第11話 無力、それでも必要
「もう容態は安定しています。流石王族ですわ。気絶しても擬人魔法が解かれないというのは見たことがありません」
「王族、か。……お姫様だとしても、まだ十四歳の子どもがこんなに傷ついているのにありのままを許されないなんて、ある種の呪いかもしれないですね」
コトコトと沸騰したポッドが揺れる音と重なった初老の女性と青年の会話が、ベッドに横たわる少女の意識をゆっくりと浮上させる。
薄らと力なく開けられた少女の目に映ったのは、傍らで揺れるひとつに結ばれた黄色みがかった白い髪。
それがこの三日間の間で見慣れ始めたルシウスのものだと気づくのに時間は要らなかった。帰ってきたのだと、オラシオンは胸を撫で下ろす。
「ん?あ、起きた!」
オラシオンの微かな動きに反応してルシウスの頭上についたふたつの耳がピンと立つ。
「あらら、随分と早いお目覚めですね。脈は正常、出血も完全に止まって治癒魔法もちゃんと効いていますね。こちらどうぞ」
オラシオンが、差し出された白湯を飲むと僅かな苦味が広がる。しかし、体の芯から温まり、強張っていた何かがほぐれていくのを感じた。
「ウィリアムさんたちを呼んできますわ。ルシウスさんは付いていてあげてください。様態は安定していますし、声をかけたら別の患者さんの様子を見てきます」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます」
「いいえ、殿下が休まることが第一ですから。ではまた伺います」
女性は白衣をたなびかせて小走りで病室を後にしていってしまった。
「ルシ、ウ、スさん」
「うん、俺だよ。大丈夫……ではないよね」
ピンと立っていた耳をへたりと垂らしてルシウスは項垂れる。
オラシオンは全身に包帯を巻かれ、もはや服のようになっている状態だった。お世辞にも大丈夫とは言えない。
「ここは……」
「村の病院だよ。エレオスってやつが君を見つけて知らせに走ってくれたんだ」
オラシオンは記憶を辿る。意識が朦朧としていたからかハッキリとは思い出せないが、確かに自分の手を取った目隠しの少年のことは覚えていた。命を救われた感謝ももちろんあるが、王族を嫌っているであろうゴルゴーンに応急処置をさせてしまったという申し訳なさがどうしても先を立ってしまう。
「ごめん、本当は俺たちがちゃんと……」
ルシウスの拳が固く握られる。彼もまた己の無力感に打ちひしがれていた。村の中なら大丈夫だろうと送り出した判断も結局は彼女を傷つける結果を招き、自身の浅慮さに自責が留まることを知らない。
「君は傷つかないためにここに来たのに」
俯くルシウスの力が入った手に、包帯で巻かれた手が優しく触れる。
「迎えに来てくださって、ありがとうございます」
それ以上に上手い言葉は見つからなかった。鱗を持たないぶん、自分より溶解液は遥かに恐ろしいものであるにも関わらず、迎えに来てくれたことへの感謝を精一杯込める。同時に、自分がもっと強ければ彼らに迷惑をかけやしないのにという思いも秘めながら。
「君は、こんな目にあってるのに誰かのせいにしないんだね」
安堵と自責、後悔などが複雑に混ざり、くしゃりとルシウスの表情が歪んだ笑みになる。「あなたこそ」とオラシオンが口を開く前に、一つ二つ三つと重なる早歩きな靴音とバタバタと駆ける靴音が二人の耳に入った。
「姫様っ!」
扉をバタンと開けて飛び込んできたのは泣き腫らした目元のニカウレー。
まるで事故に遭った我が子の連絡を聞いてすっ飛んできた母親のように、ニカウレーはオラシオンに駆け寄る。
「お怪我の様子はいかがですか!まだ痛みますよね、傍におれず申し訳ございません!」
「み、見た目よりかは痛くない。だから、泣かないで……」
無事を主張しても泣きじゃくるニカウレーに、オラシオンは手持ち無沙汰におどおどとすることしかできない。
「ニカウレー、気持ちは分かるがあんま騒ぎすぎるな。お前もさっきまで気絶してたんだから……」
後から続いてきたウィリアムが泣きじゃくるニカウレーをそっとなだめる。ニカウレーの指先はあの時オラシオンが閉じた扉を引っ掻き続け、オラシオンを抱きしめる両手には血が止まったばかり切り傷が無数にできていた。いつもの朗らかな笑顔はくしゃりと歪み、陰っていたが、ウィリアムの表情もニカウレー以上に陰っていた。
「すまんかったじゃ済まされん。甘く見過ぎていた。安心しろなんて言っておきながらこのザマだ。エレオスがいなきゃどうなってたことか……」
啖呵を切って心配をかけまいと最善を尽くしても、自分は所詮は一介の鉱石職人であるという現実がウィリアムを抉る。姉も遠い地で散り、自分の手に縋って来た姪さえも守りきれない歯痒さと悔しさを眉間に刻まれた深いシワが語っていた。
「俺も……何も……なんと言っていいか……」
黒い耳を垂らしてヘンリーは目を逸らす。オラシオンを守りたいと願った者たちは、今回手も足も出なかった。むしろ、守らなくてはならないとしたオラシオンに守られてしまったのだ。痛々しい様の彼女に対して自分たちは傷一つ付いていないのだから。
「落ち込まないで、下さい」
オラシオンは静かに、穏やかに囁く。
「私は、死んでいません」
――――そもそも、殺しなどに縁もゆかりも無い一介の職人と運送屋が、二日間も王族を狙うような刺客を退けたこと自体並大抵のものではない。
今日に限っては手も足も出ずとも、彼らにできる最善を尽くしている。オラシオンはただそれが嬉しかった。自分を生かしたいと思ってくれていることが何よりも、嬉しかったのだ。
「私は、生きています。一昨日からずっと、あなた方に、生かされています」
オラシオンは、不器用にも一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ。何も出来ていないなんて言わないで、どうか悲しい顔をしないで欲しい、ただそれが願いであった。
「ありがとう」
ヘンリーは、きつく結んでいた口角をほんの少し上げた。
「お前は母ちゃんにそっくりだな。ありがとう、オラシオン」
ウィリアムはそっとオラシオンの透き通る髪を撫でる。天馬の双子も垂れきっていた元気の無い耳が上に向き始めていた。その時、ルシウスとヘンリーのウエストポーチからジリリリリリリリとけたたましい音が共鳴し始める。
「あ゛ーっ!夕方の配達の時間!タイミング最っ悪!っと、は~、ごめんだけど、俺たち仕事があるから行かなきゃ」
「本当はずっとついてやれれば良いんだが……」
時計を黙らせると双子は再び元気無くへたりと耳を垂らす。
「生活を、大事になされて下さい」
オラシオンは柔らかく繊細な声を紡ぐ。二人にも、ウィリアムにも仕事があって、生活がある。オラシオンにとって眩しいその生活は羨ましいと同時に、自分がこの村に来たことが彼らの生活を壊してしまっている気がしてならなかった。
「何か必要なものがあったら鳴らしてくれ。俺のリンクベルだ」
ヘンリーは小さな銀色の鐘をサイドテーブルの上に置いた。
「リンクベル……」
オラシオンはそう呟くだけでベルに手を伸ばすことが出来なかった。
リンクベルは魔力で練り上げた連絡用の道具だ。
所有者が鐘を鳴らして魔力を注ぐと、そのリンクベルの作成者と遠隔で会話ができる。手紙が届くまで長い日数を要してしまう広大な土地のアマルギートでは一番多く使われている連絡手段である。
「何かまずいことがあったか」
ヘンリーが問うとオラシオンは気まずそうに鞄からキーチェーンのようなものを取り出す。そこにはヘンリーのリンクベルに似た小さな透明色の鐘が四つ輝いていた。
「それは……お前の家族のか」
オラシオンは俯きがちに頷く。
「ずっと、鳴らせていません。
鳴らしたら、敵は逃げられません。でも、相手がそう分かっているからこそ、父上たちが到着する前に殺されるのではないかと思うと、怖くて……」
逃げ切る自信も、立ち向かう勇気も、彼女には無い。オラシオンは握りしめた拳に恐怖と悔しさを滲ませる。
「召喚、は、ダメかぁ。王族ってバカ重いもんなぁ……。魔力がいくらあっても足りなさそう」
リンクベルは鳴らす側の魔力量さえあれば、遠距離からベルの作成者を喚び出す〈召喚〉が可能だ。しかし、そのために必要な魔力量は作成者の質量が重ければ重いほど多くなる。本来の山と見違える体格に加えて鉱石の鱗を持つ王族の質量は重いという表現ですら軽い。そんな巨躯を喚び出す魔力などオラシオンは持ち合わせていなかった。
「い~、ビックリするほど逃げ場無くてヤバいじゃんかね。よく頑張ってるよ本当に……」
「ニカウレーも付いていたわけだろう?ニカウレーの図太さは一級品だからな。そこも生存に影響しているかもしれない」
「お兄ちゃんたち、それ褒めてる?」
「褒めてる褒めてる、めっちゃ褒めてるよ。な、ヘンリー」
「ああとても褒めている」
雑に、それでいて確かに妹分を褒めた双子は仕事へ去った。
急に静かになった部屋でウィリアムは自身が持ってきていた比喩無しに宝石の輝きを持つ果物を手に取る。そして、「そうだ」と何かを思い出したように呟いた。
「お前を助けたやつは帰ったよ。門限だってさ」
それは密かにオラシオンがいちばん気がかりにしている事だった。
「そう、ですか……」
オラシオンは俯く。
――――命を救ってくれた彼に何か礼をすべきだ、しかし、再び接触するのは向こうが危険ではないか。そも王族であることを向こうはどう思っているのか。鉱石のドラゴンは少なくない。もしかして王族と気づいていないかもしれない。それはそれで……。
寝起きの竜の思考はぐるぐると回っていた。
「あいつの名前はエレオス。よくこの村に遊びに来る。好奇心旺盛で喋り好きなんだ。ん、食え。新鮮で美味いぞ」
掌で作り上げた鋼のナイフでしゅるしゅると果実の皮を器用に剥き、オラシオンに差し出す。
「今度あいつと話してみるのも良いかもな」
わしゃわしゃと荒っぽくオラシオンの頭を撫で、ウィリアムは歯を見せて笑った。
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