!マジで品がいい!!」って思ってそうだし、それはそれで一理あるし……なので、なんていうか「コイツとは気が合わねぇ!」にとどめておきたいなって( ˘ω˘ )❤︎
第105話 載驅(意気揚々と)への応援コメント
自由釈には、「なぜ自由釈なのか」なる背景を共有することが必要なのだろうな、と思いました……にゃーん。
作者からの返信
にゃーん。本当そうなんですよね……。意訳の範囲と自由に解釈するのは範囲がまるで違ってて……自由に読む(解釈する)のはほんと……ざっくりの時代背景を踏まえて、かつ、いつ誰が何をどのようにという縛りの中で合理的な範囲で自分が責任持てる範囲が”自由”という……。今回のは自由な解釈という範囲を出て「見たいものに従ってトンチをすると!」という自覚がありまくりなんですが、そういう自覚は大事にしたいものですね。
第74話 丘中有麻(子嗟さん)への応援コメント
波間せんせい基本的に高田センセー丸呑みです! もうちょい咀嚼して訳すればよかったなーとは思いましたが、まぁそれはそれ。
作者からの返信
波間先生コメントありがとうございます!ね、本当見比べるの大変ですよね。ところでこれは65年くらい前の本から持ってきたんですよ。一方「摽有梅」みたいにいまじゃ学説変わってるのもあるっぽいんですよ……!その辺ぐちゃぐちゃで読んでるんですが、まぁそれはそれですね。
第35話 谷風(たにまにそよぐ はるのかぜ)への応援コメント
大漢和辞典を見たところ、渭水が濁って涇水が清いのか、渭水が清くて涇水が濁っているのか、いちおう両方の説があるのですね。用例としては渭水が清い方が多いようですが、グーグルマップで見たら渭水の方が黄色く濁っているように見えました。
作者からの返信
こんにちは。いつもありがとうございます。
面白い視点ですね!この詩を作る時は河の清濁はあまり気にせず通り過ぎてしまった気がします。勿体無いところでした。助かります!
改めて調べ直したところ、昔からどちらが濁っているのか議論が絶えないのだそうです!どうやら基本的に渭水の方が濁っていて、涇水の方が清いそうです。ただし涇水中上流の降雨量が多い7〜9月は涇水に流れ込む土砂がふえるため、渭水より濁って見えることがあるらしいです。近年の開発によっても事情が変わりつつあるそうですね。おかけで一つ賢くなりました。ありがとうございます!
編集済
第40話 北門(帰ればかかあが)への応援コメント
俳句だー!!!
たしかにここまで凝縮しちゃうのもありですね…なるほど…ご紹介ありがとうございます、「あぁもうクソが」はお上品に訳しちゃダメだろうと使命感がw
スマホの見過ぎは目への負担がやばいですよね…自分も明らかにスマホ由来で視力が落ちました…
ご自身のお体を優先になさってください!
作者からの返信
ありがとうございます。熱出してダウンしてました(そういうことじゃない)。
詩経さん、その題材なら悲哀を詠もうよー!ってところで憤怒を詠んでくる印象ですね。ストレートな文体と相性がいいなぁと思いつつ読んでます。
目に来ますよね、お互い体を大事にいきましょう。
第35話 谷風(たにまにそよぐ はるのかぜ)への応援コメント
この詩経には大雅が含まれていないですね……「国風なら」2番目です。
最高ですよ皇矣とか……抑、桑柔とか……(思い出し身震い)
作者からの返信
えっ……あー、なるほど、そういうことなんですね……。ワーイ、タノシミダナー()
第18話 羔羊(かわはこひつじ しろいきぬいといつつ)への応援コメント
地獄の言葉センスが求められる詩……
各章二句目の文字配置をうまく繁栄できないと負けみたいなふいんきがあって泣いた記憶があります……(負けた)
作者からの返信
やったぁ勝ったぁ∩(>◡<*)∩(煽てられると木にのぼるタイプ)
>地獄の言葉センス
本当それです〜。海音寺潮五郎先生と北原白秋先生のカードが強かったですね。むしろ自力で立ち向かおうという心意気に負けたと思いました。こんなの素手では無理です……。
編集済
第3話 巻耳(はこべ採りましょ)への応援コメント
「采采卷耳」を「ハコベを採る」と訳していらっしゃいますが、普通漢文で重言は動詞ではなく、形容詞や擬音語で訳すことがほとんどです。
毛伝によったのでしょうが、この辺は考証学をやらないと全くわからないところです。
ちなみに名物の参考書は前のコメントに、増補して記してあります。
追記
戯訳だろうと、何だろうと構わないし、他者の訳を参考にするのはよいのです。
ただ、これは漢文を読む、または漢文の構造を掴んでいるかという問題なのです。
ここの重言を動詞で読むならば、少なくとも詩経中の重言を、これ以後の詩でも動詞で読むも言うことを意味しているということです。
さらに言ってしまえば、他で「〇〇名詞」というフレーズが出てきたときに、「〇〇」を動詞として読めることを表明していると言うことです。
漢文法的にそれはありなのですか?
他の用例にこのような用例が(少なくとも『詩経』に)あるのならば教えてくださいということです。
追記
それではこちらをお読みください。
采采卷耳。傅采采事采之也。瑞辰按、蒹葭詩、蒹葭采采。傳采采猶萋萋也。萋萋猶蒼蒼。皆謂盛也。蜉蝣傳、采采衆多也。多與盛同義。此詩及芣苢詩俱言采采。蓋極狀卷耳・芣苢之盛。芣苢下句始云薄言采之。不得以上言采采爲采取。此詩下言不盈頃筐。則采取之義已見。亦不得以采采爲采取也。芣苢傳采采非一辭也。亦狀其盛多之兒。
作者からの返信
重言、ここでは「采采」のことですね!「巻耳ヲ采リ采ル」「みみ菜󠄁とらむと山に行く」[1]を参考にしています。動詞として扱われている理解でしたが、論点はここではないように思います。
さて、私の訳は戯訳であり、例えば「高陽一酒徒」を「アサガヤアタリデ大ザケノンダ」、「洛中に袁拾遺を訪ねしも遇わず」を「東京本社ヲ訪ネレバ」とするのもアリとする訳です。そも慣習に従う気がないので、学者的な正しさを求めるとこの先めちゃくちゃ気になる訳が目白押しかと思います
( ´꒳`;;)いちおう妥協点を探すと「みみ菜採るとる 採るとるみみ菜」くらいでしょうか? 分からない草や重言は分からないままにしておく方がまだ元詩に近いと理解しました!
『毛伝鄭箋』は手元になく未確認です。すみません。
増補コメントありがとうございます! 指摘を頂くことで自分が何をしたいか見えてきますね。私は正しく理解することより、間違えていてもまずは読み進められることを最重要視したいので、間違えたままガンガン進んで、追って書籍確認させて頂ければと思います!
[1]海音寺潮五郎『詩経』 中央公論社、一九九〇年
1/8追記「漢文法的にそれはありなのですか?」えっと……? 少なくとも私よりkyobodoさんの方が詳しそうなんですけど、なぜ私に聞いた……?「漢文法的に『采采巻耳』を『巻耳ヲ采リ采ル』と読むのは誤りである。『〇〇名詞』というフレーズが出てきたときに、『〇〇』を動詞として読むことはできない」という主張であってます……?
「そうなんだ! ツユちゃんよく分かんなくて違えちゃったかも!? じゃあなんて読んだらいいのかなぁ、分からないなぁ。もっと詳しそうな人に聞いてみてね! 答えが分かったらツユちゃんにも教えてね☆」であってる? 「正しさは後で♡とりあえず読了」が目標の初見読者なのでもし間違えてるんだったらkyobodoさんに資料出して欲しいなぁ♡♡ せっかくカクヨムなんだから作品投稿で長文語って欲しいなぁ♡♡♡よろしくお願いします♡♡♡♡
編集済
第1話 関雎(みさご うたうよ)への応援コメント
中国と日本では同じ漢字でも、我々の思っている植物や動物が違うことがあります。
また、同じ植物でも古代と現代ではものがかなり異なることがあります。
そのへんは、博物学、名物学、本草学などをしっかりやらないと、全く違うものを想定することになりかねないのでご注意ください。
以下、参考に
水上静夫『中国古代の植物学の研究』
『詩経動植物図鑑叢書 』
潘富俊『詩経植物図鑑』
加納喜光『詩経 1・2 恋愛詩と動植物のシンボリズム/古代歌謡における愛の表現技法』
揚之水『詩経名物新証』
なんて本があります。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
確かに!?その辺り取り違えて歴史的に大変だった例とか聞きますよね。いちおう詩経の解説書見ながらやってるんですが、なにぶん古い資料が多くて……例えばこの詩だと手元の資料には「和名ミサゴ、俗名ウヨタカ」[1]とありますね!この詩に限らずもし最近の異説などありましたら教えてください!
[1]吉川幸次郎 注『中国詩人選集〈第1巻〉詩経国風』上下、岩波書店、一九五八年
1/8 追記ありがとうございます!すごい!とてもお詳しいのですね!これらの本を知らなかったので教えて頂き有難いです。
こちらは詩経を一度も読んだことのない人間がとりあえず通読を目標にしている記録です。一度にこれらを読み切ることはできないのでむしろ「まったく違うものを想定する」愚を許容して読み進めつつ、知識をアップデートして行く方が現実的と理解しました。したがってこの先いくらでも間違えをおかすでしょうが、ご容赦ください。馬鹿な初学者がいるなぁと思ってコメント頂けると、きっとコメントを読んだ賢い人が「なるほど違う動植物なのか」と理解を深めてくださるものと思います!
休止のおしらせへの応援コメント
ご自愛下さいませ…!