第14話 魔の心臓
「すぅ……すぅ……」
すっかり夜が更けた頃、疲れ切ってしまったオラシオンはパチパチと薪が燃える音を子守唄に規則正しい寝息を立てて眠っていた。
「はははっ、いやー焦った焦った!中年親父に山道ダッシュはキツい!」
「うるさい。こやつが起きるだろう」
額に流れる汗を拭いながら笑うウィリアムにディアンは大きくため息をつく。
「フン、過保護め。俺がいる限りコソコソするような小物など寄ってこんわ」
「そりゃそうだ!」
途中で仕事のために離脱したウィリアムは、すっかり夜更けになっても帰って来ないオラシオンたちを心配し焦って様子を見にきた。しかし、そこにいたのは現在進行形でニカウレーに寄り添われながら熟睡するオラシオンだった。
「それにしても、外で爆睡するなんてよほど疲れたみたいだな」
ウィリアムは完全に弛緩した様子で眠りこけているオラシオンを見やってほくそ笑む。
「朝から晩までご飯以外ずっと集中して魔法を使ってましたからね。ヒトに擬態する以外の魔法はあまり使い慣れていないのもあると思います」
「そうか……ディアンは大丈夫か?結局一日中預けてしまったが、かなり魔力を小出しにしていたし魔力嚢の具合は?」
ディアンは、ふっと鼻で笑うと少女からずり落ちた毛布を大きな爪で器用に掴み、小さな身体に掛けてやる。
「あれくらい構わん。ヒトの身なりを維持するのに比べれば些事よ」
そう言うとディアンは傍に置いていた『溶解止め 夕飯の後用』とラベルに書かれた瓶に入った丸薬を一思いに煽る。
「あの、その、ヒトでいることに何か問題があるんですか?」
ニカウレーは躊躇いがちに問う。
「おい、言っていいのか」
「あぁ、パン屋の夫婦が事の顛末を教えたよ。ちょっと早いと思ったんだがな……」
「何万回も言うがお前が過保護過ぎるんだ。ニカウレーも幼子じゃあない。知ることで自衛に繋げられる年齢だ」
ディアンは再びため息をつくと、不自然に鱗を失っている胸の中心に手を当てた。
「およそ三百年前にヒーリィに無法者が流れ込んできたのは……知っているな。その際、駐在騎士だった俺は貴族どもの制止を振り切ってそやつらを正面から退けようとした。だが……」
「だが……?それは模様ではないんですか?」
「ああ、これは心臓と魔力嚢を同時に破壊するために溶解液を打ち込まれた痕だ」
ニカウレーの細い喉からひっと声が漏れる。
血液を作る骨髄のごとく魔力を生成し、同時に心臓のように全身に送りだす臓器、それが魔力嚢。魔力を持つ生命は必ず持ち合わせているものであり、種族ごとに場所が違う。全身から魔力を放出するドラゴンは、体の中心である心臓の近くに魔力嚢が存在する。ドラゴンはその固い鱗こそあれど、その下にある臓器の強度は到底溶解液になど敵わない。
「当時は愚かだった。幸い腕のいい医者のおかげで一命は取り留めたが昏睡状態になり、目が覚めた頃は魔法を使うだけで魔力嚢が裂けた。加えて、村もそんな壊れかけの俺ではもうどうにも出来なくなっていたのだ」
ディアンは至極落ち着いていた。その苦痛は彼にしか分からず、唯一他人が認識できる苦痛の痕跡はその胸に深く残る傷跡のみであった。
「今は薬漬けではあるが一人暮らしもできる。しかし後遺症が難儀でな、魔法自体は使えるが継続して使うと傷が開いてしまう。ヒトの姿を維持し続けるのも、長時間の戦闘も困難だ」
常に臓器が溶け落ちる症状を抱えているディアンは慢性的な心臓病に悩まされているようなものだ。
「まぁ、他種族と大きさが違い過ぎるが故に少々対話が不便ではあるが、日常生活に支障はない。採掘業もこの爪があればできる」
「難聴は老化じゃないか?」
「よぉく聞こえているぞウィリアム」
ヒトの姿をとるのは多種族共存を実現するアマルギートに根強い文化のひとつである。種族間の大きさの違いが顕著故に、対話するには程よい大きさのヒトの形態が便利なのだ。
「フン、まぁ俺が元のままでいる理由はそういうことだ。……小娘も聞いていたな」
いつの間にか赤い瞳を覗かせていたオラシオンは頷くと体を起こす。
「いつの間に起きていらしたのですか!」
「ディアンさんが竜のままでいる理由をニカウレーが聞いたあたりから」
「はははっ、だーいぶ前だなぁ!」
「お前な……」
能天気と過保護を反復横跳びするウィリアムに対するディアンの溜息は大きい。
「小娘、今の話を聞いて何を思った」
ディアンはオラシオンに長い首を伸ばす。
「お、そろしいと、思いました」
膝に乗せた毛布を握り、オラシオンは小さく呟くように返事をする。震える唇からはそれ以上の感想が出てこなかった。
「……明日も来い。また見てやる」
「は、はい。よろしくお願いします」
夜も深いということで三人はディアンにウィリアムの家まで見送ってもらい、オラシオンの初めての修行は幕を下ろした。
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