黎明
錆びた鉄の檻の向こうで、青白い顔の女はなに、と眉を
「なにか、用?」
「あんたたちと取引がしたい」
檻の外、少ない灯火に照らされた少年は似合わない仕草で自信なさげに自分の腕を抱く。
「はぁ?取引?」
「ペジレット。引き受けてくれるならあんたたちの仲間全部、ここから出す」
奇妙な感覚に襲われ、柵に近づいた。「ちょっと待って、あなた……もしか、ツェタル?」
少年はこくりと頷いた。
「ツェタル?
横の牢からジナスタも驚いて近づいてくる。
「アニロンがどうなったか、知ってる?」
「看守がほとんど全部交替して、察し、ってかんじよ」
「うん。ユルスンとドーレンが結託した。わたしたちはなんとかセンゲを取り戻して、でもまだ逃げてる途中」
「へえ。しぶとく生き残ったわけね。それで私たちに何を頼むつもりなの?」
「アニロン国内はこれからドーレン軍の駐屯が始まって逃げ場がなくなる。とりあえず
ペジレットは口を開けたまましばらく反芻し、それから腕を組んだ。
「匿う?私たちが?追われてるアニロン王を?」
「センゲはドーレン王に狙われてるんだ。そうでなくてもユルスンやメフタスは排除したいはずだ。正当な王が生きてるんじゃ具合悪いもの」
「都合いいねェ、アタシらをこんなカビ臭い豚小屋にぶち込んどいて、困ったら助けろと言うのかい?」
「あんたたちの目的はわたしだったはずでしょ。助けてくれたら、報酬分は仕事する。あんたたちの夢の建国も手伝う。それでどう?」
ペジレットは今は少年の姿のツェタルをじっと見つめた。
「……報酬分と言うけれど、こっちは一国の王の命を助けるのよ?しかも狙われてる厄介な。それに放っておいても何も影響ないのでなくて?アニロンの民はそれほどセンゲ・オーカルが大事なの?クンナク・ユルスンが新しい王になるなら、皆そっちになびいて忘れるのじゃない?」
「ユルスンはドーレンの侵略を招いた。きっとすぐにヒュンノールみたいになる。それをみんなが許すはずない。でも力では勝てない。アニロンを取り戻すのには、絶対にセンゲは必要なんだ」
「ヒュンノールで人を殺しまくってた筆頭のあなたが言う?
「今は、ちゃんとわかってる。どういうことだったのか……わたしが今まで何をしてきたのか」
俯いて
「危険すぎるよ。できっこない。アニロン王側の軍はどんくらいなのサ?」
「都のと集まった兵たちは、ほとんど捕まったか殺された」
「話にならないね、無謀のキワミだ」
「だから取引だと言ってる。建国しようとしてるくらいなんだからドクパにもそれなりに軍がいるんでしょ?一緒にアニロンを取り戻してくれるなら、センゲはあんたたちを迎えるつもりでいる」
「………………本当に?」
「いいと言ってた」
ジナスタはうぅん、と唸る。「だってさ、ペジ」
「……私たちはどこの国の奴隷にもならない。ドクパはドクパだけの国を手に入れる」
「ならその手伝いをする」
「分かって言ってるの、ツェタル。今の私たちが住む土地は誰からも見捨てられた不毛の地、
「同じじゃない。いきなり頭ごなしに戦うことない。頼んだり話し合ったりすればいいじゃんか。それにセンゲはドクパを受け入れたなら奴隷にするつもりはないよ」
「差別されるなら同じこと。でも、もし本当なら……そうね、私たちの女王エズライル様をアニロンの共同統治者にするという条件を付け加えるのなら、いいわ」
「共同統治者?」
「もしくはセンゲ・オーカルが女王の伴侶になるのよ。そうすればアニロンとひとつになってもドクパへ辛く当たれないでしょう」
「なるほどね、良い案だ」
黙りこくったツェタルを覗き込んだ。「無理ならいいのよ。でもあなたたちは追われて追い詰められて死ぬかもしれないけれど」
「ドクパが本当に助けてくれる保証は」
「自分から持ちかけておいてアタシらに証拠を出せってのかい?しかもこの状況で?」
「ツェタルは用心深くて賢いわ。でも取り交わす約束なんて、絶対に守るといくら
「そう、かもしれない」
「今言ったことだって、私たちが勝手に要求しただけで最終的に女王がどうなさるかは分からない。現時点での取引は私たち下っ端のドクパとあなたの約束事。けれど交わすなら、こちらはそのつもりで乗るわ。アニロン王を匿って助ける代わり、あなたの万物眼の力を差し出してもらう。建国を手伝わせ、女王の権威を高める。まず私たちはここから晴れて自由の身になれるわけだし、十分魅力的な取引に思えてきたわ」
「て言ってもサ、ここから出られても西に抜ける段取りはついてるんだろうね?」
出た直後に切り刻まれるんじゃ、とジナスタは周囲を窺った。
「朝までなら、へいき」
この
「さすがね、小さな恐ろしい魔女さん。でもあなたは最悪、センゲ・オーカルが王に返り咲く前に死ぬ。本当に後悔しないのね?」
「しない」
「……良いわ。チャンタンは私たちの庭。手負いの獅子を隠すのにはうってつけよ」
鍵を開け、
暗闇にカラスの大群が鳴き声も上げず飛び立つ余韻を聞きながら、もう一度胸に両手を当てた。
「…………イシグ。ごめん、何度も『入って』。アニロンを頼むね。みんなが辛い思いしないよう助けてあげて。ぜったい帰ってくるから、それまで待ってて」
さよなら、と呟き、
「まったく、やってくれるよ。最後までワガママなんだから…………」
イシグは苦笑した。懐に手を突っ込み、
「返すまで死ねないじゃないか」
これからこの国は荒れる。追われた獅子と小兎は果てなき荒野をさすらう。
「死ぬなよ、ツェタル…………」
数奇な運命を背負った少女にこれからどんな苦難が待ち受けるのだろう。傍にいて助けてやりたかったが、なんの力も無い己の責務はきっと、ここで移ろいゆくすべてを見届けることなのだと悟った。そしていつまでも待つ。正当なる王の帰還と国の復興を。
燃え上がる朝焼けを背に、ゆるやかに吹く風へ祈りを乗せた。
赤い縞瑪瑙のツェタル༄༅།གཟི་མིག་དགུ་པའི་སྤྲུལ་སྐུ།།༗ 合澤臣 @omimimi
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