第3話

「……今は赤く見えないな」

 睨みあっていたラズフィードが、シェルヴィへの目へと長い指を伸ばしてきた。その手を後退って避ける。

「それも見間違いだと何度申し上げました?」

「いい加減認めろ、シエル」

「シェルヴィです。私は生まれてこの方、ここアジナイラ国を離れたことはありませんので、ローデルフの森で出会ったという、殿下のシエル嬢ではありません。ついでに瞳の色も生まれた時から黒。赤にも青にも白にもなりません。殿下こそいい加減お認めください」

「事実でないものを認める気はない」

「……」

(……この野郎、人の説明は丸っきり無視か?)

などと、つい思ってしまうのは、シェルヴィが庶民というか、育ちが悪いから? 城にうろついている貴族やら騎士やらは、傲慢一杯に「俺だけが正しい」って顔されても、本当にムカつかない? だとしたら、なんて人間ができているのだろう。


「まあ、どうでもいい」

「……」

(その上、散々引っぱいといてそうくるか……!)

 何様!と言ってやりたいが、相手は王子「様」だ、まごうかたなき。

 相手にするだけ無駄と見切りをつけると、シェルヴィはラズフィードにくるりと背をむけ、再びセクレドダチュラに向き直る。

「……目の前で無視とはいい度胸だ」

「まあ、無視だなんて。ただ仕事中、あまり遊んでいるのもまずいなと。殿下こそ、騎士団のお仕事はよろしいので?」

 立場上失せろとは言えず、この程度が精々なのは悔しいが、世の中理不尽なことだらけだ。いちいち憤っていたらきりがない。

「仕事ならしている」

「ああ、魔女狩りは筆頭騎士様の使命の1つでしたね。遂行中という訳ですか」

「おや、認めるのか? 自分で魔女じゃないと言ったところだろうに」

 冷え冷えとした目線で皮肉を言ってやったのに、あっさりと揚げ足を取って返されて、これも通じない。


 いつの間に来たのか、黒猫がシェルヴィの足に頭を擦りつけてきた。

「……またこいつか」

 そう言いながら、ラズフィードは小さく笑うと身を屈め、猫の頭へと手を伸ばす。だが、猫はその手をするりと避けた。猫の金の目が、また笑いを湛えてシェルヴィを見上げてくる。


(どいつもこいつも腹立たしい)

 話すのに顔を見ないのは身分に関係なく、人として無礼だが、これ以上奴に顔を向けておくのはどうしても癪だ。

 シェルヴィが無言のまま、仕事を再開しようと薬草に手を伸ばせば、ラズフィードもしつこく「やめろと言ったはずだ。第一トロールのような不細工な手になっては手綱も握れまい」とくる。

(腫れ上がった緑の手――トロールとはうまく言う)

 森でよく見かけた、全身ブクブクに膨れた緑の人型魔物を思い出して、妙な感心を覚えたが、ムカつくことに変わりはない。どこの世界に社会貢献に励んでいる自分を指して、不細工と形容されることを喜ぶ乙女がいるだろう。

(……というか、手綱? 馬? 何それ?)

「明日午前6時、正門前。馬はこちらで用意する」

「……はい?」

 目を丸くして振り返ったシェルヴィに、ラズフィードは「フォルメイの代理でカスラネの査察だ」と無表情に通告すると踵を返した。

「き、聞いてません!」

「当たり前だ。フォルメイにも先ほど告げたところだ」

 むかつくほど長い足を優雅に動かし、こんな時だけあっさりと去っていく奴の性格の悪さと言ったら、手元の花壇のレンガをあの白金の髪に投げつけて血で汚しても、神様もきっと見逃してくれるというレベルだ。

(やっちゃう? いっそやっちゃう? 目撃者、いなくない? って、さすがに危険すぎる……!)

 シェルヴィはレンガに触れようと指が勝手に動くのを、理性で必死に抑えつける。


「言い忘れていたが」

 そんな彼は10歩ほど行った所で、怒りに震えるシェルヴィを振り返った。

 白金の髪と黒い肌の合間に光る空色の瞳が、真っ直ぐにシェルヴィを射抜く。そこに含まれた、見慣れない色に思わず息を飲んだ。

「風を操れるのは結構だが、滅多なことではするな」

「っ」

(み、られてた……)

「……何のことでしょう?」

 顔色を失いつつも、平静を装おうと全神経を費やしたのも束の間――

「女のドレスの裾が乱れるのを好む男は多いぞ」

「……」

 相も変わらずこちらの反応を無視して続けられた言葉と、その馬鹿馬鹿しい内容にがくりと脱力した。


「……殿下、あのですね」

 ほんとにただの馬鹿だったのか、と息を吐き、適当に返そうとシェルヴィは口を開く。

 それを見ていたラズフィードは、その冴え冴えとした美貌に、今日初めての表情らしい表情――微笑を乗せた。

「つむじ風の中で目を赤く輝かせる女を好む男は少ないだろうが」

「!」

「また明日」

 絶句したシェルヴィに、ラズフィードは声を立てて笑うと、肩越しに手を振り、今度こそ歩き去る。



* * *



「……うー、10年前はもう少し抜けて見えたのに」

 遠ざかっていくラズフィードを見ながら、人って本当に分からない、とシェルヴィは唸る。

 殺されそうになって“惑わしの森”に逃れてきていた当時16歳の王子様は、今やあんな風。しかも魔女狩りの責任者ときた。


 ――間抜けはむしろお前だろ。

 脳内に響いた声に、思わず足元の黒猫を蹴れば、ひらりとかわされる。

 “猫”はシェルヴィの背丈の3倍の高さの木の枝に着地すると、明らかな嘲笑をシェルヴィへ向けて、すっとかき消えた。


(なんで私の周りは性格の悪いのばっかりなの)

 さらに増した苛つきのまま親指の爪を噛むと、口内にセクレドダチュラの苦味が広がった。

「明日、からか……。査察に薬師が必要って時点でどうせろくな話じゃないのに、その上、あれと……」

 間違いない――その間にあいつは探りを入れてくる。


「あ、でも大丈夫。あれだけ騒いでる教皇でさえ、魔女って言ってるものがなんなのか、知らないくらいなんだから」

 ラズフィードのせいで離れていた子達が再び周りへと集まってきた。一生懸命心配してくれる彼らの様子に、思わず笑みを漏らす。

(そう、よね、逃げてたって始まらないんだから……)

 シェルヴィは空を見上げると、大きく息を吐き出した。そして、騎士団に戻っていくラズフィードを睨めば、気取られたらしい。彼が振り返った。

「……」

 シェルヴィをまっすぐ見つめ返しているのは、あの日炎に包まれた森の中で、朱金を映して輝いていた白金の髪の主――




「20にもなって10年前と変わらないとはな」

 騎士団に向かいつつ、「いや、少し捻くれたかな」とラズフィードはくつくつと笑う。

 突きつけられる死に無気力だった自分を文字通り蹴飛ばし、「死ぬならよそで1人で死ね! 迷惑!」と怒鳴った黒髪に赤い目の少女を思い起こす。


「ああ、ガジェット、叔母上に使いを頼む」

「まさか、とは思いますが、例の茶会、欠席、ですか?」

 離れた場所で待機させていた従者は情けない声を出し、「ご自分が仕向けたくせに。知ってます? それで苦労するの、結局私なんですけど」と恨みの視線を向けてきた。

「お前の仕事だ」

 横暴、横暴と愚痴るガジェットを目線で追いやった。当たり前だ。あれが出ないなら、そんな茶会に意義などない。

 それより美味しいのは、転がり込んできた明日からの査察だ。

 「最低でも5泊……」

(この機会を逃す手はない。今度こそきっちり探ってやる)

 ラズフィードは口角をくっと上げると、背後から向けられている視線に応じるべく、薬草園を振り返った。

「……」

 怒りを露にラズフィードを睨んでいるのは、あの日、森の炎を映して紅蓮に輝いていた赤い瞳の主――




「そっちがその気なら上等じゃない」

「そっちがその気なら面白い」


   ――絶対に、尻尾を掴ませてなんかやらないわ、『ラズ』。

   ――有無を言わさず、その尻尾を掴んでやろう、『シエル』。


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赤の魔女と白金の騎士 ユキノト @yukinoto

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