第9話 すり抜けていく思い
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
東の空の太陽を背に、ニカウレーがカランカランと鳴ると赤い木製のドアを開け、オラシオンを中へ誘う。
「ここが、郵便局……」
ここは、ホワイト兄弟の家兼職場である村の郵便局だ。
「見たことないものが、沢山ある」
オラシオンがキョロキョロと室内を見渡すと、ふよふよ浮いている切手や絵葉書のコーナーや、古びた木製の住所記入の紙を書く台などが目に入る。
「あっ、来たきた。二人共おはよう」
受付と書かれたカウンターの奥からからルシウスが顔を出した。
服は郵便局員の制服であろう、しっかりとした造りの紺色のベストを着込んでいた。
「そっか、オラシオンは郵便局も初めてか」
「は、い」
「よし、じゃあ、多少は知っていると思うけど、軽く説明するよ」
ルシウスが空に指をかざすと、ポンという音と共に白紙の手紙一式が、何も無かったはずの彼の手に握られる。
「ここは村に来た手紙や荷物をそれぞれの家に届けたり、逆に国中や外国にまで色々なものを送ることが出来る場所だよ。
小さいこの村の物流の拠点でもあるね」
ルシウスは、白紙の手紙や切手のようなシールをオラシオンに手渡した。
「オラシオンも何か送りたいものがあったらいつでも言ってね。
あ、でも大き過ぎたり重すぎたりすると、ドラゴンとかサンダーバードなんかの重量系配送者に頼まないといけなくて、値段がぐっと上がるから気を付けて」
重さや大きさで分けられた料金表にルシウスが指をさした。
細かく別れた項目には、重さの他にもワレモノ注意などの事細かく多くの種類がある。
「まぁ、こういうのは使う内に慣れていくものだから、説明はこれくらいかな。何となく分かった?」
オラシオンはこくりと頷く。
それじゃあ、とルシウスが言いかけると、扉がカランカランと開く音がした。
「配達終わったぞ。ん、2人とももう来ていたのか。おはよう」
そこに居たのはルシウスと同じ紺色のベストを身に付けたヘンリーだった。
「おはよう、ヘンリー」
「おはよう、ございます」
「ん。昨日の疲れは残っていないみたいだな」
青く鋭い眼光がぶっきらぼうにオラシオンを見下ろす。
騒がしいほどまであるルシウスと違い、ヘンリーは無口でどことなく冷たい印象があるが、オラシオンはそこはあまり気に留めていない。
「はい。大丈夫、です」
「そうか、なら良かった」
そう言ってヘンリーは少し目を伏せた。
「速達番お疲れ、ちょうどいいところに帰ってきた。
棚からアレ持って来よう」
「ん」
「オラシオンに頼む荷物を持ってくる。ちょっとそこで待ってて」
オラシオンはこくりと頷いて、ニカウレーと二人で隅に立って待っていると、ルシウスとヘンリーが、一人で抱えてあまりあるほど小さめの箱を四つほど裏手から運んでくる。
しかし、オラシオンとニカウレーから見るその光景は異様だった。
「ゆっくりゆっくり……う……」
一見軽そうなそれを、ヒトの成人男性の体格である彼らが、さも超重量級の重りを持つようで運んでいるのだ。
「オーライオーライ、よっ、こらせ……」
「はぁ……」
それを下ろすと、まるで大きな鉄の鉛が置かれたように木製の床が軋む。
「お、重そう……」
思わずニカウレーが漏らす。
「マジで超重いよ。でも、これ中量系の規定ギッリギリの重さだから、家まで持っていかなきゃ行けないんだよね。しかも、魔法操作禁止物」
魔法操作禁止物というのは、文字通り重力魔法や、軽量化魔法を使用してはいけない荷物に付けられる規定である。
主に、魔法に影響されやすい魔法道具を運搬する場合などにつけられる場合が多い。
「重力変化が使えないとなると、この鉛を運ぶのは見た通り億劫でな。一軒一軒一個ずつ持って行っては戻って来る予定だったんだ」
「けど、ちょうど今回はオラシオンが手伝ってくれるって言うから、持って行って貰おうかと思って」
「試しに持ってみてくれ」
「は、い」
促されるまま、オラシオンは割れ物に触れるかのように箱へ手を添えると、まるで空箱を持ち上げるかのように、いとも容易く四つとも持ち上げてしまった。
「ん、大丈夫そうだな。壊れる様子は無い」
オラシオンは胸を撫で下ろす。
そも、ロストドラゴンの特徴の一つである山一つ破壊するといわれる怪力を持つ彼女にとっての問題は、荷物を持ち上げられるかどうかではなく、握り潰さないかどうかなのである。
「今回頼んだ理由でもあるけど、オラシオンは本当に力加減上手いよね。
オルコスなんて、ここに来てすぐはすーぐ何かしら粉砕してたのに」
ルシウスは感心したように呟く。
その脳裏には、止めようとした目覚まし時計を寝ぼけながら木っ端微塵にする幼き日のオルコスが浮かんでいた。
「 やっぱりニカウレーと暮らしてきたからかな?」
ルシウスは、馬車を降りるときに握った手や、昨日の魚釣りのときでの竿の扱い方などを思い返し、不思議そうに顎に手を当てた。
「あぁ、姫様が五歳くらいの頃に私の二の腕を握って真っ二つに折ってから、とても練習して下さったんだよ」
「「握っただけで真っ二つ」」
ニカウレーが懐かしむように遠い目をするのを、兄弟は声を合わせて若干引き気味にニカウレーを凝視する。
「あのときは本当に力加減が出来なくて……ごめんなさい」
オラシオンは、気まずそうにしゅんと俯いた。
「いいんですよ、今では驚いても床を踏み抜かなくなりましたしね」
「そりゃ力加減も得意になるか。
じゃあ、荷物運びは安心して任せられそうだな」
ルシウスは四地点に赤い印が付けられた地図をニカウレーに手渡す。
「俺たちは別の仕事があるからここで待っている。
村の奴らは全員お前の兄姉たちと面識があるから安心していいが……頼めるか。
無理はするな。元々運ぶ予定のあったものだから、俺もついて行く」
ヘンリーは、案ずるように問う。
「い、いえ、頑張ります。村の人達は大丈夫、です。信じ、ます」
オラシオンが自分を奮いたてるように返事をすると、ヘンリーの目が僅かに見開かれる。
彼女は自分が思うよりもずっと強いのかもしれない。あの眩い姫騎士に似て。
ヘンリーのいつもへの字に結ばれた口元は、微かに緩んだ。
「行ってきます」
オラシオンにとっては初めてのお使い。
手を振る二頭の天馬に見送られ、不安は拭えないが、その心は王城に居たときより幾分か上を向いてその足は力強く前に進んでいった。
「そうそうこれこれ、助かったわ〜、届けてくれてありがとう」
「おや、また随分と可愛い郵便配達屋さんだねぇ、お手伝いかい?ありがとうねぇ」
「良かった間に合って、在庫が切れそうだったんだ。ありがとう」
配達先は、幼い子を抱えた主婦、腰を悪くしたご老人、バーのマスターと彼女が触れてこなった者達ばかり。
「ありがとう、たくさん言われた」
うわごとのようにオラシオンは呟く。なんということはない言葉だが、見知らぬ人からの感謝など受け取ったことのない彼女の心には強く響き、その嬉しさは次はどんな人なのだろうかと次に出会う相手へ希望になっていた。
「ふふ、そうですね。あ、ここで最後です」
そこは村の大通りに面したパン屋。バターの香りが鼻をくすぐる至って普通のお店だ。
「ここのフルーツクリームは最高なんですよ、宅配ついでにおやつとしてルシウスたちへも買っていきましょう」
「うん、私も食べ……」
たい、とオラシオンは続けなかった。否、続けられなかった。ふと目に入ったギラリと光る銃口がニカウレーに向けていたからだ。
「どうしまし、きゃっ!」
オラシオンは勢いよく店の扉を開き、ニカウレーを店の中へ突き飛ばす。刹那、火薬が爆発する音と共にショーウィンドウを銃弾が粉々に砕いた。
「姫様!」
「開けないで!」
ニカウレーが閉ざされた扉へ手を伸ばそうとすると、オラシオンの張り詰めた声がそれを制止した。
「だいじょう、ぶ。大丈夫、だから」
オラシオンの判断は冷静だった。ニカウレーはこの弾丸に射抜かれれば四肢の一本、または臓器のひとつを失う。しかし、オラシオンは精々表層からの流血と激痛だ。
「させない……」
いくら精神が子どもであろうと、国を守るために受け継がれてきた血は、役目を全うせよとこの場の誰よりも強い身体をもって訴えかける。彼女はそれに応えた。
「姫様っ!危険です!」
「開けちゃダメだよ!あんな威力の弾丸、お前さんじゃ耐えられない!」
「でもっ!」
銃弾の音が響く中、扉を開けようとするニカウレーを、騒ぎを聞いて店の奥から出てきたパン屋の店主が引き留める。
「駐屯所に連絡ついたよ!すぐ来てくれるってさ!」
店の奥から銀色のベルを持った奥さんが慌てて駆け出る。
二人とも刺客の暴れっぷりに慌ててはいるが、元よりオラシオンが狙われていることは聞かされていた。
「悔しいだろうが、今しばらくの辛抱だ。俺たちじゃ返ってあの子の足でまといになっちまう。大丈夫、すぐに騎士が来るよ」
「どうして、村には入ってこないって……うぅ……姫様……私は、どうして魔法が使えないの……あぁ、せめて、ここにいるのがルシウスたちだったら……」
ニカウレーが縋る扉の向こうでは、銃声と玉が弾かれる鈍い音が絶え間なく続いていた。
「っ、あ゛」
弾けた鉛玉から飛散する液体が鱗を侵食する。心臓と頭を守っている腕が爛れ始めた。
「い゛ぃ……っ」
同時に希望で充ちていた心まで侵されていくが、微かな希望、店内から漏れ聞こえた騎士の来訪まで耐え切ればという事実だけが彼女の心を支えている。しかし。
「きゃぁぁっ」
「お前!」
弾けた弾の欠片が店内に入り、被弾をした店主の奥さんの悲鳴が響いた。
「あ、ああぁ……」
オラシオンは、再認識した。今、ここにいるのは、ここで生活しているのは鍛えられた王城の役人ではない。ここは村だ。戦うために生きている訳では無い住人がいる。誰にも、罪はない。危険があると知っていながら、自分を受け入れてくれた心優しい住人たちなのだ。この場から自分が離れなければ更なる被害が出る。
「お前!お前!」
「大丈夫だよあんた……これくらいかすり傷さ……」
自分が居なければ傷付く必要のなかった者たちが傷ついていく。恐怖に打ち震えようとも、生命が目の前で失われるのは、否が応にも目の前で命を絶った母の姿を脳裏に巡らせた。
「姫様ぁっ!!」
彼女を守りたいと願った者の手も届かず、少女は独り一心不乱に村の外へ駆け出して行った。
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