バリエーション

緑青 海雫

第1話 ハンバーグ

「おかあさん、料理教えて。」

そろそろ夕飯を作ろうかと、そんな気怠い夕方の時間帯。

娘の言葉に、私は目を丸くした。

近頃、思春期真っ盛りの娘はこちらがなにかを言うと、うざいだのしつこいだのしか言わなかったのに、彼女にいったい何があったのだろうか?

「あんた、急にどうしたの?」

掃除も洗濯も、学校に持っていくお弁当や書類でさえ母親任せ。

甘えん坊の思春期ど真ん中の娘が、急にお手伝い宣言だ。これは何かある。

少しうつむくように顎を引いて、娘は小さな言葉を発した。

「明日のお弁当に、ハンバーグ入れてく。」

ははーん、これはあれだ。

友達とお弁当のおかずを交換するやつの、見栄っ張りだな?

このハンバーグ、私が作ったの。へぇ!料理できるのすごいじゃん!ってやつだね。

いいねぇ、青春の一ページね。

私はにっこりと笑って快諾した。

娘はいそいそと手を洗い、エプロンを首にかけた。

エプロンのプリントされた大きな猫がこっちを見ている。

「準備できた?

 そしたら、まずは玉ねぎみじん切りしてから、炒めるよ。」

「わかった・・・」

意外なことに、いつもは文句たらたらで白けたような眼をする娘が今日は大変殊勝な態度だ。これは、あれだ。友達とおかず交換会ではなく、もしかして彼氏とかな?

そうか、いつのまにか、娘も恋をして好きな人と寄り添うような年になったのか。

ほっこりとしながらも、私は娘に支持を出していく。

「うちはナツメグ入れないから。なんで?って苦いからよ。卵入れて、塩コショウして、それからそっちのボウルの牛乳を含ませたパン粉を入れて、そうそう炒めた玉ねぎはここで投入、うん、手でやっちゃっていいから。あとは粘り気でるまでこねるのよ。こねたら形成。お肉を叩くようにキャッチボールして、そうそう。」

ジュウー、いい香りが漂ってくる。形成した肉が、フライパンの上で焼かれてる。

「2、3分したら、くぼませた真中に汁出てくるから、ひっくり返して蓋をするの。焦げやすいから弱火でね。5分から7分ね。そしたら竹串で刺してみて透明な肉汁があふれてきたら出来上がり。焼いてる間に、ソースを作るわよ。」

いつもの生意気なお口が鳴りを潜めて、言い方は悪いけどそれはもう従順に工程を進めていくのが、なんだか据わりが悪いようだった。

「ソースはね、ケチャップだけだと塩辛いから、ワインと砂糖で伸ばすのよ。

ワインは煮立てて、しっかりアルコール飛ばさないと酔っぱらちゃうでしょ?」

ふふふ、と私が笑うと娘もフンっと鼻で笑った。

子供の頃は、キャッキャして顔中で笑っていたのに。

皮肉気に、大人のように笑う姿のこんな瞬間が少し寂しいような気持になった。

ちぎったレタスと切ったトマトを皿に乗せ、こぶし大のホカホカ出来立てハンバーグを真中に添える。ソースはたっぷりとかけて、炊き立てご飯をよそる。

食卓に並べて、さっそく二人で食べることにした。

「いただきます。」

「…いただきます。」

口中に広がるハンバーグの肉汁はいつもの味。うん、美味しくできてる。

「上手くできてるわね。」

そう、娘に言うと突然娘の目からポロリと涙が落ちた。

ギョッとして娘を見てしまう。でも、慌てず騒がず、促さなければ!

「…どうしたの?なにか、あったの?」

ぐすんぐすんと鼻を鳴らす娘の前にティッシュ箱を差し出す。

数枚、ティッシュを引っ張り出して、鼻水やら涙やらを拭く娘が意を決したようにこちらを見つめた。

「おかあさんってさぁ、再婚しないの?」

え?と、私は思考が止まった。

「急になにさ。」

「…先週さ、男の人と街中歩いてたでしょ。

 あたし、学校が早く終わって友達と街中ぶらついてて偶然見かけたんだよね。

やさしそうなおじさんと、楽しそうにお茶してた。

あのひと、恋人でしょ?」

私は絶句した。あれを見られてるとは思わなかった。衝撃に固まってると娘は早口で続きを話しだす。

「お父さんはもういないんだから、別に悪いとは思わないけどさ。

 でも、男の人と、きれいなカッコしてきれいにお化粧してるおかあさん見て、おかあさんも女の人なんだって驚いた。そしたら…そしたら、あたしのせいで隠れて恋愛してるのかなって思ったら、すごく苦しくなった。」

娘の体にギュッと力が入ったのをみて、思わず席を立って抱きしめてしまった。

またウザがられるかしら。あら、振り払われなかった。

「違うわよ。あなたのせいで隠れてたわけじゃないし、別段、隠してもいないのに、そんな風に思ってたの?」

「だって!女手ひとつであたしを養ってるのに、いっつも酷いこと言っちゃうし、態度も悪いし、お金ばっかりかかるし!それなのに、我慢ばっかりさせてるのかなって苦しくなるし、あたし、最悪じゃん!邪魔者じゃん!」

わぁ!と泣く娘が可愛らしいのと、思春期独特の傷付きやすい不憫な状態に、こちらも思わずもらい泣きをしてしまった。

「そんなこと思ってないし、一度たりとも邪魔者なんて考えたことないわよ。

いまは思春期だから、親のことが疎ましく思って正常だし葛藤するのも大事だから、がみがみ叱るとかしないよう気を付けてたけど、別段、我慢なんてしてないよ。

それに、あの男の人は、恋人じゃないしね。」

「…え? 違うの?」

「違う違う。あの人はね…とその話は食事をしながらしようか。

せっかく作ったのに冷めちゃもったいないよ!ほら、もう泣かないで。鼻かんで!」

 どさくさ紛れに、娘をギュウッと抱きしめる。

 大きくなったなぁ。子供特有の匂いがなくなって、精一杯背伸びした、香り付きクリームの花の香りがする。

 少し冷めたけど充分美味しいハンバーグが、なにか特別な味がするようだった。

娘の涙のアクセントか、ソースが少し濃く感じた。

美味しいねっと言うと、珍しく娘が赤くなった目をにっこりさせて、うん、美味しいねと返してくれた。

「あの人はね、取引先の顔馴染みでね。まぁ、お客さんよ。

 個人的にね、ちょっと相談を受けてたのよ。」

「ふうん、そうだったんだ。」

なんでもないような顔をして、ほっぺが赤くなる娘。

早とちりしたのが、恥ずかしくなってきたようだった。

だから、私は娘の感を肯定するようにさりげなく言葉を紡いだ。

「実はね、前からちょっとステキだなって思ってたんだけどね。

あの人は亡くなった奥さん一筋だから、なかなかアプローチできなくてね。」

そう言って苦笑すると、娘がこちらを凝視した。そう、私の片思いなのだ。

「奥さんはね、五年前に交通事故で亡くなったの。運転しながら携帯いじってたひとにひかれて、すぐに救急車呼べば助かったのに、運転手が何をひいたか分からなくてしばらくそのまま走っちゃったんだって。それで亡くなってしまってね。

五年経ってやっと最近、心の整理がついて、奥さんとの思い出に向き合えるようになったんだけど、どうしても分からないことがあって、私に相談してきたのよ。」

「それで、それで?」

「ふふふ、お皿洗ってお茶入れて、それからまた詳しく話そうか。」

興味津々に喰いつく娘に、久しぶりに面と向かって話せてるの嬉しくて声がはずむ。

内容は、なかなか悲しくて重いものだけど。

空になったお皿を持ち上げる。お皿の上のハンバーグは見る影なしだ。

お腹いっぱい、とてもおいしい食事だった。

きっと料理を通して、娘なりに私に歩み寄ろうと考えたのだろうな。

初心者の洋食。私も母から教わった最初の料理がハンバーグだった。

母親になって17年。まだまだ子育てで分からないことや悩むこともあるけど、初心に帰って娘と向き合おうか。

皿を洗いながら、娘と二人たわいない話をしている時間が愛おしい。

ざぁーと流れる水が、泡をまとって排水溝に流れていくのを見て、なんだか気分はすっきりしていた。





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