第12話 灼けるように眩しい光
次の日は安静にしろと大人たちから言いつけられ、オラシオンはベッドの上に縫い付けられた。そのまた次の日には既に傷口に薄く鱗のようなものが浮かんできていたが、二日間の殆どをオラシオンは宝石細工の人形のように、眠っていた。
「歩けそうですか?」
「ん、平気。痛みもない」
襲撃から三日目、包帯でぐるぐる巻きだったオラシオンは自分の足で歩けるほど回復していた。傷口こそまだ緩いが、それでも既に人の肌より遥かに強度がある。ニカウレーと共にやれどこが痛むか、動きに問題は無いかとあれやこれやと確認する。
「今日はお外に出ますよ!」
ニカウレーの宣言にオラシオンはぐっと唇を噛む。ここで毅然としなければ相手に付け入る隙を与えてしまう。以前態度を崩したことで一ヶ月もの間、出会う人物の三人に一人から刃を向けられたことをオラシオンは忘れていない。
「私は折れないぞと主張するのがサバイバルのコツです。猛獣に出会ったときにも使えますよ。こう腕を広げてですね」
両手を上に掲げバタバタと上下に振るニカウレーの姿はどう頑張っても滑稽だ。そんなニカウレーの奇行には慣れ切っているオラシオンは毅然とすることの大切さだけを耳に入れて靴紐を結ぶ。
「今日はどこに?」
「この前襲われてしまったパン屋さんに顔を出しに行きましょう」
オラシオンはすっと息を詰まらせる。
「また、恐ろしい目に遭わせてしまったら」
「そのためのコレですよ。ウィリアムさんが夜なべして作ってくれたスーパー魔鉱石」
ニカウレーは鞄から無色透明な魔鉱石を手に取る。原石をとりあえず磨いただけであろう凹凸が多い姿は、煌びやかでありながらもなんとも無骨だ。
「使い切りだそうですが、ムート様が脱皮された鱗の欠片で作られていると言っていました。こんな小さな見た目でも防御に対する効果はすごいですよ」
小さなネックレスのようなそれをニカウレーはオラシオンの首へかける。ムートは四兄弟の三子、兄姉の中で一番歳がオラシオンと近い兄だ。といってもその差は百歳以上離れているが。
「ムート兄上……」
柔らかく少し気弱に笑う兄の顔を思い浮かべながら、かさぶたが張った手で首飾りを握る。
「行こう、パン屋の人に謝らないと」
首元の小さな輝きに守られて、オラシオンは再び村の石畳に足を着けた。
「お!おはよう、この前は災難だったな」
「あら、オラシオン様じゃない!しっかりと歩けているわね~銃撃があったって心配してたのよ」
オラシオンは真っ赤な目が点になるほど驚いた。パン屋までの道のりの最中に行き違う人から怪訝な目をされても仕方ない。そう覚悟していた。しかし、現実は嵐で家の屋根が若干剥がれてしまったひと程度の扱いであった。行き交うフランクな挨拶も変わらず、銃撃自体の話題よりも心配の言葉がオラシオンを覆う。
「んー、村の人たちが陽気なのは百年以上変わっていませんが、あんなバンバン銃声が鳴っていたのになんで今も陽気なのでしょうね?銃撃なんて私が居た頃は無縁も無縁だったのに……」
ニカウレーも首を傾げるばかりだ。襲撃騒ぎがあってこんな陽気でいれるのか、世間知らずなオラシオンでも引っかかった。ではなぜ、ここはこんなにも未だ穏やかなのだろう。浅い知識でその要因を探そうと頭の中で年表を敷くと、母の面影が掠める。
『お前の母ちゃんが一から再興した村だからな』
村に初めて足を踏み入れたとき、ウィリアムが言っていた言葉が再生される。
――――母上はなぜ村を再興したのか、災害があったとして村娘が再興する必要があったのか。
一抹の疑問の先に細い糸が繋がっている可能性は拭えない。僅かでも可能性があるのなら手繰り寄せてみる。経験による反射的な思考だ。息をすることと同義である。
「ニカウレー、母上がこの村に何をしたか知っている?」
「えっと、王妃様は三百年くらい前までは治安が悪かったこの村を変えた方で、王城に単身乗り込んで騎士の派遣を前国王様に直談判したとか。その時に国王様と出会ったそうですよ⋯⋯ん?」
ニカウレーは首を傾げる。
「騎士は全部の村や街に何万年前も前から駐在してるはず……わざわざ呼びにいくって⋯⋯」
ニカウレーのピースで簡単なものだが、糸と糸が繋がった。
「村に騎士がいたはずなのに、移動が早くもないエルフの村娘だった母上が騎士の派遣を要請しないといけないくらい酷い状況だった……可能性が高い」
「そんな……」
立てた仮説に血の気が引く二人がパン屋の通りに差し掛かった時、オラシオンが声をかけるより遥かに早く店先の工事を見守っていたパン屋の奥さんがオラシオンを見つけた。
「ん?まぁ!アナタ、オラシオン様よ!」
「おぉ、オラシオン様!」
店の奥から逞しい風貌の店主も顔を出す。その手には焼きたてのパンがたくさん乗ったトレーがあり、何事もない日常のままである。オラシオンは違和感を感じつつも、先程購入した果物の詰め合わせを差し出す。
「先、日はご迷惑をおかけしました。お店の被害は……」
「ああ、ショーウィンドウが木っ端微塵になっただけだから気にしなくていいよ」
「……?」
――――木っ端微塵になったことは、だけ、とは言わない。
どこか腑に落ちないものを拭うためにオラシオンは重い口を開く。
「あ、の、私を受け入れてくださっているのは、なぜなのですか?皆さんの身も、危うくなってしまうのに……」
しどろもどろになりつつ問うオラシオンに夫婦は少し驚いた様子を見せる。
「アナタ、この子には言っておくべきだわ」
「ああ、そうだな……」
店主と奥さんは顔を合わせると朗らかな顔を一転して真剣に、どこか寂しげで落ち着いた表情で頷き、何も知らないオラシオンと店主の寂しげな目線が交差させる。
「ここはな、二百年前まで、それこそ溶解液みたいな危険薬物を不法に売買するヤツらの根城だったんだよ。だからここの住人は銃撃とか慣れっこなんだ」
「それ、は」
そもそもおかしな話だったのだ。命を散々狙われている者を、いくら元村人の娘とはいえただの村が受け入れを快諾するなど、無謀以外の何物でもないはず。
「当時はそれはそれは酷い有様でね。その悪党たちは貴族と一枚噛んでいたらしくてな、騎士は今みたいに貴族と完全に切り離されてなかったから、あのときの騎士じゃ手出しできなかった。もうめちゃくちゃだったよ」
主人は遠い目で語る。
「一発で死ぬか後遺症が残るしかない溶解液入り銃弾が、常日頃から当たり前にぴゅんぴゅん飛んでいた」
世間知らずのオラシオンでは想像することも叶わない、陽気でよく整備された今の村とは全く逆の情報の羅列に少女は何も言葉が出ない。
「そ、そんなこと聞いたことがない……」
ニカウレーは信じられないと首を横に振る。
「皆まだ傷が癒えないから言い出せないのさ。たくさん殺されちまったからな。俺たちの子も、生きていたらちょうど今年で三百五十歳だった」
懐かしむように店主は首に提げたロケットを手に取る。奥さんは先程の朗らかな笑顔はどこへやら、今にも泣き出しそうに唇を噛んでいた。
「今でも思い出すだけで震えるわ。特にこの通りは銃弾も飛んでいたけれど、薬物の巨大マーケットだったの」
レストランが美味しい匂いを嗅ぐわせ、花屋が華やかに彩るこの通りがそんな凄惨な状況だったとは全く想像できない。
「地獄だったよ。もうみんな失意のどん底で、よく分からない宗教にハマるヤツもいたりで……」
柔らかな風の中、微かに笑ってみせるものの店主の顔は冷ややかだ。
「でもね、立ち上がってくれたひとがいたの」
夫の肩に手を置き、奥さんは柔らかく微笑んだ。
「ディラ・ブライトネス。あなたのお母さんよ。この村でディラに感謝していないひとはいないわ」
娘は背筋を走る何かに身を震わせる。
「ディラは自分も辛いのにみんなを勇気づけて、気力も体力も無くなってたみんなの代わりに王城へ走ってくれて、おかげで村は持ち直したんだよ」
その勇気あるひとのことを、オラシオンは痛いほど知っている。同時に、彼女の輝きが失われる瞬間をオラシオンは見ていた。
『娘には手を出させない!』
『泣かないで、オラシオン。愛おしい、小さな……わたし、の……』
脳裏に焼きついた母は、半身が溶け落ちても最期まで笑いながら泣きじゃくるオラシオンを抱きしめて宥めていた。
――――知っている。私は今でも灼かれている。母上の眩しい光に、ずっと、ずっと、灼かれている。
苦しみなど微塵も感じさせない柔らかい風がオラシオンの頬の鱗を撫ぜた。苦しみを乗り越えた光は一層輝く。暖かい光と、賑やかな声が、今現在ここにある村、最期まで光り輝いていた母が守ったヒーリィだ。
「だから、村娘の言葉を信じて騎士を派遣してくれて彼女が嫁いだ国王様が好きだし、ディラの娘であるオラシオン様も大切。何より、みんなめいっぱい傷ついて疑って、それでもディラに握られた手に癒された。だから、傷ついたヤツはほっとけない」
店主と奥さんは微笑んだ。力強い、太陽のような笑顔に、オラシオンは灼かれる。
――――苦しいほど、眩しい。
どんな顔をすれば、彼女はそれが分からなかった。
――――私は、このひとたちが身を挺する程の価値があるのだろうか。
姫という立場にありながら自分の身も守れず、逃げては怪我をして助けられるばかり。勇気ある母とは違い、手を広げてくれる村人たちに縋ることすら恐れる。そんな弱さが目の前の光に一枚の透明な壁を作った。触れられない。触れることが怖い。オラシオンは、嫌いではないはずのそれに触れることができなかった。
「姫様、大丈夫ですか?顔色がよろしくないように見えますが……」
「い、や。何でもない」
自分を見つめるセピア色を見つめ返すも長くは続かず、自然を取り繕ってオラシオンはニカウレーから微笑む店主たちへと目線を移した。
――――急いで魔法だけでも、使えるようにならなくては。せめて、自分の身を
守れるくらいは。もう迷惑をかけないように。
浅い息を悟られないように、オラシオンは決意を新たにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます