最終話

 清さんはもうすぐ死ぬ。私にそれを止めるすべはない。あと私にできるのは毎日会うことだけです。清さんは寝たきりの状態が多くなっていきます。次第に言葉を交わすのも難しくなっていきます。

 蝉の声がしなくなった頃。早朝に病院から清さんが危篤状態になったと告げられ、私は急いで会いに行きました。

 病室に入ると酸素マスクを着けた清さんが虚ろな目で私を見ました。周りにはふたりのお医者さんがいます。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいます。

 ベッドの近くにある椅子に腰を落としました。清さんは朦朧としながらも私の方へ手を伸ばします。私はその手に自分の手を重ねます。


「君に出会えてよかった。ひとりで死ぬというのは悲しいからね。看取られるのはいいもんだ」


 清さんの声は掠れていました。


「私も清さんに出会えてよかったです」


 涙の防波堤は決壊寸前です。あともうちょっとだけ耐えてほしい。そう、願います。


「初めてあった日から、たぶん私は清さんのことが好きでした」

「そうか。それは嬉しいな」

「楽しかったです。夏、あの丘で過ごすの」

「私も楽しかった……」


 清さんは、ああ、と息づきます。


「もう何年もったからか。君の姿があの人に重なるんだ」


 清さんの声が震えています。


「君が成長して、その面影がみるみる見えるようになった」


 重ねた手が、ほんの少しだけ強く握られます。


「そうしたら、胸が苦しくなった。酷いよな、私は。勝手に人の姿を重ねてさ。君は君だというのに」

「なに言ってるの、清くん」


 私は声をしぼり出します。ただ、真っ直ぐ。清さんのことだけを想って。


「私は千代ちよだよ」


 清さんの目が見開かれました。それからじんわりと目尻に涙が溜まっていきます。


「そうか。千代、君だったか。私はずっと、また君に逢いたかった……」


 ふわりと、まるで太陽のような微笑みをして、清さんの頬を涙が伝っていきます。そして目を瞑り、そのまま二度と覚めない眠りにつきました。


「うぅ……」


 涙も声も、抑えられません。握りしめている手のひらは清さんの命が途絶えたことを示すように力が抜けていました。


 ◇ ◇ ◇


 清さんが亡くなって五年が経ちました。私は大学に在席しながら宮司になるための資格を取り、卒業をした今はおじいちゃんの神社の宮司をしています。

 清さんやおじいちゃんの思い出の場所を失くしたくはないですから猛勉強しました。

 今年もお盆がやって来ます。私は清さんと初めて出会った丘に行きました。

 千代さんの日記にここでのことが書かれていました。清さんとおじいちゃんがここで遊び、千代さんが見守る。千代さんは汗だくになったふたりにタオルと水を渡す。そんな毎日が続いていました。

 清さんはどういう思いでお盆にこの場所を訪れていたのか。それは自明のことですね。きっと今の私と同じ気持ちです。

 風が吹いているからか、今日はそこまで暑くありません。原っぱに尻もちをついてあの日々に思いを馳せます。地平線の先に入道雲がもわもわと昇っていました。


『この神社を継いでくれてありがとう』

「えっ――」


 後ろから柔らかく優しい声がしました。私は振り返ります。そこにはタヌキが、心なしか笑っているような表情でいました。


「急に驚かせないでくださいよ」

『悪い悪い。でもこれは僕だけじゃなくて、清も幸雄も千代もみんなが思っていることだよ』


                     了

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幾度の夏を越えて、また君に逢いたい 福山慶 @BeautifulWorld

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