第16話 感情に名前をつける

 二人は駆け下りディアンと合流した。いつの間にか軽口で会話をするようになっていた子どもたちにディアンは少々目を見張りつつも、何も言わずに鉱石の載った荷車を押し始める。ディアンが巨大な荷車を牽引し、オラシオンが後ろから押して、エレオスが誘導することで無事に大量の鉱石をウィリアム宅へ鉱物を運び込んだ。ウィリアムはディアンにしこたま怒られた。


「ほれ、駄賃だ。好きなのをふたつ選べ」


 帰り道に立ち寄ったスウィーツ店には、小さなカップに収められたケーキが数十種類、所狭しと並んでいる。流行のスウィーツなど縁が無かった子どもたちは目を輝かせ、各々の望むものを店員に伝える。オラシオンは少し躊躇ったが、息を呑んで特に惹かれた茶色と白のケーキを選ぶ。


「オラシオン様は甘いものお好きですか?」


「えっ?」


「いえ、深い意味はないんですけど、その……美味しそうに食べるなって」


「ぁっ……」


 今まで必死で生きてきて、彼女はあまり好きも嫌いも考えては来なかった。しかし、思い返せば甘いものを見ると思わず目で追ったり、稀に食べるお菓子はどれも特別美味しく感じていたことに気づく。


「……好き、だと思います」


 オラシオンは手に持った歯形付きのケーキを見つめてしみじみと言う。


――――甘いものを食べると浮ついて不安定で、少し恐ろしいような気がしていた。しかし、これが好き、なのか。


 感情に名をつけた途端、食べかけのケーキすら彼女には輝いて見えた。思わず見惚れていると、エレオスは「あっ」と声を上げて立ち上がる。


「そろそろ帰らないと門限が……!」


「もうそんな時間か。悪いな、手伝わせて」


「いえいえ、こちらこそ楽しかったです!ケーキありがとうございました!オラシオン様も、また!」


「ぁ……」


 エレオスはそう言い残すとケーキの残りを口に詰め込み駆け足で森へ帰っていった。オラシオンは呆然とその背中を見つめることしかできない。


「……俺たちも帰るぞ。頭も落ち着いただろう、もう一度魔力が不安定な原因を洗い出すぞ」


「は、い!」


 ディアンがケーキを放り込んで歩いて行くのを、オラシオンも駆け足で追いかけていった。

 

 

 

 

 その後の修行は順調の一途だった。結晶の生成は安定し、次の日にはもう一つ段階を上げることとなった。同時にいくつもの結晶の生成だ。朝から晩まで漬け込んでおきながら、それらを余すことなく経験として吸収するオラシオンの集中力と分析力は恐怖心に隠れていた彼女の真髄と言えるだろう。

一日目には大きさが全く違う二つ、二日目には均等な大きさで二つと、トライアンドエラーを繰り返しつつもこれらを三日、四日と着実に積み重ねることで次第に同時生成に慣れていった。そして、一週間が経つ頃には十個の結晶を同時に安定して作り出すことができるようにまで成長している。そこからさらに、任意の形への錬成、それの複製など着々と彼女の技量は上がっていった。


「おはようございます。ディアンさん、エレオス」


「おはよう」


「おはよう、オラシオン」


 そして、いつしかエレオスも朝から採掘坑に足を運ぶようになっていた。ディアン曰く「前も毎日朝から手伝いに来ていた。むしろ最近の方が遠慮していたくらいだ」という。オラシオンが申し訳ないと謝ればエレオスは「なんで言っちゃったんですか!」とディアンに怒っていた。


「今日も銃声が何発か聞こえたけど怪我してない?」


「ん、大丈夫。溶解液も飛散していない。周りも安全」


「そっか、よかった。全く恐ろしい世の中だね」


 彼と数週間共に過ごし、やはり様付けに違和感があったオラシオンが「呼び捨てでいいです」といえばエレオスも「僕もさん付けいりません!」となり、結果的に双方敬語もなしという運びになった。二ヶ月と半月の間ほぼ毎日ともに過ごした今では、軽口を叩き合う仲になっている。


「今日は何発撃たれた」


「十発です」


 そう言い放つオラシオンの顔は冷静で、鍛錬を始めた二ヶ月前に比べると情緒も表情も安定している。現在は十個の同時生成からさらに研鑽を積み、自身と同じ高さの板を反射的に錬成できるようになり、並の銃で撃たれた溶解液の弾程度ならば容易に防げるようになっていた。


「なかなか身になってきたようだな。かなりの速度で上達しておる。毎日魔力がからっけつになるまで鍛錬してきた甲斐があるではないか」


「ディアンさんのご指導の賜物です」


 深々と頭を下げるオラシオンにディアンは「お前は親父似だな」と呟くと立ち上がり、オラシオンの目を見据える。


「小娘、そろそろお前の目標は達成に限りなく近くなっているが、この先はどうする」


「この、先……」


「もう、お前のことを傷つけられるような暗殺者はそうそう現れん。お前は成長した」


 「自分の身は自分で守る。誰かに迷惑はかけない」その目標は確かに盾の錬成ができるようになったことでほとんど達成したと言えよう。銃声に素早く反応する反射神経もディアンとエレオスの協力の元、十分に育った。もう影から狙撃してくる暗殺者を恐れる必要はない。しかし、壁を越えたその先。自分がしたいことを、彼女はまだ得ていなかった。


「まぁ、その内都市一つをあらゆる災いから守る技能を身につけねばならんが、それはロストドラゴンにしか教えられん芸当だ。ただのドラゴンである俺ではどう頑張っても規模が劣る。故に教えてやることはできん」


 オラシオンは血の気がひく。自分の意志などせいぜい「生きたい」ということだけで、生きて何がしたいかなど彼女には皆目見当もつかない。目先の目標も達成し、とうとう本当に虚な竜となってしまったのだ。彼女はそれを自覚した。


――――あぁ、そうだ。私は王族。王城で勉学に励んで国の礎となるのが王族の使命。


 空の心に機械的な思想が入り込む。目の前にある国の壁としての役割。それこそが王族が生まれてから王城に住み、血税を使って一流の生活をしている理由だ。


――――戻ら、なくては。


 オラシオンが冷たい唇を開こうとすると


「んー、まだ王都に戻るには勿体無いと思うな」


 エレオスが呟いた。


「……どうして、そう思う?」


 オラシオンが控えめに問うと、エレオスは森の奥へ指をさす。


「オラシオンはこの先の滝を見たことはある?」


 オラシオンは首を横に振る。


「それじゃああっちの渓谷は?」


 今度は真逆の森を指さしてみせる。オラシオンはまた首を横に振った。南の滝、北の渓谷、西の丘に、東の遺跡。さらには地下の洞窟に、崖の上にある謎の塔など、エレオスの指がさす方向にあるらしいもの全てをオラシオンは知らなかった。


「じゃあ見に行こうよ。僕は王都に行ったことないからわからないけど、地理書を見た限りきっとどれも王都には無いと思うよ」


 エレオスが楽しげに語るその冒険の誘いは、少女の空虚な心を好奇心で躍らせた。


「行って、みたい」


 オラシオンがそう言うと、エレオスは途端に浮き足立ち「全部面白い場所だよ」と笑ってみせる。


「良いんじゃないか。知らないもの、見たこともない景色はきっとお前に良い経験を与えるだろう」


 「あの過保護者たちの説得は手を貸そう。どうせあやつらは止めるに決まっている」とディアンの協力も得て、オラシオンは再び味わう未知へ、今度は恐怖は控えめに胸を膨らませた。




「本当にふたりで行くのか?危ないんじゃないか?せめてルシウスたちが休日の時に行くとか……」


 その日の夜、門限で帰宅したエレオスに託され、ディアンとオラシオンはウィリアムの説得をしていた。しかし、かれこれ長い針が一周回りきってもウィリアムはなかなか首を縦に振らず、説得は難航を極めていた。


「バカタレ。こういうのは子らだけで行かせるからこそ価値があるんだ。しかも、こいつらはもう十四だぞ。ギルドに登録して働くこともできるんだ」


「それはそうだが、ただでさえ狙われているんだぞ。万が一があったら姉ちゃんに顔向け出来ねぇよ……」


「だぁかぁらぁ!俺のリンクベルを持たせると言っとるだろうが!」


「それでも間に合わないかもしれないだろ~~!」


 ウィリアム宅の庭で軽い飲み会から始まった説得会は長引いたこともあり、中年親父ふたりは酒が回ってカントリーな庭は混沌とし始めている。


「わぁ、ベロンベロンじゃん……」


 ニカウレーは呆れつつも持ってきた水を酔っ払いたちへ差し出す。オラシオンは始めて見る酩酊した者の状態に若干引き気味だ。


「私は良いと思いますよ。目に見えて姫様は強くなっていますし、一人ならともかくお友達がいるのでしょう」


 オラシオンに橙色のジュエルフルーツを絞ったジュースを手渡し、ニカウレーも同じものを一気に煽る。


――――とも、だち。 


 おそらくそう呼ぶに相応しい関係なのだろう。兄姉はすでに成人しており、王城には子どもはいない。騎士と姫、従者と姫など決まりきった関係の大人に囲まれたオラシオンにとって新しい関係にどこかむず痒い気持ちになる。


「友達と遊ぶのに大人の同伴なんて無粋です!私も過保護な方と自覚していますが、ウィリアムさんは行き過ぎですよ!」


「ほれ、ニカウレーにも言われとるぞ」


「うぐぅ……」


 ウィリアムは二対一の劣勢となり、オラシオンは逆に申し訳なくなってきてしまう。そして、ウィリアムはジョッキを持ちながら一旦俯いたかと思えば、絞り出すような声で呟く。


「日が沈むまでには帰ってきなさい……」


 ウィリアムは折れ、ディアンは拳を掲げる。オラシオンたちの勝利であった。

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