わたしが作家になりたい理由

 あの子に出会ったのは、たしか幼稚園の時だ。

 初めて見たときから、友達になりたいって思って。

 まだ舌足らずな声で、『よろしくね』と言い合ったことを、今でも覚えている。


 あの子――――秋月あきづき かえでは、の唯一無二の親友で。

 どんなに辛いことがあっても、その声を聞くと安心できて。

 あの子はわたしの光で、憧れで、希望で、夢で。

 わたしの、何より大切な人だったのに。



 それなのに、あの子はいなくなった。



 あぁ、神様ってなんて残酷なんでしょう。


 本当に、つらかった。悲しかった。苦しかった。

 それでも、一週間たって、二週間たって、一か月が過ぎて。

 あの子の声が聞けない日々が、当たり前になって。

 あの子はいないんだって、分からせられて。

 最初は大きく騒いでいたニュースも、気が付いたら別の話題に変わっていて。


 あぁ、社会ってなんて冷たいんでしょう。


 泣いて、泣いて、最後は何でもない時にさえ涙が出るようになって。

 あの子からのLINEを待って、一日中スマホにかじりついていたこともある。

 何日もご飯が食べられなくて、体重が一気にぐんと減ったこともあった。

 夜中にふと目が覚めて、そしたら悲しくなって、泣いて――――――――――

 いつの間にか、うでに傷がついていたことが、何回あっただろう。

 一回やったら止まらなくて、あっという間に両腕は傷だらけになって。



 そして、わたしはついに首を吊った。



 でも、助かってしまった。

 どうして助けたの。わたしは、あの子のところに逝きたかったのに。

 そのときは、そんな気持ちでいっぱいだった。

 病院の先生、ママ、パパ、看護師さん。わたしを心配してくれているたくさんの人たち。

 でも、その人達の声もどこか遠くて、わたしはただ、「ああ」とか「うん」とか曖昧な返事をしながら、しかばねのように虚空こくうを見つめているだけだった。


 そんな病室に、アオちゃんが入ってきた。

 パァン、と高い音が響いて。

 それが、アオちゃんに頬を叩かれた音だと理解するまでに、数秒かかった。


「………っ、え」

「何やってんのッ、桜のバカッ!!」


 いきなり、そう怒鳴られて、涙が浮かんだ。


「っ、どうして、そんなこと言うの、アオちゃんっ………」


 今思えば、あれはわたしの本心だった。

 今まで我慢していたものを、あの時、わたしはぶちまけたのだ。


「なんで?わたし、もういやだよぅ………つらいの、ぜんぶ。だって、カエちゃんは、もういないでしょう?それなのに、まいにち、がっこういかなきゃいけなくて………」


 ぼたぼた、涙がこぼれ落ちる。

 わたしの言葉も、止まらない。


「みんな、わすれてっちゃう。あの子のこと、もうだれもはなしてない」


 友達だと思ってた人からは、みんな距離をおかれるようになった。

 パパも、ママも、わたしのことを腫物はれものみたいに扱って。あの子のことなんて、一言も言いやしない。


「カエちゃんが、せかいからきえちゃったみたいで…………あの子なんて、さいしょからいなかったんじゃないかって、おもえて………」


 だから、辛いの。悲しいの。

もう、生きていたくなんて………


「だからって、楽になろうとするの?」


 わたしの声を、静かにアオちゃんがさえぎった。

 顔を上げると、真剣な表情のアオちゃんと目が合う。


「そんなこと、楓なら絶対にしない」


 確かに、その通りだと思った。

 でも。


「でも……………わたしは、カエちゃんみたいに、つよく、ないっ……………」

「これ」


 言い訳をしたわたしに、差し出されたのはスマートフォンだった。

 見覚えのある、赤いスマホケース。

 可愛いアニメキャラのスマホリング。

 あの時アオちゃんが引き取った、あの子のスマホだった。


「読んで」


 開かれていたのは、文章作成アプリだった。





―――――――『死』って、非常口みたいなものだと思う。


 私たちのすぐ近くにあって、いつでも逃げられる。

 このつらい毎日地獄から救ってくれる。楽にしてくれる。

 だから、そこに逃げ込むひとがいるのも分かる。

 実際私も逃げたいし、何度もげようかなと思った。

 でも、そこは一方通行だから。そこへ行くには、今あるすべてを、そして、これからあるかもしれないものも全部、引き換えにしなきゃいけない。

 今ある私の秘密も、これから出会うかもしれないしあわせも、全部。

 そう考えて、いつも踏みとどまる。

 今のつらさと、これからのしあわせを天秤にかけると、やっぱりしあわせが勝つから。


 だから、いつかそれが私を引っ張り込む日まで、精一杯生きようと思う。





「これ、は…………」

「楓が書いてたメモ」


 そう言ってから、アオちゃんは短く深呼吸して続けた。


「楓だって、強かったわけじゃない。何度も逃げそうになって、つらくて、それでも前を向いてたんだよ」

「それを、強いって言うんじゃないの……?」

「そうかもね」


 手元に視線を落とせば、天真爛漫、という言葉の似合うあの子らしくない、暗さをまとった文章が目に入る。


 あの子が、こんなこと考えてるなんて、思ってもみなかった。

 いつも明るくて、自分の夢にまっすぐで。

 悩みなんて、無いように見えたから――――――――――


「ね、桜」


 再びアオちゃんの声がして、顔を上げる。


「さっき、みんなが楓のこと忘れたみたいで悲しいって、言ってたよね」

「うん………」

「たしかに、世間の……大多数の人たちは、『駅で通り魔に殺されたかわいそうな女の子』のことなんて、すぐに忘れちゃうと思う」


 でもね、とアオちゃんは言う。


「あたしは、忘れないよ」


 その言葉が、妙に胸に刺さった。


「桜もそうでしょ?…………楓のこと、一生忘れない。それくらい、大切な友達だから」

「っう、ん………」


 アオちゃんの言葉が、優しく胸に響く。

 さっきとは違う理由で、また涙が出た。


「もう、楓には逢えないけど。あたしたちが楓の為にできることは、無くなったわけじゃないと思うんだ」

「そうっ、だね………」

「ね、だからさ。もし、いつかまた楓に逢えたとき、たくさんお土産話ができるように………」


「いっしょに生きようよ、桜」



 その日から、わたしは自殺もリスカも全部やめた。

 少しずつご飯も食べて、リハビリもして。

『自殺しようとした子』として腫物はれものみたいに扱われても我慢した。

 だって、余裕がなくて周りが見えてなかったわたしが悪いって、思えるようになったから。

 みんなに追いつけるように、高校の勉強も頑張った。苦い薬も、我慢して飲んだ。

 つらいことも多かったけど、アオちゃんの言葉と――――――――あの子ののこしてくれた物語が、大きな励みになった。





 そして、夏。

 ちょうど、あの子の一回忌のあたりで、わたしは退院することになった。


「退院、おめでと。桜」

「ありがとアオちゃん」


 お迎えには、アオちゃんも来てくれた。


「あれから一年経つけど……桜、大丈夫?」

「うん。まだちょっと駅には行けないけど……アオちゃんのおかげだね」

「あたしは、なんもしてないよ。頑張ったのは、桜でしょ」

「そんなこと、ないよ」


 アオちゃんの目を真っ直ぐ見て言う。この半年、ずっと伝えたかったことを。


「頑張るきっかけをくれたのは、アオちゃんだよ。わたしあの時、『いっしょに生きよう』って言われて、嬉しかった。アオちゃんのおかげで、前を向くことができたんだもん」

「そっか………あたしも役に立てた、のかな?」

「うん」


 しばらく、何も言わなかった。

 ただ、果てしなく青い夏の空を、二人とも見つめていた。


「ねぇ、アオちゃん」

「ん?」

「わたしね……転校、することにしたんだ」

「え?いつ?」

「二学期から。………もう一回、新しいところでやり直してみようと思って」

「………良いと思うよ。がんばって、桜」

「うん。あとね………わたし、夢ができたの」

「どんなの?」



「わたしね………作家になりたいの」



 そう言ったとき、アオちゃんは驚かなかった。


 静かに、私の話をじっと聞いてくれていた。


「病院にいる間、カエちゃんの小説に本当に励まされて。だからね、思ったの。わたしもこんな風に、だれかに喜んでもらえるような小説が書きたい、って。うまくいくかは分かんないけど、わたしなりに頑張ってみるつもり」

「いいと、思うよ。すごく。応援する」

「ありがと」

「ちなみに、どんな話を書くの?」

「えー?」


 その質問に、わたしはニッと笑って答えた。


「まだ内緒♡」


 アオちゃんは苦笑して、「楽しみにしてるね」と言ってくれた。






 ねぇ、カエちゃん。あなたがいなくなって、ちょうど一年ですね。

 この一年、たくさんのことがあったけど。

 わたしには、新しい夢ができました。


 わたしは、作家になります。


 あなたの小説は、おもしろかった。楽しかった。いっぱい、励ましてもらった。

 だから、わたしも誰かに喜んでもらえるような小説が書きたい、そう思ったのも事実です。


 でも、実はそれだけじゃないの。

 わたしはずっと、考えてた。

 アオちゃんの言ってた「カエちゃんの為にできること」って、なんだろう?と。

 そこで考えたのが、「カエちゃんの夢を叶えること」です。

 もちろん、作家になるのはわたしだから、カエちゃんの夢が本当に叶うわけじゃないけど。

 作家になった人しか分からないことや、見えない景色があるんじゃないか、と思って。

 それに、わたしもあなたが見たかった景色を、見たくなったから。


 書こうと思っているのはね、カエちゃんが異世界に行っちゃうお話。

 カエちゃんが書いたのはわたしが主人公だった。

 けどね、今度はあなたを主人公にしてみようと思ったんだ。

 あなたのような小説を書けるかどうかは分からないけど、わたしなりに、頑張ります。

 だから、カエちゃんも、遠くからで良いから、応援してね。



 それじゃあ、またいつか。

 さよなら。そして、ありがとう、カエちゃん。



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わたしが作家になりたい理由 霜月 アカリ @s-akari

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