第17話 栄光の大滝

 その夜のオラシオンは、早々に布団に潜った。そして、日が登っていない朝に布団から体を起こす。仲良く寝こけているウィリアムたちを横目に、「行ってきます」と呟いて玄関を出た。夜と朝が混ざったような空の下、昼間の賑やかさを忘れるような静かな村を通り抜けていく。村を出て一発撃たれたが、彼女は涼しい顔をして錬成したシリウス石の盾で弾を受け止めた。そのまま足を止めずに、村の傍にそびえる森の入り口へ早足で歩いていく。


「おーい、オラシオーン!」


 待ち合わせ場所の交差点でエレオスが手を振る。


「おはよう。エレオス」


「おはよう、説得成功してよかった。随分とその、大変だったみたいだったけど……」


 昨晩、エレオスにはリンクベルで飲み会の中で事の顛末を伝えていた。苦い顔をするエレオスは、どうやら酔っ払いにいい思い出がないらしい。


「じゃあ行こっか。滝はここの先だよ」


 エレオスが顔を向けたのはどう見ても道ではない。まだ日が差していない黒々とした森がそこにあった。オラシオンは怖気付きそうになったが、今は少し心がワクワクと浮き立つ余裕がある。


「行こう」


 オラシオンは頷き、ふたりは誰の手も加えられていない道無き道へ歩みを進めた。

森の中は鬱蒼と巨木が生い茂り、地面に出てきている根だけでも少年少女の背を優に超える。


「明るい……」


「すごい、この時間に来るのは初めてだけど、こんなに星植物が多かったんだ……ランプいらなかったな……」


 外から見た限りは暗く湿気っており足元が危ういように見えていたが、実際は昼間に吸収した光を放出している苔や、花弁から光を放つ花などがあちらこちらに自生しているために、ぼんやりとした光が暗い森を柔らかく色鮮やかに彩っていた。


「ぁ……」


 光を放つ小さな蝶に似た生き物がオラシオンの肩で羽を休め始める。


「あっ、フォレストライトだ。豊かな森を育てるマナだよ」


 〈マナ〉。それは自然から文字通り“生えてくる”生き物だ。川や海、山や谷などでそれらは生えてくる。生殖をせず、その環境によって様々な種類のマナが生まれる。この世界の生命は、マナを食べることで、肉体を保って血と意志を繋ぐ。マナは、生命の死体を喰らい、豊かな自然を生み出すのだ。それはこの大地が誕生してからの理であり、全てはこの理の中で受け継がれ、廻っている。


「フォレストマナは西に行けば行くほど大きくなって、西の国境あたりの森だと僕達の身長より大きいのが居るんだって。そうそう、スカボローの国にはもっと沢山の形をしたフォレストマナもいて、その理由はスカボローは森が豊かで複雑でジャイアント族が家を百軒建てても全然影響が無い古代樹林があるからとか!あ、北の国の……」


 世界各地のマナ事情、否、絶景スポットと文化を雄弁に語るエレオスの声は弾んでいる。時折、エレオスは国内外を問わずあらゆる場所の話をし出すようになっていた。つらつらと語り尽くす度に「話し過ぎた……」と彼はしょぼくれるが、その横顔をオラシオンは毎度止めずにじっと見つめていた。


「あっ、ごめん!また話し過ぎちゃった……」


 今回もオラシオンの視線に気づいたエレオスは自分の口を手で塞ぐ。オラシオンは首を横に振った。そして、ひとつの疑問を投げかけた。


「エレオスは遠くに行きたい?」


 オラシオンの真っ直ぐで、柔らかい視線に問いかけられ、エレオスはどうしていいか分からず俯く。


「……うん。いろいろな所に行きたい。それこそ、森の外だけじゃなくてアマルギートの外にも」


「エレオ……」


「なーんてね!この辺りの散策だけで僕は満足だから、別にいいん」


「私は良いと思う」


「っ!」


 逃げるように一歩前を行くエレオスへ、真っ直ぐな言葉が届く。


「良い、目標だ」


 恐る恐る振り返るエレオスに、オラシオンは微笑む。


「おかしいでしょ?」


 エレオスは顔を背ける。


「おかしくない」


 オラシオンはエレオスを見つめ、一点の迷いなくオラシオンは言い切った。


「眩しい、夢だ」


そう語るオラシオンの双眸は虚だ。ただ、夢を持つ者への羨望だけ、語っていた。


「手放しに叶えろとは言えない。でも、叶えて欲しいと願わずにはいられない」


「どうして……そんな!」


 憤ったような、歓喜に満ち溢れたような、押さえ付けていた感情が激しく入り混ざった表情でエレオスはオラシオンに向き直す。あまりの気迫に彼女は少し目を大きく開くが、震えるエレオスの呼吸に、すぐにふっと穏やかな表情に戻った。


「君の話はいつも希望と夢があって、聞いていて心地良い」


 身動きが取れないエレオスに、お構いなくオラシオンは続ける。


「エレオスが言うほとんどのものを私は知らない。知っていても、それは教本に載っている地理学的なものだ。エレオスの話す世界を思ってもみなかった。だから、楽しい」


 オラシオンは緩やかに微笑む。エレオスは手で顔を覆ってすぅと大きく息を吸う。


「変じゃない?ゴルゴーンがこんなんで……」


 とうとう抑えきれなくなった疑問を恐る恐る問えば、オラシオンは至極当然のように口を開く。


「それがエレオスだと思うから変じゃない」


 オラシオンはまたしても言い切った。


「そ、っかぁ……」


 自分の顔が熱くなっていくのをエレオスは感じる。抑えなければと思う度にその言葉が反響して止まない。


「あっ、その、私は話すことが苦手だから、今ので傷つけてしまったら……」


 赤くなった耳を抑えながら外方を向くエレオスを、オラシオンは眉を下げて覗き込む。


「ああっ、平気平気!ちょっと驚いただけ!むしろ……嬉しかったよ。いつもうるさいって言われるから……ごめんね、ありがとう」


 慌てつつもはにかむエレオスに、オラシオンは胸を撫で下ろす。すると、もう片方の肩にも、一匹のフォレストライトが乗って来た。


「綺麗だ……」


「うん、そうだね」


 僅かに微笑むオラシオンの頬にある鱗が、若草色の光を反射して柔らかな新緑を映す。まだ目的地には到着していないが、既にこの森の景色ですら彼女の心に染み渡っていた。


「この先の滝はまた違う良さがあるよ」


 ふたりは再び森の中を歩き進める。自分より背の高い木の根を飛び越え、倒れた木の上を通って川を越えて歩き進めていくと、朝日が森に差し込んで来た頃、段々とザザザザという音が近付いてくる。


「滝の音……?」


「そうだね、でももう少しかかるよ」


 歩みを進める度に滝の音は轟々と増していく。しかし、なかなか辿り着かない。足音をかき消すほどの轟音だというのに滝の姿は見えてこない。


『もう見えてくるよ』


 咆哮のような轟音に遮断され、もう声は聞こえない。エレオスの口の動きをオラシオンは読む。目の前の木々の間から差し込む眩い光が、轟音とそれに伴う風圧が、ふたりを呼んでいた。


「っ……!」


 そこに広がる光景は、オラシオンの想像を遥かに超えていた。

山を削ぎ落としたような巨大な崖の端から端まで水が絶え間なく流れ落ちていく。水が落ちていく先は底が見えないほど深いのにも関わらず、水が地面に叩きつけられる轟音は聴覚を支配していた。


――――ここにはエレオスと私以外いないはず。けれど、これは……


 命の気配が、ひしめいていた。多くの命が水と共に流れているような力強い何かが、オラシオンの存在を気にすることも無いまま流れ落ちる。果ての無いそこに自分が成すべき使命があるかのように、水は先へ先へと突き進んでいく。


――――目が、離せない。


 小さな竜は滝を見つめ続けた。そこに、自分の求める何かが確かにあるように彼女は思えた。


「すごかったでしょ、大滝」


「とても、とても……すごかった」


 帰り道、元来た道を歩きながら、オラシオンは満ちたようないつもより力強い声で、もう音も聞こえなくなった滝へ思いを馳せる。


「僕もあそこは何度行っても圧倒されるよ」


「何度も来ているのか」


「うん、何だか引き寄せられるんだよね」


 その言葉をオラシオンは理解出来た。オラシオンも既に、あそこにあったものを肌で感じるためにもう一度滝を見たくてたまらない。


「圧倒されるんだけど、引き込まれる。それが怖いっていうひともいるし、近づきたくないひともいる」


エレオスは木の根を飛び降りる。


「でも僕は好きだよ、そういう場所。あまり誰かに流されるのは好きじゃないけど、あれになら呑まれてもいいと思う、なんてね」


 冗談めかしくエレオスは笑った。


「私も、あの流れが好きだよ」


 しかし、オラシオンは笑わなかった。エレオスはオラシオンの真っ直ぐな声に、今度は朗らかに笑う。


「他の場所もみんなそんな感じだよ。でも、ちょっとずつ違う。また新しいものを見に行こう」


 オラシオンは頷く。エレオスと共に訪れる場所には、自分の求めるものが眠っている。オラシオンはそんな気がしていた。

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