第6話 嵐を突き抜ける春の風
「さぁて、ここからが問題だ」
すっかり城が見えなくなった頃、いつの間にか馬車を真っ黒な雲が覆い、けたたましい雷の轟音と雨が銃弾のように打ち付けていた。ウィリアムの声に緊張が走る。
「……」
「はい」
オラシオンとニカウレーの顔も同時に強ばる。
「二、三……四つの魔導照準か。たかが郵便配達用馬車に随分と派手だな」
ウィリアムの手に握られた琥珀色の宝石がまるでレーダーのように周囲を投影している。
そこに表示された赤い点、それは感知された照準から導き出された狙撃手の位置だった。赤い点は計四箇所に馬車のルートを挟むように映し出されていた。
「まぁこの風域なら派手にやったところで事故にできっから狙い目って訳だ」
現在馬車が疾走しているのは雷の巣と呼ばれる暴風暴雨落雷が共存し、交差する魔境。アマルギートにはこのように厳しい自然は珍しくない。
「ヘンリー、どのくらいでこの風域を抜けられそうだ?」
「風向き的に最速で一五分ってところです」
「分かった。打ち合わせ通り飛ぶことに魔力を回してくれ。防御はなんとかする」
「了解」
「承りました!」
ペガサスの翼は雨を裂き、落雷よりも早く疾走する。心強い友にその意気だとウィリアムは力強く笑った。しかし、その笑みは一瞬にして消える。
「来るぞ!十時の方向!」
途端に小さな貨物馬車を爆破の衝撃が襲う。
しかし、馬車自体に損傷はない。
「そんな攻撃は効かんよ!!」
ウィリアムは荷台で震える少女に届くよう声をあげる。
次々と爆炎をあげる弾が馬車、ひいては馬車を牽引するルシウス達を襲うが、揺れこそあれどどれも傷ひとつ付けることは叶わない。
「軌道的にあの山さえ越えれば射程圏を外れる!」
ウィリアムの声に対の天馬は大きく嘶く。
それに呼応して二人の翼は鱗粉のようなものをまとった刹那、閃光とも言える加速を見せた。
先程とは比べ物にならない風圧が貨物側を襲う。
「大丈夫ですよ、姫様。大丈夫、大丈夫……」
ニカウレーは腕の中で小さく震えるオラシオンを優しくなだめる。その声は温もりに満ちていたが、ニカウレー自身へ鞭を打つかのようでもあった。
爆音は鳴り止まない。全てが轟々と吹き荒れる嵐のように馬車と少女の心を恐怖で荒らす。
「……よし、風域を抜けた!」
ウィリアムの宣言と共に、爆音と衝撃は嘘のようにすんと打ち消された。
同時にほんのりと日差しが馬車の屋根をクリーム色に染めていく。
「雷の巣は境界がはっきりしているからな。狙撃手はまずあそこから抜けるのに一苦労だろう。ここまで来たら大丈夫だ。
ルシウス、ヘンリー、よく駆け抜けてくれた」
抜けた青空のようにウィリアムは大きく笑う。
「まだ仕事は終わっていません」
「そうですよ、僕たちは仕事で毎週ここを通ってますからね、これくらい朝飯前です!
それより、二人とも大丈夫?酔ったりしてない?おーい、二人とも大丈夫ー?」
鬼気迫る走りを終えたにも関わらず、ルシウス達は何ともないようにオラシオン達に声をかけた。
「こっちは大丈夫ー。ほら姫様、お返事しないとルシウス兄さんたちが困ってしまいますよ」
「……っ!、だ、大丈夫、です」
瞬く間に抜けていった闇に呆気を取られて放心していたオラシオンだが、僅かに張り上げた声は確かに安堵を含んでいた。
「それは良かった!もう少しで着くからもうちょっとだけ我慢してね」
天馬の翼は山々の春の息吹を受け止めながら空を渡っていく。風の揺れは程よく、緊張が解れたオラシオンの睡魔を誘った。
「どうぞお休みください、着く頃には起こしますので」
目を擦るオラシオンの頭をニカウレーはそっと撫でる。
「ありが……と」
言い終わる前にオラシオンは安心した様子ですぅすぅと寝息を立て始めた。
「オラシオン、寝れていないのか?」
ウィリアムは眉を下げて青白い肌に薄く隈が浮かんだオラシオンを見やる。
「あまり……。私が呼んだとはいえ外部の人、どうしても気が抜けないらしくて」
ニカウレーはオラシオンの包帯が巻かれた腕に目線を移す。この腕はニカウレーを守るために恐怖に打ち勝ち、溶解液を浴びた。
「私が無力だから……」
ニカウレーは歯を食いしばる。自分が並の人間程度でも魔力があれば、むしろ、自分が居なければ容易に王族へ助けを求めることも出来たのかもしれない。そんな自責にも思える感情をニカウレーはずっと抱えていた。
「……確かにお前に魔法の力は無いかもしれない。
だが、お前はオラシオンの心をずっと支えてきた。
現にオラシオンは身体に傷こそあれど、心まではささくれていないようだしな」
ウィリアムは、ニカウレーの腕を握りすぅすぅと寝息を立てるオラシオンに目を移して笑う。
「うん、姫様は素直で優しい方。力の差があることをもう分かっているのに、それでも私を見下すなんて絶対無いんだよ」
ニカウレーはまるで自分の子を褒めるように穏やかにオラシオンの頭を撫で、微笑む。
『一緒にいてくれてありがとう』
毎日どちらかが怪我していた中で、初めて刺客を撒いた日に幼いオラシオンからかけられた言葉がニカウレーの脳裏に響く。
どんなに心が折れそうでもこの言葉があったからこそ、彼女は判断を誤らないでオラシオンを独りにせず、従者であり続けることができた。
「本当、杞憂して損したよ」
綺麗に口に添った髭が緩やかにカーブし、ウィリアムは安堵のため息を漏らす。
「お前も寝るといい。隈が酷い。
村が見えてきたら起こす」
ウィリアムの気遣いに久しぶりに肩の力を抜いたニカウレーも、お言葉に甘えて、と微睡みに身を委ねた。
「二人ともしんどい思いをしてきたんですね。理不尽な理由で狙われて、傷ついて……。
フィエルテさんも同じようだったのでしょうか……」
今まで口を噤んでいたルシウスは、ぽつりとオラシオンの姉、騎士として名高いフィエルテの名前を呟いた。かつて村を訪れ、幼かった双子にとっては眩い導のような存在だった。あの背中にもし、オラシオンと同じものを抱えていたとしたら————
「いや、上のきょうだいたちは、姉さ……母親の守りをちゃんと受けられているから危害を受けることも無く今まで負け知らずさ」
二頭はそっと胸を撫で下ろした。しかし、どこか違和感を感じる。どうして、オラシオンはここまで異常な程に狙われているのか。
「こいつは、物心ついた頃に母親が逝っちまった。あとはニカウレーが守っていたが、王妃の盾といち使用人の盾じゃな……」
どうやら疑問は二頭の顔に出ていたらしく、ウィリアムは力無く漏らす。
「ニカウレー以外、ろくに傍にいてやれんかった」
いくら王妃の親戚といえど、議員ではないウィリアムは内政の一部である王族に介入できない。彼もまた無力なのだ。しかし、今は違う。王城から出れば、王族とてプライベートだ。一般人である彼と、彼の姉の忘れ形見であるオラシオンは家族でいられる。だからこそできることがあるとウィリアムは拳を握る。
「こいつらの心労は計り知れない。だからこそ俺たちは、あくまでいつも通りこいつらと遊んでやるんだ」
意を決したように天馬たちは小さく頷く。
「俺、もう、何かしない方が無理かも」
「ああ、そうだな」
「なんか漠然としてるけどさ、これで何もせずにこの子が死んだって報せが来たら絶対後悔する気がする」
「ああ……間違いない」
友の妹、弟分の妹、かつて憧れたひとの妹、自分たちの妹分の更に妹分。今日が初対面でありながら、双子はオラシオンが遠い親戚のような気がしてならなかった。
「やっぱ最初は釣りが無難かな。川釣り」
「湖に行くのも手だな。あそこは大体の遊びができる」
「お、いいね。それじゃあ明日……」
気を取り直して嬉々として明日の予定を考える二人を、ウィリアムはあまり大声は出すなよと言いつつも微笑ましく見守っていた。春風が馬車を心地よく過ぎ去っていく。それは出会いを呼ぶ風のようだった。
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