第180話 聖女の義務


 カルメリータが皆にレモネードを出してくれた。

 祐奈はカルメリータが作るレモネードが大好きなので、涼しげなグラスを眺めて自然と笑顔になった。甘さ控えめでミントがアクセントになっていて、祐奈の好みだ。カルメリータに「ありがとう」と小声でお礼を言うと、素敵な笑顔が返ってきた。

 一同は見晴らしの良いウッドデッキに移動している。

 ここに置いてあるテーブルは大きめなので、皆で囲んでも窮屈ではない。


「ありがとね、いただくよ」


 レモネードを出されたミリアムは感謝してカルメリータに頭を下げた。悪戯を仕かけている時は悪魔的な凶悪さであるのに、こういう時の態度は尖りがなくて行儀が良い。

 グラスを小さな手で慎重に持ち、ひと口含んでほお……と息を吐く。


「爽やかで美味しいねえ……すごく気に入ったよ。あとでレシピを教えとくれ」


「承知しました」


 カルメリータはニコニコ笑ってミリアムを見つめ返した。

 それからカルメリータはキッチンに戻って行き、ラング准将、祐奈、リスキンド、ミリアムで卓を囲み、話し合いが始まった。

 ミリアムが早速話を切り出した。


「今回あたしがやって来たのはね、きな臭い噂を聞いたからなんだ。噂っていうのは、聖女関連――つまり祐奈に関係することだよ」


「どんな噂ですか?」


 ラング准将が改まって尋ねるのを眺め、祐奈は少し驚いていた。情報通のラング准将がまだ掴んでいない噂ってなんだろう……。

 彼は長期勤続休暇中という扱いだが、それでも王都からちょくちょくラング准将に会うため仕事関係の人間が訪ねて来る。その目的は、ラング准将の意見を聞きたいだとか、彼の人脈を生かして問題解決を手伝ってほしいだとか(具体的には紹介状を一筆書いてあいだに入ってほしいだとか)、そのようなことだ。

 助けてあげれば自然と見返りがあるもので、代わりに重要で新鮮な情報が常にラング准将のもとに集まって来る。ある意味情報の最先端にいるラング准将が、ミリアムの言葉に不意を突かれていた。

 ミリアムが続ける。


「――聖マリウス騎士団がおかしな動きをしているみたいだ」


 聖マリウス騎士団という言葉を聞いた途端、ラング准将とリスキンドの纏う空気が一気に張り詰めた。

 祐奈だけがひとり何も分かっていない。推測できたのは、『名前を聞く限り、聖がついているので宗教騎士団なのかな?』くらいのものだ。

 祐奈はラング准将に尋ねた。


「聖マリウス騎士団というのは、どんな団体なの?」


 彼の琥珀色の瞳がこちらに向く。その時にはすでにいつものラング准将に戻っていた。――深みがあり、思い遣りがある。

 彼は出会った当初から祐奈に対して丁重だったが、それは結婚してからも変わっていない。いや……むしろ宝物を扱うような特別感は以前よりも増しているかもしれない。

 ラング准将が説明してくれた。


「聖マリウス騎士団は『マリウス島』を拠点にしている騎士修道会で、彼らの任務は主にふたつある。ひとつは『聖典の管理』、そしてもうひとつは『帰還した聖女のケア』だ」


「聖女のケア?」


 長旅をしてお疲れでしょう……お困りのことはございますか? 的なこと?


「まず前提として、帰還した聖女は一年間、王都のシルヴァース大聖堂で過ごす決まりになっている。それはウトナから持ち帰った聖典を一年間音読する義務があるためだ。この期間はまだ枢機卿の管轄下にあり、聖マリウス騎士団が聖女にコンタクトすることはない。彼らが出てくるのはそのあとだ」


 通常は『そのあと』なのに、今回はすでに聖マリウス騎士団が動き出しているということ? 先ほどミリアムが「聖マリウス騎士団がおかしな動きをしている」と言っていた。祐奈のほうには未接触なので、王都にいる聖女アンに何かしたのだろうか。だけどまだ旅を終えてから一年たっていない。

 ……と、それよりも、聖典の音読か……。

 そういえばこの世界に来たばかりの時、お世話になったハリントン神父が聖典の音読について話していた。異世界人である祐奈がこの世界の言葉をすぐに理解できるようになったのは、34行聖典を音読する必要があるからではないか? と。

 生死ギリギリの状況でなんとか旅を終えるのがやっとで、その後の義務については考えたことがなかった。


「私は聖典を音読するお務めを果たしていない……」


 祐奈はドキドキヒヤヒヤしてきた。すべきことなのに現状できていない……それで問題ないのだろうか?

 祐奈としては聖典に殺されそうになったこともあり、音読なんて正直知ったことではないという気持ちもある。

 けれど今自分はラング准将の妻という立場だ――彼の名誉のために、すべきことはしておきたいという気持ちもあった。

 弱きを助け自らを律して立派に生きてきたラング准将が、祐奈と結婚したばかりに「ヴェールの聖女ってセクハラ疑惑に関しては冤罪(えんざい)だったみたいだけどさ、結局やっぱりサボリ癖があるしだらしないよね。歴代の聖女は皆ちゃんと旅を終えて音読してたよ? あんなサボリ女と結婚したラング准将にもガッカリ」みたいに言われてしまうのは嫌だ。

 落ち込む祐奈を優しい目で眺め、ラング准将がなぐさめてくれた。


「今回はイレギュラーで聖女がふたり来ている。聖典音読の役目は聖女アンが担当しているから問題ないよ。君はきつい状況の中、ベストを尽くして生き延びた――それで充分お釣りがくる。さらに『これ以上』を望む者がいるなら、私が対処する。君はシルヴァース大聖堂で暮らす必要もないんだ」


 ――『今回はイレギュラー』といっても実際のところは『九八六年に一度、聖女はふたりやって来る』という規則性があるのだけれど、世間に広く知れ渡っているのは『三十四年に一度、聖女がひとりやって来る』というベーシックな内容のほうだけ。よって今回、ひとり目の聖女アンがお務めを果たしているのだから、ふたり目の祐奈は違う動きをしていても誰も気にしないし問題ない――ラング准将の見解はそうらしい。

 でも……。


「問題なくない気がする……あと私はエドに甘えすぎな気がする」


 頭の中がぐるぐるして「問題なくない」という変な言い回しになってしまった。

 すると成り行きを見守っていたリスキンドが呑気な声を出した。


「ねえねえ祐奈っち――君が元々いた世界の人って、皆そんなふうに真面目な性格をしていたわけ? 三つ子の魂百までって言うけどさ、君の性格ってたぶん、生まれ育った環境の影響を受けて形成されたものだよな? たまに君を見ていると、『異文化ゆえ』の感覚の違いにびっくりすることあるんだよね」


「え?」


 意外な問いかけをされ、呆気に取られる。

 リスキンドが皮肉げに口角を上げた。


「祐奈っちは真面目すぎ。適当でいいのよ、適当で――聖典の音読? は? 終わったあとのおままごとなんか知らねーよ――こっちはカナンルートでバチバチやり合って体ボロボロなんじゃい黙ってねぎらってろボケえカスう――それでいいじゃん。無関係な他人にケチつけてくるやつなんて、自己顕示欲が強いマウント依存症なんだからさ、絡まれたら『お前のこと誰が好きなん?』て言い返してやれ。もしもこの件で罪悪感を覚えているなら、俺のティアニーでのエピソードを思い出してくれよ」


 ティアニーはつまり『ここ』だ。祐奈が小首を傾げると、リスキンドが続ける。


「ほら、俺が大昔、ティアニーに派遣された特殊任務の話」


 そういえば……都市計画を学ぶために、ティアニーに派遣された過去があると言っていたな。

 けれど彼は求められた仕事をせず、グルメマップの作成に心血を注いで、帰国後に上司から大目玉を食らったんだよね。そしてそのグルメマップが今では広く世界に普及し、このティアニーという都市が一気にメジャーになったという……。

 けれど任務直後はグルメマップの価値が認められず、リスキンドの行動は問題視された。上司にきつく叱られた際、彼は確か――……。


「オーダーを無視してボロクソに怒られた俺は、『はあ? 知らねーよ』で済ませたぞ。だって俺は相手のつまらない価値観は無視して、もっと意味のあることを成し遂げたんだからな。この揺るぎない精神、どうか見習って」


 ここでラング准将が口を挟んだ。


「いや――お前のその姿勢は人として問題がある。グルメマップを作るのは勝手だが、求められたこともちゃんとやれ」


「え? そうっすか?」


「それからお前のイカレた図太さが『この世界の標準』みたいに語るんじゃない。リスキンドは相当特殊な部類だぞ」


「ちょっとお、ラング准将――冗談はそのお綺麗な顔だけにしてくださいよー。俺はあなたと違って、三百六十度、どの角度から見ても平均値ですから。何もなさすぎるがゆえに『親近感』というありふれた武器ひとつで世渡りしてきた苦労人ですから」


「???」


 祐奈は耳を疑った。『自分は普通である』とリスキンドが本心から信じているらしいのが伝わったからだ。

 確かに彼の言うとおり、祐奈はこの世界の人から見ると『真面目すぎる』のかもしれない。けれどだからといってリスキンドが普通であるというのはありえない。

 リスキンドがブーブー悪たれる。


「つーかラング准将こそ普通じゃないでしょ」


「何を言っている、俺はものすごく普通だろ」


「!?!?!?」


 祐奈はふたたび耳を疑った。これまたラング准将が『自分は普通である』と本心から信じているらしいのが伝わったからだ。

 えー……ラング准将は全然普通じゃないよお……。生まれてこのかた、ラング准将みたいな人、ほかにひとりも見たことないんですけど……。

 この場にいる全員が等しく『噛み合わねえなぁ……』と考えていた。

 そんな中で、年長者のミリアムがトントンと指でテーブルを叩いて注意を引いた。


「つまり、話をまとめると、だ――『本物は自覚がない』ってこったな。本物の奇人は『私、奇人なんです』とは言わないし、本物の天才は『私、天才なんです』とは言わない。あんたたち全員、普通じゃないしイカレてるよ」


「……いや、あなたもね」


 若干イラッとしたのか(?)ラング准将が平坦な口調で言い返した。


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