第181話 鬼口説き
ラング准将の『自分は普通人』発言で祐奈の心はひどくザワめいたのだが、数分たつと気持ちが落ち着いてきた。
そういえば……と祐奈は疑問に思ったことを尋ねてみた。
「エドの所属している騎士団と、聖マリウス騎士団というのは違う組織なのよね?」
先ほどの説明によると、聖マリウス騎士団は『マリウス島』を拠点にしているとのことだった。王都を拠点としていたラング准将とは接点がなさそう。
ラング准将が答えてくれる。
「俺とリスキンドが所属しているのはロクス騎士団という名称で、国王陛下直轄の部隊だ。聖マリウス騎士団はマリウス島の修道会が母体なので、違う組織になる」
「……聖女を担当する機関が、旅の前と後で変わるのね」
なんだか不思議……。
「聖典関連では旅のあともボリュームのある任務が残っているから、そのせいだな」
「そうなの?」
「聖女の旅が終わったあとで、実はもう一度、聖マリウス騎士団が同じルートを辿って西へ向かう。目的地は同じでウトナまで。これは三十四年ごと、毎回行われる定例行事だ」
「え、なぜ?」
びっくりした。王都シルヴァースからウトナまではものすごく遠いので、気軽に行ってみようという場所ではない。聖女が旅をしたのに、また別の人が行くの?
「目的は、聖典を元に戻すため」
ラング准将が凪いだ表情で続ける。
「順を追って説明すると、聖女は西のウトナへ行き、34行聖典を入手して、ふたたび王都シルヴァース大聖堂まで引き返して来る。そして一年間、シルヴァース大聖堂にて聖典の音読をしながら世界の調和が保たれるよう祈りを捧げる。一年が経過したのち、聖マリウス騎士団のメンバーが聖典を譲り受け、ウトナに戻しに行く。そうしないと三十四年後にふたたび聖女が来た時に、『西へ旅をして34行聖典を手に入れる』というミッションが成立しなくなる。『聖典は移動させることに意味がある』らしく、このルールを変えてはならない」
あーなるほど! 祐奈は驚きに目を瞠った。
王都に持ち帰ったあとそのままシルヴァース大聖堂で保管しておけば、三十四年後にやって来た聖女は旅をしないで済むから楽ができるんじゃない? という気もしたのだけれど、そういう問題でもないらしい。
物理的に聖典が横移動する――この行程こそが重要。
なんとなく花粉を運ぶミツバチが思い浮かんだ。彼らは主目的として蜜を自分の巣に運ぶけれど、結果的に行く先々で点々と足跡を残し、花粉媒介の役目も果たしている。
これと同じことが聖典でも起こっている?
聖典は本の形をしているけれど、超常的な代物であるから、本から何かのエネルギーが零れ出ているのかもしれない。本自体を移動させることにより、聖なるエネルギーが世界中にバラまかれる――そして聖典を音読することが『風』の役割を果たすのかも。つまり音読は、聖典から零れ出たエネルギーをさらに方々へ飛ばす効果があるのでは?
リスキンドがテーブルに肘を突き、口を開いた。
「――あと、聖マリウス騎士団は西へ向かう道中で、新しい聖具を回収して行くんだぜ」
「新しい聖具……?」
「ほら――ポッパーウェルって都市に入る前に、そんな話をしたの憶えてない? 聖女は旅のついでに新しい聖具らしきものがあったら調査して、あとで報告するってやつ」
「あ、そうでしたね」
ポッパーウェルか……予言の玉を使って人々を洗脳していた詐欺師フリンの顔が脳裏に浮かんだ。
祐奈はあの場所で大きなうねりに巻き込まれていく無力感を味わった。
集団が狂信的にひとつの方向を向いた時の勢いはすさまじいものがある。決壊した川のように、一度そうなってしまえばもう止められない。なんらかの決着が着いたあとには静寂が戻るだろうが、事後は目を覆いたくなる惨状が広がっているだろう。
祐奈はその後あの町の人々がどんな運命を辿ったのか確認していない。
自分がまさに歴史の転換点に居合わせただけに、今はまだしっかり向き合える精神状態になっていなかった。体力が回復していないと気分も落ち込むことがあるので、自身の問題に集中していてそれどころではなかったというのもある。
ただ、ポッパーウェルに狙われた側である友人の精霊アニエルカとは旅を終えたあとも連絡を取り合っていて、彼女からは「私たちは大丈夫」ということだけ聞いている。アニエルカは自分たちの無事について述べるだけで、敵側のポッパーウェルがどうなったかは言及しなかった。
ラング准将も意識して、ネガティブな情報を祐奈に触れさせないようにしていたようだ。
そう――それで肝心の新しい聖具。
ポッパーウェルに入る前に『聖女の務めとして新しい聖具かどうかを見極める必要がある』と知り、できるか分からないから憂鬱な気持ちになったのを覚えている。
そういえばあの予言の玉が超常的な力を持っていたのは明らかで、おそらくあれは新しい聖具だったのだろう。それについて祐奈はシルヴァース大聖堂に対して何も報告を入れてないのだが……。
ラング准将のほうに視線を向けると、彼が頷いてくれた。
「ポッパーウェルに新しい聖具らしきものがあるというのは、すでに報告済だ。見つけて報告するまでがこちらの義務で、あとは聖マリウス騎士団の扱いになるので心配しなくても大丈夫」
「いつもありがとう」
祐奈はホッとした。
ラング准将はすべてをスマートにこなしてしまって、しかも対応が早すぎるので、祐奈はしてもらったことに気づいていないことが多々ある。ちゃんとお礼を言いたいから、もっと分かりやすく恩に着せてくれていいのになぁ……。
なんて考えていたら、ラング准将が大人な笑みを浮かべた。
「お礼なんて言わなくていい」
「どうして?」
「君が与えてくれる幸福を少しずつお返ししているだけだ。尽くしても尽くしても足りない」
「………………」
祐奈は驚きすぎてフリーズした。意識が宇宙空間に吹っ飛び、脳内世界の土星の環をぐるりと回り続けて戻らなくなった。
……君が与えてくれる幸福? 何それ? 私、何か与えた? もらった記憶しかないんですが……。
リスキンドが目の前で手のひらをヒラヒラ振る。
「おーい、祐奈っち、戻って来ーい! いい加減、慣れただろ、ラング准将の鬼口説き」
「………………」
まだ帰って来ない祐奈を眺め、リスキンドが呆れたようにラング准将を流し見る。
「ラング准将、祐奈っちがおかしくなっちゃいましたよ。もうちょっと甘さ控えめにできないんですか」
「しばらくたてば元に戻る」
「いやいや、大丈夫なの、これ?」
「リアクションが面白いから、たまに攻めすぎてしまう」
ラング准将が自身のドSな性癖を暗に認めた。
祐奈はしばらくしてからだいぶ回復したのだけれど、ラング准将と目を合わせる際に妙に気恥ずかしく、頬が赤らんで困ってしまった。
そして一連の流れを眺めていたミリアムが口元を緩めた。
「あーやっぱりこいつら面白いねえ……一緒にいて退屈しなそうだよ」
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