ひとりごと

つまりはこのIshtar Featherイシュターフェザーを書き続けてきて、世の中流れてますねとか。世の中とか言ってしまうとそれこそゆとりっぽい発言なんですかね。ワタクシ世代的にはもう少しだけ、ほんのちょっぴり()年上ですけれども。世間知らずでは恥ずかしく、世を語るにはまだまだ若輩という微妙なお年頃の独身貴族です。そんなわたしでも、腹に据えかねることがそれはもうたくさん有りまして、言い出したらきりがないので言いませんけど、とにかくなんというか、腹立たしいことが多い毎日を送りつつも「カリカリすんなよ」「……カリカリしてた」と自分を宥めておりますが、そんなワタクシにも驚くべきことに青春時代と言うものがありまして。高校生、高校時代、花も咲かない女子校でそれはそれは女臭い青春にはまみれておりました。なんだかもうあの頃というのは振り返るのは恥ずかしくもあって嬉しくもある時代でして、まさしくウレシハズカシ青春時代!な訳なのであります。今時の高校生とは絶対的に何かが違う、本当に子供染みた青春時代だったのではないか、と思う訳です。今時の高校生やわたしよりも年下の子らが大人びているということではないんですけれども。かといってわたしよりも年上の人間が大人かと言うとそれも絶対的に違う訳で、では一体全体何を信じて線引きをしたら良いのだか、バナナの謎はまだ謎なのだぞ、と言う訳で、そうなると自分の判断でしか線引きはできなくなっちまうなぁ、と言う訳なのです。そうしますと、人間として成熟なんぞまるっきりしちゃいねーわたしの判断というのは人様が見るところどうなのだろう、という一抹の不安があったりもして、得てしてそんなことはきっと誰しもが悩んでいることなんだろうなぁ、はたまた、オマエ気にしすぎなんだよ自意識過剰かよ、とかイロイロ考えちまうワケなのです。つまり水平線に沈んで行く太陽みたいに僕らの青春もサラバ、という訳なのですよ。どうやらわたしと言う人間は人に多くを求めすぎるらしく、ちょっとそこのおしょうゆ取って、とかそんなこと言いやしませんよ。ただ、トイレットペーパーなくなったら、最後に使ったひとが買いに行く、とかせめて『無くなったよ』とか言いにくるくらいはして欲しいと思うんすよ。だがしかし、どうもその考え方は世界的に間違っているらしく、わたしはここで世界の敵になってしまうということなのだが、まぁそんなものは『判ったよ、アタイが買ってくりゃいんでしょ』という至極明快な解決方法があるので、実はそんなに大した問題ではないという訳なんですよ。そんな簡単なことで世界の敵となることは回避できるんです。だけれど、問題の本質というものは、実はわたしの気持ちというよりも他の人間の気持ちだったりするのだから手に負えない。なくなってもそのまま放置、ということは、わたしが気付けばそらわたしが買いに行きますけれども、行かせていただきますけれども、じゃあわたしが暫くお休みなどをして、わたしがトイペが無くなったことに気付かなかったらどうすんだ、と。まぁそういうことになる訳なのです。こうなると、少し離れた他のトイレに行ってまで用を足すようになる。トイペが無くなったトイレは紙がないまま。信じられますか、信じられませんよね、でもこれが現実で、これが世界だから実は信じられねぇ!と思ったあなたも世界の敵になる可能性は充分に秘めているという訳なのだ。それでもって「なんであいつは紙買ってこねぇんだ」とか謂れの無い文句を陰で言われることになるんです。これは由々しき問題でして、偉い(立派な人と言う意味ではない)人間に言われるんならまだしも、この腐れた年功序列の世界であらばこそ、という訳ですが、わたしより年下で後輩の子らも当然買いに行かない。自分らが不便なのは重々承知で買いに行かない。オレは、世界中を敵に回しても構わない。何故なんだぜ?と問いたいのだ。ユトリとかKYとか、そういったもので食い扶持を稼いでいる人間がいるけれども、目ざといというか、立派(偉い人と言う意味ではない)と言うか、ともかくアタマの良い人たちには脱帽な思いな訳で、さんざんっぱら苦労してひでぇ思いをしてきたわたしはそんな思いをしてきても恐らくこれっぽっちも成長できていない人間なのだ。何しろ見習うなんぞと言うむしろ崇高とすら言っても良い行為がまるっきりできないのだ。つまりこれはわたしが子供、いや稚拙と言っても良いくらいの人間なので、もう致仕方のないことなのだけれど、これが本題なのかもしれないのだが、実は、高校時代の青春というのは、そういったものの塊だったのではないだろうかと思われるのである。誰も彼もが。そういった時代、青臭い時代、というものを過ごしてきて、みんな抜け出して大人になったんであろう、とわたしは考える訳だが、きっとわたしはそういうところから一歩も踏み出せちゃいねーままなのだ。だからほんのチョッピリ年上()でも、こんな話を書くんですよ。今も青春、いや生涯青春!だなんて思うほど阿呆な人間ではないけれど、汗のにおいの染み付いたグラウンドもロングトーンのラッパの音もサヨウナラって言えないまま、一体オレは何してんだろーな?とか思うことは全く無い訳じゃないのだ。けれど、それは自分のなすべきことに疑いを持っているという訳ではなく、むしろ疑うべき不明は、トイレットペーパーを買いに行くアタイ自身だったりしなければならないのだ。なるほどなー。世の中使えねーやつばっかりだとかあいつKYだとかあいつユトリだとか、そんなことを言っていても正に取り止めがない世界がセイギの時代で、どいつもこいつも多数派にしがみつく、まさしく無頭カエルの様相である人々の中で、高らかに己の正義を叫ぶことが自殺行為にもなりかねない現代においては、若気の至りと言うのはとても大事なファクターなのである。わたしはもう若かないが()それでも、『認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを』と思う若気の至りを、若かないオレが認めてやって、書いてあげなくちゃなんねぇだろうがよ、というもはや誰にも理解不能な使命感でお話を書いているのである。そして取り止めもなく、荒んだ心にもはや音楽は必要不可欠であったりして、やはり音楽は偉大だなぁと思う傍ら「ケッ音楽なんぞ」という人種も中にはいるもので。音楽を好きな振りとかする人間もいる訳だけれど、そいつがまた始末が悪いというか最悪の部類に入るので、ここでは割愛させていただくけれども、ともかくわたしにとっては音楽とは切っても切れない、もはや水か空気かというくらいの関係だけれども、そんな素敵な音楽に幾度となく救われてきました。何かを書くに当っていつも音楽が関係しているのはきっとそういうことなのだろうし『音楽好きで素敵なアタイ』をアピールしたいというとても意地汚く厭らしい醜女心の作用もあるのだと思うのです。でも、音楽になにがしかを見出す人はきっと少なくなく、わたしゃね、歌詞や曲が降りてキタだとか、キャラの一人歩きはまぁ良いけど、わたしが思う通りに動かない何だこいつ!だとかそんな与太、信じちゃいねー創作者なので、一生懸命ひでぇ思いをしてきたあの頃を思い出しながら、色々お話を書いているんですが、音楽になにがしかを感じるそのナニガシが、モウソウだろうと、ゲンジツだろうと、シンジツだろうとキョコウだろうと、感じたおめーの責任だからな、というスタンスで創作に当たっておるので、唄で戦争を止められるだなんてこれっぽっちも思っちゃいないし、愛と平和がせいぜいだろうな、というところで、青春時代とバンドと恋愛は、これからも大事に大事に書いて行きたいところだな、と思う大次第でございます。つまり、結局のところ、こんな辺境まで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。という感謝の意を現したいだけなのですよ。要するに、受けた恩は忘れるな、かけた情は水に流せ、と。かけた情は水に流せ、受けた恩は忘れるな、だっけ?……だめじゃん。でもまぁ、結局のところ、サラバ青春なのですよ。かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻めが正解。では、また。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Ishtar Feather yui-yui @yuilizz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説