第6章『さよならバイバイ、忘れないでね。』
6-1「死者との別れをお届けします。」
「今日仕事終わったらさ、オトマたちと飲みに行くけど有里も来る?」
器に収まりきらない大盛りのラーメンをかき混ぜながら、麺二郎さんはあっけからんとした表情で言った。一方僕は普通盛りのラーメンを咀嚼しながら、次の一口を溶き卵に浸けている。この食べ方は最近発見したものだが、想像していた以上に食が進む。
「僕、今日は午後休取ってるんですよ。これ食べて、終わんなかった仕事をしたら帰ります」
「あれ、成瀬ちゃんも午後休取ってなかった? デートか?」
「違いますよ。僕の墓参りに付いてきてくれるだけです」
なーんだ、と麺二郎さんが口を尖らせて言った。その奥でオトマさんが「デートやろ」と笑い声を上げている。新たな一口を咀嚼中だったため、違いますよの意味を込めて手を横に振っておいた。
この日は優菜の八周忌だ。前に「熊谷優菜の墓参りに行きたい」と成瀬さんが言っていたので、いい機会だと思い、付いてきてもらうことにした。唯にそのことを話したところ、彼女も快く承諾してくれた。
ラーメン屋常連組はどんなときでも話題が尽きない。今回は、僕と成瀬さんの関係についてあることないことを次々と口にしていっている。僕がいることを知りながら。オトマさんに至ってはこちらへわざとらしく視線を送ってくるので、彼の目的は間違いなく僕をからかうことだ。そもそもこの話題を始めた人物こそ彼だったのかもしれない。好青年のような見た目をしているくせに、中身はただの意地悪なおじさんだ。
「で、どうなん、有里くん」
「別に、うーん、どうなんですかね」
「えー? 成瀬ちゃんが付き合ってるって言っとったよ?」
「……あー、なんで言っちゃうかな、あの人は」
店全体が一瞬だけ静まりかえったとき、あ、やっちゃったと思った。オトマさんがニヤニヤ顔で、満足そうに僕を眺めている。僕にカマをかけたのだろう。そういう人だ、彼は。
それからは地獄の質問攻めを受けることとなり、これまで短すぎると思っていた一時間の昼休みを、僕はこの日、初めて疎ましく思った。大学の授業時間ですらこれほど長く感じたことはない。
「あ、このあと立ち会いだ。俺、そろそろ行くわ」
喫煙者たちがラーメン屋の前で一服しているのを待っているとき、麺二郎さんがすこし憂鬱そうに口を開いた。彼の気持ちには、たしかに共感できる。とはいえ僕の責任でもあるので、「長期契約のサービス、終わっちゃいましたしね」と相槌っぽく言葉を返しておく。麺二郎さんが首を傾げてから、いま放った言葉がたいして文脈に合っていなかったことに気づいた。
株式会社バーチャルヘヴンは、去年の冬に社長が立ち上げた「第二創業」により、それまで行っていた長期利用サービスの新規契約を終了した。代わりに始まったのは、ある期間だけ死者を復元するという、それまでとはすこし違った形のサービスだ。
これによりバーチャルヘヴンの位置づけは、「死者とともに過ごす時間を提供するサービス」から「別れを告げられなかった人たちを救うサービス」へと変貌を遂げることになった。つまり、大切な人を喪った心の穴をその死者で埋め合わせるのではなく、その人に直接別れを告げ、絶望し受け入れるための儀式を僕たちは援助することになっている。僕にとってこれは、社長が優菜の死に絶望できたことの証明でもあった。
そのぶん、営業部の社員たちにかかる精神的な負担が増加する結果にもなった。これまでは「死んでしまった大切な人に会わせる」という業務内容だったものが、今では「大切な人に別れを告げる」場面に立ち会わなければならない。受けるダメージは従来の何倍にも膨れあがっている。それでも、僕と同じようにいつまでも前を向けない人の手助けをすることは、これまでとは全く違ったやりがいを感じられる。案外悪いことばかりではない。
「じゃ、デート楽しんで」
帰りの廊下ですれ違ったとき、オトマさんは顔面いっぱいの笑みでそう言った。「違いますってば」、なんとか紡いだその言葉はきっと、彼に響くことはない。あとで成瀬さんに謝る必要がありそうだ。彼女はオトマさんたちにからかわれるのが面倒で他言しないようにしていたのだろう。
オフィスビルの前で、成瀬さんがすでに準備をしていた。僕の姿を確認するなり眉間に皺を寄せ、「遅い」、不機嫌そうに言う。陽射しは夏にぴったりの色をしていた。
* * * * *
唯の運転する車を降りたとき、一段階、身体が重量を増したような気がした。立ち会いの環境による精神的疲労、激務による単純なスタミナ切れ、優菜への未練など様々な可能性が脳裏を駆け抜けていったが、ただ単に夏バテしているだけのようだった。
助手席を降りた成瀬さんがペットボトルの水をくれたので、遠慮なく身体に水分を流し込んでおく。唯と成瀬さんがあまりにも自然に会話していたから何も思わなかったが、改めて考えると、なぜ僕が後部座席に乗っているのだろう。
「有里、藍ちゃんより体力ないじゃん」
唯はここ最近で成瀬さんと仲よくなってきたらしい。いつの間にか二人は名前で呼び合っている。それに、今や成瀬さんは喫茶ナカムラの常連になっていて、休みの日に足を運べばほとんど毎回顔を合わせるほどだ。
孤立することになるんだったら、唯に成瀬さんを紹介したのは失敗だったかもしれない。唯が放ったからかいの言葉には「うるさいな」と返しておいた。
「情けないぞ、夕陽」
「成瀬さんもうるさいです」
「上司に対してなんだ、その口の利き方は。始末書を覚悟しておけ」
「社長に言って免除してもらいますよ」
「いいから早く歩け」
僕の背中を叩きながら、成瀬さんは得意げな笑顔でそう言った。汗でシャツが貼り付くし、なにより叩く力が強いから普通にやめてほしい。もちろんそれを言ったところで「貧弱」と返されるのが目に見えているから、眉間に皺を寄せるだけに留めておくことにした。「いちゃついてないで早く行くよ」、階段三つぶん先で、唯が呆れたように言った。
「二人はいつまで苗字で呼び合ってるの? 結婚することになったら困るよ」
「いや、結婚するのはまだ先だし」
「あ、いつかするつもりなんだ?」
今日の僕は本当に失言が多い。いや今回の言葉に関しては失言とは違うのかもしれないけれど、意味もなく僕が恥ずかしい思いをする深刻な事件が多発している。成瀬さんが何も言わずに顔を背けているのはきっと、その方向に珍しい鳥か何かがいたからだと思う。
優菜の墓は、当然だけど、前に来たときと何も変わっていなかった。地面を覆う芝生は青々しい匂いを発していて、墓地の空間が丸ごと別世界のようになっている。
彼女の墓にはすでに花が供えられていた。午前中のうちに社長が来たのだろう。葬式も墓参りも、死者のためだけではなくて、僕たち生き残った者にとっても必要な儀式だった。
黙祷を捧げているふたりに続き、僕も手を合わせ、目を閉じる。視界が遮断されると様々な音がより鮮明になって聞こえた。風は、休日の午後にぴったりの音をしている。蝉の鳴き声が、ちょうどいいバックグラウンドを担っていた。
優菜は「私を忘れて」と言ったけど、やっぱり彼女の存在を記憶から消すことなどできそうにない。彼女に抱いてきた思いを一年かけて忘れようとしたけど、当然、思い出そのものをなくすことは不可能だった。
優菜が「人を死に至らしめるものは忘れること」と言っていたけど、それは間違いだったのかもしれなかった。忘却ではなく、当時経験した思いを心にしまい込んで、過去にすることが必要なのだと思う。いや、それこそが彼女が言った「忘れる」の定義だったのかもしれない。
空は具合が悪くなりそうなくらい綺麗に澄み渡っていた。ずっと遠くに、より濃い色をした山の陰がいくつも並んでいる。
太陽光が墓石の表面で跳躍し、一瞬、視界が押し広げられたようになった。僕はしばらく、その光景に見入っていた。「行こう」、成瀬さんが言う。「はい」、僕は返事をしている。彼女に続いて優菜の墓石に背を向けたとき、僕は今年初めて蝉の鳴き声を聞いた気がした。
偽物の天国で君を忘れる 新代 ゆう(にいしろ ゆう) @hos_momo_re
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