第15話 再会、恐れるなかれ

 翌日から、オラシオンはディアンの元で朝から晩まで魔法の鍛錬を怠らなかった。集中の度合いが過ぎて「昼飯くらい食え!」と言われるほどオラシオンは打ち込み続けていた。日々オラシオンに付き合っているニカウレーの日記には「今日も姫様の朝から晩までの訓練に付き合ってました。着々と魔法が上手くなってます。ヒーリィのご飯最高!おわり」とだけ記してあるページが増え続けている。


――――一刻でも早く安心して過ごせる日々が欲しい。


 オラシオンはその一心で一日一日の全てを研鑽に充てていた。彼女にしたいと思えることはそれしか無かった。毎日魔力嚢が空になるまで生成をやめず、日が暮れる頃に帰宅しては風呂と夕飯を早々に済ませて気絶するように眠っている。課題を入念に潰してきたオラシオンだったが、どうしても越えられない壁に当たっていた。


「研鑽を怠っていないのはようわかる。だが……」


 鍛錬を始めてから十日あまり九日たった昼過ぎ。丁寧に並べられた三百あまりの鉱石を見つめ、ディアンは顎へ手を当てて考え込む。それらは大きさで三種類ほどに区分けされて陳列されている。しかし、種別するなら最低五十種類には分けた方が良いであろうほどにその結晶たちは不揃いであった。


「同じように魔力を放出しているつもりなのですが……」


 オラシオンは掌に収まる結晶をふたつ連続で瞬間的に生成して見せる。しかし、両方とも掌には収まってはいるが、片やお手玉サイズ、片や小指サイズであり、明らかに大きさが違う。規定内を満たしているだけのものだ。


「成長がないわけではないが、どうも安定しないようだな」


 オラシオンは頭を抱えた。原因を炙り出そうと更に量産をしてみるが、改善の兆しは見えない。


「考えすぎても無駄だ。とりあえず昼飯にしよう」

「はい……」


 採掘場の端にはニカウレーが置いていった新鮮な野菜がこれでもかと挟まれたブロアが、ドラゴン二頭を満足させるために山のように積まれていた。


「ニカウレーも早朝からこの量のブロアを作り上げるとは見上げた根性よ。その分今頃寝こけているだろうが」


 ひょい、ひょい、とブロアを口に放り込みながらディアンは呟く。ここ鍛錬初日から二週間以上、ニカウレーはただただオラシオンの修行を見守っていた。

様子を見にきたウィリアムから気分転換に誘われても、運送屋の双子に誘われても、あまりにもどこにも行かずにオラシオンに付き添うものなので、ここ五日間ほどはオラシオンの罪悪感から付き添いは無しということになっている。


『大丈夫なのですか?不安ではありませんか?』


 そう心配するニカウレーを押し切り、今オラシオンは一人でディアンの元で研鑚を積んでいる。


「完全に過保護が受け継がれているなあの親子は……」


 ディアンはウィリアムとニカウレーに呆れっぱなしだ。


「いいか小娘。自分の目で見て他にん見極める力を付けろ。ニカウレーに頼ったままではいつまで経っても変わらんぞ」


――――ひとを見極める……


 オラシオンは小さな口でブロアに齧り付きながら脳内で反芻する。すると、不意に背後の森から不自然な葉の擦れる音がオラシオンの耳に入った。


――――誰かが、来る。


 オラシオンは瞳孔を開き身構える。しかし、ディアンは落ち着いた様子でブロアを食べ続けていた。そして、ガサガサと隠すこともなく大きな音を立てて近づいてくる何かは、立ち止まることなく、二人の前に現れる。


「こ、こんにちは」


 薄暗い森から顔を出したのは、右側に一房の三つ編みを垂らした黒い目隠しの少年。以前オラシオンの窮地を救ったゴルゴーンのエレオスだった。


「ぁ……」


 思わぬ再会に呆然とするオラシオンの口からは情けない声が漏れる。


「あっ、良かった、怪我治ったんですね。えっと、僕はエレオス・メデューサ。……見た通りゴルゴーンです」


 丁寧で落ち着いた口調でエレオスは微笑む。目隠しにより顔の半分近くが覆われているが、それでも下がり気味の弧を描いた眉に軽く上がった口角で、若干緊張気味ではあるが十分柔らかい表情だということがオラシオンにもわかった。


「ぇ、ぁ、この前は、助けて下さり、ありがとう、ございました」


 オラシオンは辿々しく礼を述べつつ腰を直角に曲げて深く頭を下げる。

「そ、そんな、僕がやりたくて勝手にやったので!頭を上げてください、ね?」


眉を八の字にし、慌てふためくエレオス。顔の三分の一は覆われているというのにその表情はとても豊かだ。


「しかし……」


「良いんです良いんです!僕は怪我してないし!」


 エレオスの勢いに押され、オラシオンはゆっくりと顔を上げる。


「エレオス、随分と前回来てから期間が空いたな。また遠出でもして親に叱られたか」


 今まで黙々と昼食を食べていたディアンは最後のブロアを口に放り込むと、エレオスに歩み寄る。


「こんにちは、ディアンさん。まぁ、そんなところです。ところで、お二人は何をされていたんです?」


「こやつが呆れるほど魔法が下手でな。修行をつけておる」


「ドラゴンの魔法の修行……!すごいですね!どんなことするんですか?」


「やってやれ」


 急に自分に振られオラシオンは思わず硬直する。


「えっ、と」


「あっ!大丈夫です!無理にとは言わないので!本当!」


 やってしまった、という顔で再びエレオスは慌て始めた。その腰は引け気味でどうにも締まらない。


「エレオス、気にするな。この小娘はこのとおり小心者だ。急なことにも迅速に対応することも訓練のうちよ、付き合ってやってくれ」


「は、はぁ……」


 呆れた様子のディアンに、エレオスは何も分からないといった風に間抜けな声を出す。


「ほれ、小娘。ぼーっとするな」


 ディアンの声にオラシオンは明後日の方向に飛んでいた意識を戻され、短く息を吸って広げた掌の上でパキンという音を立てて結晶を生成してみせる。


「わ、一瞬でできちゃった……!すごい!角とか鱗と同じ宝石なんですか?」


「は、はい」


「すごいなぁ!鉱物の生成について本では読んだことありますけど、やっぱり実際に見るのとは違いますね!」


その黒い布の下にある目はきっと輝いているであろう。そうオラシオンが推察できるほど、エレオスの声は浮き足立っていた。


「でも、あまり、上手くいかなくて……」


「えっ、そうなんですか?こんなに綺麗なのに」


 改めてオラシオンは自分の掌に輝く鱗を見つめる。全身の至る所に結晶と同じシリウス(輝くもの)という鉱石の鱗が浮かんでいるオラシオンにとってはすっかり当たり前になっている輝きだった。


――――綺麗……か。


 新鮮な評価にどう返答していいか迷っていると、キーンコーンと軽快な鐘の音が響く。それはディアンが多く所持する小さな鐘(リンクベル)のひとつから鳴り出していた。


「なんだウィリアム、取り込み中だが。……は?追加発注?今日中に?正気かお前」


 眉間に皺を寄せるディアンにオラシオンとエレオスは目を合わせる。


「……はぁ~~?毎度毎度その詰めの甘さどうにかならんのか!ったく……今から在庫を持っていく。ああ、ああ、わかった。首を洗って待ってろよ」


 ディアンが苛立ちを抑えぬまま鐘を一振するとぼんやりとした光はなりを潜めた。


「今からウィリアムの馬鹿が発注ミスをして全く品数が足りなかった鉱石を届けに行く」


 ジト目で呆れを隠そうともせず、ディアンは坑道入口の脇に置かれていたトロッコをその長い尾で引き寄せる。


「手伝え小娘。お前の叔父の尻拭いだ。程よい運動にもなるだろう」


 オラシオンはなんとも言えぬ気分になりながらも頷く。確かに魔法の使いっぱなしで固くなっていた頭を解すのに運動は最適だ。


「エレオス、時間はあるか?」


「はい、手伝えますよ。でも日が沈む前までに家に帰らないと……」


「助かる。なに、これだけ人手があればそんなに時間はかからん。では作業を始めるぞ」


 ディアンの号令とともに各自が動き始める。

坑道脇に貯蔵されている鉱石をオラシオンが両手一杯に抱えて軽々と運び出し、設置されたトロッコに載せていく。


「重くないんですか?」


「いえ、これくらいは」


「すごいですねドラゴンクオリティ……じゃあトロッコ出しますね」


 エレオスが積載量の上限ギリギリまで鉱石を積んだトロッコを下ろし、麓で待つディアンがそれらを荷車に移して空になったトロッコを再びエレオスが魔法で引き戻す。この工程を何度も何度も繰り返し、倉庫に詰まっていた鉱石は次々と運び出されていった。


「これで最後ですかね?」


「はい、残りも無いです」


「じゃあ降ろしますね」


 エレオスがトロッコの動力部に触れ、最後の便が丘を下って行くのを二人は並んで眺める。空はまだ明るい。日が沈むまでにはまだまだ時間がありそうだ。


「思ったより早く終わりましたね」


「はい、夕暮れまでかかると思っていました」


「すごい量でしたよね。まさか倉庫の中身全部なんて」


 トロッコを小走りで追いかけて坂を降る二人は敬語こそ外れないものの、声をかけ合う共同作業を延々繰り返したことで最初のどことないぎこちなさは抜けていた。


「そ、そういえば、僕とそう変わらなそうですが、あなたの年……えぇ、名前も聞いていないの、ですが……」


「あっ」


 オラシオンは完全に失念していた。日頃から挨拶、自己紹介の重要さをニカウレーから叩き込まれているオラシオンは、自分の余裕の無さを深く恥じ入る。


「オラシオン……アマルギートです。歳は今年で十四になります」


 王族を快く思っていないであろうゴルゴーン族の手前、血を示す国名を言うのを一瞬躊躇ったが、真実を重んじる彼女は素直に名乗る。


――――彼がゴルゴーンであること以前に、彼は私の恩人であり、尊敬すべきひとだ。


 オラシオンは嘘などつけない。つこうと思えなかった。まだ上澄みの関係である彼ではあるが、友好的な相手に嘘をついて保身を図ろうなどいうことは彼女の意志に反する。しかし、その分の罵倒などを受けるだろうと少し身構えた。しかし


「……やっぱりお姫様だったんですね!実はあなたが追われているときから何となく気づいてはいたんですけど、間違っていたらどうしようかと」


 エレオスには王族ということなどさして問題ではなかったようだ。明るい調子のエレオスに拍子抜けしたオラシオンは恐る恐る横目で彼を見やると、エレオスは声色と同じように心底ほっとした様子で緩く口角を上げたまま笑っていた。


「王族は、嫌いな存在では無いのですか」


 オラシオンの問いに今度はエレオスが驚いたような表情をする。


「いやいや全然!そもそも歴史ではこっち側が裏切ってますし、王族の直属にもゴルゴーンがいるそうですから。どちらかというと僕らを追いやってくる貴族の方がゲロゲロ~って感じです」


「なる、ほど……」


「実は僕も十四歳なんですよ、同い年でも全然違いますね」


 視野が狭まっていたオラシオンには思いもよらない返答だったが、落ち着いている今考えればそういう考えも確かに一理あると彼女は納得できる。


「そう、ですね」


「へへっ、違いって面白いです」


 エレオスは明るく言いのける。


「そりゃ命狙われてれば疑心暗鬼にもなりますしね~。いまいち分からないんですが、どういう理由で狙われてるんです?」


「……王位継承者の、争いです」


「えっ、じゃあご兄弟に……」


「いえ!姉上たちは関係ないです。でも、その取り巻きというか、その……第三者が姉上たちの誰かを確実に王にするために、私の存在が邪魔なようで……」


 その理不尽さはエレオスの想像以上だった。


「それじゃあオラシオン様は何の罪もないってことじゃないですか!」


 オラシオンは俯く。


「私は弱くて、魔法が下手で、自分の身すら……すみません、あまり話すのも得意ではなくて……」


「い、いえ、こちらこそ家のあれこれ聞いてすみません……」


 僅かな沈黙が流れるが、エレオスは意を決した様に口を開く。


「確かにオラシオン様はあまり話すのが得意じゃないかもしれませんが、これがオラシオン様の『らしさ』なのかなって思いますよ。僕は逆に喋りすぎて引かれます」


 照れくさそうに笑うエレオスの横顔が、オラシオンにの目に焼き付く。彼女はどこか少し胸が軽くなったように思えた。

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