第13話 老竜兵
「魔法を鍛えたい?」
その日の夕飯、オラシオンからの願い出にウィリアムは乳白色の目を瞬きさせる。
「随分と急だな。まだ傷も完治していないし、治ってからでいいんじゃないか?焦る必要は無いぞ」
オラシオンは険しい顔で首を横に振る。
「自分の身を自分で守らないと、これ以上守ってもらうばかりではいけません」
はったりだ。本当はそんな強い心など持ち合わせていない。
「私も誰かを護ることが責務である王族です。私が護ってもらって護って下さった誰かが傷つくのはその責任を放棄することになります」
オラシオンのこめかみに冷汗が流れ落ちているのを、?ニカウレーは見逃さなかった。
――――また誰かが死ぬのが怖いから、自分でなんとかしようとして強がっているんだ!ダメ、そのままでは独りになってしまう……!
そう分かっても、ニカウレーは口に出せない。今のオラシオンが本当に必要なものは、親代わりであるニカウレーでは与えられない。いや、そもそもこれは誰かが与えるものでは無い。オラシオン自ら掴みにいかなくてはいけない何かだ。
「……わかった。明日、村外れの鉱山に連れて行ってやろう。そこにお前の師匠を請け負ってくれる奴がいる」
しばらくの沈黙を置いて、ウィリアムは真剣な表情で頷いた。
「ウィリアムさん……!」
「ニカウレー、心配する気持ちはわかるが、ここはオラシオンの気持ちを汲もう」
――――これだけは俺たちではどうにもならない。
「っ!」
「……」
声には出していないが、ウィリアムの心中はニカウレーに透けて見えた。オラシオンも、その色素を持たない瞳で見透かしているのだろう。
「じゃあ、明日は早いぞ。早く寝なさい」
「はい、ありがとうございます」
気を取り直したように明るく振る舞うウィリアムに、オラシオンは空虚な力強さで答える。ニカウレーは何も言うことが出来なかった。
翌朝、動き始めた村を通り抜け、三人はゴルゴーンの森に隣接した山道を少し登った先の鉱山の入口へ歩みを進めた。
鬱蒼と生い茂る木々の合間を縫うような道の中心には、採鉱した鉱石を運ぶトロッコか何かが行き来している痕跡であろう車輪の跡が深く刻み付いている。その跡を追ってハイキングの要領で山道を登ると、木々が避けるように開けた場所に出た。急斜面にウィリアムたちの身長の何倍も大きい鉱山への入口が口を開けているのが目立つ。その場所は、しんと静まり返り、人ひとりいないもぬけの殻であった。
「ディアン!いるか!俺だ!」
ウィリアムは黒々しく光ひとつない坑道へ声をかける。その声は坑道の壁に跳ね返り、奥へ奥へと響いていく。オラシオンも恐る恐る深淵のような坑道を覗き込むと、ごぉっと音が鳴るほどの風圧と共に岩が落ちるような地響きがした。
「煩いぞ、ウィリアム」
低く鈍い声が、暗闇から振動する。それと共に岩が落ちるような地響きは次々と連続し、段々と近付いてくるのをオラシオンは全身で受け止める。大きい何かが、深淵から迫ってくる。
――――出てくる。
そう直感し思わず身を竦めるオラシオンの全身を、巨大な影が覆った。
「そんなデカい声を出さんとも聞こえておるわ」
暗闇から現れたそれは、鋭い爪で地を掴み、口内に収まらない牙を掲げ、諸人を見下ろす自然の権化がひとつ、夜のような黒の鱗に覆われたドラゴンであった。
「すまんすまん、悪かったよ」
「はぁ、そのセリフを四百年は聞いとるぞ」
それが不機嫌そうに息を吐くだけで空気の揺れを感じる。国一番の巨体とされる国王本来の山と見紛う大きさと比べると、三分の一もない体格ではあるが、少女を圧倒するには十分の貫禄があった。
「それに、今日用件があるのはお前ではなかろう」
黒の竜は、ウィリアムに向けていた顔をニカウレーにしがみついて身を固くするオラシオンに向ける。
「これはまた貧弱そうな娘だ」
首をもたげ、巨大な鉱石の塊にも見える竜は小さな竜を見下ろす。オラシオンは息を呑み、震えるが、その赤い目を背けることは無かった。
「我が名はディアン・ソリッド。この坑道の鉱夫だ。かつては村に駐在する騎士だった」
かつて、だった、とディアンは語るが、荒々しさの中に漂う野生の気品溢れる
姿は今も威厳ある守護者の風格をありありと表している。
「名乗れ、お前は誰だ」
鋭い眼光は娘を射抜く。真正面から、老い始めの竜は幼い竜を見つめていた。オラシオンは恐る恐るニカウレーの袖から手を離すと、黒々しい巨体と向き合う。更に近づけられた竜の顔の大きさはヒトの少女の姿をとるオラシオンの身長より大きい。
「オラシオン・アマルギート。現アマルギート国王の……」
「違う」
「っ⁉︎」
否定の言葉に遮られてオラシオンの言葉が詰まる。
「俺が聞きたいのは、『お前は誰か』だ。生まれは当然知っておる、王の子という立場もここに来た理由もな。しかし、『お前』を知らん」
「ぁ……」
間抜けな声が喉から漏れる。オラシオンは、ディアンが求める“お前”の意味をすぐに理解することとができた。しかし、その先がどうしても出てこない。
――――私が何か、私は……
オラシオンの中には、何もなかった。何かを成し遂げたこともない、求めるものすら何も無い。その場しのぎの平穏の道を作り上げようと必死で、その先に何
があるかなど何も見えてはいない。
――――安心できるようになって何がしたい?分からない。強さを手に入れて何が欲しい?……分からない。私には何も無い。何も、無い。
差し向けられた問いで、今、それを彼女は自覚してしまった。
「ぅ……ぁ……」
赤い瞳を震わせ、オラシオンは竜を見上げる。
「姫様!」
「黙っとれ!」
「っ!」
ディアンに一喝され、ニカウレーは伸ばしかけた手を引っ込める。
「問いの意味はわかっているようだな。さぁ、言え。言葉にしてみせろ」
自分は一体何を求めてここに立っているのか、何をしたくてこの竜を訪ねたのか。空虚な自分が求めたものは、一体何か。
加速する思考の中で、ある記憶が強烈に主張してくる。自分の侍女であるために傷ついたニカウレーの青くなった顔、自分がその場にいたために大事な店のショーウィンドウが破壊され、怪我をしたパン屋の奥さんとそれを介抱する主人、自分が傷ついたために罪悪感を抱えてしまった双子の力ない耳。
――――私が、今、口に出せる望みはこれしかない。
オラシオンは、震える唇をゆっくりこじ開ける。
「強く、なりたいです。自分の身を自分で守れるくらい、私がいることで誰かが……傷つかなくても済むように!強くなりたいです!その先は分からない、見えてこない。でも、それだけは……!」
生まれて初めて泣いた時と同じくらいの大声で、オラシオンは自分の言葉で宣言する。声は震えていて拳には力が入ったままの情けないものであったが、虚勢ではないありのままの姿で彼女は竜の前に立って見せた。
「フン、まだまだ浅く甘いが及第点といったところだな」
ようやく自己紹介をしたオラシオンを鼻で笑いつつも、ディアンの顔は満足そうに牙を覗かせて笑っていた。
「良いだろう。ドラゴン族の魔法の使い方を一から叩き込んでやる」
「あ、ありがとうございます!」
正に教官とも言うべきディアンの頼もうしさに、オラシオンは緊張に背筋を伸ばしながらも恐怖は不思議と無い。
――――父上のようだ。
ウィリアムもルシウスたちもニカウレーの仲介を経て交流し、ようやく一緒にいて心が落ち着きを見せ始めたというのに、ディアンの態度は揺れる疑心暗鬼を押さえつけるように毅然としていて、不安を感じさせなかった。
「早速訓練を始める。覚悟はいいな」
「は、はい!」
震え気味ではあるがしっかりと腹から声を出すオラシオンにうんうんとディアンは頷いたと思えば、その長い首をほぼ真後ろに向け、ウィリアムたちをキッと睨みつける。
「おい、過保護者ども!見るのなら端に寄ってろ!邪魔だ!」
「はいはいわかったわかった!尻尾で押すな!」
「……姫様、頑張って下さいね」
心配そうな顔をしていたニカウレーは意を決したように笑顔をオラシオンに向ける。少し驚きつつもオラシオンはしっかりと頷いて師匠となる竜を見上げた。
「よろしく、お願いします!」
「フン、俺は甘くない。へばるんじゃないぞ小娘!」
朝日が差し込む。誰もまだ知らない。不安を拭い去るための試練の先に、竜の少女を待ちわびているものがあることを。
「まずはお前の魔力の扱い方を確認する。手のひらの大きさに合わせて結晶を錬成してみろ」
そう言ってディアンは手元に一瞥もくれず息をするように黒い結晶を錬成してみせる。
「はい。……ふ、っ!」
オラシオンは掌を天に向け、手先へ全神経を研ぎ澄ませる。心臓で生み出され、体内に張り巡らされた管を通る熱いもの、それは〈魔力〉と呼ばれる超自然的力だ。オラシオンが心臓から全身に流れる源泉の奔流が掌に集中していくのを肌身で感じると、次第に熱が皮膚を突きぬけ細かい粒子のような物質に変換されていく。角や髪と同じ材質の輝く小さいつぶては小さな掌の上で渦を描き収束して一つの形を成そうと蠢く。
「ぅっ!」
しかし、オラシオンの心臓から生まれたはずの粒は意思に反して大きく波打ち、上に上に大きく螺旋を描いて登っていってしまう。
「うぅ、゛ぅ……はぁっ、はぁっ、はぁ……」
息も絶え絶えになってようやくまとめた結晶は到底掌に収まる代物ではなかった。
「フム……」
宙に輝くそれはおおよそ少女の半分の背丈ほどはあるだろう。
「下手にもほどがある」
ディアンはあっけらかんといいのけた。
「う……」
これは分かりきっていた現実だ。オラシオンは家族にあまり鍛錬をつけて貰えない代わりに力を抑える自主練習を続けてきたが、毎度毎度今回のように流れを抑え込めず暴発してしまう。
「よいか、魔法は決して特別なものでは無い」
話しながらディアンは再び手を空中にかざす。
「特に今俺やお前がやった結晶を作る魔法、〈種族魔法〉は古代の先祖から代々受け継ぎ、血に宿った詠唱がいらん手軽な魔法だ」
鋭い爪が光る掌につぶては収束し、一振の見事な黒曜の大剣へ瞬く間に姿を変える。
「俺がお前の師になった理由は種族魔法にある。
全く同じというわけではないが、お前の種族魔法と俺の種族魔法は限りなく近い。錬成する鉱石の質が違うだけだ。よって、お前でも修練を積めばこれを容易に錬成できよう」
少女三人分といったところの大きさを持つそれをディアンは二本、三本と次々錬成してみせる。
「ただし!一朝一夕でできるものではない」
半ば脅しのような形で大きな顔が少女の眼前へ迫る。
「手軽で単純なものほど応用がいくらでも利く。初めは楽だが果ても無いのだ。故に日々の研鑽がものをいう」
オラシオンは少し身構えるが、退きはしない。
「蛇口を捻って流れた水を管の先端を握って止めたことはあるか」
急な問いにオラシオンは驚きつつもコクコクと頷く。蛇口握り止めは幼少より怪力のドラゴンあるあると言っても差し支えないものだ。
「あれと同じだ。お前の魔力の扱い方は。一気に大量の魔力を送ってただの出口である掌で押さえ込もうとするから暴発する」
黒い巨体を覆う空気中に、パキ、パキと小さな音を立てながら小さな黒曜のつぶてが次々と生まれていく。
「さぁ、息をゆっくり深く吸え」
ディアンの呼吸に合わせて細い喉がすぅと音を立てて息を吸い込む。
「力む必要は無い。手先に集中して長く長く息を吐きながら魔力を出せ。蛇口を僅かに緩めるようにな」
限界まで肺の中へ吸い込んだ空気を音も聞こえないほど穏やかに外へ送り出す。同時に、先ほど渓流のように激しく心臓から流れた魔力の流れも川のせせらぎのように手先へ流れていく。
「っ……」
「息を止めるな。肩の力を抜け」
ディアンの低い声がオラシオンの緊張を解す。そして、掌へ放出された魔力の熱は、次第に朝露と見紛うほど小さな透明な鉱石を形どり、空気中に浮かび上がる。それは朝日に照らされてプリズムの輝きを放ち、ゆっくりと円を描いてひとつの結晶へと姿を変えていった。次第に大きくなっていくそれがちょうど掌に収まる頃合いに合わせてオラシオンは息を吐き切る。
「で、き……た……」
鉱石の生成が鎮まった小さな掌の上には、肌の色を透かすひとつの鉱石が乗っていた。
「フム、透明度も高く眩いシリウス石の輝きだ。では、今日はその底なしの魔力が無くなるまでこれを造り続けろ。仕事の合間に見てやる」
「はい……!」
オラシオンの赤い瞳は今までになく達成感に輝き、日が暮れるまで、日が沈んでも、オラシオンは魔力が枯れるまで結晶を造り続けた。
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