第19話 染みついた偏見

「ありがと~オラシオン様!色々なものが飛んでるっぽいから気を付けてね!」


 「はい、ありがとうございます」


 水かきが付いた小さな手に荷物を手渡し、オラシオンは郵便局への帰路へ立つ。しかし、平生の冷静さを保ちつつも、彼女には気がかりなことがあった。


――――さっき、銃声が何発も聞こえた気がするが……


 豪雨の中、銃声に慣れた耳が拾った発砲数は二発。しかし、滝のような雨の轟音が邪魔をして正確な位置が測れない。念を押して音が聞こえる度に全身を覆う結晶を生成したが一発も当たった形跡は無い。


――――聞き間違えだろうか。


 オラシオンは自分を疑いつつも、神経を研ぎ澄ませて異常を探す。しかし、雨であらゆる感覚器官が鈍っているとはいえ、村に異常は全くと言っていいほど見当たらない。


――――不自然だ。


 この村でも発砲があればボヤ騒ぎにはなる。それも無い。聞き間違いの線が濃厚だが、どうも嫌な予感がするのはこの豪雨の為か。

念には念を入れ、オラシオンが交差点で辺りを見回していると


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 ゴルゴーンの森の方へ繋がる道から、エレオスではない、一人の目隠しをした紫髪のゴルゴーンがずぶ濡れになりながらも何かを探すように首を左右に振りながらオラシオンの方へ走っていた。


――――森で何か……!


 思わずオラシオンが駆け寄ると、オラシオンの存在に気づいたゴルゴーンの少年は泳いでいた目をオラシオンにまっすぐ向け、加速して向かってくる。


「はっ、はぁっ、ぅっ、あっ!お、王族!げほっ!」


 オラシオンにたどり着くや否や少年は思い切り転んでしまう。


「一体何が……ひとまずこれを」


 オラシオンは自身の着ていたフード付きのローブと防水の魔鉱石を少年に着せる。少年は一瞬目を見開くと意を決したように口を開いた。


「っ、エレオスが!!エレオスが溶解液の入った銃を持ったヤツに連れてかれちまった!」


「っ!?」


 最悪の展開だ。溶解液が入った銃、エレオスと自分の関係性、相手の考えていること、脳内に展開されるあらゆる最悪の予想がオラシオンの恐怖を煽るが


――――そんなことを考えている場合ではない!


「彼はどの方角へ!」


「っ!?高原ッ、高原の方に行った!あそこは木もなくてゴルゴーンには逃げ場がない!頼む!俺たちじゃどうしようもできない!!」


 少年は震える手でオラシオンに縋る。その手をオラシオンは取った。


――――冷たい……!


 少年に触れた鱗の浮かぶ白い手は震え、酷く冷えきっていた。赤い目には恐れと迷いが混濁している。しかし、それでも


「駐屯所の場所は分かりますか!」


 オラシオンは豪雨に負けない声を上げる。


「っ、ああ!」


「騎士を呼んできて下さい!私は先に高原に向かいます!」


 少年が頷く。それと同時にふたりは逆の方向へ走り出した。


――――間に合え。


 彼が死ぬ前に、彼が傷つかぬ前に


――――彼が、裏切る前に。


 錆び付いた心に見ないふりをして、暖かい記憶を燃料に彼女は降りしきる雨の中を駆け抜けて行った。


 

 オラシオンが高原に辿り着くと、雨風雷が全て混ざり合い吹き荒ぶ草原にエレオスは転がされ、銃を突きつけられていた。

不意にエレオスへ銃を突きつけている黒い風貌のそれと彼女の視線が交わる。そして、顔が見えないはずのそれはオラシオンに挑発的な笑みを向けた 


「っ!」


 咄嗟に彼女は何の理由か、それに気づいてその場に伏せる。


――――今近づけば、どちらかが死ぬ。


 オラシオンのその予感は正しい。ただ、それ以上の原因として、オラシオンは動けなかった。自分のせいでまた誰かが傷ついている。それだけではない不安が、彼女の足に重い鎖をつけていた。


「交渉だ、ガキ」


 全身を黒一色で覆ったそれは、そう言いつつも銃口を少年の額から離すことは無い。


「アマルギート王第四子オラシオン・アマルギートを殺せ」


 エレオスは首を縦に振らない。


「では一族郎党諸共死ね」


 それもエレオスは首を縦に振らない。もしかしたら気絶しているのではないか。そう思い少年を殴ると「う゛っ」と鈍く声を上げた。


――――動けっ!動けっ!


 頭を抑えるエレオスに手を伸ばそうとするが、言い得ない不安がその指先を凍えさせ、唇を青くさせる。

黒いそれはエレオスが口きくことは無いとわかるとその態度が癇に障ったのか引き金にかかった指に力を入れる。しかし、まだ引きはしなかった。むしろ、銃口を額から外す。


「お前ら、王族に恨みがあるんだろ?」


 やけに甘ったるい声でそれは黒いマスクの下から囁く。オラシオンには轟音で何も聞こえない。ただ、彼女にとって身の毛のよだつ話であることは察することができた。


「先祖が王サマを裏切ったからって何万年も迫害受けて、お前もこんなヘンピな場所に住んでるんだろ?」


「なにが……言いたい……」


「そんな喧々するなよ。俺は救いの手を差し伸べてやろうってんだ」


 布に覆われた手が地べたに這う少年に差し出される。


「変えてやろうぜ。未来をよ」


 エレオスの耳に悪魔の囁きが流れ込む。復讐でもなく、恨みでもなく、甘ったるい“未来”という単語をエレオスに流し込んでいく。


「姫を殺せば未来が変わる。あれはな、小綺麗な顔をしているが、自分のプライドを守るために守ってくれた役員を退職させて、自分より弱いやつを肉盾にするようなやつだ。そんなのが権力を持ってみろよ」


エレオスは一瞬息を止めるが、首を横に振る。


「そんな事しない。オラシオンは誰かを貶めてまで人の上に立とうとしない」


 自分が見た彼女の姿はそんな下衆なものではないと、マナを指に乗せて微笑む彼女の横顔をエレオスは思い浮かべる。だが、それはエレオスの言葉を聞くと「ふはっ」と言うと大声を上げて笑い始める。そしてしばらく笑い転げると


「そんなの、演技に決まってるだろ!」


 そう罵った。マスクで見えないが、顔の下はにやけ顔であるとその声色で分かる。


「お前も一緒に過ごしてるならわかるだろ?王族は小賢しい。お前に取り入るのに最善の道を瞬時に選べるんだよ」


 オラシオンの時折見せる聡明さは、エレオスもよく知っていた。よく知っていたからこそ


――――頭の良さがあれば、あの不器用さだって……


「よく考えてみろ。完璧で冷徹なやつより、ちょっと馬鹿で間抜けな方が“親しみやすい”だろ」


 エレオスの心拍数が上昇する。呼吸が途切れ途切れになる。しかし、エレオスは誰にも聞こえない声で「大丈夫」。そう呟くと胸に手を当ててすぅと軽く、深く、息を吸うと彼の呼吸は穏やかなものに戻っていく。そして、彼は自ら地に足裏をつけた。


「お、やっと自分が何をできるか気づいたか」


ゆっくりと立ち上がるエレオスに、匿名のそれは手を差し出した。

不意にオラシオンは立ち上がる。しかし、黒い風貌のそれは、起き上がった彼女が何もできないのをわかっているように、いやらしい笑みを浮かべ、エレオスに手を差し伸べ続けた。


――――ぁ……


 喉から声が出ない。最後の心の穴が、声を出すための空気を抜いてしまっている。そんなオラシオンの様子をエレオスは知らない。吹き荒ぶ雨風に遮られ気づけない。エレオスは大きく息を吸い、顔を上げた。視線は布に覆われて見えない。しかし、目の前に差し出された手を彼は取らない。


「ほぉ~?まだ王族が怖いのか?弱虫だなぁ」


 それは嘲笑を含みながら銃で頬を軽く叩く。


「……」


 エレオスは微動だにしない。拳を握り、ただそこに棒のように立っていた。


「はっ、全く残念だ。奇跡のチャンスをみすみす棒に振るなんてな」


「それは違う」


「は?」


 ハッキリと否定の声をあげたエレオスに呆けて、ほんのわずかに黒い手の力が緩む。その隙をエレオスは見逃さなかった。


「そんな奇跡はいらない」


 向けられた銃を叩き退け、エレオスは勢いよく目隠しを取った。


「僕が欲しい奇跡はそれじゃない!」


 外気に晒される呪われた眼に、周囲の空気が電気を帯びる。


「僕はオラシオンを信じる」


「は⁉︎」


 それは少年とは思えない気迫に思わず後ずさる。その隙にエレオスは懐に潜り込み、銃を持つ手を押さえ込んで目の前にいる『敵』の目を隠すマスクに手をかける。


「クソッ!王族を裏切るのがゴルゴーンの本分だろ!」


「オラシオンが王族でも、僕が裏切りの一族でも関係ない!」


 ちっぽけな身体から発せられる声は豪雨すら貫くほど愚直なまでに真っ直ぐに響き、濡れ草の中で怖気付く友の鼓膜を揺らす。その声は染み渡るように友の足枷を錆つかせ、脆くしていった。


「姫が嘘吐きであってもか!」


「ぐっ!!」


 銃で脳天を殴りつけられ、エレオスはガクッと身体落とす。しかし、それでも膝は地に付かず目は閉じない。


――――エレオス‼︎


 オラシオンの心の中は叫びで満ちても、声を通す管には未だ穴が空いているように空気だけがヒューヒューと漏れ出る。足もまだ彼に駆け寄るには軋んでいた。


「こんなことをしても、竜の姫はお前なんか守っちゃくれない!」


「守って欲しいわけじゃない!」


 少年の叫びに竜は息を呑んだ。


「お前は強くなった今のオラシオンすら殺せる手段を持っている」


 エレオスは覆面の腰にある弾丸が大量に入ったウエストポーチを指差す。


「右サイドポケットには高濃度の溶解液弾が入っているんだろ」


「な、なんで気付いて……⁉︎」


「見えてるぞ」


 若草、夜空、黄金。それらが複雑に混ざり合った目は、ウエストポーチのサブポケットから僅かに覗く弾丸を捉えていた。今、エレオスに突きつけられた銃に装填されているのよりも大きくて金属の光り方も違う、別の素材で作られた弾丸だ。


「チッ、見てんじゃねーよ!」


 それはエレオスを振り払うと、ポーチからその凶悪な弾丸を取り出して装填し、再び銃口をエレオスに向ける。


「今ここで降参して姫を見捨てるだけでお前はこれを打ち込まれずに済むんだぞ!放り出しちまえよ、一般市民のお前に国民を守ることが義務の王族を庇う必要なんて無いんだ!あとから言い訳すりゃ優しいオヒメサマなら許してくれるだろうよ!」


――――その通りだ。どうしようもない庶民で、体も脆い僕はオラシオンを


 庇うことなんて無い。無謀で、無茶なことなんだ。下手したらすぐに死んでしまう。そもそも、こいつは国で一番硬い王族を殺しにきたのだから。

エレオスは荒い息を整える。


――――けど、だけど、それでも!


「僕は絶対オラシオンを裏切ったりしない!」


――――……


 叫びと共に、少年の目に宿った黄金の輝きが僅かに増し、彼の視界に魔力を充満させた。


「くそっ、捨て身かよ!」


 マスクさえ貫通する魔力の圧にそれが思わず銃を下ろすと、エレオスは銃を握る手を掴む。


「このガキァ‼︎」


 しかし、エレオスの手は振り解かれ、額に狙いを定めた銃口。その引き金が強く引かれた。


バンッ


 一発、死の液体が入った鉛玉が雨を裂く。距離はおよそ少年の腕の半分ほど、逃げられない。エレオスは自分の無力さに唇を噛みながら覚悟を決めると


パァン、ビシャア


 確かに、鉛が破裂して液体が飛び散る音がした。少年は久方ぶりに死を感じた。まだ見ぬ景色に思いを馳せながらも、その選択に後悔は無かった。しかし


「ぅ……あ、れ……?」


 目を開いた先に見えた自分の体は、擦り傷に塗れているがそこ原型の一切を留めていた。痛みもない、苦しみもない。なぜならば――――


詩の弾丸は一枚の透明な盾に防がれた。


「くそっ!なんで届かねぇ!」


 盾の存在に気づいていないそれは二発、三発と銃弾をエレオスに向かって放つが、盾の前には無力だった。その盾に傷一つつけることすら出来ずに弾丸は塵となり、紫色の液体はその輝きを蝕むことすら叶わず滴り落ちていく。


「はぁ!?」


「この盾は……うっ⁉︎」


 両者が動きを止めた刹那、一陣の風のように巨大な魔力の波が二人を呑み込んだ。


「一体なんなん、だ!っ……ぁ……」


 鼓動のように一定の感覚で訪れる魔力の風の中、顔を隠したそれは言葉を失う。


「ぅ……あ……」


 それはエレオスの存在など忘れ去ったかのように遠くを見つめ、手に持った銃をカタカタと震わせる。その視線の先には


「オラシオン」

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