第8話 慈しみの中で


 翌朝は、ホワイト兄弟に連れ出され、村近くの湖畔に来ていた。

レジャー的な遊びをするということで、今日はオラシオンも堅苦しい服から身軽な軽装に、ニカウレーも召使いの制服から動きやすい軽装、というより私服で足を運んでいた。


「ここは、おおよその自然の中でできる限りの遊びができるよ。

オラシオンは生まれてこの方王城暮らしって話だから、無難にのんびりできる釣りからやってみようか」


 ルシウスの提案にニカウレーやヘンリー達と同じく頷くオラシオンだったが、その顔は張りつめている。


「じゃあ、釣りの仕方を教えるね。餌の魔力ゼリーは準備済み、早速つけよう」


 彼らは、そんなオラシオンにあえて慰めの声をかけることはしなかった。


「包みが破れないようにこうやって……そうそういい感じ」


「ルシウス……この魔力ゼリーデカすぎやしないか?」


「何言ってるんだよ、超大物はそれくらいないと引っかからないだろ」


 気を使って苦しめてしまうのであれば、なるべく自然体でオラシオンと接する。それが、双子が選んだ彼女への気遣い方だった。




「いやぁ、まさか渾身の魔法ゼリーより、水に浸かった尻尾の方が引が良いとは……」


 ガブガブと尻尾に噛み付く魚のような半透明の獣を、涙目で引き剥がしながらトホホとルシウスは耳を垂らす。

 その様子にヘンリーは呆れたようにため息を漏らすしかない。


「長く放置された多い魔力よりも、少ないが新鮮な魔力の方がヴィヴィマナも良いんだろ。

お、またか」


「そういいながら俺の魔力でできた特大ゼリーでヴィヴィマナを釣りまくるなよ!」


 あまり引きの良く無い竿を持ちながら、横で行われる漫才をオラシオンはポカンとした見つめていた。


「どうかされましたか?」


 ニカウレーが声を掛けると、はっとしたようにオラシオンは二人から目線を外して水面に目を移す。


「なんだか……不思議だと、思って」


「そうですね。姫様にとって、これから見るものは全て物語のようでしょう」


 浮き足立つような声色のニカウレーの表情は自信に満ちていた。それはまるで、自分が経験者であるようだ。


「全部が……?」


 オラシオンは顔を上げ、不安げにニカウレーを見つめる。


「ええ、何でもやって、色々な所へ飛び込む。ただし、絶対一つやってはいけないことがあります、さて、何でしょう」


 少し意地悪く笑うニカウレーに、オラシオンは目を細くし考えを巡らせたものの、結局ギギギと噛み合ってない歯車のように首を傾げた。


「諦めることです」


 ニカウレーはほくそ笑む。


「立ち止まってもいい、死にそうだったら逃げてもいい、敗北だって時には役に立ちます。でも……あっ、姫様竿が!」


「えっ」


 オラシオンにとっては微々たる動きで気付きもしなかったが、彼女の手に握られた竿は右往左往と激しく暴れ回っていた。


「ど、どうしよう……」


「手で誘導しますから、合わせてください!」


 ニカウレーがオラシオンの手を包む。漫才をしていた双子も、いつの間にか「頑張れー!」と声をあげてオラシオンの挑戦を見守っていた。刹那、竿を引く力が僅かに緩む。


「今です!」


 快活な声を合図に鱗が浮かぶ手が一気に竿を振り上げた。


「諦めたら、掴めるものも掴めないんです!」


 飛沫をあげて一等大きい半透明に輝く一匹のヴィヴィマナが少女の頭上へ打ち上がる。

 陽光に反射するその体が、オラシオンには一際美しく見えた。



 みんなで釣りをして、みんなでそれを焼いて食べる。刺客は来ず、食卓に毒物など一つもありはしない。

 そんな穏やかで楽しい一日は足早に過ぎ去っていき、いつの間にか空は茜色に染まっていた。

一行は仕事で来ることの出来なかったウィリアムへ土産のヴィヴィマナをカゴいっぱいに詰めて帰路に着く。


「オラシオン、今日はどうだった?」


 村へ向かう一本道で、ルシウスが落ち着いた調子でオラシオンに問いかける。


「……初めてのことばかりで、外なのに怖いこともなくて……楽しかった、です」


 彼女の心情は穏やかであった。

 今日一日、無力なニカウレーしか付いておらず、村からも遠い。いつでも殺すタイミングはあったのだ。長期的にほだしてくるのでは、という不安もあったが、そこまでして油断させる必要も無い。


「また、釣りをしたいです」


 小声ではあるが、はっきりと彼女は述べる。その表情は、雲間の光のように穏やかな笑みであった。


「もちろん、また行こう」


 一歩先を歩くルシウスの声もひと安心したように穏やかで、オラシオンの背を守るように半歩後ろを歩くニカウレーの目には薄らと安堵の涙が浮かんでいた。





 その日、街明かりはすっかり消えた夜。オラシオンは既に眠りについたあと。ウィリアムの家にて、ウィリアムとニカウレー、今日オラシオンについていた兄弟が、真剣な眼差しで一つのテーブルを囲んでいた。


「間違いなく、つけられていました」


 ルシウスは水晶のようなものから空中に映像を投影する。

 そこは昼間の湖畔。段々と映像の中で目線がズームしていく先には、草むらに隠れた銃を持つ男の姿があった。


「俺たちに気づかれていることは分かっていたらしく、直接手を出すことはしてこなかった。それと……」


 ヘンリーがもう一つの水晶から投影したのは、帰り道。


「ずっとつけては来ていたが、村には入って来なかった」


 村にオラシオンたちが入った後は、来た道を戻っていく黒い影。

ウィリアムは、頭をくしゃくしゃと掻く。


「村には騎士の駐屯所もあるし、流石にそこまでぶっとんだことはせんか。しかし、まだ村の外への外出は危ないなぁ、今日の装備も毎日は用意できん」


「そうですね……これお返ししておきます」


「おう、使わなくて済んだのは幸いだったな」


 ルシウスがバッグから出したのは、昨日馬車で使ったものと同じ鉱石。

 魔法でも物理でも何物も通さないことがウリの希少なものだ。なんと、魔鉱石職人であるウィリアムの自家製である。


「外出は確かに危険だけど、姫様の〈脱皮〉を促すには外の世界の良い刺激は絶対必要だよ」


 真剣な眼差しを向けるニカウレーの手にはロストドラゴンの生態と歴史と書かれた古びた本が開かれていた。


「脱皮?確かに脱皮直後のオルコスたちの魔力量はそりゃすごかったけど、ずっと強いわけじゃなくない?」


 双子はアマルギートの王子たちの脱皮姿を思い出しながら、二人揃って疑問符を浮かべる。


「そっか、兄王子様たちは危険が特になかったから気にしなくて良かったのか。

脱皮ってね……」


 ニカウレーは眺めていたロストドラゴンについての文献を双子に差し出した。


「おぉ、こんな古い資料でも綺麗なもんだなぁ」


 そこには、オズワルド王子脱皮直後と記される、頭上の空中に鱗で作られた冠を湛えた竜の姿が残されていた。


「竜族と巨竜族は、成長期の節目節目で身体中の鱗が一斉に剥がれ落ちる。それはわかっているな?」


「はい、オルコスとムートのは見てますから。頭上の王冠も、脱皮したての体を守るための魔力の急上昇でできるんですよね」


「そうだ。だが、それじゃ無い」


 ウィリアムは脱皮一週間後における鱗の強度実験と書かれた図を指さす。

載せられていた竜は何かしらの液体を頭から滝のように浴びていた。


「ん?これは……」


 周囲の岩は腐食し、液体が飛んだであろう部分の服が溶けた従者の姿の描写が兄弟の目に入った。血色が良かった双子の顔面が何かを思い出したように一気に青ざめる。


「この、ドラゴンが浴びてるの、溶解液じゃ……」


「っすまん」


 ウィリアムは双子の表情を見て慌てて本を閉じようとするが、双子の手がそれを止める。


「大丈夫です。今、これは必要なことです。俺たちは目を背けてはいけない」


「これで見知った顔を失うのはもう嫌ですから」


 迷いがない青い目にウィリアムは再び本を開く。しかし、本を覗く双子の顔色は悪く、険しい。


「兄さん、たち……?体調悪い?無理は……」


「大丈夫大丈夫、気にしないで」


「いつか、お前にも話す。今は……少し難しいが」


 何も分からず狼狽えるニカウレーに、顔色を悪くしたまま双子は笑ってみせる。


「手短に終わらせよう」


 ウィリアムは再び、溶解液を滝のように浴びる竜の肖像のページを開く。


「はは、流石王族……そうだよな、この前もフィエルテさんが山半分が崩れた土砂崩れを身一つで止めたって新聞に書いてあったし、これくらい強くないとやってけないんだ……」


「大変な家業だよ、王族も。まぁ、脱皮でこれだけの強度が手に入れば、臆病なあいつも安心だろ?」


「確かに、これなら弾丸の一発くらい水滴と一緒です。

だから脱皮を急ぐんですね」


 希望を覗かせるルシウスを横に、ニカウレーは眉間に皺を寄せている。


「うん、そうなんけど、脱皮するまでが大変で……」


 ニカウレーは困ったように慣れた手つきでページを巻き戻す。


「ここ、脱皮する条件が書いてあるんだけど、身体が大きくなるだけじゃなくて、精神的な成長が必要って書いてあるの」


「それはまた随分と漠然としているな……」


 ヘンリーが差し出された文献を覗くと、脱皮方法に関する記述はその一行のみであり、さらに頭を抱えた。


「でしょ?だからフィエルテ様に聞いたんだけど、『自分のやるべきことを見つけたとき』って言ってらしたの」


「フィエルテさんもアバウトすぎ……」


 四人は頭を抱えた。


「だが、俺たちでは身体を鍛えてやることが出来ない」


 ヘンリーは顎に手を当て眉間に僅かに力が入る。現時点でさえ、自分達よりも幼い姫の方が身体上は強いのだから。


「ああ、でもな、例え漠然としていたとしても心の成長は助けてやることは出来るはずだ。あいつは社会の仕組みこそ勉強していようと、実態を知らなすぎる」


「俺たちは一応社会人ですもんね。多少の勉強にはなるはず」


「ああ、俺たちにできることをしていこう。村のみんなも救世主の娘とあって乗り気だ。力を貸してもらおう」


 力強いウィリアムの言葉に、卓を囲む者たちも頷く。


「今後は様子を見つつ村の中で職業体験をしてもらう。明日は試しとして郵便局が良いと思うんだが、どうだ?」


「もちろん大丈夫ですよ。明日だと……ちょうどオラシオン向けの届けものがありますし、こっちも嬉しいです」


 決まりだ。大人たちはぼんやりと光るランプの下、顔を見合わせる。


「よし、じゃあ今日のところは解散だ。お疲れ、ゆっくり休めよ」


 照明は落とされた。

明くる日のために各々が動き出す。


「はやく、早く仕留めなければ……!」


 ランプを落とした暗闇の中、窓の外で爛々とする目が、焦燥に動き出そうとしているとも知らずに。

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