12月26日 午前1時25分 ふじいし司法書士事務所


「だって、クリスマスだから……」


 謎の言い訳をする違法弁護士に白井はほとほとあきれ果てた。


 驚いたことに、宇佐見はさんざん飲んでいたにも関わらず、ポプラ公園のガード下まで車で来ていた。しかもそこは駐車禁止の場所だった。


 結局、待たせていたタクシーを急いで精算し、宇佐見の車を代わりに運転することにした。


 ――良かった。今日は右ハンドルの車だ。


 普段は車に乗ることなどない白井は、さすがに左ハンドルで首都高を走る自信はなかった。


 情けないと思いながらゆっくりと発進させる。


「ねえねえ、アサト。ケーキ一つ余ってるじゃん。コレ、どうするの?」


 助手席の宇佐見が後部座席を見つめながら言った。


「うん、フジさんにも持っていこうと思ってたんだ」


「えっ」


 驚いた宇佐見は、高そうな腕時計を見つめる。


「……もう一時だよ?あのミクロ書士、まだ仕事しているの?」


「うん。毎年そうだけど……年末にフジさんがテッペン超えない日はないから」


 ――。


 当然に、白井は友人に対して申し訳ない気持ちになった。


「ウサさん、このまま横浜に向かっても良いかな」


「あらら。やっぱり、そう来るのね」


「ごめん。けど、ウサさんだって飲んでるし……飲酒運転したら捕まるよ」


「わかったよ。アサトは本当に優しい子だねえ」


 宇佐見はそう言って笑った。


 横浜に到着する頃、晴れ上がった夜空に冬の大三角が輝いていた。



 ――。


 ふと、自分たちの姿に重ね合わせてみる。


 一番年長だから、フジさんがベテルギウス。

 一番派手だから、ウサさんはシリウス。

 僕は――こいぬ座プロキオン?


 思わず笑ってしまった。

 一等星なんておこがましい。



 藤石の事務所近くに車を止めると、宇佐見が、ああと声を上げた。


「ホルンに忘れ物したみたい。リナちゃんから電話が入ってたよ。アサト、オレ車で待ってるから適当に行ってきなよ」


「はあ、うん」


 言われるままに、白井はケーキの箱を抱えて藤石の事務所に向かった。


 一階のコンビニの明るさとは逆に、二階の窓からはかすかな光がボンヤリと見えた。主が必死でパソコンを打っているのが容易に想像つく。


 この時間に突然訪ねたら迷惑に違いない。だから白井は、少し手伝うつもりでいた。せいぜい、字面チェックくらいしか出来ないだろうけど――。


 さすがにチャイムを鳴らすのは気が引けた。軽くドアをノックする。


 反応はない。


 ――それもそうか。


 こんな深夜の来訪、怪しいに決まっている。


 ドアの前で、白井は藤石にメールで用向きを伝えることにした。


 その時だった。


「遅い!」


 ドアが勢いよく開き、部屋の明かりが一斉についた。


「寒い!」


 背後から突き飛ばされるように、白井は中へ転がり込んだ。


 ――。


 前方には、サンタの格好をした小柄な司法書士、後方には白い髭だけをつけた異国顔の弁護士が立っていた。


「な、何ですか……」


 すると二人は、立ち尽くす白井を放置して、突然いがみ合った。


「この、クズ弁護士!せっかくマッハで仕事を終わらせたのに、何時間待たせりゃ気が済むんだよ!」


「だって、ホルンのお姉さんたちが離してくれなかったんだから仕方ないでしょうよ!」


「しかもお前、白髭だけとか、舐めてんのか!このナリで一人で五時間以上待たされる俺の気持ちになってみやがれ!」


「わはは!何それ、可哀想!ウサちゃんのサンタ服は、ホルンのお姉さんに着せたまま忘れてきちゃった!」


「しかも、シロップがケーキ買ってきてるし!ハナからサプライズ失敗とかどういうことだよ!」


「だって、アサトがこんなにたくさんケーキ買うとは思わなかったんだもん!」


「買い過ぎだぞシロップ!まあ、俺が全部食うから問題ないけどな!」


 応接のテーブルには、豪華なホールケーキが並べられていた。それだけではない。チキンやサラダ、飲み物といった、いわゆるパーティーディナーが準備されていた。隅には小さなクリスマスツリーも飾られている。


「ふ、フジさん……これから何か始まるんですか?誰か来るとか?」


 ――もう、夜中の一時半なのに。


「いや、お前だけだ。シロップ」


 サンタになった藤石は、急にかしこまった。


「いつも無理な仕事を押し付けて申し訳ないと思っている。感謝しているよ、お前には」


 ありがとな、藤石が柔らかく笑った。


「アサト、こんなオレと仲良くしてくれてありがとうね。今日は目いっぱい楽しもう!」


 チビ書士のおごりでね、宇佐見がウインクを飛ばした。


 ――。


「あの、えっと、どうしてですか?これ、夢ですか?罠ですか?」


「完全に毒されているな。心配しなくても、今回は罠ではないぞ。たまには良いだろう?」


「結果的に罠にはまったのはチビ書士だしね!」


 ――クリスマス、か。


 白井は、並べられた料理を見つめ、胸元が少しだけ熱くなった。


 そして、この夜に出会った人々の顔を思い出す。


 自己満足なのはわかっている。


 それでも、少しでも彼らの想いに添うことができただろうか。


 今、この一瞬だけでも楽しく笑うことを許してもらえるだろうか。


 いや――。


 これは傲慢だ。


 結局、他人のためにした行ないは、自分が安心するためのものなんだ。


 ――許してください。


「シロップ、どうした?本当に心配しなくて良いんだぞ」


 困惑した顔で、サンタ服の藤石が白井を覗き込んだ。


「はあ、スミマセン……」


 すると、宇佐見がチキンに食らいつきながら言った。


「アサトは今日は色々あって疲れちゃったんだよ。チビ書士と違って優しい子だから」


「五時間も放置されて疲れちゃった俺だって、だいぶ優しいと思うがね」


 途端に白井は、藤石に申し訳ない気持ちが湧いた。


「ごめんなさい、フジさん……年末で忙しいのに無理させて。しかも着替えまで」


 ため息とともに眠そうな目が向けられる。


「良いんだよ。八時で仕事切り上げて、お前をもてなすって決めたのは俺だから。まあ、五時間待たされるのが事前にわかっていたら違う選択肢にしたけどな」


 藤石は白井にグラスを差し出した。


 ――。


「必死に生きるって何でしょうね」


「は?」


「あ、またアサトが鬱々モードに入った。さっきからそればっかりなんだよ」


 宇佐見が眉を八の字にした。


 せっかくの楽しい雰囲気を台無しにしているのはわかっているが、どうしようもない――。


 白井のグラスに、藤石がコーラを注いだ。


「必死に選択することだよ」


「え?」


「その一瞬の最良を選んで息をする、それだけだ」


「……」


「その選択が後になって間違いだとしても、選んだ瞬間は最良だったんだ。必死に選び抜いた選択に後悔なんかあり得ない。あるとしたら、その時の自分が適当に息をして適当に決めていただけってことだよ」


「フジさん」


「だから、今夜のことに俺は一切の後悔はない。お前も二度と謝るなよ」


 小柄な司法書士は、柔らかく笑った。



 ――。


 ようやく、白井は藤石と宇佐見に笑みを向けることができた。



「ありがとうございます――」



 今夜の巡礼に、後悔はない。


 そう思うことにしよう。



 その時だった。



「やや!これは一体?ウサちゃんセンサー発動!」


 泥酔した宇佐見が、突然白井の鞄からファイルを取り出した。


 それは、白井がコンビニの女性店員からもらった例の手紙だった。


「おやおや、白井くん。これは何の申請書類かな?」

「あらあら、アサトさん。原告はかなりお若い女性のようで」

「なるほどねえ」

「困ったねえ」


 小鳥のイラストが入った封筒を、二人の偽サンタが眺め回す。


 そして、再び柔らかな笑顔が向けられた。


「はい、白井サンタから寒さ吹っ飛ぶクリプレ頂戴しました」

「はい、多方面に連絡して聖なる証人尋問を始めまーす」


 クリスマスツリーが極彩色の光を放つ。


 白井はいつものソファに沈み込んだ。



 ――ああ、やっぱり独りでいたい――。



 

 【了】

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聖夜巡礼 ヒロヤ @hiroya-toy

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