第10話 裏切りの血を継ぐ少年
「はっ、はっ」
昼下がりでも薄暗い森の中、少女の足が木の間を掻い潜り、地を抉る。背後から迫る弾丸は、狙撃手も走っているからか、村の中よりも当たりづらくなっていた。
「い゛っ!」
色白な四肢と背中にドロドロと肉と血が滝のように流れていく。それでも彼女は足を休めることはできない。
「はぁっ、はぁっ、ぁっ……」
訳のわからぬまま、ただ木々が相手を撒いてくれると信じて走りづつけていると、途端に日の光が眩しい大きな空間が開けた。そして、オラシオンはその景色の先にいる人物に思わず足を止める。
「そうだ……ここは……」
そこにいたのは、黒い目隠しをしながらも本へ向かう少年だった。
「ゴルゴーン族の森……」
ここは彼らの領域。部外者であり、彼らの天敵でもある王族のオラシオンが入って良い場所では無い。彼女は、命を狙われる対象であると同時に、自身が恐怖の対象であることを父や姉から教わっていた。
バァンッ
酸欠で立つのがやっとのオラシオンの背後で銃声が響く。
「がはっ!」
皮膚で砕けた鉛の中身が少女の脇腹に飛散する。
「っ!誰!?」
少年は読んでいた本を閉じ、逃げの体制へ移る。その動きはスムーズで、慣れているようだった。ほんの僅かな時間、目は見えなくとも、少年の目線は少女の目線が交差する。
「ぁっ、はぁっ」
それに気づかず、またオラシオンは走り出す。
「ドラ、ゴン?」
遠ざかる銃声と二つの足音に取り残される少年。少年は、オラシオンが立っていたそこに歩み寄ると、暗くて見えなかった少女の血痕が視界に飛び込む。
「っ、怪我をして……!」
息を呑み、少年は迷いなく銃声が響く方へ駆け出した。
日が射す空間から駆け出しても、オラシオンは未だ銃声の真っ只中を駆けていた。がむしゃらに走っているようで彼女の脚はゴルゴーン族が住むと言われている奥へは行かないように、先程の場所からU字に、ただし、村の入り口には出ないルートだと自分の方向感覚を信じて走り続けている。このような時でも正気を失えないのは理性を司る王族の性か、彼女自身の本質か。
「うぅ゛っ、ぐっ!」
しかし、流血と肉の溶解に耐えながら、何キロもその小さく変化させた姿で全力疾走した彼女の体力は限界を迎えようとしていた。
抜けていく脚の力、思い浮かぶ最後に聞いたニカウレーの悲痛な叫びやルシウスたちの見送る手。
「ご、めん……」
膝をつこうとした刹那、銃声がぴたりと止んだ。
朦朧とする視界の中を、先程の少年が駆けてくる。
「大丈夫!?」
先程までされていた目隠しは外され、若草と深淵と星が混ざったような不思議な瞳がオラシオンを捉えていた。それはオラシオンの目に入る前に、また目隠しで覆われてしまう。
「血も溶け具合も酷い……触ると痛いよね?
とりあえず、これで流せるだけ液を流すよ。大丈夫、ほら、これは真水だから」
少年は取り出した木の水筒の水を、自分の手にかけてオラシオンに見せる。
オラシオンは、藁にもすがる思いで、若干震えながらも少年に左腕を差し出した。
「ここが一番酷いんだね……いくよ」
左腕から始まり、肩や背中、足などの溶解液が少年の手を伝い優しく流される。
その間も、少年は苦痛に歯を食いしばるオラシオンに優しく声をかけ続けた。
「君を狙ってたひとは石にしたから一時間は動けないし、すぐに村の人を呼んでくるから、もう少し待ってて」
空になった水筒をオラシオンの小脇に置き、少年はまた走り出す。
少年が去った静寂の中、朦朧としつつも手放せない意識の中で、オラシオンはいつもの恐怖とは違うものをうちに感じていた。
「姉上のように……強ければ」
こんなに傷つかなくても誰かと過ごせるのだろうか、という言葉は出せなかった。絞り出した声には、悔しさが滲む。閉じられた瞼の裏には、姫ながら最高の騎士と呼ばれた姉、フィエルテの姿が浮かんでいた。
「でも、わたし……じゃ……」
————自分の脚で逃げ切れもしない。
己の強さに気づかぬまま、閉ざされた心と同じように、意識も閉ざされていってしまった。
その頃少年は、村の入口へ慣れた森の中を全速力で走っていた。
段々と森が明るくなり、村へ近づいてきた頃、少年の耳に駆ける蹄の音が届いた。
「エレオス!」
そう少年を叫ぶように呼んだのは、ペガサスに姿を戻し、黒い艶やかな体毛をなびかせて駆けてきたヘンリーだった。
「急いでいるところを引き止めてすまない。
森の中で白い竜族の女の子を見なかったか?」
矢継ぎ早にヘンリーは問う。
どれほど走り回ったのだろうか、その黒光りする額には汗が滲んでいた。
「やっぱり村の子だったんですね。すごい傷でした、早く先生を呼びに行かないと!」
「!医者はルシウスに呼んでもらう。その場所まで案内して欲しい」
「っ、わかりました!」
「ありがとう、乗れ」
ヘンリーはエレオスを背に乗せ、エレオスの案内通りに再び疾風のように駆けていく。
走りながらバッグにつけられた白い鉱石で出来た小さな鐘を翼で器用に揺らす。するとそれは光り輝き、軽快な鐘の音が響いた。
「ルシウス、聞こえるか」
『聞こえてる!見つかった?』
鐘から聞こえてきたのは、風を切る音とルシウスの声。
「ああ、エレオスが見つけてくれていた。酷い怪我らしい。
今向かっている」
『じゃあ俺は先生を呼んでくるよ』
「ついたらまた鳴らす」
『了解!』
ヘンリーがもう一度鐘を揺らすと、鐘は輝きを治め、同時に風を切る音もルシウスの声も止んだ。
「とばすぞ、掴まれ」
「は、はい!」
不安をかき消すように速度を上げ、力強く蹄は大地を蹴っていく。
「いた!」
そして、瞬く間に力なく横たわる少女の姿が天馬の目に入る。
草が揺れて傷に障らぬようヘンリーは焦りを抑えゆっくりと減速していく。
エレオスが背から降りると、姿を人間に戻し、再び鐘を鳴らしてルシウスに現在地を知らせると、眉をひそめながら惨い状態のオラシオンの様子を伺った。
「僕が離れる時にはまだ意識はあったんですが……」
エレオスは、意識を失ったオラシオンの傍に置いていた水筒を手に取る。
「応急処置はお前が?」
「はい、経験があったので。これ以上の侵食はないと思います」
静かに語るエレオスに、ヘンリーはひそめた眉を若干緩める。
しかし、表情は翳ったままだ。
「そうか、ありがとう。……すまない、巻き込んでしまって」
ヘンリーは拳を強く握る。
「結局のところ、俺は何もできやしなかった」
ヘンリーは苛立ちを抑えきれず呟く。それは己自身に向けたものだった。
「ヘンリーさん……一体何が、この子は……」
「村へ戻ったら話そう。ここでは話せない。それに、まだやることがある」
応急処置も済んでいるとなると、医者が到着するまで意識を失ったオラシオンに二人はもう打つ手がない。
やることと言えば
「刺客を拘束する」
そして、あとから到着したルシウスに「ワレモノ細工の輸送でもここまで厳重にしないよ」と言われるほど、拘束、またの名を梱包が刺客に施された。
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