第182話 知れば知るほど好きになる
「はいはい、話を戻しますよー」
リスキンドがパンパンと手を叩いて注意を引いた。
「祐奈っちが聖マリウス騎士団についてしっかり理解できてから、ミリアムおばあちゃんの話を聞くことにしよう。そのほうが結局、話は早い――土台がグラグラでは家は建たないからな」
「ありがとうございます」
ラング准将の鬼口説きで意識が土星に飛ばされた祐奈であったが、無事生還できたのでしっかり返事をした。
うむ、とリスキンドが頷いてみせてから続ける。
「聖マリウス騎士団の任務は主(おも)にふたつ。ひとつは『聖典の管理』――これについては理解したね?」
「はい」祐奈は頷き、理解できたことを伝える。「聖女が旅を終えた一年後、彼らは西へ向かい、34行聖典をウトナに戻す。そのついでに新しい聖具も回収する」
「OK――そして彼らのもうひとつの任務は『帰還した聖女のケア』――これは説明がまだだったよね」
「聖女のケアについては、私にも直接関係ありそうなので気になります」
現状、ラング准将がすでに充分すぎるほどケアしてくれているから、祐奈としては聖マリウス騎士団の助けを必要としていない。
けれど聖女と関わることが騎士修道会の存在意義であるのなら、祐奈がどうしたいかは関係なく、今後の人生で聖マリウス騎士団と共に歩んでいく必要があるのかもしれない。たとえば定期的な面談を受けなければならないとか、聞き取り調査に答える義務が発生するとか。
「じゃあ聖マリウス騎士団と聖女の関係についてはラング准将――説明をお願いします」
どうやらこの先は面倒になったらしく、心臓に毛の生えているリスキンドは後始末を上司にぶん投げた。
真面目モードは一分まで、みたいな自分ルールがあるのだろうか……祐奈は呆気に取られた。さすが命令を無視してグルメマップを完成させてしまうだけのことはある。とんでもないメンタル強者だ。
ラング准将は微かに瞳を細めたものの、祐奈と会話すること自体は歓迎の方針なので、リスキンドの無礼を受け入れた。
祐奈に視線を移した時には、彼の瞳は物柔らかになっていた。
「聖女はある日突然異世界からやって来るので、この世界に頼る相手がいない。家族もいない、友達もいない、そんな状態からスタートする。そしてウトナを目指す旅が始まるわけだが、道中で上手く人間関係を築くことができなかった場合――……」
ラング准将が言葉を区切った。
互いの視線が交わる。
祐奈はここへ来たばかりの頃、とても心細い思いをした。けれど長い旅をへて、少しずつこの世界にも馴染み。
優しい仲間に助けられ、安らぎを得た。
結果として祐奈には今、家族がいる――彼と結婚して、居場所ができた。
けれどもしもラング准将と出会えなかったら、今頃どうなっていただろう? 護衛騎士が別の人で……たとえばそれが意地悪なショーだったら? 心無い態度を取られ続ければ、誤解を解くのを早々に諦めて、つらいつらいと心の中で繰り返しながら、ただひたすら西への移動を続けて時間を浪費していたかも。
運良く生き残れたとしても、旅が終わればひとりぼっちで……ふと周囲を見回してみても、大変な仕事をやり遂げたはずなのに、喜びを分かち合う仲間はどこにもいない。共に旅をした護衛騎士たちは「ああやっと迷惑なヴェールの聖女から解放されるぜ」とせいせいした表情で、最後の挨拶すらなく冷たく去って行くかもしれない。
祐奈は考えを巡らせながら口を開いた。
「旅を終えても、聖女には住む家がない。けれど一年間は生活のことを考えなくて済む――『聖典の音読』という仕事があるし、王都のシルヴァース大聖堂で身柄を預かってもらえるから」
「そう――シビアな話をすると、この期間はまだギリギリ聖女の権威が保たれる。聖典の音読は世界の安寧を保つために必要で、国としては聖女の力が必要だ。しかし一年が経過したあとで、聖女が自分の人生を生きるとなった時、何も基盤が整っていないことに気づくわけだ」
なんともおそろしい話だ。
権力者が権力を失った瞬間、周囲から蜘蛛の子を散らすように人が去って行くと聞いたことがある。一度権力を得てしまい、チヤホヤされることにも慣れて『この状態が普通』と錯覚してしまったら、冷たい現実を突きつけられた時、叩きのめされるほどのショックを受けるに違いない。
よく、『偉かった時に謙虚にしていれば、周囲から人は去っていかないはず』という説が出回っているが、祐奈はこれについては懐疑的だった。
いや――たとえ謙虚に生きてきたとしても、力を失った瞬間、やはりかなりの数の人間が去って行くのでは? 運が悪ければ、周囲にひとりも残らないということは充分にありえる。
去って行く人々は心の中で『あーあやっちまったね、お気の毒に。こっそり応援はしてる』くらいの同情心は持つかもしれない。けれど実際に手を差し伸べるのは大変なことだし、集団の中にひとりくらいボランティア精神を持った人がいるはず……というのは都合の良い思い込みだ。
世知がらいし薄情といえば薄情かもしれないけれど、皆自分のことでいっぱいいっぱいなのだから、思い遣りがないからといってそれを責めることはできない。
つらい状況で誰かが引き上げてくれるかどうかは、もはや『運』でしかない。よって絶対に安心な備えなんてこの世に存在しない。ただ、その『運』や『上昇できる確率』を上げるために自分にできることが何かといえば、日々しっかり周囲と向き合い謙虚であること――それは確かにそうなのだろう。
あるいは――人間関係に恵まれなかった場合は、まったく周囲に期待せず、自分だけを信じて突き進むという手もある。そうなるとお金が重要なわけで……。
祐奈はラング准将に尋ねた。
「確認したことがなかったけれど、聖女の務めに対して給金は発生しないの? 聖女はウトナへの旅で長期間拘束され、旅を終えたあとも王都シルヴァース大聖堂に縛られる。もしもこれらについて国からお金が出るなら、それで町に家を借りて、聖女が自活していくことが可能かも……たとえひとりぼっちだとしても、聖マリウス騎士団に世話になることなく」
祐奈はラング准将と結婚しているから家を探す必要はない。ただ『今とは別の人生を歩んでいた可能性』はあるわけで、もしも自分がひとりぼっちだった場合に、どんな選択肢があったのか……それについては興味があった。
ラング准将が物思う顔つきになった。
「給金は発生する。ただひとつ問題なのは、旅のあいだに人間関係を築けなかった場合、聖女はお金の使い方、この世界の慣例を誰からも学ぶことができないということだ。長い道中で学びがなかったのだから、旅を終えてシルヴァース大聖堂でプラス一年過ごしたとしても、結局同じことになる。ただ年月だけが過ぎ、知識は幼児レベルで放り出され――……そうなるとお金はあっても、結局ひとりでは生きられない」
そういうことか……だからこそ聖マリウス騎士団という受け皿的な存在が必要になってくる。
もしかすると一度は『ひとりで生きられる』と市井(しせい)に出てみたものの、買いものをする際に大金を出してマゴマゴしているうちに、悪い人に目をつけられて有り金を騙し取られ、結局無一文になって聖マリウス騎士団に泣きつく……そんなケースもあったかもしれない。
逆に言うと、聖女は知識さえ持っていれば、転移直後と違ってお金はあるわけなので、誰に気兼ねすることなくひとりで生きていくことも可能なのだろうか?
「そういえば……旅を始めたばかりの頃、あなたがお金の使い方を教えてくれた」
――祐奈がしっかり覚えるまで、根気よく。
宿泊のため立ち寄った都市で、露店に連れて行ってくれ、祐奈の手のひらに硬貨を載せて説明してくれた。このフルーツはいくらで、この銅貨で買えます……彼の長くて綺麗な指が銅貨を差すのを眺めおろし、なんだかドキドキした記憶がある。
当然のことながら、この世界は日本とお金の単位が違う。そして会計の際も『お決まりのやり取り』など独特なコツがあり、初めは戸惑った。
けれど「実際に支払ってみてください」と促され、自分の手で支払いをしてお釣りをもらう……そういった作業を何度も繰り返すうちに、この世界の金銭感覚や常識が自然と体に馴染んでいった。
あの時も祐奈は彼に深く感謝した――何も分かっていない相手に一から教えるのは相当面倒だろうに、なんて親切な人だろう、と。未知は恐怖に繋がるから、生活に必要な知識を与えてもらえてありがたかった。
そして今になって、あの時彼が何を考え、祐奈に知識をつけてくれたのかが分かった。
ラング准将は旅を終えたあとに祐奈が困らないよう、先々のことを考えてくれていたのだ。あの時ふたりは恋愛関係になかったし、ラング准将の立場でできる祐奈に対するとびきりの親切が、知識を与えて一人前に育て上げることだった。
あなたはずっと応援してくれていた――たったひとりで異世界に転移した聖女が生き抜くためには、小さな積み重ねこそが大事だと、彼には分かっていたのだ。
ありがとう……過去の私に親切にしてくれて、ありがとう。
知れば知るほど彼のことを好きになる。
ラング准将が小首を傾げた。
「君も王都に戻れば、事務手続きを経て一年後、給金を手にすることができる。金額はそうだな――……贅沢をしなければ一生生活に困らないくらいの額。祐奈の場合は精神的苦痛に対する見舞金も乗っかるから、さらに増えるが」
わあ……祐奈は思わず感嘆の息を吐いた。
「エド、私……」
「どうかした?」
「人生で初めてお給金をもらえる……嬉しい」
「そうなんだ」
ラング准将がくすりと笑みを漏らす。
「日本――元の世界にいた時は親戚の家に居候していたのだけれど、門限が厳しくてアルバイトをさせてくれなかったの。私……お給金をいただいたら、あなたにプレゼントを買いたい」
「君が頑張って稼いだお金だから、自分のために使ってくれ」
ラング准将が片眉を上げ、口元に笑みを浮かべる。
「いいえ、初めて自分で稼いだお金だから、大切な人に使いたいの。そうだ――あなたに似合いそうな、可愛い猫耳をプレゼントするね」
照れ隠しもあったけれど、先ほど彼にからかわれて土星に飛ばされた一件もあり、冗談めかしてそう言ってみた。
そうしたらラング准将がものすごく困った顔をしたので、胸がキュンとして悶えそうになった。彼ってものすごく素敵なのに、時々リアクションが可愛いの……こらえきれなくなり、くすくす笑い出してしまう。
するとこのやり取りを眺めていたミリアムが、腕組みをして感心したように首を伸ばした。
「なんだい、偉大なラング准将を手玉に取るとは……意外と悪女だね」
リスキンドがテーブルに頬杖を突き、人懐こくミリアムに同意する。
「そうなんすよ、ミリアムおばあちゃん。たまに俺は祐奈っちのポテンシャルが底知れなすぎて怖くなるからね。Sっ気とも違うんだけど、ラング准将を平気で振り回すから」
「この夫婦さ、実は祐奈のほうが強いのかい?」
「そうそう――俺は長い付き合いでラング准将が困っているところなんて一度も見たことがなかったんですよ。でもここ最近、何度か見る機会があってさ――それは全部祐奈っち絡みだから」
「虫も殺さぬ顔して、おそろしい娘っ子だな」
ふたりが好き勝手言っているのを、ラング准将は華麗にスルーしていた。『下界の喧騒はどうでもいい』というまさに天上人のスタンスである。実害を受ける場合は釘を刺すこともあるけれど、ラング准将レベルになると常に人の話題に上がるので、いちいち気にしているとキリがないのかもしれない。そよ風程度なのかも。
けれど祐奈は違う。呆れ果てて半目になり、ミリアムとリスキンドを見遣った。
「あの……全部聞こえてますよ。好き勝手言わないで」
するとミリアムが鼻で笑った。
「今のうちに心を鍛えておくんだね。あたしは掘って面白くなる話題なら、そりゃもうしつこいからね」
え……祐奈は怯んだ。本当にしつこそうだと思ったからだ。
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