第20話 祈りの霊峰
豪雨の中、友が自身の名を呼ぶ声を聞いた竜は、穏やかに目を瞑っていたゆっくりと双眸を開いた。
「鱗が、光って……」
心配そうに見つめるエレオスにオラシオンは大丈夫と言うように首を縦に振る。彼女を守っていた頬や腕にある鱗は一枚一枚浮かび上がっていた。それは雷雨の中の光を吸収し、豪雨の中でも眩い光を放つ。
――――ありがとう、エレオス。
再び訪れた魔力の波と一緒に穏やかな声が少年の耳に流れ込む。
――――ようやく、分かっった。
少女は一切口を開いない。波が少年に言葉を届けていた。
「オラシオン……」
身体中から浮かび上がる鱗が小さな身体を覆い、渦を描いて上へ上へと昇っていく。少女には、その小さな身体に収まり切らない大きな変化が訪れていた。
「あ……あぁっ!なんなんだ!なんなんだよその魔力は!」
空気を揺るがす魔力を恐れ、黒尽くめの手はろくに照準も合わせず銃を打ち続ける。しかし、どれも見えない障壁に阻まれ、その生命に届くことはない。
そして、一秒、全ての時が止まったかのように、雨も、風も、雷も、鳴り止んだ。刹那。
「ああああっ⁉︎」
「ぅっ!」
空を穿つ二槍の槍の如し輝きが、暗雲を、一掃する。
「っく!立って、らんねぇ!!」
地上にある全てを薙倒さんとする風が広がる。草木は平伏し、水はざわめき、黒雲は抗えず消え失せた。
「ぅ……っ、ぁ、ぁあ……!!」
風が止み、目を開いた少年の目の前には、シリウスの王冠を湛えた生ける霊峰。遥か彼方古より変わらぬ輝きを放つ一頭のドラゴンが、聳え立っていた。
「オラ、シオン……」
彼の意味。それは希望、それは願い、それは夢。幾重に積み重なる歴史の上に、オラシオン(祈り)を戴く竜はここに君臨する。
「ぁ……ぁ……」
ドラゴンは未だ銃を構え、眼下で震える小さなそれに声も無く首をもたげる。その顔は切り立つ崖に似ていた。紅く血を映す瞳にとって、銃を持ったそれの背は塵と等しく、また、この竜を撃ち殺さんとする鉛玉は無に等しい。そして、僅かに開いた口から見える牙に劈かれれば、身体は跡形もなく潰えるのは明白だった。それと真正面から向き合った悪意ある者は、この事実を受け入れる他無い。
「……ぁ……ぅ、おゆ、る……し、を……」
そして、それは細々と赦しを乞うと、とうとう銃を落とすと泡を吹いて気絶してしまった。
「オラシオン」
再び目隠しをした少年が名を呼び竜に歩み寄ると、竜はその長い首を更にもたげて少年に目線を向ける。悪意ある者には恐ろしく映っていたドラゴンは、真にドラゴンを信頼する者にはとても慈悲深く、ヒトを形取っていた時と変わらぬ柔らかさを垣間見ていた。
「ルルルル……」
漣のように穏やかなひと声を囁くと、竜はゆっくりと少女の姿に変わっていく。
「怪我をさせてしまった。すぐに治療をしなくては」
鋭利な爪を柔らかい肌の下に隠し、慌てた様子でオラシオンはエレオスの痣だらけになってしまった手を取った。
「こんなの全然平気。それより……オラシオン。実は言ってなかったことがあるんだ」
申し訳なさそうに、それでいながら決意を固めたような表情のエレオスに、オラシオンは一瞬目を見開く。しかし、すぐに穏やかな目でエレオスを見つめ返す。
「最初、『王族とか関係ない、恨んでない』って言ったけど、実はオラシオンを信じ切れていなかった」
堰を切ったようにエレオスの喉から言葉が溢れ出して止まらない。
「あぁ」
オラシオンはそんなエレオスを急かすことも、問い詰めることもせず、ゆっくりと相槌を返す。
「王族を信じるのが怖かった。もし怒らせてしまったら僕らはいよいよ終わりだって思ったから、愛想よく返した」
「あぁ」
いつの間にか目元を覆う布が許容できなくなった温かいものが頬を伝い出す。オラシオンは柔らかくエレオスを見据えたまま相槌を返し続け、彼の濡れた頬を指先の鱗に光纏わせながら拭う。
「でも、オラシオンは不器用で、怖がりで、優しくて、一生懸命で、いつからか疑う気持ちも怖いって感情も無くなって……」
声はガタガタと震え、強く拳が握られる。その手を鱗を纏った手がそっとほぐすと、嗚咽で乱れていたエレオスの呼吸がスゥと楽になった。
「オラシオンと遊びに行った場所は、今までの何百倍も輝いて見えたんだ。
けど、それでも……」
エレオスの拳が再び握られる。今度はギチギチと音が鳴りそうなほど強く握られる。
「最初に銃を突きつけられた時、あいつにオラシオンは酷いやつだって言われて、また疑っちゃったんだ。もしかしたらそうかもって、思っちゃったんだよ」
更にエレオスは頬を濡らし、襟元を濡らしていく。
「ごめん、っ、助けてくれたのに……僕は君を疑って……」
オラシオンにエレオスの目は見えない。それでも、彼は顔を歪めながらも真っ直ぐ目の前の竜と向き合っている。
「ああ、全て、わかっていた」
思わず息を止める少年を、竜も大きな双眸でまっすぐに見つめる。
「私も、君をずっと疑っていたからだ」
オラシオンは静かに声をかける。血潮で輝く瞳からは一筋の透き通る露がこぼれ落ちていった。
「とても怖かった。ディアンさんの所で二回目に会ったときから、一ヶ月は背中にいつも注意を張り巡らせていた」
小さな星が流れるように一筋、また一筋と朝露のような雫が流れ落ちていく
「注意をしていたから、君が怯えていることに気づけたんだ。君は半月経つまでいつも私に話しかけるときに深く息を吸っていた」
「そ、そこまで知って……」
「君は隠し事が苦手だ」
「うっ‥‥」
バツが悪そうに眉を下げるエレオスにオラシオンは首を横に振る。
「いい。それでいい。君が正直で素直なひとだから、いい」
瞬く雫を流星群のようにこぼしながら目を細めてオラシオンは微笑む。
――――なんて、綺麗な……
それは決して完成された微笑ではなかった。だが、彼にとっては、どんな美しい彫刻よりも彼女の微笑が美しく思えた。布に掛けられた魔法で、彼女の顔は視覚に送られる。しかし、それでは足りない。エレオスは初めて布で覆わねばならない自分の眼を恨んだ。
「……私は弱くて臆病だから、さっき君が殴られていたとき、その場にいたのに声も出なくて、足も動かなかった。言い訳のしようがない、君を信じ切れなかった愚か者だ。一つ間違えば君は死んでいたのに」
その顔は再び翳った。オラシオンのいつもなだらかな弧を描いている眉は歪み、唇はキツく結ばれる。美しい雫の流れは止まってしまった。まるで、自分には涙を流す資格など無いというように。
「違う。それは違うよ」
エレオスはオラシオンの頬にある鱗できらきらと輝く透明なそれを拭う。
「最後は僕を助けてくれたじゃないか」
「それは君が私を信じてくれたから……」
「僕だって同じだよ。正直賭けだった。でも、君は来てくれた。それだけでいい」
声は涙で枯れているが、その口元はいつになく朗らかに笑っていた。
「……っ、ありが、とう……」
思ったことがそのまま漏れ出た言葉はあまりにも陳腐で、意外性のかけらもなければ感動を呼ぶ名言でもなかった。
「こっちこそ、ありがとう、オラシオン」
掠れた声を聞いて、再び、紅い瞳に温かい水が戻る。
それで、それだけで良かった。あれほど恐ろしく感じていた言葉が、ふたりの傷に染み渡っていく。もう恐れは無かった。
「夢が、見つかった」
オラシオンははっきりと告げる。
「護れる存在になりたい。私は私の意志で、誰かを護れる盾になりたい」
雨で洗われた鱗は陽光の色に輝く。もう、一点の曇りも無かった。エレオスは眩く瞬く竜に強く頷く。
一面に広がる青空の下、歪んだ歴史を突き抜けて、姿形も違う彼らは手をとる。
後に彼らは知ることとなる。この国に、この世界に、隠されたものがあることを。
「第一条件はクリアした」
側頭に折れ曲がったツノを生やした男が、上空でふたりを見下ろす。その手は、ぐったりとしている何かが握られている。胴体と四足があり、頭部らしきものは着いているが、顔は塗りつぶされているように真っ黒だ。男は、その首元を雑に握っていた。
「次のフェーズに移行する」
男は手に持っていたそれを地上に落とす。
「――――⋯⋯――⋯⋯」
その黒い何かは着陸した途端、金属が擦り切れるような声を上げながら、立ち上がった。
その声に呼応するように、何も無かった空間に黒い穴が開く。
「――⋯⋯―――」
「――――――⋯⋯」
その穴から、次々と同じような顔の無い何かが出てくる。それらは最初に突き落とされた四足歩行の獣の後に続き、駆け出した。しかし、オラシオン達のいる高原には向かわない。
目指す先は辺境の小さな村、ヒーリィだった。
「果たして、お前達があの意志を継ぐ者なのか」
男は顎に手を当て再びオラシオン達を見下ろす。
その機械的な緑の眼からは、何も読み取れなかった。
追憶の旅路で —Lost Legend of World— アルマキ アルマ @ArumAki-ArumA
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