第18話 逃れられぬ

 次の日には、巨人のような攻撃性のあるマナが闊歩する遺跡へ訪れた。古代戦争の痕跡だろうとされ、幾何学模様のように岩が抉れてできた峡谷だ。マナに見つからないようにしつつ、見つかった場合はオラシオンが素手で粉砕してくぐり抜ける。無事無傷で探検を終えた。


その翌日には、最も楽に行ける西の開けた高原で日向ぼっこをして一日を使い潰した。


その翌日には本屋に行った。オラシオンはとある航海士の伝記。エレオスは世界絶景一万選という写真集を購入。読み終えた互いの本を交換しながら、その日は読書に耽った。


そのまた次の日には村外れにある、やけに高い塔に登ってみる。廃墟であるそこは足場が脆かった。エレオスは階段を登ることができたが、オラシオンが登ったあとには見るも無惨に崩落した。帰りはオラシオンがエレオスを姫抱きし、塔から飛び降りて無事帰路についた。「内臓が浮いた」後にエレオスはそう語る。


そして今日は東にある建国の王が旅を始めた場所といわれる遺跡に赴く、はずだった。


「若いってすごいな……」


 少しだけ冴え始めた幼い表情を見ながらウィリアムは呟く。オラシオンは今日に限って昼を過ぎても家でシャクシャクと音を立てて果物を食べていた。

どうやらエレオスは家で何かがあるらしく冒険はお休みだ。


「俺だったら滝行った次の日に高原で寝るよ」


「そりゃあ、五百歳超えのウィリアムさんとピチピチ十四歳の姫様、エレオスくんだと比べ物になりませんよ」


「うっ!」


 ニカウレーの正論がウィリアムに突き刺さる。

オラシオンは気まずさを若干胸に抱えつつ黙々とウィリアムが剥いてくれた果物を食べ続けていると、何の前触れも無く窓の外が一瞬光りゴロゴロと音が鳴った。


「えっ!雷!?」


「そんな予報なかったはずだが……でもおそらく大雨になる。急いで洗濯物を取り込もう!」


 焦った三人は同時に家を飛び出し、あれよあれよと洗濯物を家の中に運び込む。


「ふぅ……間に合ったな」


 間一髪、最後の洗濯物を取り込んだ途端雨が降り始めた。雷鳴と豪雨が家を揺らす。


「すごい雨だ」


 滝のような雨を振りまく分厚い雨雲が太陽を覆い、今がまだ正午を回っていない日中であることを忘れさせる。オラシオンが窓の外を見やると先程まで談笑していた村人たちも自分の家に戻ったようだ。しかし、オラシオンは閑散とした村の中に、見知った白い髪の青年がずぶ濡れの身一つで荷車を引いている姿を見つける。


「ルシウスさん……!?」


――――防水具を、持っていない?


 オラシオンは洗濯物を置き、自室に戻ると少ない衣服の中で唯一フードが付いた上着を持ち出し、玄関へ向かう。


「おいおい!どこに行くんだ、危ないぞ!」


「ルシウスさんが濡れたまま配達していました。手伝ってきます」


 オラシオンの身体は勝手に動いていた。

「しかし……いや、お前が行けばきっとルシウスたちも楽になる。これを持っていけ、防水魔鉱石だ」


 言葉をグッと飲み込みウィリアムは玄関の戸棚から取り出した水色の石を三つオラシオンに手渡す。


「ありがとうございます」


 オラシオンは手をかざして受け取った魔鉱石を光らせると、風に煽られることも無く駆け足で吹き荒ぶ豪雨の中に飛び出して行った。


「うわっ、全くなんだよ!急に降り出しやがって~!さむい!荷物が濡れるー!」


 オラシオンは、大量の荷物を両手と羽と魔法で守りながら運ぶルシウスに駆け寄る。


「ルシウスさん!」


「えっ、オラシオン⁉︎あっ、防水のやつ!持ってきてくれたんだ!」


 唐突にあらわれたオラシオンにルシウスが驚いている間もなく、オラシオンはルシウスの首に魔鉱石をかける。


「ありがとう~助かったよ」


 ふうと息を吐いてルシウスは荷車にまで伝播する魔鉱石の力のおかげでお役御免となった翼をしまう。しかし、防水魔鉱石は風までは防げず、腕は未だ荷物を大事に守っていた。


「手伝います」


「いいの⁉︎めっちゃ助かる!ありがとう!実は郵便局にあのおっもいヤツがあるんだ!多分ヘンリーが戻ってるからそっち受け取って!」


「わかりました」


「ありがとう!!」


「あとでアイス奢ったげる!」とルシウスは去り、オラシオンも郵便局に走り出した。


 

 

 一方その頃、ゴルゴーンの村でエレオスはぐしょ濡れになった洗濯物を洗い直していた。 


「げほっ、ごほっ、ごめんね、エレオス。こんなタイミングで風邪なんて……」


 不格好に目隠しをし、熱に浮かされているのか顔色も悪いままよろよろとした足取りで一人の小柄な女性が洗い場にやってくる。


「母さん!寝てて良いって言ったのに!」


「急に雨が降ってきたから、エレオスが一人で洗濯物取り込んでるんじゃないかと思って……ごほっ」


 彼女はエレオスの母、エウロペだ。普段は大人しくも元気な彼女だが、今日に限って高熱に浮かされてしまっている。


「もう、気にしないで良いから!季節の変わり目で風邪もひきやすいし!」


「でも、いつも家事は分担してるじゃない……けふっ」


「病人に家事をやらせるほど僕は落ちぶれてないよ!」


 「寝て」と圧をかける息子に負け「ごめんね、ごめんね……」と沈痛な面持ちをしてエウロペは寝室に引き返していった。


――――全く。いつも無理ばかりするんだから。


 エレオスは洗い終わった洗濯物を干し始める。エレオスとガイアは親子ふたりでゴルゴーンの村で生活している。父の行方は分からない。エレオスが物心着いた頃には母とふたり暮らしていた。しかし、家族は二人ではない。


ゴンゴンゴン。


 雨音が薄い壁を叩く音とは別に、誰かが戸を叩いた。


「すまーん!ウチが雨漏りしちまったァ!雨が止むまで入れてくれェ!」


 聞き慣れた声にエレオスは洗濯物を放り出して戸を開ける。


「アニシィ!」


「あれ?エレオス、今日は出かけてなかったのか」


 戸を叩いた張本人の少年、エレオスの兄弟とも言えるゴルゴーン族のアニシィはは素っ頓狂な声を上げた。


「母さんが風邪ひいちゃってね。というかずぶ濡れじゃん!とりあえず入って、すぐ風呂沸かすから」


「わりーな」


アニシィは玄関で前髪を真ん中で分けた艶やかな紫の髪を絞り、黒い目隠しも一旦外して絞る。


「いやー助かったぜ」


風呂上がりたてのホカホカの湯気に包まれながらアニシィはガハハと笑う。


「そんなに雨漏り酷い?」


「おん、もーウチダメだわ。修理追いつかねェ。やっぱドワーフ製の家じゃねぇとキチィな」


 この村、否、集落といった方が正しいかもしれない。この辺り固まったに十軒程のゴルゴーンの家はどれも脆い。一般的なアマルギートの街や村ならば、ものづくりの種族魔法を持つドワーフ族が一人はいて彼らに建築を頼むが、ここにはゴルゴーン族しかおらず、自ら家を建てていた。


「今度修理手伝うよ」


「え、まじ?助かるわァ」


 温かい飲み物を飲みながら、二人の間には他愛のない会話が続いた。しかし


「あの、さ、もし間違いだったらゴメンなんだけど」


「なに?」


 アニシィが急にどもり始め、エレオスは首を傾げる。


「この前銃声がしたからってみんな外出禁止になってさ、解禁した瞬間、お前、いきなり結構門限ギリギリまで出かけてるじゃん?」


「うん、そうだね」


「で、一昨日だったか釣りに行ったとき、高原の方でエレオスを見かけたんだけど……」


 最初はあっけらかんとしていたアニシィは段々と俯き、語尾の声が低くなる。高原、エレオスはアニシィの異変に嫌な予感を覚えた。


「お前、最近王族とつるんでないよなァ?」


 ゆっくりと顔を上げたアニシィの口元は、引きつったように歪んでいた。


「っ⁉︎」


 エレオスはガタッと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。


「いやァな?親切なヤツが教えてくれたんだよ。お前と王族の一番のチビっぽいドラゴンの女が高原で日光浴をしてるってさァ」


 一昨日のことだ。一昨日は比較的ゴルゴーンの森と近い高原で二人は連日の遠出で溜まった疲労を日光浴で解消していた。


――――誰が、教えて……


 エレオスは、オラシオンと遊んでいることは兄弟にも近しいアニシィや優し

い母も含め、一族の誰にも伝えていないはずだ。


「なァ、違うと言ってくれ。お前が、ゴルゴーンが、王族なんかと遊ぶなんてこと、無いよなァ?」


 アニシィの声は縋るように震えている。


――――言えないに決まっている。だって、みんな王族を……憎んでいるから。


 憎しみはこの集落に蔓延していた。自分たちが前の村を不当に追い出されてから、ずっと。


「違わ……ない……」


 力を無く再び座るエレオスをアニシィは鼻で笑った。そして


「前の村を追い出された時、王族も騎士も助けてくれなかった!綺麗事を言っておきながら王族は俺たちなんて気にとめやしない!おかげで俺の母ちゃんはおかしくなっちまった!『王は我々を裏切らない』ってうわ言みたいにいつもいつも……おかしいだろこんなの!あいつらは裏切ったのに!」


 それは慟哭だった。アニシィはエレオスの胸ぐらを掴み、激しく前後に揺さぶる。


「お前も、おばさんの心配も知らないでクソみたいな現実しかない外ばっか見て、王族とつるんで……狂ってるに決まってる!」


 アニシィは机の上に置いてあった地理書を放り投げる。エレオスは反射的にそれを拾おうと手を伸ばすが、それも叩き落とされてしまう。


「外なんて見るな!希望を持つな!お前がつるんでたあのドラゴン女こそ、俺たちの苦労も知らず平和で豪華な暮らしをしてんだ!」


 ドラゴン女。オラシオンであろう存在を罵倒する言葉がアニシィの口から出たとき。


「違う」


 アニシィの慟哭を黙って聞き続けていたエレオスが、初めて声を上げた。


「は?何がちが」


「オラシオンはずっと命を狙われてた」


「何で王族が!」


「王族だからだ!」


 エレオスはドスの効いた声で言い切る。それは、兄弟同然で十四年間共に過ごしたはずのアニシィが聞いたこともないエレオスの怒りの声だった。


「エレ、オス……」


「オラシオンはずっと狙われていた!王族だというだけで溶解液を撃ち込ま

れて殺されようとしていた!ここ最近毎日銃声が聞こえてただろ!」


 エレオスはまくし立てる。


「あれは、ゴルゴーンを狙って……」


「違う。ゴルゴーンだって相手を石にはできるけど、銃弾は止められないだろ。なのにここのゴルゴーンは誰一人として怪我をしていないじゃないか」


――――こんなエレオス。見たことない。


 アニシィの足が竦む。


「王族と、オラシオンと話したことも無いままあの子を決めつけるな!」


 エレオスの気迫は、とても十四歳の少年とは思えない。

真正面から迫り来る圧に負け、アニシィは膝から崩れ落ちる。刹那。


バキィッ、グシャッ。ザァァッ。


「ぃっ!」


「っ!?扉が!」


 エレオスが振り向くと、玄関の扉が見るも無惨に蹴破られ、ポッカリと空いたそこから雨が家へ侵入して来ていた。


「チッ、使えねーな」


 横殴りの雨と共に押し入ってきたのは、種族も分からないほど全身を覆い、銃を携えたヒトの形をした者。辛うじてわかることは低い声で粗暴なひと柄ということだけであった。


「あ、あんたは……!」


「せっかく情報を流したっつーのに、本当にゴルごーんはグズだな。まぁいい。おい、そこの赤茶髪のゴルゴーン。俺の指示通りに動け。さもなくばお前を殺し、この一帯のゴルゴーンを皆殺しにする」


 それは偉ぶって言うとエレオスに銃を向ける。アニシィは動揺しながらも自分に目が行っていないと思い、目隠しに手を掛けると


バンッ


「目隠しを取ってみろ。目を瞑ってこれを撃ち続けるぞ」


「ひぃッ!」


 床に当たった弾が砕け散り、飛び散った液体が木製の板をドロドロの液体へと溶かしていく。


「……僕が言うことを聞けばいいんだな」


「そうだ」


 エレオスは両手を上げる。


「待って!あなた、ウチの息子をどこへ!げほっ、ごほっごふっごひゅっ」


 騒ぎに目が覚めたエウロペが寝室から飛び出す。その手は目隠しへ伸びていた。


「母さん!ダメだ!」


「ババアはすっこんでろ!」


「おばさん!」


 銃声が響く。


「伏せてッ‼︎」


「きゃあっ!」


 間一髪、アニシィがエウロペを突き飛ばす。銃弾は壁を貫通し、飛散した溶解液で大きな風穴を空けた。


「そこから動くなテメーら!動いたらこいつの命は無ぇぞ!」


 銃口がエレオスの額に充てられる。


「……着いて来い」


 それはふたりが動かないのを確認すると、銃をエレオスの額に充てたまま、外に向かって歩き出す。


「大丈夫。絶対戻ってくるから」


 エレオスはそう言い残し、豪雨の中へ消えていった。


「畜生……!」


「げほっごほっげふっ、あ、ぁぁ……エレオス……あなたまで……」


 伸ばした手は届かない。その手はどう足掻いてもあまりにも、小さく、無力だった。

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