第179話 ごめんにゃん


 外からミリアムが玄関扉を叩く音と、締め出されたことに対する抗議の声が響く中で、ラング准将だけがひとり落ち着いていた。彼の佇まいを見ると、美しいピアノの演奏が流れる中でリラックスしている人のようだった。まさに泰然自若。

 ラング准将は祐奈の背に手を置き、優美にエスコートする体勢に入っているのだが……え、もしかしてミリアムを放置して、奥に戻ろうとしている?

 祐奈は焦った。

 確かにミリアムは無茶ぶりがすごいし、セクハラ魔人だ。それでも峠の宿屋ではお世話になったし、可愛いところもあるし、何より遠路はるばるせっかく来てくれたのに……。


「エド、だめよ」


 祐奈は彼の腕に触れ、慌ててたしなめた。というか……普段大人なラング准将の鬼畜行動をたしなめる日が来るとは! 人生って何が起こるか分からない!


「祐奈」


 こちらを見おろすラング准将の瞳は謎めいている。敵前逃亡(?)しようとしているわりに、まったく焦っておらず後ろ暗い感じもない。

 祐奈は混乱しながらも彼を説得にかかる。


「せっかく来てくださったのだから、ミリアムさんを歓迎しましょう」


「君は本当にそれでいいの?」


 ……ん?

 ラング准将の言葉は静かで、外から響いてくるミリアムの悪態との対比があざやかだ。


「それはもちろん――」


「祐奈はあの時酔っていたから記憶が曖昧かもしれないが、ミリアムは君を着せ替えする遊びが大層気に入ったと言っていたよ」


「あ……そういえばセーラー服を着た記憶が……」


 三十四年前の聖女が置いていったというセーラー服――ミリアムに着てみてと頼まれて着用したのは覚えている。その後の記憶は断片的で、あまりはっきりしないのだが……。

 ラング准将が続ける。


「俺と君はあの時、婚約もしていないし恋人同士でもなかった。だからミリアムはあれでも手加減したんだよ――本当は彼女、南国の踊り子が着るきわどい衣装をコレクションしていて、絶対祐奈に似合うはずだから着せたいと主張していた」


「ええと……その願望って今も変わっていないと思う?」


「賭けてもいいけれど、ミリアムが持参したトランクの半分は、祐奈に着せるための卑猥な衣装が詰まっていると思う」


「なんて下衆(げす)い……」


 あと素朴な疑問なのだけれど、それらを祐奈に着せたとして、ミリアムは一体何が楽しいのだろう? もしかして『きわどい格好をさせられた祐奈が、その姿をラング准将に見られてものすごく恥ずかしがっているところ』を見たいのかな? え……何それ、変態サディストのイカレた遊びじゃない?


「ここでミリアムを中に入れたら、君、今夜とんでもない格好をさせられるぞ」


「………………」


 祐奈はチラリと玄関扉を横目で眺めた。

 う……ものすごく大人げないけれど、喉元まで「いっそ鍵もかけて、私たちは裏口からダッシュで逃げます?」という問いが出かかった。

 ――ところでこの時、一緒に玄関口に集まっていたリスキンドとカルメリータは、事情がまったく分からないので不思議そうな顔をしていた。

 祐奈とラング准将がミリアムと関わったのは、アクシデントでふたりだけ遠隔地に飛ばされ別行動を取っていた時だから、リスキンドたちは何も知らないのだ。

 頭の後ろに両手を回したリスキンドが呑気に尋ねてくる。


「ねえねえ、外のおばあちゃん誰?」


 祐奈は問われたことに機械的に答えた。質問に答えているあいだはとりあえず現実逃避できる。


「私とラング准将がカナン遺跡内からローダーに転移したあと、ふたたびカナンを目指す道中でお世話になった方です。物事を見通す不思議な力を持っていて、実はすごい人なんですけど……性格がなんというか悪辣で」


「ふうん、どんなふうに?」


「ラング准将と私を一緒にお風呂に入れたがったり、早くキスをしろとせっついてきたり」


 これを聞いたリスキンドの瞳がキラン! と光った。


「うわ、おもろっ」


 リスキンドの隣で話に耳を傾けていたカルメリータまで、


「あら楽しそう」


 ワクワクを抑えられない様子。

 あ……。

 祐奈が止める間もなく、前のめりなリスキンドとカルメリータが扉をふたたび開け放ってしまう。

 そして地獄の使者が屋敷の中にノシノシ踏み入って来た。


「――おい小僧」


 ミリアムはへの字口になり、ラング准将を真っ直ぐ見上げる。老人なのに達観した余裕は皆無で、五歳児が癇癪を起しかけているような顔つきだ。

 祐奈は『偉大なラング准将を小僧呼ばわり……』と呆気に取られた。まあミリアムの年齢からしたら、二十代半ばなんてまだまだひよっこの『小僧』なのかもしれないが……。

 ミリアムが指を突き付けながらラング准将に宣戦布告をする。


「お前の嫁を着せ替えして、ふしだらな悪女風にしてやるからね!」


「やめてください、祐奈が可哀想です」


「じゃあ、あんたが祐奈の代わりに辱めを受けるんだね? 猫耳着用で、語尾はずっと『何々にゃん』で喋るんだよ。そうしたら祐奈の着せ替えはやめてやる」


 祐奈は半目になり、思わず口を挟んでいた。


「……いやあの、なんで地獄の二択から選ばないといけなんですか」


「なんだいお嬢ちゃん、あんたはラング准将の猫耳姿を見たくないのかい?」


「それはものすごく見たいですけど」


 つい本音が口から零れ出ていた。


「――祐奈」


 ラング准将が若干棘のある流し目でこちらを見てきた。あ、やば……。


「ごめんなさい、エド、つい出来心で」


「俺は君のためにミリアムと戦っていたのに……まさか後ろから刺されるとはね」


 たとえ話が『生き死に』にすり替えられたせいで、祐奈が「ラング准将の猫耳を見たい」と答えたことが、ものすごく卑劣な行為に感じられた。


「本当にごめんなさい」


「語尾『にゃん』で詫びて」


 ラング准将のドSが発動。


「ごめんにゃん、エド愛しているにゃん、許してにゃん」


 祐奈はラング准将とずっと一緒にいたことで、彼から色々な影響を受けていた。ラング准将は合理的な人であり、『やるとなったら出し惜しみせず、過不足なくやりきる、そのほうが早期に決着する』というポリシーを持っている。よって祐奈はこの局面でその考え方を採用することにしたのだ。

 つまり「ごめんにゃん」だけだと不足があると考え、感情に訴えながら、平身低頭許しを乞うたわけだ。その結果が先の「ごめんにゃん、エド愛しているにゃん、許してにゃん」というお詫びの言葉なのである。

 ラング准将は珍しく虚を衝かれた様子で祐奈を見おろしていたのだが、やがてくすりと笑みをこぼした。それは川面で光が弾けたような、心の幸福が滲み出ている笑い方だった。


「……可愛い」


 ラング准将は愛情深くポンポン、と祐奈の頭を撫でたあとで、改まってミリアムに向き直った。


「さて――茶番はこのくらいにして、真面目な話をしましょうか」


「そうさな」


 ミリアムがこくりと頷いてみせる。


「外は暑かったでしょう、奥へどうぞ」


 ラング准将が紳士的にミリアムをねぎらうのを見て、祐奈は『あら』と思った。

 茶番はこのくらいにして、か……つまり出会い頭でラング准将が扉を閉めたところから、ふたりのじゃれ合いはすでに始まっていたのね……。

 ラング准将は真面目な顔でそれをするから、彼なりのブラックジョークという真意が伝わらなかった。

 というかラング准将がそういう遊びを仕かけるということは、祐奈が思っている以上に、彼はミリアムに気を許しているのかもしれない。

 なんだかふたりのやり取り、可愛いな……祐奈は微笑みを浮かべていた。

 するとそれに目ざとく気づいたミリアムが(以前目が悪いと言っていたけれど、こういう敏感なところはさすが神がかっている)、


「おい……なんだい娘っ子」


 と声をかけてきた。


「改めまして、ようこそミリアムさん――会えて嬉しいです」


 祐奈が心から伝えると、ミリアムは途端に口元をモゴモゴさせて瞳を潤ませた。

 このピュアで可愛らしい反応を見て、祐奈はびっくりした。

 ミリアムが小声で呟きを漏らす。


「あんたさ……不利な状況で、よく生き残ったよね」


「おかげさまで」


「おかげさまって、あたしは何もしていないよ。あんたが頑張ったんだ」


 そんなことはない……祐奈にはそれが分かっていた。上手く表現できないけれど、旅の道中での一つひとつの出会いが、祐奈たちの生死を分けたような気がするのだ。

 祐奈は温かな気持ちでミリアムを見つめ返した。


「ミリアムさん、せっかく再会したんだから、泣かないで」


「はあ? 泣いてないし!」


「ハンカチを貸しますよ」


「おい馬鹿泣いてないっつーの!」


 ミリアムが袖口でゴシゴシ顔をこするのを見て、全員が声を立てて笑った。


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