第7話 光に灼かれ


「おーい、見えてきたぞ!」


 ハキハキとした太い声が荷台に響く。

 微睡みを漂っていたオラシオンとニカウレーは飛び起き、何が起きたのかと言うような顔でパチパチと目を瞬かせた。


「はっはっは、良く眠っていたな。そら、あれがお前の母さんが生まれ育った村だよ」


 ウィリアムの横から顔を出し、山と山の間、四方を山に囲まれた一本の川が流れる小さな村がオラシオンの目に映る。


「王都に比べりゃこぢんまりしてはいるが、居心地は保障するぞ」


 馬車は地面と触れ合いカタカタと軽やかな音を立てて村の入口を抜けて石畳の道を鳴らした。

 素朴でいて可愛らしく、色とりどりな屋根の民家を脇目に大通りを進んで行く。

目が眩むほど真新しい景色の中でオラシオンが何よりも驚いたのは


「おかえりーウィリアム、ルシウス、ヘンリー」


「無事で何よりだ、新作のタルトを焼いたから後で姫さんと食いに来いよー」


 ウィリアム達、ひいては自分達にも気さくに声をかける村の住人たちだった。誰もが極普通に、当たり前のように穏やかな顔をして馬車を見送っている。

 王城の剣呑な表情の官吏や騎士ばかり見てきたオラシオンにとっては、夢現かと思ってしまうほど、そこは活気に満ちていた。


「ミーシャさんただいまー。ジョン、後で行くよ!」


 快活に返事をするウィリアムも夏の日差しのように眩しい。

 小さくも活気ある村は、馬車から見える日常風景ですらオラシオンの閉ざされた心の隙間から新鮮な風を入れる。


「到着でーす、長旅お疲れ様」


 馬車が到着したのは大きな噴水がある広場。

 荷台から顔を出し、辺りをキョロキョロと物珍しそうに見回すオラシオンの前に手が差し出される。


「お手をどうぞ」


 いつの間にか人に姿を変えていたルシウスはオラシオンに微笑む。


「あ、りがとう、ございます」


 先程会ったばかりの人物から差し出される手を、少し震えながらもニカウレーの兄貴分という彼らを疑いたくない一心で、オラシオンは勇気を振り絞ってそっと取る。


「温かい……」


 握り返された手は完璧なエスコートとは言えない、キュッとオラシオンの未発達の手をを包み込む、友達同士が手を繋ぐようなものだったが、オラシオンには、今までエスコートされたどんな名のある貴族よりも繋ぎやすい手であった。


「あー、さっきまで走ってたから体温上がってて……もしかしかしてベタベタしてる!?ちょっと待って今拭くから!」


「そういうのは先に確認しておけ」


 慌てふためくルシウスに対して、冷静かつスマートにニカウレーを下ろすヘンリーとの他愛もない会話に、オラシオンはパチパチと瞬きしながら、これからの生活は今までと違うという実感を感じ取って不安とは違う、どこか浮き足立つようなものを感じ始めていた。


「おーい、オラシオン。村長が来てくれたぞ」


 一足先に馬車を降りていたウィリアムの方を見遣れば、そこには腰が曲がりながらも光の鱗粉を纏った羽を背に背負う老女が微笑んでいた。


「よう無事に帰ってきた、ウィリアム、ルシウス、ヘンリー。

ニカウレーもおかえり。疲労は溜まっているようじゃが、ひとまず息災そうでなによりじゃ。お前さんの先は長い。ゆっくり休んでいきなさい」


 目元が見えなくなるほどの笑い皺が刻まれた老女はそれぞれに優しく語りかけ、最後にオラシオンへ目を向ける。


「はじめまして、オラシオン。ようこそ川沿いの村、ヒーリィへ。

わしは村長のメリッサじゃ」


 メリッサはくるくると手に持つ杖を振りかざし、たちまち美しい花吹雪を巻き起こす。それは器用にオラシオンの頭に健気な淡い春色の花冠を作り上げた。


「ニカウレーからの手紙で事情は聞いておるよ。さぞ辛い思いをしてきたのだろう。ヒーリィはお前さんを歓迎するぞい。この村の誰もお前さんを傷付けないとこの羽に誓って約束しよう。存分に楽しみ、安らぎ、学んでいっておくれ」


 通りすがりの村人達も、忙しなく動きながらもオルコスからも話は聞いているよ、分からないことがあれば聞いてくれ、など様々に声をかけた。


「ここは小さな村だが、治安良さと人の良さはお前の父ちゃんお墨付きだぞ。なんたってお前の母ちゃんが一から再興したんだからな」


 ウィリアムはにっと笑う。

今、オラシオンの周りは城の独特の冷ややかさとは全く違う、真っ直ぐな力で包まれている。それは彼女が描いていた空想の中の世界のようであり、未知だ。


「よろしくお願い、します」


 未だ震えは拭えない。それでも、彼女は「進みたい」と願えたのだ。





「よぉーし、それじゃあ村の案内、行っちゃいますかー!!」


 ルシウスが高らかに手を上げるとぐぅぅと元気な腹の音が響いた。


「は……」


「まずは腹ごしらえ、だな」


 まずは広場のベンチでお弁当タイムから始まった村案内、食事の後には雑貨屋や洋服店から、ヤギの足を持ったおじさまが経営する時計屋など様々な場所を巡った。どこも活気に溢れ、ウィンドウショッピングなど初めてなオラシオンが尻尾を揺らしただけではなく、十年間村から離れていたニカウレーまで目を輝かせた。


「ふぅ、午後だけでしたけど大分周りましたねー」


 すっかり日も暮れ、一行は村外れの川のほとりで一息つく。いまだ目新しそうに、また、辺りを警戒するようにオラシオンは周囲を見回していた。そしてある一点に目が止まる。オラシオンたちが村に来たときには気にならなかったが、村の外れに見える巨木が並ぶ深い森が、黄昏の光でその威容を増していた。


「あー、そこはゴルゴーンが住んでいる森だよ」


 ルシウスは少し気まずそうに眉を下げる。ゴルゴーン、それはオラシオンにも聞き覚えがある種族だった。


「結構長いことそこに住んでるんだけど、他の種族が怖いって早々出てこないんだよね」


 ゴルゴーン。それは石化の眼を持ち、目を合わせた相手をたちまち石にしてしまう魔法を受け継ぐ一族。石化などの魔法は珍しくもないが、もうひとつ、彼らには特徴があった。


「ゴルゴーン族が王族を裏切ったのももう何万年前のことなのにねー、別に一族総出で初代を殺した訳でもないのに、まだ気にしてるんだって感じ」


 そう、ゴルゴーンが背負う業は初代国王殺し。今でも国中から“裏切りの一族”と揶揄される最大の罪である。

 ゴルゴーンの一族はは初代国王を裏切り、殺したとされる魔女メデューサの子孫だ。現在の王族の絶大な支持の基盤となる偉大なる建国の王を殺めたということで、地域差こそあれど今も尚疎まれ続けている。しかし一族自体は何も悪くは無いため、長年議会でも差別は問題視されているが、蓄積された疑念の根本は中々解消されていない。


「まぁ、難しい問題だしお互い触れてない感じ。見るのも雑貨や本とかを買いに来る子どもくらいかな」


 人里離れたゴルゴーンには触れないというのが近頃の暗黙の了解だ。これでも当時より遥かに待遇が良くなったと言えよう。


「興味あったら行ってみても……いや、君はあんま近付かない方が良いか。

ゴルゴーンの中には自分達を悪役にした王族に恨みを持っているのも多いらしいし」


 十四年しか生きていない自分でも、今日出会った彼らに全面の信頼を置くことはできない。それなのに、何千年、何万年と迫害されてきた者たちが、その元凶である自分たち王族を受け入れることなど容易にできるはずがない。王族の存在を受け入れられなくて当然だ。


————こんな共感も彼らにとっては侮辱だろう。自分ができることといえば、彼らに関わらないことだ。


 そう思いながら、オラシオンの赤い双眸は静かに森を見つめていた。


「っと、日が沈みきりそうだな。

明日も忙しくなるし、早く帰って休もう」


 森に興味を示すオラシオンを横目に見て、ウィリアムは口角をあげニカッと笑う。わざとらしく上げられた一声を皮切りに、一行は帰路に着いた。オラシオンは硬い表情のまま森を少し見やりながらも、すぐに前を歩く大きな背中を追いかけた。


帰る場所として向かったのは、ウィリアムの家兼魔鉱石の工房。 古い木造の一軒家に工房が隣接している。ここの一室にオラシオンたちは居候として住まわせて貰うことになっていた。


「疲れただろう。手早く風呂に入って飯を食っちまって寝た方がいい。ルシウスも言っていたが、明日も忙しいぞ」


 忙しいとは何をするのだろうかと思いながら、オラシオンは生活感たっぷりで王城の風呂より少々が温度高めの樽風呂にご満悦な様子。そして、具が全てざく切りという大雑把なシチューでもてなされた。

 食事に毒を仕込まれることが多かったオラシオンにとっては最後にいつ食べたか分からないほど久しいニカウレー、もしくは自分の手料理以外の食事だ。親戚の作ったものだと分かっていても、刷り込まれた不信感にオラシオンの細い喉がゴクリと鳴る。


「大丈夫ですよ、ほら」


 固まっているオラシオンに、ニカウレーはシチューをお大口で一口パクリと頂く。


「ん〜久しぶりのウィリアムさんのシチュー、とっても美味しい」


「そりゃ良かった。お前が何かにつけてこれを強請ってきたのは今でもよーく覚えてるぞ。あの頃はお転婆だったからなぁ」


「そ、それは言わないでください!」


 普段のしゃんとしたニカウレーとは違いウィリアムのいじりにあたふたする姿をオラシオンは少し驚きつつも、親しげな二人を見て、勇気を振り絞り、恐る恐るではあるがシチューを口に入れた。小さな口内に広がる濃厚なクリームソースの味にみるみる内に強ばっていた目が一際輝く。


「おいしい……!」


「!!……はい、とてもおいしいですね!」


 それは、いつも食材を王城の厨房に取りに行くのすら命懸けでどうしても節約しなければならず、薄味のものばかり食べていたオラシオンの味覚に革命を起こした。近所の牧場で飼われているミルキーマナの乳をふんだんに使い、野菜も新鮮で、煮ることで出たエキスがさらに味を複雑にしていた。大雑把な見た目に反して、その味は深い。

 何種類と舌に乗せてきた毒特有の痺れるような味は全くせず、ニカウレーもどんどんと食べているのもあって、自然とスプーンの動きも早くなっていく。緊張から食欲を失っていたオラシオンだが、やはり十四歳という育ち盛り。ウィリアムが気づく頃には、あっという間に平らげてしまった。


「おお、食べっぷりは兄貴達に負けてねぇな。おかわりはたんとあるぞ、食べるか?」


 いい食べっぷりにウィリアムもニカウレーもガハハと笑う。オラシオンは目を輝かせて頷き、お願いしますと見事鍋を空にしたのだった。




 夕食も食べ終え、一息ついたあと、まだ日付が変わるだいぶ前ではあるが、オラシオンは溶解液がかけられた腕に薬を塗るために、ベッドに座り込んでいた。慣れた手つきで塗っているが、どこか動きにムラがある。


「姫様、お疲れですね」


 ニカウレーは、今日は私が塗りますと寝ぼけ始めているオラシオンの手からそっと薬を抜き取った。


「今日はいかがでしたか?」


 薬を塗りながら、世間話のように軽くニカウレーは問う。


「見たことが無いものばかりだった。

全部が新しくて、陽射しは怖いくらい暖かくて、少し……疲れてしま、った」


 最後の言葉はしりすぼみしていき、うつらうつらと首が上下し出す。

 今まで安心して身を預けられるのは、ニカウレーと滅多に会えない父兄姉達だけだった彼女に、ここの住民にとって普通の親切心があまりにも大きかった。日中も猜疑心と素直な心がずっと衝突していた。

 城の中とはまた違う環境は、例え良い変化であろうと消耗が大きかったのだ。


「早くこの環境になれてしまえると良いですね。はい、塗り終わりましたよ、今日はもう眠りましょう」


 起き上がり人形のように傾きつつも、「ありがとう」とオラシオンは呟いて燃料が切れたようにボスンと布団に沈む。


「おやすみなさい、姫様」


 すぅすぅと規則正しく呼吸をする少女の身体へそっと布団をかけてやり、ニカウレーの細い指はぼんやりと光る灯りを静かに消した。

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